賭けの代償
「賭けの代償…って、確か夏休み中に私がこの屋敷で留守番をした初日のことを話すって約束だったよね?」
あの日は香月と堀越が調査のために屋敷を空ける事になり、晶は一人で留守番を任されたのだ。今思い返してみても、あの日は色々なことが起こって大変だった。しかし、何故糸がそのことを知りたがるのか分からない。
「そうですわ。その日にあった出来事を、なるべく詳細に話してほしいの」
真剣な表情でそう話す糸の瞳にはどこか縋るような色が浮かんでいて、ぎゅっと握りしめた手は白くなるほど力が入っている。
晶は戸惑いつつも、糸の要望通り、朝起きた時からのことを思い出しながら話し始めようとした。しかし、途端に言葉に詰まる。あの日は確か目覚めたら香月が同じベッドで寝ていたのだ。
晶は恐る恐る確認した。
「ええっと、その…糸ちゃんは、私が香月さんと同じ部屋で寝ていることを、承知してるって聞いたんだけど…」
「ええ、存じてますわ。瑠依様の不眠症が治るかもしれないと聞いて安心していたのよ。本当に晶ちゃんがいてくれて良かったと思うわ」
そう言って穏やかな笑みを見せる糸は、心から安堵しているようで、その言葉に嘘はないように思えた。晶はそのことにホッとしつつも、糸の態度に不可解な思いを抱く。
(本当に便宜上の婚約者で、やっぱり香月さんのこと何とも思ってないのかなぁ)
その割には、彼女が時折見せる態度に香月に対しての特別な想いがあるように見える。二人は幼馴染と言っていたが、それ以上の何かがあると晶は感じていた。
しかしそれを追及するには二人のことを知らなすぎるし、今はその時ではない。晶は改めて話を続けるべく居住まいを正した。
「それなら、あの日は確か―――」
晶は朝起きて、香月が本当に晶と一緒に眠れたのかと疑がって彼を少し怒らせたことから、香月と堀越を見送った後にさくらが尋ねてきたこと、出掛けるために門を出たら空気が変わったこと、バイト先に顔を出したら最後に一日だけ働くことになったこと、以前住んでいたアパートの跡地を見に行ったら子猫を預かることになったこと、帰りに屋敷の丘を上るときに不思議な男性に導かれて近道を通ったこと、屋敷の庭園に初めて足を踏み入れたこと、屋敷の中に小山がいたこと、厨房でカレーを作ったら双子の霊が食べに来たことをすべて詳細に話した。
「―――そんな事があって、あの日は本当に大変だったよ…部屋に帰ったら速攻で眠れたし」
「…そんなに盛り沢山だったのね…」
話を聞き終えた糸は感嘆の息を吐く。話しながらも、晶はこんな非現実的な出来事があったなんて信じてもらえないのではないかと心配になったが、糸は驚きの表情を浮かべはするものの、話を疑うような素振りは一つも見せなかった。
そのまま何かを考えるようにぼんやりと宙を見つめていた糸は、やがてぽつりと問う。
「…あの、その日に預かったっていう子猫は、今も屋敷にいるのかしら?」
どこかぼんやりとした彼女の様子が気になったものの、晶は何と答えればいいかと一瞬悩んだ。
「ええっと、それが…その後の騒動の途中でいなくなっちゃって…でも最近、屋敷の近くで姿を見かけたから、どこか住処を見つけて元気にしてるみたいだよ」
レンとした約束を守るため、晶は嘘とも言えない嘘を吐く。まさかその猫がしゃべって屋敷の敷地内に隠れ住んでいるなんて、言ったところで信じてもらえないだろうが、たとえ相手が猫でも約束したからにはそれを破りたくはなかった。
(でも、私の話を聞いても顔色一つ変えない糸ちゃんなら、猫がしゃべることくらい驚くことじゃないのかもしれないけど…)
晶の返事にずっと何かを考えている様子だった糸は、やがて一つ頷くと静かに晶の目を見つめた。その表情に晶は思わずドキリとする。
どこか儚げで、今にも泣きそうな雰囲気を纏った糸の表情は、とても美しかった。思わず見惚れていると、その表情はすぐに美しい笑顔で隠されてしまった。
「晶ちゃん、教えてくれてありがとう」
「え、え、あの…こんな話で本当に良かった?」
先ほどの表情の意味と、結局糸が晶の話の中の何を知りたかったのか分からず、戸惑いを見せる晶に糸は笑顔で頷く。
「…ええ、十分すぎるわ。お礼に、今晶ちゃんを悩ませているものの正体を『視て』あげましょう」
「…へ?み、みるって?」
いきなりの話に付いていけず、晶はポカンと糸の顔を見る。まさか、糸にも霊を見る力があるのだろうか。でも生霊は今はいないはずなのに、一体何を見るというのだろう。
不可解そうな顔を向ける晶に、糸は笑って応える。
「わたくしにも少しだけ、特殊なものを『視る』能力がありますの。瑠依様や晶ちゃんとは違うものですけれど」
「違う、もの?…それってどういう」
「詳しくは話せないの。でも、晶ちゃんの役に立ちたいから…ちょっとじっとしててね」
そう言って糸は居住まいを正し、深く息を吸って目を閉じる。そして静かに目を開くと、彼女はどこか定まらない視線を晶の方に向けた。
どこかぼんやりとしているような、目の前の晶を見ているのにどこか遠くを見ているような、そんな不思議な視線を向ける糸はまるで人形のようで、普段の彼女とは違う雰囲気に晶はゾクリとした何かが背中を這った。
やがて糸はぽつりと呟く。
「蛇…」
「…え?…へび?」
思わず聞き返す晶に、糸はぼんやりとした視線を向けたまま頷く。
「…そう。蛇が見えるわ…晶ちゃんの繋がりの糸に、蛇が絡みついてる…」
「繋がりの糸?それって、どういう…」
その時、微かにドアが開く音がして、晶が驚き振り向くとそこには香月が立っていた。彼の方も少し驚いた顔をしていて、晶と糸を交互に見遣るとそのまま静かに部屋に入って来る。
「…糸が突然やって来たって聞いたから来てみれば、驚いたな。糸が『視て』くれるなんて」
そう言いながら向かいのソファに腰かける香月に、糸はゆっくりと視線を戻した後で美しい微笑みを向けた。
「ええ、だってお友達の役に立ちたいと思うのは、当たり前のことではなくて?わたくしは晶ちゃんの願いを叶えてさしあげたいんですもの」
「…願い?」
そう言ってソファの肘掛に肘をつき眉を顰める香月に、糸は美しい笑みを向けたまま答える。
「そうですわ。話によると、晶ちゃんはその学校の先輩を救いたいのでしょう?だったら、その願いの手助けをするのはお友達として当然のことですわ」
「い、糸ちゃん…!」
糸の言葉に感銘を受けるものの、晶はハラハラする。先ほど糸に香月の対応について相談したばかりなので、何だかその言葉が香月への当てつけのように聞こえたのだ。
糸は相変わらず美しい笑顔のままだが、対する香月も美しい笑みを薄っすらと纏って黙ったまま糸を見つめている。その彼の目が何だか冷えているように見えて、晶はゾッと背筋が寒くなった。
そんな香月には構わず、糸は軽く息を吐くと香月から視線を外して晶に向き直る。
「とにかく、わたくしが視たところ、晶ちゃんの繋がりに蛇が見えたのは確かですわ。こういったことは珍しいの。よっぽどその人と強い関わりがないとそんなものは視えないのだけれど…晶ちゃんは蛇と関わるものに、何か心当たりはあるかしら?」
「へ?う~ん…蛇かぁ…」
晶は記憶を探った。最近蛇を見たわけでもないし、蛇のモチーフが使われたものを見た記憶もない。
「特に思い当たらないかな…?」
「…糸はその人物を探ることはできない?」
香月が少し鋭い視線を向けて糸に問うと、糸は眉を下げながら首を横に振る。
「これ以上は、この場では難しいですわ…今日は日が悪いし、準備もしていないですし。でも、これだけはっきりと視えるということは、晶ちゃんの身近に蛇とかかわりが深い人物が必ず二人いるはずですわ」
「え?…二人?」
予想外の話に、晶はキョトンとした顔を糸に向ける。
「ええ、晶ちゃんと繋がる二本の糸に蛇が絡みついていましたもの」
「…それって、犯人は二人いるってこと?」
もしや、一人は生霊を飛ばしている人物で、もう一人はそれを操っている人物ということだろうか。晶が驚いて訊くと、糸は首を傾げて考える素振りを見せる。
「…お話を聞く限りでは、その一本は例の学校の先輩と繋がっているように思うわ」
「…へっ?学校の先輩って…宮代先輩のこと!?…え?どういうこと?まさか先輩が犯人の一人ってこと!?」
驚愕の思いで晶が問うと、糸はゆるりと首を横に振る。
「犯人というか、蛇と深い繋がりがあるだけで、犯人かどうかまではわからないわ。わたくしに言えるのは、今回の騒動には必ず蛇が関わっているということだけなの」
「蛇が…」
宮代が犯人である可能性はゼロに近いが、そうなると彼と蛇との深い繋がりとは一体何だろう。まさか、宮代は本人も気付かない内にどこかの蛇を傷つけて不興を買い、それからずっと祟られてるとでもいうのか。でもそうなると今度はその蛇と犯人との繋がりが良く分からない。宮代と繋がりのある同じ蛇が犯人と思しき人物にも繋がっているとは、一体どういうことだと晶は頭を捻る。
「…糸ちゃんは、宮代先輩と蛇にどんな繋がりがあるのかは分かる?」
訊かれた糸は眉を下げて申し訳なさそうな顔をした
「…ごめんなさい。今のわたくしではこれ以上のことはわからないの。でも、その方が犯人ではないのだとしたら、もう一本の方が犯人と繋がっている可能性が高いのかもしれないわ」
確かに、宮代と蛇の関りは直接本人に聞けば良いわけで、そこから何か新しい手がかりが掴めるかもしれない。そう思うと、厚い雲間から一筋の光が差し込んだように、晶の心には晴れ間が覗き始めた。
「そっか…もう一人を探すには、先輩と蛇と両方に繋がりがある人物を探せば良いってことだよね……ありがとう糸ちゃん!これで犯人の手がかりが掴めるかもしれない!!」
晶は糸の両手を掴んで包み込むように握る。彼女の手は相変わらず氷のように冷たかったが、晶は事件解決の糸口が見えたことが嬉しくて、思いのままにぎゅっとその手を握った。
「糸ちゃんの力ってすごいね!!私のために使ってくれてありがとう!」
感謝を込めて笑顔で礼を言うと、糸はそれに驚いたような顔を見せ、その後に段々とその頬を赤く染めてはにかむような可愛らしい笑顔を見せた。
「…ふふっ、晶ちゃんのお役に立てて良かった…!」
そんな二人のやり取りを静かに見つめる香月の瞳は、何とも言えない深い色を宿していたのだが、晶がそれに気付くことはなかった。
***
「先輩!お疲れ様です!!ちょっと来てください!」
「おわっ!?なんだ?」
翌日の放課後。糸が視たという蛇のことを確かめるべく、晶は実行委員の仕事に現れた宮代を一目散に連れ出した。
人気のない教室まで彼を引っ張ってきた晶は、戸惑う宮代に構わずいきなり本題を切り出す。
「宮代先輩!先輩は、何か蛇に関わるものに心当たりはありますか!?」
「へ?へび?…どうしたんだいきなり?蛇っつーと、俺のじいさんとこのご神体が蛇だけど」
「え?ご、ご神体…?宮代先輩のお祖父さんって…?」
混乱する晶をよそに、宮代は持ったままの鞄から例のお守りの袋を手に取る。そのくたびれた袋の口をあけて逆さにすると、中からビー玉くらいの大きさのものが転がり出てきた。
「俺んちは代々小さい神社の神主をやってて、その神社に祀られているのが白蛇なんだよ―――ほら」
そう言って掌に載せて見せてくれたのは、透き通るような青色の石でできた蛇の根付だった。サファイアらしき鉱石でできているそれは、蛇がとぐろを巻いている姿に彫られている。
「これ…!蛇の根付だったんですか…っていうか、宮代先輩のお家が神社だったなんて…」
聞けば、宮代の家の神社は古くからその地域の信仰を集めていた由緒ある神社で、境内のすぐ裏にある滝が白い蛇に見えたことから白蛇信仰が始まったとされているらしい。今もその美しい景観が人気で、それを目当てに参拝に来る客も多いそうだ。
「っていうか、いきなり蛇について聞くなんてどうしたの?」
「ええっと、なんて説明すればいいのか…」
糸が指摘した通り、確かに宮代と蛇には深い関わりがあった。しかし、そうなるとこれは一体どういうことか。まさか彼の一族が代々祀ってきた白蛇が、彼に纏わる不幸に関わっているというのだろうか。
彼にそれを伝えていいものか。一瞬悩んだ晶は、そのことを隠し通すことに決めた。
「えっと…じ、実は夢に蛇が出てきまして!それで、何だか有難い助言をくれた後に宮代先輩の元に戻っていったので、何か意味があるのかなって…」
苦し紛れに咄嗟に考えた作り話を話すと、それを聞いた途端、宮代の顔が少しだけ赤くなった。
「…それって…俺が夢に出てきたってこと…?」
「へ?…あ、はい。そういうことですね。それが何か…?」
不思議そうに訊く晶に、香月はブンブンと手を振る。
「何でもない!…と、ところで、昨日あれから考えたんだけど、やっぱり俺から中川に話してみるよ。それで穏便に…とはいかないかもしれないけど、俺への拘りを無くしてもらうように説得してみる」
「え…」
「それで、これからはもっと気を付けて、女子に近付かないようにする。それまで上手くやってたんだから、気を付ければこの先は周りに被害が出ることはないでしょ。…静野さんには今回迷惑かけちゃってホント申し訳ないけど…」
「そんな!でもそれだと、先輩はこの先ずっと…」
この先誰とも恋愛しないつもりなのか。恋愛だけではなく、友情だって諦めなければいけなくなるだろう。そんな理不尽をずっと強いられたままで良いのかと晶が問うように見上げると、宮代はその目をじっと見返してきた。
何か言いたそうにしていた宮代は、やがて軽く首を振ると諦めたような顔で笑う。
「だって、好きになった子を傷つけるくらいなら、そのほうがいいだろ?」
「そんな…」
彼の顔を目にして、晶の胸にジクジクとした痛みが襲う。宮代には何の非もないはずなのに、こんな理不尽があっていいのだろうか。そう思うと、晶は段々と腹の底にグラグラと沸き立つものを感じ始めた。
(こんなの絶対おかしい…!でも、蛇のことは先輩に言えないし…)
誰も頼れなくなった今、どうにかできるのはきっと標的にされている自分だけだ。そう思った晶は覚悟を決め、キッと顔を上げて宮代を射抜く。
「先輩、諦めちゃダメです。私に任せてください!」
***
まずは自分が一度美稀と話をしてみると言って宮代とその場で別れた晶は、急いでグラウンドを目指した。
(取り敢えず、中川さんが蛇に関わっているかどうかだけでも確かめよう!)
美稀が素直に認めるかは分からないが、有紀の評価を当てにするなら悪い人間ではないらしい。それが本当なら、宮代の事情を話せば説得の余地は十分あるはずだ。
そう思いながらも、晶は最悪なパターンを考える。もし彼女が蛇について何も覚えがなかった場合、どうすればいいのか。どうにかして彼女と蛇とのつながりを探るか、あるいは別の人物が犯人である可能性も考えておかなくてはならない。宮代に思いを寄せる人物は多く、その中から宮代の家の神社に関係した人物を洗い出すにはどうすればいいのか。
考えながら靴を履き替えて昇降口からグラウンドに向けて走り出した晶は、ふと頭の片隅にあった記憶の断片を思い出す。
(そういえば、あれって…)
グラウンドにたどり着いた晶は、一度考えるのを後回しにしてぐるりと視線を巡らす。陸上部が練習している一角を見つけ、そちらに向けて足を踏み出そうとしたところでその手前に美稀の姿を見つけた。美稀はちょうど休憩中のようで、クールダウンのためか近くの水道で顔を洗ってるところだった。
晶が走って近付くと、彼女もそれに気付いたのか、タオルで顔を拭きながら晶の方を振り向いた。
「中川さん!今ちょっといいかな!?」
晶の必死な形相に若干気圧された様子を見せた美稀は、決まりの悪そうな顔を見せるとふいとそっぽを向く。
「…いま部活中だから。後じゃだめ?」
「えっと…」
にべもなく断られそうになり、晶は内心焦る。できればすぐに蛇にまつわることだけでも聞いておきたい。何とかこのまま彼女から話を聞けないかと考えていたところで、「どうしたの?」という声が後ろから掛けられた。
振り向くと、マネージャーの麻衣が心配そうな顔で立っていた。美稀を呼びに来たようだが、二人の雰囲気に何かを察したらしく、オロオロと二人を交互に見ている。
「…静野さん、大丈夫?美稀と何かあった?」
「えっと…」
何と言えばいいのか言葉を探す晶をよそに、美稀は麻衣の言葉に気を悪くしたのか、眉を吊り上げ食って掛かる。
「何それ!?私が何かしたみたいじゃん!静野さんの方から声かけてきたんだけど?」
「え?そうだったの?…ごめんごめん!美稀が怖い顔してたから…」
そう言って宥めるように美稀の肩に麻衣が手を置く。その時、一瞬だけその手首に何かが巻き付いているように見えて、晶は目を凝らした。
(!!…あれは…)
再びそこに見えたものに晶は息を飲む。それは間違いなく蛇だった。麻衣の手首に鈍色の鱗を持った長い胴体の生き物が何重にも巻き付くように絡みついていたのだ。
(そんな……まさか…稲生さんが…!?)
混乱する頭の中で、晶は先ほど記憶の隅に引っ掛かっていた事実を思い出す。確か麻衣は宮代と同じお守りを持っていたはずだ。彼女が相棒のように大事にしていた布袋の中には、宮代と同じ蛇の根付が入っているということだろうか。
(…でも、どういうこと?稲生さんが生霊の犯人?それとも霊能力者?まさか神様を使役してるってこと?)
香月は力ある者が生霊を使役して晶を襲った可能性を示唆していた。だとすると、麻衣がその神を使役する霊能力者だったというのだろうか。
(そ、そんなの絶対勝ち目ないじゃん…!)
晶は絶望的な気持ちになる。ただでさえ素人で霊が見えるだけの自分が、神を使役する人間相手に何ができるというのだろう。それこそ麻衣は香月と同等か、それ以上の力を持っているかもしれないのだ。
晶は抜けそうになる力を意識して引き戻し、握った手にぐっと力を込める。勝ち目がないことは明らかでも、ここで引き下がるのが本当に最良の選択なのか。麻衣がなぜそこまでして宮代に拘るのか、理由も分からないまま諦めるのは自分の中の何かが違うと言っている。それに、先ほど宮代にも「任せて」と大口を叩いたばかりではないか。
「―――もう、麻衣なんて知らない!私、部活に戻るから!」
そう言い捨てて美稀は走って行ってしまった。先ほどの勘違いから美稀を怒らせた麻衣はずっと彼女を宥めていたが、美稀は相当腹に据えかねたらしく、いつもの麻衣のフォローも聞く耳を持たなかったらしい。
麻衣は走り去る美稀を目で追いながら溜息を吐くと、晶に向き直って苦笑いを見せた。
「失敗しちゃった。こうなると、美稀は手に負えないんだよね。でも、静野さんは美稀に何の用だったの?」
「え?えっと、その…」
晶は一瞬だけ答えに詰まるが、その時ふと一つの計略を思い付き、それをそのまま口にした。
「み、宮代先輩のことで、ちょっと言いたいことがあって…。私、先輩と上手く行きそうでさ。だから…邪魔しないでって言おうと思って会いに来たんだけど、逃げられちゃった」
晶はなるべく不自然にならないよう必死に笑顔を装う。すると麻衣は一瞬動きを止めたものの、ニコリと笑って見せた。
「そうなんだ!よかったね!…でもそれ、美稀には直接言わないほうが良いかも。聞いたら何をしでかすか分からないから…。良ければ後で私からそれとなく伝えておくよ」
「ホント?助かる~!実はこの後先輩と公園で待ち合わせてるから時間がなくて…じゃあ、悪いけどお願い」
「うん…任せて」
浮かれた声の調子を作ってそう伝えると、麻衣は笑顔のまま請け負った。しかし、その顔は若干強張って見えて、晶は内心ひどく落ち着かない気持ちで麻衣とその場で別れ、彼女に背を向ける。
彼女が犯人ならば、きっとこの後晶のことを狙ってくるだろう。身の危険をひしひしと感じるが、晶はそれに目を瞑って腹に力を籠める。
(まずは証拠を掴まなきゃ!そうじゃないと話を聞くことも説得もできない)
背中に感じる麻衣の視線が、いつもの刺すような痛みを伴い始めたことで晶の心臓が嫌な音を立て始める。それに気付かないふりをしながら、晶はその場から逃げるように走り去った。
校庭の隅を走りながら、晶はポケットの中にあるバレッタのお守りの存在を確かめる。今頼れるものは、このバレッタしかない。このお守りはタマと同等の神の攻撃は防ぐことができないとタマ本人が言っていたが、今まで助けてくれたのだから、タマの方が格が上なのだと信じるしかない。
晶は麻衣の視線を逃れるため、校舎裏まで来てからようやく足を止めた。肩で息をしながら校舎の壁に凭れ、そのままズルズルとしゃがみ込む。
「やっぱり、無謀だったかな…」
壁を背にしているにも関わらず、圧し潰されそうなほど痛い視線を背中に感じる。今度こそ迫る命の危機に、自分の中の何かがずっと警鐘を鳴らし続けていた。
(―――それでも)
晶はそれを深呼吸でいなし、ゆっくりと顔を上げる。
視線を上げると少し薄くなった青空にイワシ雲が漂っていた。そのどこか長閑な景観に、先ほどまでの緊張感を少し緩めて晶は口角を上げる。
「…悔いるほどの未練は、まだないかな…」
ぽつりと零した呟きは、誰に拾われることもなく、木の葉を巻き上げる乾いた風に乗って散っていった。




