新学期
よろしくお願いします!
第3章スタートです。はじめましての方も読めるようにと少し説明が多くなってしまいましたが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
「おはようございます!」
大きい格子窓から明るい朝日が降り注ぐダイニングルームは、爽やかな空気に包まれていた。
晴れ渡る空に昇る太陽がいまだにその存在を強く主張し、盛夏の頃と変わらない最高気温を更新し続けている今日この頃。それでも窓の外に見える庭の草花は徐々に季節の移り代わりを知らせ始め、吹き込む風は時折乾いた空気を運んで来るようになった。
朝の挨拶を口にしながらダイニングルームに一歩足を踏み入れた晶は、開け放たれた窓の外から入り込んでくる新鮮な空気を感じて思わず立ち止まり、その場で深呼吸をする。
柔らかな潮風の中に熟れたような花の香りが混り、その微かな香りの変化に気付いた晶は季節が移り始めていることを改めて実感した。
格子窓のすぐ近くに設えられた白いテーブルの上には、すでにサラダが盛り付けられたボウルやトースト用のバターとベリージャムが用意されていて、テーブルの前でそれらを準備していた一人の男性が晶の声に気付きこちらに振り向いた。
「ああ、晶さん、おはようございます」
ロマンスグレーの髪をぴしっと撫でつけ、パリッとした白シャツにダークグレーのジレと黒いスラックス姿がとてもよく似合うこの男性は、この屋敷の一切を取り仕切る執事で、名前を堀越という。
今日も一部の隙も無い完璧な姿の彼は、穏やかな笑みを見せながら挨拶を返すと、晶の姿を目にして少しだけ目を見開いた。
「おや、その恰好は…晶さんは今日から新学期ですか?」
「はい、そうなんです!…すみませんこんな恰好で。登校時間を考えると仕事着を着替えている余裕がなさそうだったので…」
晶はそう言って申し訳なさそうに眉を下げる。
襟元に紺色のラインが入った白い半袖ブラウスに、藍色と紺色のチェックのプリーツスカートという学校指定の制服を着てやってきた晶は、普段は下ろしているセミロングの髪を一つにまとめて、制服の上から白いエプロンを着用していた。本来なら仕事の時は与えられた黒いワンピースを着用する決まりなのだが、今日は時間がないという理由で普段とは違う格好で来てしまった。
晶が恐縮しながら堀越の顔を窺うと、彼は笑顔で軽く首を振る。
「そういうことでしたか。いえ、気にしなくても大丈夫ですよ。本来ならば晶さんの仕事は夕方からなのですから。――それにしても…やはり本物はどこか違いますね」
そう言って堀越は感心したように晶の姿を眺める。何の変哲もない制服姿を鋭く観察するその眼光はまるで何かの研究者のようで、晶は戸惑いつつ首を傾げた。
「…本物?ですか?」
「おっと、これは失礼。どうかお気になさらず。では、急いで朝食の準備をしてしまいましょうか」
「は、はい!」
特に気にすることでもないようなので、晶は言われた通り、堀越と共にこの屋敷の主人を迎えるため、朝食の準備に取り掛かった。
長いようであっという間だった夏休みが終わり、今日から新学期が始まる。
晶は県内の私立高校に通う一年生で、ひと月ほど前の夏休みが始まった頃からこの香月家の屋敷に住み込みで働かせてもらうようになった。
夏休み前まで、晶はひとりでオンボロアパートに住んでいた。昨年の秋に唯一の肉親である父親を交通事故で亡くし、それから一人暮らしをしていたのだが、ちょうど夏休みの始まり頃にとある事件がきっかけでこの屋敷の主人に世話になり、その縁でこの屋敷の使用人として雇ってもらえることになったのだ。
それだけでもありがたいのに、父親を亡くしてから気力のない生活を送っていた晶は、この屋敷の主人に生きる希望まで与えてもらった。
本人は否定するが、晶は彼のおかげで目が覚め、前向きに生きることを決意した。生活するための生きる糧だけでなく、生きる希望まで与えてもらった晶は、大恩のある彼に恩返しをすることを今の目標としている。
そんな訳で、晶は与えられた仕事以上に頑張ろうとしているのだが、これがなかなか上手くいかない。
進んで堀越の手伝いをするよう心がけているのだが、目の前にいるこの堀越がこれまた料理から洗濯・掃除・主人の身の回りの世話など何でも熟すエキスパートで、正直、晶の手など必要ないのではないのかと思うほど手際が良い。
最近は裁縫が趣味ということがわかり、晶の仕事着のワンピースを手作りで用意してくれたりもして、その腕はプロも顔負けの仕上がりだった。
また大恩あるこの屋敷の主人本人も一筋縄ではいかない人物で、晶は彼らに振り回されっぱなしの日々を送っている。
それでも何とかこの屋敷の使用人として約一カ月間やってきた晶は、彼らに翻弄されながらも大分仕事に慣れてきた。初めの頃はその都度堀越に指示を仰ぎながら用意していた朝食も、今では阿吽の呼吸とはいかないまでも、かなりスムーズにこなせるようになった。
今も朝食のメニューから必要なカトラリーを選んで並べる手際に迷いはなく、綺麗に並べ終わった晶はそのままお茶の準備に取り掛かろうとティーセットを用意し始める。
すると、思い出したように堀越が配膳の手を止めて晶の方を振り向いた。
「そういえば…ここから晶さんの学校は少し遠いのでは?お時間は本当に大丈夫ですか?」
「あ、はい!片付けた後、ダッシュで石段を下りてバス停まで走れば間に合う計算です!」
「ダッシュで…」
晶がここから学校へ通うのは今日が初めてで、計算では朝の仕事が終わったら速攻でこの屋敷を出発すれば間に合うはずだった。念のためにもう一度、頭の中に叩き込んだ時刻表を思い出していると、「それなら…」と堀越が何かを言いかける。
それと同時に、入口のドアが開く音が聞こえてきて、晶は無意識に背筋を伸ばす。
「―――静野さん、おはよう。良い朝だね」
聞こえてきた穏やかな声に少しだけ胸を踊らせた晶は、それを悟られないように意識して顔を引き締めると、返事をするためにドアの方を振り返った。
「香月さん!おはようご…ざい……え?…えぇぇぇぇ!!?」
挨拶の返事もそこそこに、現れたこの屋敷の主人の姿を目にして晶は素っ頓狂な声を上げた。
「こっ、ここここ香月さん!?その恰好は!!?」
驚きすぎて眼孔から飛び出した目玉の視線の先には、天使も逃げ出すほどの美しい顔をした青年が、今日もその輝きを損なうことなく朝日を浴びて神々しく立っていた。
スラリとした長身に光を反射して輝くダークブロンドの柔らかそうな髪。少し彫の深い目鼻立ちは異国の雰囲気と魅惑的な甘さを兼ね備え、見る人の視線を惹きつけてやまない。燦燦と降り注ぐ太陽の輝きに負けない美男子ぶりを披露しているこの人が、この屋敷の主人で、晶の雇い主でもある香月瑠依だ。
晶の中で百二十点満点の美貌を持つ彼は、普段ならそのすらりとして均整の取れた長身に似合うシックなシャツにスラックスを着用しているところを、今日は何故か薄いブルーのシャツに濃紺のスラックスとネクタイという、いわゆる学生服のようなものを身に着けて現れた。
「…それって…も、もしかして…制服ですか!?い、一体どうして……しかも、瞳の色が!」
この青年はその美しい顔だけでなく、さらにその美貌に似合いすぎる宝石のような瑠璃色の瞳を持っている。それが彼の魅力をさらに何倍にも増幅させているのだが、驚いたことにその瞳が今は黒茶色に変わっていた。
晶に指摘された香月は、眉を少し下げて困ったような笑みを浮かべる。
「ああ、これはちょっとね。今日は登校の義務があって」
「……とう…こう?」
はて、その『とうこう』とは一体何のことだろうか。一瞬考え、その言葉をようやく理解した晶は驚きのあまり限界まで目を見開いた。
「……って登校!?…まさか……香月さんって……高校生だったんですか!!?」
「あれ?言ってなかったかな?一応僕も高校生なんだよ。学年は二年だけど」
「にっ二年生!?…ってことは……十七歳ってことですか!?」
「まぁそうだね」
「ふわぁぁぁぁ……」
晶は口をぽかんと開けたまま、まじまじと香月の姿を眺める。
元々の髪色の薄さはあれど、普段なら見惚れるような美しい瑠璃色の瞳が一般的な日本人と同じ黒茶色に変わっただけで、何となく親近感のようなものが湧くから不思議だ。その姿は言われてみれば普通の高校生に見えなくもない。
そう思いかけて、晶は『いや…』と心の中で呟き、首を横に振った。やはり普通というのは語弊があり、かなり異次元みのある高校生だ。こんなに美しい男子が同じクラスにいたら女子はみんな勉強にならないし、学校にいるとしたら全校の女子から崇め奉られること必至だろう。ともかく学校全体が大変なことになるのは容易に想像できる。
(っていうか、まさか高校生だなんて…!!普段は屋敷に籠って仕事ばかりしてるから、てっきり社会人なんだと思ってた…)
晶がここまで驚いた理由は、香月が『サイキック・アドバイザー』という特殊な職業に就いていることを知っていたからだ。その仕事内容は、『世の中に起こる、科学的には説明できない現象に悩まされている人の相談役』だそうで、現に晶はその彼の仕事の関係で出会った。
晶は夏休みが始まった頃、新しく住むアパート探しをしていたのだが、その時に事故物件を紹介されて、そこの悪霊に取り憑かれて大変危険な目に遭った。その時に出会ったのが『サイキック・アドバイザー』として現場を見に来ていた香月だった。
この事件をきっかけに幽霊が見えるようになってしまった晶は、危ない目に遭いながらも何とか香月と協力してこの件を解決した。
その時知ったのだが、彼の仕事は一般的な『霊能者』のとはちょっと違うようで、たまにテレビで見かける霊能者のように数珠を持って読経をしたり、祝詞をささげたりして除霊するわけではないらしい。らしいというのは、彼が自分でそう言っていただけで、晶の方も香月が除霊なり浄霊なりをしている姿を一度も見たことはないからだ。
たまに調査に赴くものの、大抵は屋敷の地下室に籠って仕事をしている。そこでどんなことをしているのかは謎で、そもそも晶は使用人とはいえ香月の仕事部屋には入室禁止を言い渡されているので知りようもない。
(こう考えると、香月さんってやっぱり秘密が多いなぁ…)
十七歳で大きな古い屋敷の主人として堀越のような立派な使用人を従えているのが既に普通ではないし、なぜ一人で住んでいるのかとか、他の家族はどこにいるのかとか、何故“サイキック・アドバイザー”という特殊な職業についているのかなど、晶の頭の中は常に様々な疑問で溢れていた。
でもそれらを探ることはできなかった。何故なら晶はこの屋敷で働く条件として、香月に関すること一切を詮索しないと約束したからだ。条件を受け入れた晶は今まで疑問に思うことは多々あれど、あえて彼のことを知りたい気持ちに蓋をしてきた。
(でもでもっ!!やっと!香月さんのことが一つ分かった!)
香月が高校二年生だという新事実が発覚し、晶は内心大いに興奮する。年が近いとは思っていたが、まさか一つ上だとは思わなかった。今まで完全に仕事一色で、微分積分やら三角関数の問題を解いている様子はなく、学生らしい姿なんて一つも見たことがなかったから余計に衝撃的だった。
そんな晶の様子を見てクスクス笑いながら席に着く香月は、その仕草一つ取っても優雅で、物腰や言動も普通の高校生っぽくはない。だから晶は彼の年齢をずっと二十歳前後くらいだと思っていたのだが、それはそれで失礼だったようだ。
晶は堀越が引いたダイニングチェアに礼を言って腰掛けると、興奮冷めやらぬままに訊いた。
「あ、あの!その制服ってもしかして、成王高校のもの…ですよね!?」
「そうだよ。よく知ってるね?」
「あわわわわゎゎ…マジですか…」
晶は畏れ戦く。成王高校とは県内のエリート男子高校で、国内でも上位を争うほど偏差値の高い学校だ。街を歩く成王生徒の前には自然と道が空くと言われるほど地元民からは特別視されていて、地元の女子中高生の憧れの的なのだ。
現にクラスメイトの女子の一部は成王生徒の出没スポットをチェックしていて、あわよくばお知り合いになりたいと躍起になっていた。あと、本当かどうかは知らないが、中には彼らを神聖視している女の子たちもいるらしいとの噂もある。
「それはもちろん有名ですから…。でも、香月さんがあの成王生なんてびっくりです!やっぱり、クラスメイトとか周りの人はみんな優秀なんですか?」
顔もよくて頭も良いなんてこの王子は最強か?と半ば信じられない思いを抱きつつ、晶はクラスメイトのために成王生の生態について探りを入れる。すると、席に着いた香月は困ったように微笑みながら顔を傾けた。
「うーん、どうなんだろう?僕はほとんど学校に行かないから、クラスメイトのことはあまりよく知らないんだ」
「え?そうなんですか?それは……ええっと…」
もしかして学校が合わなくて不登校ぎみなのだろうか。晶が何と言って良いか言葉に迷っていると、香月は「ああ」と彼女の誤解に気付いてさらに苦笑を浮かべた。
「学校が合わないわけじゃなくて、僕が通っているのはほとんど登校の義務がないコースなんだ。式典と試験日さえ登校すればいいから、クラスメイトとの交流もあまりなくてね」
「え?……そ、そそ、それって…もしや…『幻のSSSクラス』では…!?」
「そんな名前だったかな?よく知ってるね。でも確かに、ほとんど学校に行かないから『幻』って呼ばれるのも納得だな」
「ひゃぁぁぁぁ……」
県内最高の学力を誇る成王高校の中でも、入試得点が異常に高かった生徒には自宅学習の許可が下りる幻のコースがあると噂で聞いたことがある。通称SSSコースと呼ばれるそれは、年間で一人か二人しか在籍者がいないらしく、もはやその存在は都市伝説ではないかと噂されていた。
(そ…そんな伝説級の高校生が…目の前にいるなんて…)
更なる衝撃から戻ることができず、晶はまるで未知の生物に遭遇したかのような顔で香月を見つめる。そんな晶の前に、堀越が焼きたてのトーストが載った皿を置いた。
今日の朝食メニューは、色鮮やかなミニトマトがのったグリーンサラダに、コーンポタージュスープ、それにチーズの混ざったスクランブルエッグとアスパラのソテーという相変わらず美味しそうなものばかりだったが、先ほどから衝撃の事実が発覚しすぎて、晶はまともに手が付けられなかった。
すると、ワゴンの上でお茶を淹れ始めた堀越が訊ねてきた。
「ところで晶さん、今日から学校生活が始まりますが、仕事の時間などは変更しなくても大丈夫ですか?」
「ふへぁ!?…は、はい!特に放課後は予定もありませんから、まっすぐ帰ってくれば大分余裕がありますし、仕事に支障はないはずです」
晶のこの屋敷での仕事は契約上、夕方六時から九時までの三時間と決まっている。学生である晶に配慮して短時間の勤務にしてくれているのだが、ここは仕事内容に比べて時給が驚くほど高い。おまけに主人と食事を共にすることも勤務内容に入っているので、毎日この美貌を鑑賞しながら堀越特製の美味しすぎる食事まで堪能できるという、まさに夢のような職務内容だった。
逆の意味で仕事内容と給料が見合っていないことに晶は恐縮しっぱなしで、少しでもその恩を返していくために晶は決められた仕事以上に頑張るつもりだった。
そんなやる気に満ち溢れた様子の晶に、香月はフォークを手にスクランブルエッグをすくいながら穏やかな笑みを向けて言った。
「静野さん、もし友達と遊んだり予定ができた時は、こちらの勤務時間をいつでも変更してかまわないからね」
「え!?いえ、そんなわけにはいきませんよ!」
香月の言葉に晶は慌てて首を振る。ただでさえ条件の良い勤務体勢なのに、更に好条件が追加されるなんて畏れ多くて罰が当たる。
「特に予定もありませんし、今までだってバイト三昧だったんです。ですから、学校が始まってもこのままお屋敷での仕事を頑張らせてください!」
晶は香月と出会うまでは、時間が許す限りカフェのバイトに精を出していた。天涯孤独な身の上であるため、将来のことを考えてという理由もあったが、単に家で一人でいるのが嫌だったのもある。
そんな花の高校生活とは無縁に過ごしてきた晶には、これといって時間を潰せるような予定も趣味も思い付かなかった。目下の目標である香月への恩返しの他にはやりたいことなどないし、友達と放課後を遊んで過ごすなんて想像すらしていなかった。
香月は晶の返事に何かを考える風に首を傾けながら、淹れたての紅茶が入ったティーカップを持ち上げた。
「もちろん、静野さんには仕事も頑張ってもらいたいけど…それとは別に、これからもっと楽しみを見つけてもらいたいんだ」
「…楽しみ、ですか?」
その言葉の真意がわからず、トーストを持ち上げたままキョトンとする晶に、香月は紅茶を口に含みながら温かな眼差しを向けてきた。そんな表情を見せられた晶は途端にギョッとする。
「そう。楽しそうにしている君を見ていると、こちらまで気分が良くなることに最近気付いたんだ。だから、遠慮なく要望を伝えてほしい。君の喜びのためなら出来るだけ力になるよ。ただでさえ君は遠慮がちだからね」
(ほ…ほあぁぁぁぁぁあ!!!?)
今まで見たことのない、まるで大切なものを愛でるような慈愛に満ちた香月の顔を目にした瞬間、晶は全身に痺れに似たものが駆け巡り、心臓が一瞬止まりかけ、思わず手に持っていたトーストを皿の上に落とした。
(ななな、何て顔で、何てことを言うんだ、この王子は…!!)
すごい顔でものすごい爆弾発言をかましていることに、本人は気付いているのだろうか。これではまるで晶が特別な存在なのだとでも言っているようではないか。
晶はトーストを落としたことに気付かぬまま、顔を真っ赤に染め上げて絶句する。先ほどから、心なしか彼の取り巻く空気までキラキラと浄化されたように感じるのは気のせいだろうか。
すると、隣から「ゴホン」と咳払いが聞こえた。
「……瑠依様」
見ると壁際に控えていた堀越が、半分呆れた様な顔を己の主人に向けている。その顔を見て当の香月が首を傾げた。
「何?」
「そう言った発言は、もう少しスマートにされたほうが。いささかダイレクトすぎるかと」
「そう?好意を伝えるならはっきり言葉にするようにって、昔堀越に言われた気がするけど?」
本気で解せないといった風の香月に、堀越はやれやれといった表情で彼を諭した。
「ではこれからは時と場合を良く選んでくださいませ。先ほどの発言は、相手によっては兵器並みに威力があるものでしたよ」
「…そんなつもりではなかったけど、言葉の選び方が間違っていたなら謝るよ。僕はただ、静野さんを応援したい気持ちを伝えたかったんだ」
そう言って極上の微笑を向ける王子に、晶は目が潰されるかと思ったが、慌てて紅茶を口に含んでゴクリと嚥下し平静を取り繕う。
(おおおおおお応援ですね!はい!そういうことでしたか!!よかった!……いけないいけない!香月さんは使用人に対してサービス精神が旺盛なただのタラシ主人なんだから、これくらいで動揺を見せちゃいけない!使用人の立場で近くにいる以上、たとえ『推し』からの供給であっても、醜態を曝け出しちゃいけない!!!!)
必死に自分に言い聞かせる晶は、何を隠そう香月のことを『推し』認定している。晶は密かに香月の一挙一動を推しからの供給として生きる糧にしているのだが、この推しは時にサービスが過剰になるのだ。その度に晶は寿命が延びるどころか縮む思いをしている。
しかしあくまで推し認定していることを香月に悟られたくない晶は、己の中の様々な感情をぐぐっと押し殺す。心の中で深呼吸をして冷静さを取り戻した晶は、にこりと笑顔を作ると香月に向き直った。
「ありがとうございます。でも、今の生活も充分楽しいですから。―――あら、いけない。そろそろバスの時間ですので、私はお先に失礼させていただきます。おほほほほ」
ぎこちないながらも丁寧な態度で何とかこの場をやり過ごそうと、晶はいそいそと席を立つ。すると、目の前に座る香月が食事の手を止めて首を傾げた。
「僕も登校するんだし、わざわざ別々で行くことないよ。堀越の車で送っていくからゆっくり召し上がれ」
「え、いやいや!そんな訳にはいきませんって」
晶は慌てて手を振った。いくら何でも雇用主と同じ車で登校なんて身の程知らずなことはできない。しかも高級車で登校なんてお嬢様かっ!と晶は心の中でツッコミを入れる。
そんな晶に香月はわざとらしく愁いを帯びた目線を送り、「はぁ…」と悲しげな溜息を吐く。
「そんな…君と食事をするのを僕は毎日楽しみにしているのに…そんなに僕との食事より学校が大事なのかな……」
その言葉に、晶はハッとして狼狽える。そんな風に言われてしまうと罪悪感が湧くし、よく考えてみれば、ここで食事を断れば仕事放棄になってしまうのか。
「堀越も君に食べてもらえるのを楽しみに食事を作っているのに、食べてもらえないなんて悲しいと思うよ?…ねえ?」
晶は目の前の美味しそうな料理に目を向ける。香月の言う通り、晶に供された朝食は香月との会話のせいでまだほとんど手を付けていない。でも、時計を見るとそろそろ屋敷を出ないと本気でバスに間に合わない時刻だった。
「あ、あの…」
晶がオロオロして料理と堀越を交互に見ていると、堀越は徐にハンカチを取り出して、それを目元にあてて俯いた。
「はい。わたくしが丹精込めて作った朝食が晶さんに食べてもらえないのはショックですね。ショックで寝込むかもしれません。そうしたら晶さんに後のことはお任せするしかありませんね」
「ああ、それも有りだね。静野さんの料理がまた味わえるなんて、僕はそれでも―――」
「あああ!あの!ぜひ!一緒に!登校させてくださいっ!!!」
晶は先日、このどこぞの大金持ちの御曹司かと思われる香月に、已むに已まれぬ事情で自分の手料理を振る舞うことになったのだが、一般的な家庭料理しか作れない晶にとってはかなりのプレッシャーだった。
出来ることならもう二度と味わいたくないその重圧に、晶はわあわあと取り乱して全力で不本意なお願いをするのだった。




