第40話 十五分の現世
十五分を生き切るための訓練場が、夜凪カイの前に広がっていた。
入口の時計盤には十五の白点。救助地点は五つ。第一は倒木、第二は煙室、第三は崩落橋、第四は狭い搬送路、第五は白壁の向こう。補給箱は中央に一つだけで、使えるのは一回。黒影歩も一回。封印された他の技法は使用禁止だった。
一億年ではない。たった十五分。それでも今の身体にとっては、長い戦いだった。
開始灯が点く前、レイガは記録板を一枚落とし、拾おうとして残りの束まで床へ滑らせた。
「俺は書類を持ったまま威厳を保つ訓練が要るらしい」
床に広がった記録板と教師の真面目な顔を見比べ、ミナはこらえきれなくなった。
「そこ、訓練でどうにかするんですか!」とミナが吹き出す。
レイガも口元だけで笑った。だが開始灯が赤へ変わった瞬間、表情から私情が消える。白帝の圧が場を包み、五人の呼吸が揃った。
「私が監督する。勝利条件を申告しろ」
レイガが時計盤の下で問う。
カイは四人を見た。ミナは火花を灯す指を胸へ当て、セレスは二系統だけを記録する板を持つ。リゼットは全員の同意を一人ずつ確認し、ガロウは右肩を使わず支柱役を担う。
「五地点の人形を全員救助。班員も全員、歩いて退避線へ戻ります」
五人分の条件が宣言に揃い、レイガは記録板を持ち直した。
「受理。開始。全員、生還しろ」
最初の五分、カイは基本剣術だけを使った。
第一地点の倒木は、訓練用とは思えないほど重かった。枝には赤い布が巻かれ、そこを斬れば下の人形へ落ちる。カイは刃を立てず、剣の腹で枝を持ち上げる。腕が震えたところへガロウが左肩を入れ、ミナが人形の位置を火花で示した。
「枝を切れば早い。でも落下線に人形がいる」
早さを捨てる理由を聞き、ガロウは痛む右肩を使わず倒木の下へ入った。
「なら俺が支える。カイ、細い枝だけ払え!」
カイは三本だけを短く斬り、剣先を一度ずつ止めた。ガロウの支えがなければ倒木全体は動かない。自分一人の剣で開けた道ではないことを確認してから、人形を引き出す。
第二地点の煙室では、ミナの火花が一度消えた。五人は走らずその場へしゃがみ、セレスが噴出周期を数える。時計の白点は減っていく。焦りで喉が締まったが、暗いまま進んで隊列を失う方が遅い。再点火までの三呼吸を待ち、全員で同じ角を越えた。
倒木を砕かず枝だけ払い、ガロウが幹を支える間に人形を運ぶ。煙室ではミナの火花を五呼吸ずつ待ち、セレスが通過角を記録した。急がない。四歩一呼吸、一振りごとに停止する。
六分目、第三地点の橋が傾いた。リゼットが「停止」と「支柱保持」を順番に表示し、全員の同意を取る。以前ならカイが最短経路を命じた。今は班長の確認を待ち、必要な時だけ足場の亀裂を伝える。
八分目に補給箱を開いた。水は五人で分ける。カイだけが多く飲めば走れるが、黒影歩後に運ぶ者の分がなくなる。
「俺は半分でいい」
自分の分を戻そうとするカイの手を、リゼットは水筒ごと押し返した。
「駄目。全員同じよ」
リゼットが即座に却下した。カイは反論せず、一口ずつ数えた。
十分快、呼吸が崩れた。
額から落ちた汗が目へ入り、視界が滲む。剣を握る指は感覚が薄くなり、鞘へ戻す時に鍔が二度ぶつかった。カイは隠さず報告した。
「握力が落ちています。次の搬送では剣を使えません」
言い終えたカイの手から、リゼットは剣ではなく次の役割を受け取った。
「分かった。剣が必要な障害はガロウと私が見る」
リゼットが即答し、セレスは記録へ制限時刻を書いた。できなくなった行動を知らせたことで、班の計画は崩れずに変わった。
第四地点の狭い搬送路で、脚が勝手に七界式の長い歩幅へ移る。記憶どおりなら一息で抜けられる。しかし心臓が追いつかず、視界が暗くなった。
一億年の身体へ戻りたい。完成した自分なら、誰も待たせない。その誘惑が胸を締めつける。
「カイ!」
ミナの火花が足元で一度弾けた。
合図は「短い歩幅へ戻れ」。百枚の紙の前で作った約束だった。
カイは大きく息を吐いた。
「四歩で吸う。四歩で吐く。今の身体で行く」
自分へ向けた数え声が一人分で終わらないよう、ミナがすぐ隣に並んだ。
「そう! 私たちも一緒に数える!」
五人の足音が揃った。十一本目の白点が消える。
十二分目、最後の人形は白壁の向こうにあった。迂回すれば四分。残り三分しかない。
「黒影歩を使います。十二歩以内。十五秒後に必ず復帰する」
カイが申告する。
「同意するわ。ガロウは受取、セレスは時間、ミナは帰路表示。私は停止条件」
リゼットの指示が続く。全員の返事を聞いてから、カイは黒い鞘へ手を置いた。
「第一技法・黒影歩」
世界が十二度、黒く明滅した。白壁の死角を縫い、人形の腕を掴み、崩れかけた足場を回り込んで仲間の前へ戻る。十二歩目で自分から膝をついたが、意識も呼吸も乱れていない。
ガロウが壁の隙間から人形を引き取り、ミナの火花が帰路を照らす。カイは座ったまま呼吸を数えた。
十秒。十一秒。以前なら数分、立てなかった。
十五秒目、膝へ力が戻る。カイは自力で立ち上がった。
「歩けます!」
セレスが驚きで記録板を取り落としかけた。
「反動二十秒 -> 十五秒。五秒短縮です!」
残り時間は二分以上ある。五人は人形を囲み、退避線へ走った。カイは一人で先頭へ出ず、ミナの火花、リゼットの停止、セレスの秒読み、ガロウの支え、その中央で歩幅を合わせる。
「十秒!」
セレスの秒読みが退避線までの歩幅を刻み、ガロウが人形の位置を直した。
「人形の脚、上げろ!」
床を擦りかけた脚が上がるのを見て、リゼットは止めていた条件を解いた。
「停止条件解除。全員、前へ!」
再び揃った足音の中で、ミナはカイの短い歩幅を数えた。
「カイ、あと四歩!」
最後の白点が消える直前、全員の足が退避線を越えた。
終了鐘が鳴った。
カイは立ったまま、仲間の顔を見た。十五分前と同じ五人が、誰も欠けずにいる。突然、涙が溢れた。
「どうしたの、痛い?」
ミナが慌てて近づく。
「違う。嬉しいんだ」
一億年の修行を終えた時にも泣いた。それでも今、仲間と過ごした十五分の方が短く、重く、温かかった。
「一人で一億年進むより、みんなと十五分帰る方が……難しかった。でも、こっちがいい」
ミナも泣き、リゼットは顔を背けながら目元を拭う。セレスは震える文字で「全員帰還」と記録し、ガロウはカイの背を左手で強く叩いた。
レイガは五人を見渡した後、合格印を押した。
「基本剣術B、連戦十二分から十五分。黒影歩B、安全八歩から十二歩、反動二十秒から十五秒。合格だ」
歓声が上がる。
その直後、観客席の監査官が立った。
「復学の最終判定を四日後に実施します。一年生二班によるクラス合同戦。監査官立会いです」
喜びの先に、実際の同級生を相手にする試験が待っていた。
試験後の検証室で、五人は十五分を一分ごとに振り返った。成功した場面だけでなく、十分快にカイの呼吸が崩れたこと、十二分目の黒影歩から十五秒で復帰できたことも確認する。監査官は映像を三度巻き戻し、それでも十二歩のうち四歩しか数えられず、無言でレイガを見た。
「十五分戦えた、ではありません」
セレスが記録を指す。
「十五分の救助行動を、役割交代と補給一回で完遂できた、です。カイ単独で十五分戦える証明ではありません」
記録の主語を個人から班へ戻した修正に、カイは迷わず頭を下げた。
「その書き方でお願いします」
カイはすぐ頷いた。大きな成果ほど、誤解されれば危険になる。
リゼットは補給配分を見直した。全員同量にした判断は公平だったが、黒影歩使用者と支柱役へ少し多く配る方が安全かもしれない。ガロウは「俺だけ多いのは嫌だ」と言いかけ、右肩を見て言い直した。
「必要量を先に決めろ。遠慮で減らすのも禁止だ」
ミナは火花の合図を、カイだけでなく全員が理解できるよう三種類に整理した。一回は歩幅短縮、二回は停止、長く灯せば退路。増やしすぎれば自分が混乱するため、三つが限界だ。
最後にレイガが、合同戦の規則書を卓上へ置いた。
「相手は敵ではない。同級生だ。勝敗条件は中央旗だが、救助規則違反は失格になる。今日の十五分を、勝ちたい感情の中でも保てるかが問われる」
説明を終え、勤務記録へ署名したレイガは、筆を置いた途端にいつもの「俺」へ戻った。
「終わりだ。俺としては腹が減った。夕食当番は誰だ」
成績評価の緊張が食卓の問題へ切り替わり、リゼットは即座に背筋を伸ばした。
「先生ではありません。前回の根菜を忘れたとは言わせませんわ」とリゼットが即答する。
先生の反論が形になる前に、セレスは前回の記録を数値で補強した。
「私が数えます。根菜の硬度差は四割でした」とセレス。
料理にまで記録精度を持ち込む真顔へ、ミナが両手を振った。
「数えなくていいの!」とミナ。
笑いを含んだ制止の横で、ガロウはすでに肉を焼く手順を考えていた。
「肉なら俺が焼く。焦げても食える」とガロウ。
焦げる前提の後始末を聞き、カイは練習で覚えた弱火の間隔を思い出した。
「たぶん弱火なら焦げない。ミナに火を見てほしい。俺は時間を数える」とカイ。
アステリアは一拍遅れて、「焼き時間を観測する場合、肉も観測対象です」と真顔で付け足した。意味は正しいのに妙に可笑しく、張り詰めていた五人の肩から力が抜けた。
完全敗北した時、五人は強敵を前に役割を忘れた。四日後は、旗と同級生と救助対象を同時に見る必要がある。
カイは涙の跡を拭い、規則書を開いた。嬉しさを失わず、次の恐怖も見落とさない。それが現世で身につけた、新しい十五分の使い方だった。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:七紋人
個体ランク:B
レベル:Lv.14
HP:236/254(ランクB)
魔力:259/286(ランクB)
攻撃:98(ランクB)
防御:87(ランクB)
速度:116(ランクB)
技能:基本剣術(ランクB・Lv.6)/黒影歩(ランクB・Lv.5)/迅雷駆(ランクC・Lv.1)/蒼天鎧(ランクD・Lv.1)/虚空掌握(ランクD・Lv.1)
状態:通常安全出力B・条件付き上限Aへ到達。ただし長期高出力と三技能同時使用は不可。




