恩返しの一歩
「この辺りで大丈夫です」
街路樹のハナミズキが涼しい木陰をつくる正門前の大通り。登校する生徒で溢れ返るその歩道を横目に、正門から少し離れた場所にある狭い路地で車を停めてもらった晶は、後部座席の窓からきょろきょろと辺りを見回した。
さすがにこれ以上学校に近い場所でこの高級車から降りる勇気はない。晶は路地に自校の生徒の姿がないことを確かめると、できるだけ目立たないようにコソコソと車から降りた。
「送ってくれてありがとうございました!では、香月さん、行ってらっしゃいませ」
「ああ、静野さんもね」
笑顔で応える香月に軽くお辞儀をするように顔を俯かせた晶は、そのまま車のドアを閉める。
まもなく車は動き出し、混み合う大通りの方に向けて走り去っていった。ここから彼らは香月の通う成王高校へ向かうはずだが、晶を優先して送ってくれたことで彼の方が朝の登校時間に間に合うのかが少し心配だった。
(それにしても、本当に高校生なんだなぁ…)
車を見送りながら先ほどの笑顔を密かに胸に刻んでいた晶は、そうしみじみと感じ入る。あの天下の成王高校の制服を着ていても、やはり高校生の恰好をしているというだけでいつもより彼を身近に感じるから不思議だ。先ほどまで香月と並んで後部座席に座っていた晶は普段と違う彼の雰囲気にずっとそわそわしっぱなしで、煩い心臓を落ち着かせるのに苦労した。
(普段の大人っぽい恰好も素敵だけど、これもまた良すぎる……。『推し』からの供給と思えば、贅沢過ぎる時間だったなぁ)
そんなことを思いながら車が去った方向を見ていた晶は、突然、後ろからガシッと肩を掴まれ驚きの声を上げた。
「おわっ!?」
「晶!!おはよ!そんで今の、どういうこと!?」
慌てて振り向くと、そこには快活そうなキリっとした瞳にショートヘアが良く似合う女子生徒が、興味津々と言った目で晶のことを見つめていた。
「ゆ、有紀!」
彼女の名前は田代有紀と言い、晶の中学時代から付き合いのある数少ない友人でクラスメイトだ。今まで付かず離れずといった距離感で付き合ってきた友人で、あまり深入りしてこない彼女とは心地良い関係を保っていた。
そのはずだったのだが、今は何故かあっさりしていたはずの有紀から満面の笑みとともに肩に乗せられた手に異常な圧を感じ、晶はそのことに戸惑いつつ背中にじっとりと冷や汗をかき始めた。
「お、おはよう!ええっと、……何のこと?」
「とぼけないで!今の高級車に乗った爆イケメン成王生!晶とどんな関係なの!?」
(わあぁぁぁぁぁ……ばっちり見られてた!!)
あれだけ注意深く周りを確認したのに、有紀は一体どこから見ていたのだろう。というか、そもそも有紀は成王フリークだったのだろうか。
数々の疑問は残るが、言い逃れは難しいだろう。そう判断した晶は諦めの溜息を吐くと、必要最低限の情報だけを開示することにした。
「えっと、今のは…バイト先の家の人で、今日はたまたま送ってもらっただけだよ」
「はぁ!?バイト先の家って…?晶のバイト先ってカフェじゃなかったっけ?」
「そこは少し前に辞めて、…今は住み込みでハウスキーパーみたいなバイトをしてるんだ」
「はぁ!!?住み込み!!?さっきのイケメン成王生の家で?」
「そ、そう…」
「マジか……何て少女漫画的展開!!!」
「へ?」
有紀は圧の強い笑顔から一転、目をキラキラと輝かせて指を組んだ。
「すごい!イケメンで成王生ってだけでも充分なのに、更に住み込みのハウスキーパーを雇うくらいお金持ちってことでしょ!?そんな人と一つ屋根の下で過ごすなんて、王道もいいところじゃない!」
「お、王道…?」
有紀の謎の勢いに圧倒され、晶は口をぽかんと開ける。この友人はこんなキャラだっただろうか。晶が有紀に抱いていた印象は、どちらかと言えばクールで、クラスメイトと一緒にいてもどこか一歩引いているようなイメージだった。だからこんな風に熱くなっている有紀を見るのは初めてで、晶は戸惑いを隠せない。
そんな晶に構わず、有紀はまた圧の籠った視線で晶を射貫く。
「晶!いきなりだけど今日の放課後、予定ある?」
「放課後?…ええっと、夕方までなら空いてるけど」
「じゃあ久しぶりに遊ぼ!そこで詳しく聞かせてね!…私も色々話したいことがあるんだ」
「わ、わかった」
勢いに流されるまま頷く晶に、有紀は少し目を見開いた後、嬉しそうにニッと歯を見せて笑った。彼女のそんな笑顔を見るのも初めてで、晶は予想外の展開に戸惑いつつも、どこか今までとは違う新学期になる予感がして、胸の奥がざわざわと波立つのを感じた。
***
「――はい、じゃあとりあえず今日の話は以上だけど、最後にもう一つ。来月末に行われる体育祭の実行委員をクラスから一名ずつ選出することになっててな。誰か立候補する奴はいないか?」
始業式後、教室のホームルームで二学期の行事予定の話や必要書類の配布などがされた後に、担任から体育祭の話が出された。体育祭は毎年九月の終り頃に開催されるらしく、例年ではその日の午前中に個人種目で競い合い、午後にはクラス対抗で借り物競争や障害物競走などが行われ、優秀クラスにはちょっとした賞品も用意されているらしい。
その実行委員を決めるという話に教室内は少しだけ騒めいた。クラスメイト達は「面倒臭そ~う」とか「部活忙しくて無理だよ~」などと各々ぼやき始め、立候補で手を上げる者はなかなか現れる気配がない。
担任はしばらく様子を見ていたが、誰も手を上げないのを見て「じゃあ…」と拳を突き上げる。
「誰も立候補がいないなら、じゃんけん大会だな」
その言葉に、怒涛のように抗議の声が湧く。
「え~!!おれレギュラーになれたばっかりだし無理だよ~!」
「私もバイトのシフト出ちゃったし~!」
担任の提案を非難するクラスメイトの声を耳にして、晶は少し考える。
(みんな、やりたいことのために頑張ってるんだな…)
今までの晶だったら、バイトのために同じように非難する立場になっていただろう。でも晶は今、香月の配慮で仕事に余裕ができたため時間を持て余し気味だ。
実は香月家で働くことになってから、晶は時間と心に余裕ができたせいか色々と思うところが出てきた。
父親の死によって生活が一変し、失意の中で何とか高校に入学した晶はその後、寂しさを紛らわすため盲目的にバイトに打ち込みながら生活をしてきた。その時期に一度自分の心が死んでしまったのか、晶はそれまで自分がやりたかったことや好きだったことを忘れてしまったことに気付いた。そのもの自体を忘れたと言う訳ではなく、自分に湧き起こる気持ちの方を忘れてしまったのだ。
中学までは部活に打ち込んでいたが、その情熱も火が消えた様に失われ、今の自分は何も持たない空っぽな人間になってしまったように感じる。
だから晶は、香月に助けられて生き返った人生を無駄にしないためにも、これからじっくりとまた好きなことややりたいことを見つけて行こうと思っていた。それも恩返しのひとつなのではないかと考えたのだ。
(そのためには、いろいろ経験することだよね……よし!)
晶はいまだにざわつくクラスメイト達の中で、スッと手を上げる。
「先生、私、やります」
担任は晶の顔を見て驚いたような顔を見せたが、すぐに笑顔になって頷いた。
「おお、静野がやってくれるか。他にはいないか?――じゃあ静野、よろしく頼む!」
「はい」
晶はクラスメイトのどよめきの中、少しだけドキドキしながら担任から必要な資料を受け取る。今まで幽霊のように存在感が薄かった晶が立候補したことに、クラスメイトは少なからず驚いているようだった。
自分の席に戻るときに有紀と目が合ったが、彼女も驚いたような表情をしつつも、どこか面白がっているような目で晶のことを見ていた。
(これも、恩返しの一歩だよね)
席に着いた晶は、いまだに騒がしい教室の中で背筋を伸ばしながら、不明瞭な未来に一歩を踏み出す高揚感にぎゅっと手を握りしめた。
***
午後の熱い日差しの中、晶は放課後に有紀と連れ立って、学校の最寄り駅から二駅先の繁華街へと繰り出した。
有紀のお薦めだという最近出来たばかりの洒落たカフェに足を運んでみたが、店内はそれなりに混雑していて、同じ学校の生徒の姿もちらほらと見えたため断念した。
そうなるとやはり密談にはカラオケボックスが一番ということで、持ち込みが可能な店を選び、お昼を食べながら話をすることになった。茹だるような暑さの中やっとのことで辿り着いた店は、学生が利用しやすい料金設定で有紀もクラスメイトとたまに利用するらしく、店内には別の学校の生徒たちも多く見られた。
それでも比較的すぐに部屋に案内された晶たちは、コンビニで買い込んだ昼食やドリンクを広げながら、カラオケボックスの一室で早速お昼ごはんを食べ始める。すると割り箸でツナサラダを摘まんでいた有紀が話を切り出した。
「それにしても、晶が実行委員に手を上げたのには驚いたよ。何か心境の変化があった?」
「う~ん…そうなのかな…」
ペットボトルのミルクティーの蓋を開けながら、晶はどう説明すべきかと考えながら答えた。
「色々考えたら…やるべきなんじゃないかって思って」
どこまで話せばいいかわからず、何とも曖昧な答えになってしまう。これでは上手く伝わらないなと心の中で苦笑すると、有紀がニヤリと面白そうな顔をした。
「これは当てずっぽうなんだけど、もしかして今朝のイケメンが関係してたりする?」
「ぐふっ」
図星を刺され、晶は思わず飲み込んでいたミルクティーを吹き出しそうになる。確かにこんな気持ちになれたのは香月のおかげだが、それを説明するには事の初めから話をしないといけなくなる。
でもどこまで話すべきか。考えていると、有紀が「待って」と手で押し留めてきた。
「すっごく気になるけど、晶に色々聞く前にまずは自分の話からするわ。本当は今日、私が話を聞いてほしかったんだ」
「え、そうだったの?」
てっきり今朝の香月のことについて根掘り葉掘り訊かれるのかと覚悟していた晶は肩透かしを食らう。でも、今まで誰に対しても一線を引くようにしていた彼女が自分の話を聞いてもらいたいなんて珍しくて、晶は自然と居住まいを正した。
「うん。どうしても晶に聞いてもらいたくて。――えっと、実はね、夏休みが始まった直後、私の両親が離婚したの」
「えっ…」
世間話でもするような軽さで放たれた重い話題に、晶は咄嗟にどう反応を返せばいいのかわからず押し黙る。
有紀の家庭がそんなことになっていたなんて全然知らなかった。それもそのはずで、今までお互いのプライベートに踏み込むほどの仲だったわけではないので知らなくて当然と言えば当然なのだが、それでも同じ高校で同じクラスになったのだから、もう少し有紀のことを気にかけるべきだったのかもしれないと晶は今更ながら後悔した。
晶は幼い頃に母親を亡くしていて、夫婦の在り方というものを良く知らない。父親の様子を見れば亡き母親への愛情を感じられはしたが、実際の夫婦の関係とはどういうものなのか、想像することしかできなかった。
離婚ということは何か決定的な離別の原因でもあったのだろうか。そのあたりを突っ込んで訊いてみてもいいのだろうかと晶が躊躇していると、察した有紀がそのまま話を続けた。
「決定的な原因があった訳じゃないんだけど、ずっと仲が悪かったんだ。私が中学の頃は特に酷くて、既に家庭内別居?ってやつだったの。それで、私が高校生になったタイミングで離婚することになったってわけ」
「そうだったんだ…」
有紀が仲間内でもいつも一歩引いていたのは、そんな家庭環境だったからだろうか。晶は自分のことでいっぱいいっぱいで、辛い思いをしていたであろう有紀のことをまったく気遣えなかった。今思えば、少し前の自分は本当に幽霊並みに居ても居ないのと同じで、役立たずな存在でしかなかったのだ。
今でさえ気の利いた慰めの言葉も出てこなくて、そんな自分が晶は心底嫌になった。情けなさに顔を俯かせる晶に、有紀は慌てた様に手を振る。
「あ、あまり気を遣わないでね。やっとギスギスした空気から解放されて本当に清々したんだから!」
その言葉に、晶はそろりと顔を上げて真偽を確かめるように彼女の顔を見つめる。見れば確かに今の有紀はどこにも落ち込んでいる様子はないし、今朝の姿も今まで見ていた彼女と違ってとっても元気そうに見えた。
「…有紀にとっては、それで良かったの?」
「もちろん!!だって、それまでずっと相手の愚痴とか聞かされてたんだよ?もうこりごりだよ!そんなの相手に直接言えばいいのに、全部私に言ってくるの!本当にウンザリする!」
憤る様に話す彼女は、本当に両親の間に挟まれていたことが窮屈で溜まらなかったようで、その鬱憤を晴らすかのようにそれまでの両親の不仲エピソードを話し続けた。
「―――それでね、どっちが私を引き取るかでしばらく揉めてたんだけど、私はもうウンザリだったからどっちにも着いていきたくなかったのね。そう思ってたら、母方のおばあちゃんが私の気持ちを分かってくれて、引き取ってくれたの。だから今はそのおばあちゃんの家に住んでいるんだけど、私、結構おばあちゃんと気が合うみたいでさ。今、すっごく楽なんだよね」
先ほどと違って今度は本当に嬉しそうに、有紀は今の祖母の家の生活について話した。彼女にとっては誰かの悪口を聞かされない毎日が嬉しくて仕方ないらしく、祖母と好きなことについて熱く語りながら、二人で用意した食事を囲むのが毎日の楽しみになっているらしい。
「今まではさ、両親と話すときは事務的なことだけだったし、二人に遠慮してどっちとも一緒に食事しなかったんだよね。みんなバラバラで食べてさ。食べたらさっさと部屋に戻るみたいな。だから、おばあちゃんと暮らすようになってから、誰かと一緒に食べるって幸せなことなんだなって改めて分かったんだ。…大袈裟かもしれないけど」
そう言って照れ臭そうに笑顔を見せる有紀に、晶は強く頷いた。
「それは…分かる。激しく同意」
「……晶も今は、誰かと一緒にごはん食べられてるの?」
気遣うように尋ねる有紀に、晶は穏やかに笑って見せる。彼女は晶が去年の秋に父親と死別したことを知っているのだ。
「…うん。バイト先でね。やっぱり誰かと食べるのって、良いよね」
一人きりで生活していた時は、食事は一つの作業のようなものだった。簡単なものを作るのも億劫だったし、最低限に済ませていた。父親と暮らしていた時は楽しかったはずの料理も、食べてくれる人がいなければ虚しく感じ、殆どやらなくなっていった。
香月家に世話になりはじめて、晶も誰かと一緒に食事をすることのありがたみに気付いた。半ば強引に仕事として主人と同じテーブルに着くことにはなったが、それももしかしたら香月の優しさだったのかもしれないと今更ながら気付く。
晶の様子に安堵の表情を見せた有紀は、次に驚くべきことを言った。
「それなら良かった!……それでね、生活が変わって開放的な気分になったら、途端に彼氏ができてね」
「……はい?」
「いやぁ、街で買い物してたら急に声かけられてさ。一目惚れですって言われて、最初は調子良いこと言ってるなって軽く話を聞いてたんだけど、話してみたら結構誠実そうな人だなと思ったんだよね。だからその後何度かメッセージやり取りして、良いかもと思ってちょっと前から付き合うことにした」
「ほあぁぁぁぁ…」
急展開に驚きすぎておかしな声しか出ない。本当にこれは有紀なのだろうか。夏休み前と性格が変わりすぎて、もはや別人に思える。
「自分でもびっくりした。今まで色恋沙汰は信じてなかったっていうか、恋愛結婚したはずの両親があんな風になってるの見てたから、どこか冷めてる部分があったんだよね。でも、両親から離れてみたら、何か色々と吹っ切れたっていうのかな?両親と自分は違うってことに気付いたの。…おばあちゃんが気付かせてくれたようなものかな」
「おばあちゃんが?」
「そう。『好きだと思ったことを遠慮なくやりなさい』って応援してくれてさ。だから、ちょっと思い切ってみた」
そう言って照れたように笑う有紀はとても綺麗に見えて、その眩しさに晶は思わず目を細める。そして、偶然にも今朝同じようなことを言われたことを思い出した。
晶にこれから自分の楽しみを見つけてもらいたいと言っていた香月は、もしかして有紀の祖母と同じ気持ちだったのだろうか。
「だからかな……」
「ん?何が?」
ペットボトルのお茶を飲みながらキョトンと晶のことを見る有紀に、晶は胸のむず痒さをを抑えながら応える。
「…私にも、同じように応援するって言ってくれた人がいるの。その人は私の恩人でもあるんだけど…その人のためにも、自分の中で楽しみを見つけようと思ったんだ。だから色々やってみようと思って、今回実行委員に手を上げたんだよね」
「そっか…前向きで良いじゃん!休み前までちょっと心配だったけど、それを聞いて安心した。……その人が、今朝見た彼?」
「そう。話せば長くなるんだけど、彼と出会ったのは夏休み最初の日で―――」
それから晶は香月との出会いから始まり、今の生活に至るまでを掻い摘んで有紀に話した。すべてを話せるわけではないが、自分も香月のおかげで有紀と同じように目の前が明るくなって、今の生活が楽しいと思えるようになったことを共有したかった。
有紀は始めの方こそ晶の話を興味深く聞いてくれていたが、途中から何とも言えない顔になり、やがて聞き終わるや否や眉を寄せて真剣な顔で晶のことを見つめてきた。
「晶……本当に幽霊が見えるの?」
「え?あ、うん…」
夏休みの間はほとんど屋敷に籠っていたので屋敷に住み着いている幽霊しかお目にかからなかったが、これから学校や登下校の途中でたくさん見かけることになるのだろうか。しかし正直、生きている人間と見分けがつかない場合もあるし、そのあたりはあまり意識しないようにするつもりだ。そうでなければいちいち驚いて身が持たないだろう。
そう話すと、有紀は「そういうものなんだ…」ととりあえず納得したように相槌を打った。
「かなり驚きの事実が多すぎて頭が混乱してるんだけど、とりあえず晶の言うことは信じる。それよりも気になったのが…そもそも、その香月さん?って……ホントに人間なの?」
「ええっ?どういうこと?」
冗談かと思い有紀に笑いかけるものの、意外にも彼女は真剣な顔のまま晶のことを見返してくる。
「だって、全然正体が分からない上に怪しげな職業に就いてる高校生が、曰く付きのお屋敷の主人だなんて…ちょっと怪しすぎない?」
「はぁ……言われてみれば、確かに?」
「それに、自分のこと何も教えてくれないんでしょ?…そこまで徹底して詮索させないのは、疚しいことがある証拠じゃないの?」
「た…確かに…」
彼には秘密が多いが、疚しいことと言われて一番に思い付くのは、彼の不思議な力のことだ。
晶はこれまで香月に何度も危機を救ってもらったことがあるが、その方法がいつも良く分からなかった。説明できないような不可解なことが起こるが、本人曰く、そのまま『不思議な力』で助けてくれているらしい。
普通の感覚なら「なんじゃそら」と突っ込むところだが、現に晶は悪霊に操られて屋上から飛び降りたのに無傷だった経験がある。普通なら助からない状況だったが、彼はその『不思議な力』で助けてくれたらしい。
話を聞いた時、晶は色々納得できないことはあるものの、そういうものかとあまり深く考えないようにした。
何故ならその時、香月がそれ以上踏み込んでほしくない空気を出したからだ。これ以上暴いてしまえば、まるで綺麗なシャボン玉がパチンと割れてしまうように、美しい夢が終わってしまう。そんな気がして、晶は彼の言うことをそのまま受け止めることにした。
それに、どんな方法でも命を助けてもらったことには変わりないので、晶は彼の恩に報いるためにもそれ以上詮索しないように心掛けた。
屋敷で雇われるために出された条件にも、この屋敷や主人のことは詮索してはいけないという規則がある。だから、自分の雇い主に関して、晶は今まで正確なことは何一つ分からないままにしていたのだ。
(でも、疚しいと言われれば、そうなのかも…?)
晶は改めて考える。詮索しないようにしていたとはいえ、香月に関してはあまりにも分からないことが多く、有紀のように不審感を抱くのが普通の感覚なのだろう。自分ももう少し自分の雇い主について冷静な目で見た方がいいのかと思っていると、有紀はさらに指摘を続けた。
「それにさ、聞いた感じ晶に対してものすごく好意的だけど、何か雇用関係の域を超えてるっていうか…特別待遇すぎて普通じゃないよね?家族でも恋人でもないのに距離感がおかしくない?」
「えっ……そうかな?…そうかも……」
確かに、考えてみれば手の甲にキスだとかお姫様抱っこなんて、今までの彼の行動はどれも雇用主と使用人の域を超えているのではないか。
さらに極めつけは夜に同じ部屋で眠っていることだが、これはさすがに有紀には話せなかった。
「晶…あんた、騙されてないよね?」
「……た、多分……」
鋭い指摘に、晶は自信が無くなってきた。もちろん騙されているとは思っていないが、それでも今まであやふやなままにしていた事実を明確に指摘されると、常識的ではない彼の行動に疑問を感じ始めてしまう。
香月に出会ってからこれまで、身の回りで起きたことが今までの常識をひっくり返すほど衝撃的な事ばかりで、常識的な感覚が麻痺しているのかもしれない。いや、せざるを得なかったと言ったほうが正しい。今まで盲目的に香月のことを信じていたが、冷静になって考えてみれば正体不明の高校生をそこまで信用すべきではなかったのかもしれない。
しっかりしなければと晶が頬をぺちぺちと叩くと、有紀が心配そうに晶の顔を覗き込んだ。
「その…香月さん、だっけ?…もしかしてその人、ヴァンパイアじゃないよね?」
「……は!?」
いきなり予想していなかった言葉が飛び出し、晶はポカンと口を開けて呆然と有紀を見返す。今、何て言った?
「だって、良く分からない力を使うし、昼間はほとんど地下室に籠っているって…それに目が覚めるほどの美形だったじゃない?私、小学校の頃にそういった話読んだことあるのよね。今それ思い出してピーンときた。可能性あるよ。晶はそのうち血を吸われるよ」
「何じゃそら……」
有紀でも真顔でそんな面白い冗談を言うのかと晶は笑ったが、心の底では「え、あり得るかも…?」という気持ちが少しだけ湧いたのも事実だった。
―――香月瑠依はひっそりと現代を生きる吸血鬼の末裔で、その血統は彼を最後に失われつつある。しかし心優しい彼は人間を襲うことができず、日に日に弱ってよく倒れるようになっていた。そこに都合よく現れた人間の晶は、彼に毎晩催眠術をかけられ、そのたびに生き血を吸われて…
(えっ!?まさかね!?)
ハッとして確かめるように首に手を添えた晶は、何処にも傷がないことに密かに安堵の溜息を吐く。その様子をジトリとした目で見ていた有紀は、「跡をつけるなら本人には見えないところにつけるものよ」とぼそりと呟き、晶を慄かせた。




