第4話 保護観察の席
剣名奉唱の翌朝、夜凪カイは一年生教室の一番後ろで、両手を膝の上に置いていた。
昨夜はほとんど眠れていない。目を閉じるたび、床下の金属音と、天城レイガの指から上がった煙が蘇った。肩は重く、黒い鞘を帯びているだけで右腕まで強張る。それでも今日の目的は、逃げずに授業へ出て、保護観察の条件を聞くことだった。
机の左上には、白い評価札が置かれている。
他の生徒の札には初期適性を示す色と数字が刻まれていた。ミナは薄赤、セレスは銀、リゼットは青。カイの札だけは名前以外が何もなく、紙を切り抜いた穴のように白い。
教室へ入ってくる生徒の多くが、その札と黒い鞘を交互に見た。ひそめた声でも、「講堂」「全部の剣」「火傷」という言葉は耳に届く。昨日の異常は、既に学年中へ広まっているらしい。
カイは鞘を机の横へ寄せ、壁との隙間へ隠そうとした。だが床へ擦れる音が思った以上に響き、前列の生徒まで振り返った。余計に目立ったことが恥ずかしく、動かした手を引っ込める。
「おはようございます」
ミナが隣へ座った。
いつもなら声と一緒に笑顔が来る。今日は口元だけがわずかに上がり、栗色の目はカイの反応を確かめていた。昨日、話しかけようとした彼女を拒んだせいだ。
「お、おはよう」
それだけで会話が途切れる。
窓の外では基礎訓練の上級生が走り、規則正しい足音が続いている。教室の中には椅子を引く音と紙をめくる音がある。沈黙を破るなら今だと思うのに、謝った後で何を言えばいいのか分からない。
ミナが教科書を開きかけた時、カイは慌てて口を開いた。
「き、昨日は……ごめん」
ミナは開きかけた教科書から手を離し、カイへ体を向けた。
「どうして夜凪君が謝るんですか」
声は強くない。ただ、何を謝っているのか分からないまま受け取りたくないらしい。
「心配してくれたのに、何も言わなかった。話しかけないでくれって、あんな言い方をして」
ミナは膝の上で指を組み、少し考えた。
「私も、すぐ何か言えば元気になると思っていました。あの時は、言葉を増やさない方がよかったんですよね」
自分だけが傷ついたつもりでいたカイは、組まれた彼女の指を見つめる。
「でも……隣にいてくれたのは、助かった」
ようやく目を合わせると、ミナの肩が下がった。彼女も拒まれた理由をずっと考えていたのだと分かり、胸が痛んだ。
「じゃあ、次からは聞きます。話すのと、隣にいるだけと、どっちがいいですかって」
ミナの提案は明るい口調に戻っていたが、返事を待つ目は慎重だった。
「そんなふうに選ばせてもらえるなら……助かる」
完全に元通りではない。だが、昨日より分かることが一つ増えた。
前の席からセレスが振り返った。銀髪は一晩ほとんど休まなかったのか、いつもより少し乱れている。腕には厚い記録束を抱えていた。
「会話の終了を確認しました。二人の呼吸が落ち着くまで待ちました。昨日の反応について、分かったことがあります」
あまりに具体的な待機理由に、カイは記録束とセレスの顔を交互に見る。
「待っていたのか」
セレスは当然の手順を説明するように記録束を抱え直した。
「ミナ・フェルンが怒っている可能性と、夜凪カイが再び拒絶する可能性がありました。観察資料を出す時機ではないと判断しました」
相変わらず率直すぎるが、彼女なりに二人の感情を考えたらしい。ミナは複雑な顔をしながらも、「待ってくれてありがとうございます」と答えた。
セレスが机へ広げた紙には、講堂の平面図、揺れた床の範囲、周囲の剣が震え始めた順番、黒い刃が露出していた時間まで細かく記されていた。赤線は祭壇からではなく、床下の一点から同心円状に伸びている。
「黒い鞘が周囲の剣名へ影響した可能性はあります。ただ、振動は地下から先に届いています。鞘そのものを発生源とは断定できません」
赤線の中心が自分から外れているのを見て、カイの胸に希望が差した。
「俺のせいじゃない、ということか」
期待が先走り、声が上ずった。
セレスはすぐに首を横へ振る。
「訂正します。因果が不明ということです。柄を引いてから振動開始まで、記録上は一秒未満。無関係とも断定できません」
都合のよい答えだけを欲しがった自分が恥ずかしくなる。
「……そうだよな」
落ちた声を聞き、セレスは図面の赤線を指先でなぞった。
「でも、調べる価値はあります。怖がるだけでは、次に止める方法も分かりません」
セレスの態度は昨日と変わらなかった。カイを怪物扱いせず、かといって無責任に安全とも言わない。その正確さが、今はありがたい。
机の間を、硬い靴音が近づいた。
リゼットが青い評価札を手に立っている。朝の光を受けた金髪はよく目立ち、近くの生徒たちがまた会話を止めた。彼女はカイの机へ一枚の書類を置く。
「保護観察の暫定条件が掲示されたわ。知らずに違反しては困るでしょうから、先に持ってきました」
書類には、単独訓練の禁止、校内の一部立入制限、毎朝の武器検査、異常時の即時報告が並んでいた。最後には、違反時は訓練資格を停止するとある。
胸が重くなる。学びに来たのに、剣へ触れるにも許可が要る。
「随分、厳しいですね」
ミナが不満を隠さず言った。
「必要な措置よ。昨日の反応が訓練中に起きれば、周囲も危険になる」
ミナは机へ手をつき、納得できない様子で身を乗り出す。
「でも、夜凪君だけが悪いみたいです」
リゼットはその言葉を聞き流さず、まっすぐミナを見返した。
「悪いとは言っていないわ」
リゼットの眉がわずかに寄る。言い負かしたいのではなく、曖昧に理解されたことが気に入らないのだろう。
「私は、彼が危険かどうかを知りたい。昨日の夜凪カイは、自分でも止められていなかった。今、同じ班になれば警戒する。それは本人を嫌うこととは別よ」
彼女はカイへ向き直った。
「あなた自身は、あの時の行動をどう考えているの」
講堂でガロウへ言い返した時、周りを見る余裕はなかった。剣だと証明したい気持ちだけで柄を引いた。
「俺が……焦って抜いた。何が起こるか分からないのに。先生が止めてくれなかったら、誰かが怪我をしたかもしれない」
言葉にすると、逃げ道がなくなる。それでも昨日、事実を隠したままより息がしやすくなったことを思い出した。
「だから、条件には従う。怖いけど……また同じことを起こす方が怖い」
リゼットはすぐには答えなかった。紫の目から、昨日よりわずかに硬さが抜ける。
「なら、少なくともご自分の危険を他人任せにはしていないのね。結構よ。条件を守る間は、周囲にもそう説明します」
褒め言葉ではない。だが、評価が「能力不明」から一歩だけ動いた気がした。
その時、天城レイガが教室へ入った。黒い教員服の袖から覗く右手には、白い包帯が巻かれている。カイの視線がそこへ吸い寄せられた。
「夜凪。放課後、第一面談室へ来い」
包帯から目を離せないまま、カイは反射的に背筋を伸ばした。
「は、はい」
短い指示だけで、周囲の囁きが止まる。昨日と同じ圧倒的な存在感だったが、カイには包帯の白さの方が目に焼きついた。
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放課後、第一面談室で夜凪カイを待ちながら、天城レイガは包帯の下の熱を確かめていた。
視点を向けているのは、自分の右手と机上の報告書だけだ。窓の外では夕方の訓練鐘が鳴り、薄い西日が狭い部屋の書棚を赤く染めている。治癒術は済んでいる。それでも掌の中央には、黒い刃を押し戻した時の感触が残っていた。
重さではない。
あの刃の向こうに、別の場所へ続く空洞があるような感触だった。
報告書には《測定不能》《共鳴源不明》《地下設備の再点検》とだけ記した。確証のない推測を生徒へ与えれば、恐怖か期待のどちらかを先に育てる。今のカイには、どちらも危険だった。
少年は弱い。
筋力や剣技の話ではない。他人の視線を恐れ、自分の価値を証明しようとして安全確認を捨てた。昨日の一件で最も注意すべきなのは黒い刃だけではなく、その焦りだ。
だが、命令されれば手を離した。失敗を認め、今朝も逃げずに登校した。守る価値があるかどうかを教師が選ぶのではない。守られている時間を、本人が何へ変えるかを見るのが教師の仕事だ。
廊下で足音が止まり、控えめなノックが三度鳴った。
「入れ」
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カイが面談室へ入ると、レイガは窓を背に座っていた。
狭い部屋には机と椅子が二脚ずつ、壁際に資料棚があるだけだ。薬草と古い紙の匂いが混じっている。講堂のように逃げ込める人混みはなく、向かい合うだけで背中へ汗が浮いた。
「手は、本当に大丈夫なんですか」
座る前に口から出た。
「治療は済んでいる。お前が気にすべきなのは、次に同じ火傷を作らない方法だ」
責められたと思い、カイは俯いた。だがレイガは書類を一枚ずつ指で示し、条件の理由を説明した。
単独訓練を禁じるのは、異常時に止める者を置くため。立入制限は、昨日の反応と地下設備の関係が不明だから。毎朝の検査は変化を早く見つけるため。どれも罰として閉じ込める規則ではなく、事故を防ぎながら調べるための手順だった。
「あの……俺は、いつまで守られる側なんでしょうか」
レイガはすぐに慰めを返さず、包帯の巻かれた手を机へ置いた。
「分からん」
予想外の答えに顔を上げた。
「先生でも、分からないんですか」
驚くカイを前に、レイガは表情を変えない。
「俺にも分からん。分からないことを分かったふりはしない。期限だけ決めれば、お前は期限が来るまで耐える。それでは意味がない」
期限ではなく自分の行動を問われ、カイは膝の上で拳を握った。
「じゃあ、何ができれば……」
レイガは一つずつ刻み込ませるように、間を置いて指を折る。
「次に異常が起きた時、自分で気づけ。隠すな。周囲へ伝えろ。そして、確かめたい衝動より先に止まれ」
並べられた目標に剣技がないことを、カイは意外に思った。
「戦えるようになれ、ではないんですね」
レイガの目が、昨日の講堂を思い出させる厳しさを帯びる。
「今のお前が最初に守るべきものは、強者としての面子ではなく、周囲の安全だ」
地味で、格好のよい目標ではない。ガロウのような光もない。
それでも、今朝リゼットへ答えたことと繋がっていた。自分の危険を他人任せにしない。それが、保護されるだけの状態から出る最初の一歩なのだ。
「……やります。異常があったら、すぐ報告します」
声はまだ頼りない。けれど最後まで言い切った。
面談室を出ると、夕暮れの廊下にミナとセレスがいた。ミナは待っていたことを隠さず立ち上がり、セレスは「検査前後の比較記録が必要です」と紙束を掲げた。
リゼットの姿はない。
その代わり、教室のカイの机には、保護観察の規定を項目別に書き直した紙が置かれていた。違反条件の横に、《異常の時刻・方向・身体感覚を記録》と細い字で補足されている。
まだ誰も、仲間だとは言っていない。信用されたわけでもない。
それでもカイは、白紙の席を遠巻きに見るだけではなく、自分が次に失敗しない方法を考える人間が増えたと感じた。
明日から始まる保護観察を、ただ耐えるのではない。
自分から異常を伝えられるかどうかで、最初の評価を変える。その責任を、カイは白い札の隣へ置いた。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:基底人族
個体ランク:G
レベル:Lv.4
HP:12/18(ランクG)
魔力:1/10(ランクG)
攻撃:4(ランクG)
防御:3(ランクG)
速度:5(ランクG)
技能:基本剣術(ランクG・Lv.1)
状態:入学候補・未登録。現世の基礎鍛錬段階で、七技法は未修得。




