第33話 完全敗北
天城レイガは、地下第一訓練場の中央で五人を待っていた。
北側の高い観客席に学園監査官。西壁際に治療術師二人と担架三台。四方の退避線は黄色く点灯し、救助人形は中央から離れた位置へ五体置かれている。生徒がどこで倒れても、レイガの白帝領域なら一呼吸で治療班へ渡せる配置だった。
それでも、彼は手加減を「届いた」と誤認させるつもりはなかった。
カイは一億年の技量を持つ。だからこそ、現世の肉体で越えられない壁を曖昧にすれば死ぬ。ガロウは強敵を見ると負傷を忘れる。ミナは仲間の危機で制御を失い、リゼットは正解を急ぎ、セレスは記録へ沈む。欠点を責めるのではない。五人が役割を理解するまで、教師である自分が止める。
開始線へ並んだ生徒たちの顔は硬い。カイだけが静かに見えるが、剣を握る親指が白くなっていた。恐怖がないのではない。恐怖を抱えたまま立つことを覚えた顔だ。
「勝利条件を申告しろ」
カイが一歩出た。
「救助人形五体と班員全員を、南出口へ出します。反動者を置き去りにしません」
カイの宣言が訓練場の奥まで届き、仲間たちの呼吸もそこへ揃った。
「受理する」
レイガは左手を上げた。
「開始」
白帝領域が訓練場を覆った。
五人はレイガを見なかった。ミナの火花が床を照らし、セレスが出口と人員の二系統を記録する。リゼットの《蒼律》が同意した二人へ停止条件を示し、ガロウは左腕で人形を担いだ。
前半三分で二体。昨日より速い。
レイガは南出口を閉じ、西を開いた。五人は一瞬迷い、カイの指示で中央へ人形を集める。正しい。ならば次は、東西二出口を同時に閉じ、北だけを開く。
「北へは行かない!」
リゼットが叫んだ。
「閉じた南の前で待つ。先生が出口を変えるなら、移動距離を増やさない!」
これも正しい判断だった。
レイガは白壁を動かさず、代わりに拘束帯を人形へ伸ばした。カイが短い剣撃で一本を払い、ミナが火花で次の帯を照らす。セレスが到達まで二呼吸と警告し、ガロウが人形を抱え直す。
五人は前より確実に成長している。
だが、まだ足りない。
レイガは人形と出口の間へ立った。攻撃せず、ただ通路を塞ぐ。
カイの目が初めてこちらへ向いた。仲間の退路を守るため、自分が囮になると決めた目だった。
「俺が先生を引きつけます。三体目を運んでください」
彼の視線が逃げ道へ向かっていないのを察し、ミナは一歩前へ出た。
「カイ、黒影歩は一回だけよ!」
ミナの声へ頷き、カイが踏み込む。通常剣術の短い一撃。レイガは剣を抜かず、白い膜で逸らした。二撃目、三撃目。カイは一振りごとに停止し、現世の身体を壊さない。
レイガは背後へ一歩分の空白を作った。
誘いだと、カイなら分かる。それでも仲間のために使う。
「第一技法・黒影歩」
黒い残像が一歩を飛び、カイがレイガの背後へ現れた。足が崩れる前に自ら腰を落とし、座った姿勢から剣を伸ばす。切っ先は外套まで指一本。
レイガは振り返らなかった。
右手の人差し指と中指だけで刃を挟む。
金属音すらしない。カイの剣は完全に止まった。
観客席から息を呑む音が重なった。カイの顔から血の気が引く。技量で背後を取っても、教師の領域内では最初から捕捉されていた。
「届いていない」
レイガは事実だけを告げ、白い拘束でカイの手首を固定した。
「分かっています」
絞り出した声には、悔しさがあった。それでもカイは敗北を誤魔化さない。
その姿を見たガロウが吠えた。
「そいつを離せ!」
右肩の負傷も、運んでいた人形も忘れ、正面から突進する。隊列が切れた。
「ガロウ、戻れ!」
カイの叫びは一歩遅い。レイガはガロウの足元へ白壁を起こし、衝撃を上へ逃がした。《白牙皇》の圧力が天井へ散り、本人だけが宙へ浮く。治療班側へ受け流し、同時にリゼットの足首、セレスの記録板、ミナの手首を白帯で拘束した。
十秒後、五人全員が床へ座らされていた。
救助済みは二体。残り三体。レイガへの有効打はゼロ。
砂時計には四分以上残っていた。
「終了。完全敗北だ」
言葉が訓練場へ落ちる。
ミナは悔しさで泣いた。リゼットは俯いたまま拳を震わせ、セレスの記録板には未完了の文字が明滅している。ガロウは床を見つめ、「俺のせいだ」と掠れた声を漏らした。
カイは座ったまま、レイガを見上げた。
「俺には、まだどこで崩れたのか見えてません。何を間違えたのか、教えてください」
その問いに、監査官が先に答える。
「能力不足です。退学審議を――」
冷たい判定が終わるより早く、レイガの低い声が割って入った。
「違う」
レイガは観客席を見ずに遮った。
「お前たちは、私を倒す役を奪い合った。仲間を帰す役より、強敵へ挑む自分を優先した」
ガロウが唇を噛む。血が滲んだ。
「なら……俺を外せ」
ガロウは顔を上げられず、その申し出で仲間との距離まで広げようとした。
「逃げるな。失敗した者にしか直せない癖がある」
レイガは拘束を解き、五人の前へ三週間分の訓練表を置いた。
白帯が消えた後も、カイの手首には圧迫された赤い跡が残った。剣を握り直そうとすると指が震え、鞘口へ一度で収まらない。レイガは手を貸さず、カイが呼吸を整えて自分で納刀するまで待った。負けを急いで片づけず、身体へ残った事実まで受け止めさせるためだった。
「お前たちは私を倒す班ではない。私がいない場所で、人を帰す班になれ。再訓練を許可する」
監査官が椅子を鳴らした。
「判定を延期する根拠は」
監査官の尖った視線を受けても、レイガは五人の前から動かなかった。
「二体を救い、全員が自分の敗北を認識している。伸ばせる生徒を、数字一つで捨てない。それが教師の判断だ」
レイガの声は低いが、異論を押し返す強さがあった。
カイは訓練表を拾った。一億年かけて覚えた技より先に、初日の欄には一行だけ書かれていた。
――剣を持たずに呼吸せよ。
「先生。もう一度、教えてください」
深く頭を下げるカイの横で、四人もそれぞれ悔しさを抱えたまま頭を下げた。
治療班がガロウの右肩を固定する間、誰もすぐには話せなかった。完全敗北という言葉が、まだ胸の中で重かった。
最初に沈黙を破ったのはガロウだった。
「カイ。次は俺を止めろって頼んだのに、また突っ込んだ。悪かった」
拳を開いたガロウの手には、爪の跡が残っていた。
「俺も、囮になる判断を一人で決めた。黒影歩を使う前に、交代できるか聞くべきだった」
ミナは涙を拭き、二人を睨んだ。
「二人だけで反省を終わらせないで。私もカイを見た瞬間、人形から目を外した」
ミナが自分の失敗も列に並べると、リゼットは唇を結んだ。
「私は勝利条件を表示していませんでしたわ。頭に入っているから、全員も分かっていると断定してしまいました」
表示の消えた記録板を見つめ、セレスも自分の遅れを口にする準備をした。
「私は隊列崩壊を記録しましたが、警告が遅れました」
五人は失敗を一人の責任にしなかった。レイガは少し離れた場所で聞き、答えを与えない。
カイが訓練表の最初の一行を指でなぞる。
「剣を持たずに呼吸する。最初は意味が分からなかった。でも、俺たちは戦う前から息が合っていなかったんだと思う」
気恥ずかしげな結論に、リゼットの張っていた口元がわずかに緩んだ。
「随分と綺麗にまとめますのね。こほん、嫌いではありませんけれど」
リゼットが目を赤くしたまま笑う。
「明日、走って吐きそうになっても同じことを言えるか、私が見届けて差し上げますわ」
敗北の痛みは消えない。それでも五人は、明日の集合時刻を自分たちで決めた。退学審議を免れたからではなく、同じ負け方を繰り返したくなかったからだ。
退出する前、カイは残された三体の人形を一体ずつ退避線へ運んだ。試験は終わっている。それでも置き去りの形で訓練場を去りたくなかった。四人も黙って加わり、最後の一体を五人で床へ下ろす。勝敗は変わらないが、次に守るべき行動だけは、その場で選び直せた。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:七紋人
個体ランク:B
レベル:Lv.7
HP:250/254(ランクB)
魔力:280/286(ランクB)
攻撃:98(ランクB)
防御:87(ランクB)
速度:116(ランクB)
技能:基本剣術(ランクB・Lv.6)/黒影歩(ランクB・Lv.5)/迅雷駆(ランクC・Lv.1)/蒼天鎧(ランクD・Lv.1)/虚空掌握(ランクD・Lv.1)
状態:通常安全出力B・条件付き上限Aへ到達。ただし長期高出力と三技能同時使用は不可。




