第12話 雷葬天原のライゼン
落下しながら、夜凪カイは自分の状況を理解しようとした。
無明剣獄を出た直後で、魂に傷はない。右手には同じ木剣。第一技法《黒影歩》は開いたが、一度に安全に使えるのは一歩だけだ。帰るためには、次の王から新たな基礎を認められなければならない。
そして今、足場がない。
眼下には底の見えない青い雲海が広がり、頭上では何千本もの黒い鉄柱が浮いていた。柱は城塔ほど太いものから、片足しか置けない細いものまである。雨は横殴りで、濡れた服が肌へ貼りつく。鼻の奥を焦がす臭いがした直後、白い落雷が身体を貫いた。
再生したとき、カイは一本の鉄柱の上に四つん這いになっていた。表面は冷たく、雨と油で滑る。雲海から吹き上がる風が、身体を横へ持っていこうとする。
「遅え! 落ちる前に走れ!」
豪快な声とともに、金色の光が空を横切った。
逆立つ長い金髪。褐色の肌には胸から頬へ稲妻形の古傷が走り、分厚い肩を覆う外套は半分焼けている。二メートルを越える大男が、落雷そのものを踏み台にして笑っていた。白い牙が見えた瞬間、カイは獣に狙われたように肩をすくめる。
「名は!」
雷鳴より大きな問いに、カイの肩が跳ねた。
「よ、夜凪カイです!」
大男は聞こえているはずなのに、耳へ手を当てて身を屈める。
「帰る場所!」
急かされるまま、カイは息を吸い直した。
「星環学園!」
稲妻が足元を走り、答えを空へ焼きつけるように弾けた。
「守りてえ奴!」
笑う白い牙の奥に、答えを誤魔化させない厳しさが見えた。
「ミナたちと、クラスの皆です!」
喉が痛むほど叫んでも、ライゼンは首を横へ振る。
「聞こえねえ!」
背後で落雷が炸裂し、カイの残りの息まで奪った。
「これ以上は、ちょっと……!」
大男は笑いながらカイの背中を蹴った。
「迅雷王ライゼンだ。雷に負ける声しか出せねえなら、まず落ちな!」
二度目の落下で、カイは黒影歩を使った。一歩だけ位置を奪い、隣の鉄柱へ移る。成功したと思った直後、着地した膝が裂けた。さらに進もうとして足がもつれ、落雷に焼かれた。
「同じ技で全部どうにかしようとすんな!」
ライゼンの雷槍が再生直後の胸を消し飛ばした。
雷葬天原の課題は、一万本の鉄柱を渡り、天頂に吊られた鐘を木剣で鳴らすことだった。一呼吸ごとに落雷が柱を砕く。立ち止まれば焼死し、急げば曲がれず雲海へ落ちる。
「速さは腕力じゃねえ。初動から迷いを削れ」
百年間、練習したのは一歩目だけだった。踵へ力を溜める予備動作を見せるたび雷槍が飛んでくる。前だけ見れば横風に落とされ、足元を見れば次の柱が砕けた。
カイは何億回も弾き落とされた。落ちるたび、学園で動けなかった自分を思い出す。敵を前にして足が固まり、ミナの背中へ隠れた。今もライゼンへ言い返すだけで声が細くなる。
「怖くて、最初の一歩が遅れます。怖いままでも先に動けますか」
弱みを口にしたカイを、ライゼンは笑わず真正面から見下ろした。
「逆だ。怖がってる間に動け。恐怖が決める前に、お前が足へ命令しろ」
次の千年は、加速中の素振りだった。腕だけで剣を制御すれば肩が外れる。腰を大きく回せば進路が曲がり、柱の縁から落ちる。ライゼンは説明を長くしない代わりに、必ず隣を同じ速度で走った。崩れた瞬間だけ腹へ拳を入れ、軸がずれた場所を身体で教える。
止まる訓練は、走る訓練より長かった。ライゼンは鐘の直前へ薄い硝子板を立て、触れずに寸止めしろと命じた。カイは加速できても勢いを殺せず、硝子を割って雷の海へ飛び出した。足で急停止すれば膝が裏返り、黒影歩で位置だけを変えれば運動が残って全身を柱へ叩きつけた。
「着けました。でも、止まる場所を決めてなかった。だから止まれないんですか」
砕けた硝子を見返しながら、カイは失敗の順序を確かめた。
「行き先しか決めてねえからだ。着いた後の自分まで先に決めろ!」
カイは、鐘へ触れる瞬間ではなく、その後に誰の隣へ立つのかを想像した。前足で受けるのではなく、歩幅を細かく分け、腰の軸を残したまま加速を地面へ返す。初めて硝子の手前で止まったとき、鼻先と板の間は指一本もなかった。背後から来たライゼンは止まれずに硝子を割り、「見本じゃねえ、油断の見本だ!」と笑った。カイもつられて笑ったが、緊張が解けるまで膝は震えていた。
その次は、背中へ水を満たした杯を括りつけられた。
「鐘まで一滴もこぼすな」
背中の杯が縁まで満たされ、カイは雷雲を見上げた。
「雷の中で、ですか?」
ライゼンは悪戯を思いついた子どものように牙を見せる。
「雨は入れていいぞ!」
理不尽さに気づいたカイの眉が、遅れて寄った。
「それ、同じ水じゃ……」
抗議を待たず、ライゼンは鐘へ向けて顎をしゃくる。
「減ったら分かる!」
速度を落とせば雷に焼かれ、急加速すれば水を失う。身体の中心を静かに保とうと力めば、今度は呼吸が止まった。ライゼンは満杯の杯を背負ったまま空中で百回転し、一滴もこぼさず着地した。
カイは見惚れた。荒っぽく見えるのに、巨体の中心だけが糸で吊られたように静かだった。
「速さに振り回されるな。走ってる最中ほど、腹の芯を置いていけ」
ライゼンは巨体の中心だけを動かさず、片足で雷の縁へ立った。
「置いていく、って……どうやって」
見本と自分の身体が結びつかず、カイは濡れた腹へ手を当てる。
「分からねえなら、転んで探せ!」
一千万年を過ぎる頃、カイは雷が生まれる直前、空気から音が消える一瞬を感じ取れるようになった。力を溜めず、倒れる寸前に足を差し入れる。初動が短くなり、身体が前へ弾ける。踏み替えれば曲線にも変えられる。
しかし、速くなるほど周囲を見る余裕が消えた。
ある試験で、ライゼンは進路上へ人形を三体置いた。カイは鐘へ最短で到達したが、一体を風圧で柱から落とした。
「速かったろ?」
責める声ではなかった。それが余計に苦しかった。
「速かったです。でも、守る相手を置いていった。これじゃ駄目です」
悔しさを飲み込み、カイは落とした人形から目を逸らさなかった。
「じゃあ、次はどうする」
以前なら、速度を落とすと答えただろう。けれど、それでは落雷へ間に合わない。
「みんなが残れる道を、先に決めます。追いついてから避けるんじゃ遅い。踏む前に線を決めます」
黒影歩で学んだ位置取りが、ここで別の意味を持った。初動を削るとは、考えないことではない。動く前に何を見るかを決めておくことだ。
次の試行では、三体の人形へそれぞれ違う重さの鎖がつけられた。カイは一体ずつ運ぼうとして、残り二体の柱を落雷に砕かれた。三体を同時に抱えれば軸が崩れた。そこで鎖を一本へ結び、まず人形同士の距離を縮めてから、全員を同じ曲線へ乗せた。最短ではない。だが誰も落とさない線だった。
「遅くなりました」
三体の重みを抱えた腕は震えていたが、誰一人地面へ触れていない。
「それで?」
ライゼンは先を促すだけで、速度の優劣を口にしなかった。
「全員、着きました」
自分の答えを笑われないか不安で、カイはライゼンの顔色をうかがった。大男は牙を見せ、今度は背中を叩かずに親指だけを立てた。その小さな加減の方が、カイには合格より嬉しかった。
一千五百万年目、合格試験の日には鉄柱が一本もなかった。自然発生する雷だけを踏み、雲海の彼方の鐘へ到達しなければならない。
一度目は一歩。次は七歩。百万回目でも鐘の直前で雷が途切れた。焦って黒影歩を重ねると脚が爆ぜた。
再生するたび、カイは名と帰る場所を答えた。反復の大半が封蔵記憶へ沈んでも、誰かを置き去りにした痛みは選択の手前へ残した。
最後の挑戦。雷鳴より先に踏み出し、白い軌跡を曲げる。落雷を追わず、次の落雷を生む雲の震えへ身体を置く。鐘の手前で足場が消えた瞬間、基本の斬撃を放った。振り抜く反動を進行方向へ戻し、空白を渡る。
鐘の音が世界を揺らした。
「第二技法、《迅雷駆》!」
【技能獲得】
名称:迅雷駆
未獲得 -> C/Lv.1
できること:初動を削り、三回まで軸を保って加速し、一度だけ進路を曲げる。
制約:四回目の加速か二度目の方向転換で制動を失い、自分と同行者を危険にさらす。
【技法成長記録】
安全連続加速:0回 -> 3回 (+3回)
加速中の制御方向転換:0回 -> 1回 (+1回)
三回までなら軸を保ち、直線から一度だけ曲線へ進路を変えられるようになった。四回目の加速と二度目の方向転換は制動不能となり、脚と仲間を危険にさらす。
ライゼンが背中を叩き、肋骨を三本折った。
「い、痛いです!」
カイが折れた脇腹を押さえる横で、ライゼンの笑い声が雷雲を揺らす。
「がはは! まだ身体が技に追いついてねえ証拠だ!」
笑われても、積み重ねた年月を思えば簡単には頷けなかった。
「一千五百万年もやったのにですか……」
ライゼンは指を四本立て、最後の一本だけを乱暴に折り曲げる。
「加速三回で軸がずれる。四回目は自分で止まれねえ。完成なんざ百年早い!」
実用試験として、ライゼンは崩れ落ちる三本の鉄柱を示した。カイは直線加速を二度、曲線を一度だけ使い、柱の上の三体の人形を回収した。四度目を使わず、最後は木剣を橋にして滑り込む。
三体を抱えて戻ると、脚は痙攣し、一歩も動かなかった。
ライゼンはカイを肩へ担ぎ上げた。抗議しようとしても、痺れた舌では声にならない。自分で歩けないことが悔しかったが、三体を落とさなかった結果まで否定したくはなかった。カイは小さく礼を言い、運ばれることを受け入れた。
「速さを手に入れた分、先に見る責任が増えた。忘れんな」
ライゼンが拳を突き出す。カイは戸惑ってから、おそるおそる拳を合わせた。
雷葬天原が砕け、光の破片が無数の鏡へ変わった。鏡の一枚一枚に、違う失敗をしたカイの顔が映っていた。
【主人公ステータス】
対象:夜凪カイ
種族:基底人族
個体ランク:G
レベル:Lv.12
HP:1/18(ランクG)
魔力:1/10(ランクG)
攻撃:4(ランクG)
防御:3(ランクG)
速度:5(ランクG)
技能:基本剣術(ランクG・Lv.1)
状態:入学候補・未登録。現世の基礎鍛錬段階で、七技法は未修得。




