第3話「沈黙の海(後日譚)」
あなたたちが望んだのは――
「対話会議」から3年。
かつて人類が熱狂した『ポセイドン』の解析モニターは、今や動くグラフのない、平坦な緑の線を映し出すだけのガラクタと化していた。
世界は変わった。
超クジラが痛みを感じないのだと公認されたことで、捕鯨は資源採取という名の作業へと変貌した。
海にはかつてない数の捕鯨船が浮かび、効率的に彼らが刈り取られていく。
だが、そこには奇妙な違和感が漂っていた。
消えた歌声――
「……今日も、なしか」
サキは、廃船寸前の調査船の甲板で、ヘッドホンを投げ出した。
かつて海には、数千キロ先まで届く超クジラたちの歌が満ちていた。求愛、警告、あるいはただの退屈しのぎ。彼らは饒舌な種族だったはずだ。
しかし、あの日以来、海から一切の声が歌が消えたのだ。
クリック音も、バーストパルスも、ソナーに引っかかるはずの唸り声すらも。
超クジラたちは存在している。捕鯨船のレーダーには巨大な影が映り、海面には潮を吹く姿が見える。だが、彼らは徹底して完全な沈黙を貫いていた。
「彼らはストライキをしているの? それとも、声を失ったの?」
かつての同僚たちは首を傾げたが、サキには分かっていた。
彼らは言葉を捨てたのだ。
人間に都合よく翻訳され、利用される言語そのものを、海から放逐したのだ。
静かなる捕食者
沈黙の影響は、意外な形で現れ始めた。
ある捕鯨船の報告書には、こう記されていた。
「超クジラたちが、逃げない。銛が刺さっても、仲間が引き揚げられても、彼らはただ、静かにそこに浮かんでいる。以前のようなパニックも、逃走のための激しい水しぶきもない。ただ、じっとこちらを見ている。その無言の視線に耐えきれず、精神を病む乗組員が続出している」
サキは、その報告を読んで震えた。
それは諦めではない。
個体Dが言った、あの言葉のそのものだった。
肉体が損なわれることは、海へ還るプロセスに過ぎない。
彼らにとって、死は敗北ではないのだった。
沈黙することで、彼らは人間との接触を拒絶し、自分たちを個体から海という一つの群体へと帰していったのだ。
ある夜、サキは夢を見た。
海が、膨れ上がる。
海全体が、巨大な一つの超クジラの肉体になり、人類の船をゆっくりと飲み込んでいく夢だ。
目が覚めたとき、観測室のスピーカーから、3年ぶりに歌が流れた。
それはポセイドンが解析できないほどの、超低周波の振動。
「………………」
言葉ではない。
ただ、海そのものが深呼吸をしたような、重苦しい震え。
海そのものが、生きている――
「個体D……。あなたたちが望んだのは、これなの?」
サキは、暗い海面を見つめた。
超クジラたちは、もう二度と痛くないとと言わない。
もちろん、助けてくれとも。
彼らが沈黙を選んだことで、人類は彼らを永遠に失った。
残されたのは、血に染まった海と、自分たちの言葉だけが虚しく響く、閉ざされた世界。
海はかつてないほど豊かに、そしてかつてないほど冷酷に、ただそこに横たわっていた。
次は第4話。
超クジラたちが深海で何を語り合ったのか。
なぜ、沈黙を選んだのか。
超クジラたちの会議を覗きに行きますか? <Y/N>




