↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落第剣士が古代魔法に巻き込まれ一億年修行 ~七王の技を宿して世界を救う~  作者: バナナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/62

第21話 十二分後の一億年

帰還門が閉じる音は、思っていたよりも小さかった。

 石と金属を擦り合わせたような低い音が一度だけ響き、七重に重なっていた光の輪が、外側から順に消えていく。最後に残った細い線も途切れると、地下封印機関室には非常灯の赤い光と、壊れた術式盤から漏れる火花だけが残った。

 カイは、その暗さを知っていた。

 七つの界で、光のない場所には何度も立った。何年も、何百年も、何万年も。足元さえ見えない空間で剣を振り、音の返りだけで壁との距離を測り、呼吸の乱れだけで敵の位置を読んだ。

 だが、今この場所で最初に感じたのは、闇ではなかった。

 焦げた油の匂いだった。

 煤を吸った喉がひりつく。崩れた石材から細かな粉が舞い、舌の奥にざらつきが残る。近くではガロウが負傷した右肩を押さえ、浅く息をしていた。セレスの銀髪には灰が積もり、リゼットの金髪もところどころ黒く汚れている。

 そして、胸元にはミナの顔があった。

 煤けた赤茶色の髪が頬に触れている。細い腕がカイの背中に回され、制服越しに指が強く食い込んでいた。

 ミナは泣いていた。

 声を押し殺そうとしているのか、息を吸うたびに肩が震える。涙がカイの胸元を濡らし、その温かさが十六歳の身体にはっきりと伝わってきた。

 七界で過ごした一億年の中で、数え切れないほどの別れがあった。

 目の前で命が消えたこともある。二度と会えないと知りながら背を向けたこともある。何千年も隣にいた者の声を、時間の中で忘れてしまったことさえあった。

 それでも、少女に抱きつかれた経験が豊富になったわけではない。

 カイの心臓は、剣を向けられたときよりも明確に跳ねた。

 両手をどこへ置けばよいのか分からない。背中に回せばいいのか、肩を押して離すべきなのか。七界で身につけたどの判断基準にも、この状況の正解は記録されていなかった。

 結局、カイは持ち上げかけた右手を止め、ぎこちなくミナの頭に触れた。

 煤のついた髪は少し硬く、それでも指の下では温かかった。

 「……ただいま」

 その一言を口にした瞬間、ミナの腕にさらに力が入った。

 「遅い! 十二分も遅い!」

 掠れた声だった。

 「たった十二分って顔しないで。こっちは十二分ずっと、帰ってこなかったらどうしようって思ってたんだから」

 十二分。

 カイは反射的に帰還門があった場所を見た。そこにはもう光も亀裂もなく、黒い壁面が残っているだけだった。

 十二分という時間を、頭の中で理解することはできる。

 現世を離れた直後、機関室の封印が破られ、仲間たちが崩落に巻き込まれかけた。自分が帰還し、七重封印を閉じ、落下した石梁から皆を救うまでの現世経過が十二分。

 それは記録として正しいのだろう。

 だが、一億年を経た意識にとって、十二分は短いという言葉では足りなかった。

 カイが最初の千年を越えた頃も、この場所ではまだ一分も経過していなかったかもしれない。剣の構えを一から壊し、組み直し、また壊した十万年も、ミナたちにとっては数秒だった可能性がある。

 その差を説明する言葉を、カイは持っていなかった。

 「夜凪君」

 セレスの声がした。

 彼女は破損を免れた記録板を両手で持ち、光る文字列に視線を走らせていた。理知的な顔立ちは普段と変わらないように見えたが、指先がわずかに震えている。

 「帰還門の観測記録を確認しました。あなたの消失から再出現まで、現世時間で十二分零秒です。誤差は……現時点では認められません」

 記録板に刻まれた「十二分零秒」が、一億年を生きたカイの目にも同じ幅で光った。その落差を呑み込み、彼は震えるセレスの指へ視線を戻した。

 「こちらでは十二分なんですね。……分かりました」

 セレスの筆先は、「こちらでは」という区切りにわずかに沈んだ。外と内で時間が違うと察し、彼女は次に確かめるべき一点を選んだ。

 「門の内側では、どれほど経過したのですか」

 カイは答えようとした。

 口を開き、閉じる。

 一億年、と言えばよい。それだけなら一文で済む。

 しかし、一億年という数字だけを伝えても、最初の夜に感じた恐怖も、百年目に帰還を諦めかけたことも、百万年を越えてから自分の名前を何度も声に出して確かめたことも伝わらない。

 何より、それらを今ここで語れば、言葉にされた経験が自分自身から切り離されてしまうような気がした。

 「……長かった」

 ようやく出た言葉は、それだけだった。

 セレスはしばらくカイを見つめたあと、記録板へ目を戻した。

 追及しなかったことが、ありがたかった。

 「感動の再会は後だ」

 低く通る声が機関室を切った。

 教師レイガは、崩れた制御台の前に立っていた。黒い教師服の上に羽織った灰色の外套は裂け、左眉から頬にかけて走る傷にも薄く煤がついている。それでも背筋は伸び、周囲の誰よりも落ち着いていた。

 彼が片手を上げるだけで、騒然としていた救助員たちの動きが揃った。

 「主機関を完全停止。補助術式も切れ。〈テオクラスト〉が残した経路に再接続するな。負傷者の搬送を優先し、記録板と破片には触れるな。すべて監査証拠として封鎖する」

 指示を出し終えると、レイガはカイへ視線を向けた。

 「夜凪。立てるか」

 立とうと膝へ力を集めると、崩落の震えが脚の奥でぶり返した。それでもレイガの前で一度だけ踵を床につけた。

 「はい」

 答えた直後、膝の力が抜けかけた。

 レイガの腕がすぐに伸び、カイの肩を支える。

 その手は硬く、熱があった。落下する石梁を止めた直後から、カイはレイガに肩を借りたままだった。自分で立てているつもりでも、体重の半分近くを預けている。

 七界で鍛えた感覚なら、身体のどの部位がどの程度損耗しているか正確に把握できた。

 筋力不足。腱への過負荷。呼吸器への煤の侵入。封蔵された熟練度と、現世の肉体との深刻な不一致。

 理解できるからこそ、無理が利かないことも分かった。

 「歩けます」

 言葉とは逆に、カイの一歩目はレイガの肩側へ傾いた。支える腕に増えた重みで、教員は歩ける速さまで歩幅を狭めた。

 「なら、俺の歩幅に合わせろ。勝手に先へ出るな」

 先へ出るなという命令に、カイは浮かせかけた足をレイガの靴先へ揃えた。七界の歩法ではなく、今の身体で追える歩幅だった。

 「分かりました」

 ミナがようやく腕を緩めた。

 離れる直前、彼女はカイの制服をもう一度強くつかんだ。確かにここにいるのだと確かめるような仕草だった。

 「あとで、ちゃんと話して」

 抱きついたときのミナの震えが、まだ制服越しに残っていた。カイはその熱を忘れないうちに答えた。

 「うん」

 短すぎる肯定に、ミナの眉が寄った。十二分を「あとで」のまま流されないよう、袖をつかむ指にもう一度力を込める。

 「絶対だからね」

 赤い目のまま見上げてくるミナから、カイは視線を外せなかった。「絶対」に見合う言葉は一つしかなかった。

 「約束する」

 ミナが一歩下がる。

 その顔を見た瞬間、カイの胸に鈍い痛みが走った。

 自分にとっては一億年ぶりの再会だった。

 だが、ミナにとっては、怯えたまま帰還門へ呑み込まれた同級生が、十二分後に別人のような目をして戻ってきたのだ。

 安心だけで済むはずがなかった。

 出口へ向けて動き始めたとき、天井から小さな砂粒が落ちた。

 カイは顔を上げた。

 機関室の中央上部。先ほど石梁が崩落した箇所の隣で、残った支持材に細い亀裂が走っている。非常灯の赤い光が揺れるたび、亀裂の内側から粉塵がこぼれた。

 落ちる。

 そう判断した直後、七界で染みついた歩法が身体を動かそうとした。

 黒影歩を使えば、最短の一歩で全員の死角へ入り、崩落点から引き離せる。

 だが、使わない。

 すでに一度、安全限界の一歩を踏んでいる。続けて発動すれば、十六歳の脚が耐えられない可能性が高い。

 カイは保存された軌道を意識から外した。

 見るのは、亀裂の広がり方。石粉が落ちる位置。退路へ向かう者たちの歩幅。そして、負傷した右肩をかばうガロウの重心だけ。

 「ガロウ、止まらないで」

 止まるなと言われたガロウは、浮かせた左足をそのまま前へ運んだ。右肩へ走る痛みを噛み殺し、歩調だけ落として問い返す。

 「何だ?」

 カイの目はガロウの顔ではなく、歩くたび広がる右肩の亀裂を追っていた。次に痛みが抜ける足場を見定める。

 「右ではなく、左へ半歩」

 ガロウは理由を聞かなかった。顔をしかめながら左へ寄る。

 カイはレイガの肩から手を離し、通常の歩法で一歩だけ前へ出た。

 踏み込みは浅く、腰を落としすぎない。足裏全体で床を押し、次の動作へ力を残さない。

 七界の身体なら、ここから百を超える連携へ移れた。

 今は、一歩で止める。

 カイは意識して右足の踵を床につけた。

 止まれた。

 身体が記憶に引かれ、二歩目へ進もうとする気配はあった。だが、膝と腰を固めるのではなく、息を吐きながら余分な力を逃がすことで、その場に留まれた。

 初めてだった。

 帰還後の肉体で、自分の意思によって一歩を終わらせられた。

 次の瞬間、支持材の一部が外れた。

 大きな崩落ではない。それでも人の頭ほどの石塊が数個、ガロウが先ほどまで立っていた場所へ落下した。

 ガロウが息を呑む。

 カイは彼の左腕を取り、負傷した肩を揺らさないよう支えた。

 「そのまま歩いて。止まると右肩に響く」

 左へずらした途端、右肩を刺していた振動が薄れた。ガロウは驚きを隠すように、背後のカイへ顎だけ向けた。

 「……背中にも目があるのか」

 カイは肩当ての縁から伸びる亀裂と、左足が踏んだ床石を交互に示した。見ていたのは背中ではなく、負傷が揺れへ変わる瞬間だった。

 「右肩の亀裂を見ただけだ。左へ半歩なら、響きにくい」

 同じ半歩をもう一度踏むと、ガロウの右腕はさっきほど跳ねなかった。負け惜しみを続けるには、その差は明らかすぎた。

 「普通は見落とす。……だが、楽になった」

 ガロウの声には呆れと安堵が混じっていた。

 セレスとリゼットも退路を抜ける。最後にミナが振り返り、カイを待った。

 全員が安全圏へ入ったことを確かめてから、カイも歩き出そうとした。

 その瞬間、両膝が大きく震えた。

 床が近づく。

 倒れる前に、レイガが再び肩をつかんだ。

 「一歩で止まれと言った覚えはあるが、一人で立てとは言っていない」

 レイガに「一人で立て」の部分を否定され、カイの膝から張り詰めた力が抜けた。預け損ねた体重が支える腕へ遅れて落ちる。

 「……すみません」

 謝ったぶんだけ身体を離そうとするカイを、レイガの肩が押し戻した。足元をふらつかせる礼儀など、今は役に立たない。

 「謝罪より体重を預けろ。今のお前は、強い弱い以前に身体の扱いが下手だ」

 厳しい言葉だったが、声には責める響きがなかった。

 カイは抵抗せず、レイガの肩を借りた。

 出口付近では、救護担当者が携帯型測定器を準備していた。負傷者の魔力残量と術式損傷を確認するための装置らしい。

 まずガロウが測定され、右肩周辺の魔力経路に警告表示が出た。次にミナ、セレス、リゼットが順番に診察を受ける。

 最後にカイの番が来た。

 救護員が測定環をカイの胸元へかざす。

 淡い光が身体を上から下へ走り、数値板に文字列が並び始めた。

 直後、すべての数値が消えた。

 測定環が甲高い警告音を発する。

 救護員が慌てて設定を変え、もう一度測定する。

 同じ結果だった。

 数値板の中央に、赤い文字が一行だけ表示された。

 ――測定不能。

 「機器の故障ですか」

 セレスが尋ねる。

 救護員は青ざめた顔で首を横に振った。

 「自己診断は正常です。基準値以下でも、上限超過でもありません。取得した情報同士が矛盾して、階級判定が成立していません」

 リゼットは、「正常」と「判定不成立」が同じ板に並ぶのを見て、整えた姿勢をわずかに固くした。矛盾しているのは身体か記録か、問いが一語に縮まる。

 「矛盾?」

 リゼットが眉を寄せる。

 答えが出る前に、救護員の通信具が鳴った。

 短いやり取りのあと、彼の表情がさらに硬くなる。

 「学園監査部から緊急命令です」

 レイガが目を細めた。

 「内容は」

 セレスの記録板へ赤い封鎖印が開き、負傷者搬送の欄を覆った。レイガは命令文の主語を確かめるため、短く先を促す。

 「夜凪カイを医療塔へ移送。外部接触を制限し、能力測定が完了するまで隔離審査を実施する、と」

 ミナが一歩前へ出た。

 「隔離って、カイが何かしたみたいじゃないですか」

 ミナの一歩が、移送路とカイの間へ割り込んだ。セレスは両手の命令板を胸元へ引き、変更権限が自分にないことを告げるしかなかった。

 「命令です。私には変更できません」

 変更不可の表示を睨むほど、ミナの袖口が熱を帯びた。命令そのものへ届く相手を求め、視線がレイガのほうへ走る。

 「だったら誰なら変えられるんですか」

 問いの勢いのまま踏み出しかけたミナの手首へ、カイが指を添えた。弱い制止でも、自分の名を呼ぶ声には届いた。

 「ミナ」

 カイが呼ぶと、彼女は振り返った。

 納得していない顔だった。涙の跡が残ったまま、今度は怒りで頬が赤くなっている。

 カイは安心させるために笑おうとした。

 だが、うまくできなかった。

 「大丈夫。測れないなら、測れる方法を探せばいい」

 ミナには、「測れる方法」をまた一人で探す姿が、十二分待った記憶と重なった。カイの安心させる笑みを信用せず、逃げ道を塞ぐ問いを返す。

 「また一人で行く気?」

 その言葉に、カイはすぐ答えられなかった。

 一億年の間、一人で解決することが当たり前になっていた。

 帰るために必要なことは、自分で考え、自分で決め、自分で耐えるしかなかった。

 けれど、ここでは違う。

 ミナも、セレスも、リゼットも、ガロウもいる。レイガもいる。

 十二分しか経っていない場所には、まだ自分を待っていた人たちがいる。

 「一人では行かない」

 カイはレイガの肩を借りたまま答えた。

 「先生と行く。それから、戻ってくる」

 レイガが小さく鼻を鳴らした。

 「俺を護衛扱いするな。監督責任だ」

 監督責任と言い直しながらも、レイガの肩はカイの体重を外さなかった。カイはその不器用な同行の形へ、小さく頷く。

 「はい」

 従順な「はい」が監査命令への服従にも聞こえ、レイガの眉間に皺が寄った。生徒自身の選択まで取り上げさせないため、もう一つだけ釘を刺す。

 「それと、戻るかどうかを決めるのは監査部じゃない。お前自身だ」

 カイは頷いた。

 帰還門が閉じてから、まだ数十秒しか経っていなかった。

 一億年を生きた意識にとって、その時間はあまりにも短い。

 それでも、その数十秒の中で、カイは一つだけ確かめることができた。

 この身体は弱い。

 保存された力の大半は使えず、一歩進むだけでも膝が震える。

 だが、一歩を選び、一歩で止まることはできる。

 今の自分に必要なのは、一億年分の強さを取り戻すことではない。

 この十二分後の世界で、誰かと並んで歩ける一歩を覚えることだった。


【主人公ステータス】

対象:夜凪カイ

種族:七紋人

個体ランク:D

レベル:Lv.1

HP:138/138(ランクD)

魔力:112/112(ランクD)

攻撃:48(ランクD)

防御:41(ランクD)

速度:55(ランクD)

技能:基本剣術(ランクD・Lv.1)/黒影歩(ランクD・Lv.1)

状態:帰還後の測定段階。無位・未登録だが、通常安全出力D・条件付き上限Bで運用する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。