3. 女神と天使と全裸待機
「はぁ……こうなるだろうとは思ってたけど、予想通りに予想以上だなぁ」
リンネは転生の光が消えた空間で何度目かの深い溜め息をついた。転生者を送り出した後の静寂が、いつものように部屋を満たしている。
みんな、異世界転生に夢を見すぎている。
現実と理想は違うということがわかっていない。
何故、そんな当たり前の事を理解していないのか。リンネは軽く首を傾げた。人間というのは、死んでもなお楽観的な生き物らしい。
「リンネ様、お疲れ様です」
「あぁエリル、お疲れ様」
労いの言葉と共に背後から現れたのは従天使のエリルである。長い金髪を後ろで一つに束ねた、几帳面そうな顔立ちの天使である。
従天使というのは、神に仕える補助役の天使のこと。要するに、エリルはリンネの部下だ。天使の中から神に選ばれた者だけが就ける役職で、エリル自身もそれを誇りに思っているらしい。
「今回の方は無事転生出来ましたか?」
「えぇ、滞りなくね。ちょうど更新された因果記録簿、見る?」
そう言ってリンネは御崎にサインをさせた書類──因果記録簿をエリルに手渡した。転生前と転生後の状態が自動で記録される、いわば転生の履歴書のようなものだ。
「どれどれ……えっ、これ本当ですか?」
書類に目を落としたエリルが、すぐに顔を上げた。その瞳が驚きに見開かれている。
そこに記録されていた御崎の転生後の現状を見て、エリルは目を瞬かせた。
「転生後の状態が『想像が実現する石』って……どうしたらこうなるんですか?」
「最低保証である『格の維持と生存可能世界の保証』、これを拒否して能力を得た影響ね」
リンネは肩をすくめた。人間から石への転生。これが最低保証を拒否して能力を得た代償だ。
「あなたは知っていると思うけど、全ての存在は転生を繰り返すことで自身の存在を段階的に上げていくわ。無機物から始まり、知的生命体となり、いずれ私達のような天使や神へと至る」
リンネは淡々と説明を続ける。何度も繰り返してきた、転生システムの基本原理だ。
「しかし、彼は格の維持を放棄し、身に余る能力を得た。それにより彼という存在の格は一気に人間から無機物の石まで下がってしまったのね」
そう言って、リンネは頬に手を当て、悲しげに目を伏せた。まるで本当に御崎を憐れんでいるかのような仕草だ。
可哀想ね──しかし、その演技があまりにわざとらしかったのか。
「……リンネ様、もしかしなくてもこうなると分かってて彼を選んだのでは?」
エリルの表情が訝しげなものに変わった。じとっとした視線が、リンネに突き刺さる。
正直、リンネ自身も少し白々しすぎたかと思わないでもない。いや、かなり白々しかった。自覚はある。
「まぁそうね。御崎本人の性質を見て、能力を望むだろうということはわかっていたわ。まさか、人間から石まで格が落ちるとは思ってなかったけど」
「リンネ様は相変わらずですね……」
エリルは呆れたように溜め息をついた。
「それより、少し休憩されてはいかがですか? 顔色が少し良くないように見えます」
エリルに指摘され、自然と頬に手が伸びる。
リンネ自身にあまり自覚は無いが、相変わらずよく見ている従者である。
「そう? じゃあ休憩にしましょうか」
「では、お茶を用意してきますね」
エリルは嬉しそうに微笑むと、転生の間を出て行った。
一人残されたリンネは、深く椅子に座り直した。仕事モードから休憩モードに意識が変わり、姿勢を崩すと少し身体が重い気がした。確かに少し疲れているのかもしれない。
ふと、転生の間を見渡す。
いつもと変わらない、白く広がる空間。殺風景で面白味のない場所だ。
だが——何か、違和感がある。
誰かに見られているような、そんな気配。
リンネは眉をひそめた。辺りを見回すが、当然ながら誰もいない。エリルは出て行ったばかりだし、他に入室できる者などいるはずがない。
「……気のせいかしら」
リンネは小さく首を振った。やはり、休憩が必要だったようだ。
間もなくして、エリルが戻ってきた。手には湯気の立つ急須と湯呑み、小さな皿にはどら焼きが乗っている。
「お待たせしました、リンネ様。今日はおやつに合わせて緑茶にしました!」
「ありがとう、エリル」
リンネが湯呑みを受け取ると、エリルは急須を傾け湯気のたつ緑茶を注ぐ。温かさが手のひらに心地よく伝わる。
「それでは、溜まっている因果記録簿を観測室に届けてきますね。転生後の様子を確認する部署ですから、早めに渡しておかないと」
「あぁ、お願い。最近また溜め込んじゃってたわね」
「本当ですよ。机の上が書類の山になっていたじゃないですか」
エリルは軽く咎めるような口調で言うと、整理された書類の束を抱えて再び転生の間を出て行った。
扉が静かに閉まる音が響く。
リンネは一人、湯呑みを手に取った。茶葉の香りが鼻腔をくすぐる。
ゆっくりと唇を近づけ、口をつけようとして——。
「失礼、俺にも一杯貰えるかな?」
背後から聞き覚えのない声が響いた。
「はい、どうぞ」
パァンッ!
振り向き様、反射的にリンネは手に持っていた湯呑みを投げつけた。湯呑みは目にも止まらぬ速さで背後の存在に着弾し、盛大に爆散する。
「ぐあああぁっ!? 痛っ、熱っ!?」
叫び声を上げてビタンビタンと顔を抑えて悶えているそれは人型の男だ。
予想外の出来事。リンネは遅れて、自分が何をしたのか気付いた。
「やだ、大変!」
リンネはガタッと椅子を引き、慌てて湯呑みの投擲によりひっくり返った男の方へと駆け寄った。
「なんだ、自分でやっといて心配はする──」
「お気に入りの湯呑みが割れてしまったわ……」
床で悶える不審な男をスルーして、リンネは砕けた湯呑みの欠片を拾って悲しげに呟いた。
「人の安否より湯呑みの優先? 俺の頭、R指定のグロ画像みたいに弾けててもおかしくなかったんだが?」
「そう、お互い大変ね」
「お前のせいなんだけど? 他人事みたいに言ってるけど何か思う事はないの?」
「この湯呑みお気に入りだったの。弁償してね」
「謝罪どころか賠償求めてきやがった……」
男は天を仰ぐが、残念ながらその嘆きは目の前の神に届くことはない。
リンネは欠片を手のひらに乗せたまま、ようやく男の方へ視線を向ける。
「それはそれとして──『綻びなさい』」
リンネが言葉を発し、指を向けると男の身体は光に包まれる。
「うぉ、眩し!」
男が驚愕の声を上げた数秒後、光が収まると、そこには身体をモザイクで自主規制された男の姿があった。
「おいおい、逆にレーティング上がって見えるわ」
確かに隠されると逆に卑猥になる事はあるが、今回は否定させてもらおう。
「適切な対処でしょ。だってあなた──」
リンネは呆れたように溜め息をついた。
「──全裸じゃない。正直ドン引きよ」
そう、この男、全裸なのである。
突然背後に現れた不審人物が俺にも一杯、なんて全裸で茶の要求をしてくるのは事案を超えて事件である。
「花も恥じらう乙女に全裸で話しかけるなんて、もしかしなくても変態ね」
「それなら少しは恥じらえよ」
「男の裸で赤面するような初心な女じゃないのよ」
「なるほど、見た目通りじゃないと。つまりはロリババアァッツァ!?」
今度は急須が犠牲になった。尊い犠牲である。
「あなたは女性に対するデリカシーを服と一緒に落としてきたみたいね」
「ついでに命も落としそうだよ! 死ぬかと思ったわ!」
「そのつもりだったのだけれど、存外丈夫なのね」
「HAHAHA! 笑えない冗談だな! ……冗談だよな?」
確信がもてず、男が不安げな表情をしていたので、リンネはニコリと微笑んだ。
すると男は安心したのか、歯切れ悪く笑った。笑顔が引き攣っているのは気のせいだろう。
さて、とリンネは椅子に座り直す。日頃の鬱憤が溜まっていたのか、ついおふざけが過ぎた。
改めて、リンネは男へ視線を向け、本題を切り出す。
「それで、あなたは何者? どうやってこの部屋に入ったの?」
「…………」
警戒しているのか、先程の軽口とは裏腹に男はこちらの様子を伺うようにじっと黙っている。
男の顔から、さっきまでの軽薄さが消えていた。
──殺すつもりだったというのを伝えるのは悪手だったか。
リンネの頭にそんな考えが一瞬過ぎるが、すぐに関係ないと開き直る。
たかが人間一人消えたとて。思い当たる可能性としては二つに一つ。リンネにとってどちらであっても、然程影響はない。
そう、これは気まぐれだ。殺そうとした不審者がたまたま死ななかった。
なら、今後の対策の為、ここに侵入した経緯を聴けるなら聴いておいた方がいいだろう。
「さっきまでの調子はどこにいったのやら……黙ってるだけじゃ分からないわよ」
リンネは机に残されたどら焼きを口に運ぶ。しっとりとした生地に甘さ控えめな餡子がよく合う。エリルの入れてくれた緑茶が駄目になったのが残念でならない。
「気に入らない答えだったらお前を消す……とかはない?」
「今のところはね……あなたの態度次第よ」
頬杖をついてリンネはもう一口どら焼きを頬ばる。
嘘をついたりするなよ、という脅しなのだが、相手にその意図は伝わっただろうか?
そう思って男の顔を見れば言葉の意図は伝わったようだ。真剣な面持ちではあるが今すぐ殺すつもりはないと分かり、強張っていた表情から固さが取れていた。
「正直に言うけど怒るなよ?」
「くどい。怒らないからさっさと話しなさい」
少しの逡巡の後、男は口を開いた。
「……実は俺もよく分かってない。気付いたらここにいたんだよ。目が覚めたらいきなり真っ白の空間にいて、最初は夢だと思ったよ。全裸だったし。
しかも、あんたと金髪の娘が話してる時、こっちを見たけど俺の事が見えてない感じだったからさ。やっぱ夢なんだと思って適当なノリで話しかけたら……その後はあんたの知ってる通りだよ」
やれやれ、といわんばかりの露骨な仕草が鼻につくが嘘は言っていないようだった。
どうやらリンネが先程覚えた違和感は彼が原因だったようだ。
声を掛けられるまで認識できていなかった理由は分からない。けれど、少なくとも男の正体は分かった。
「話を聴く限り、あなたは迷い人ね」
「迷い人?」
「別の世界からこの世界に偶然迷い込んだ人の事よ」
「つまり神隠しってことか」
説明を聞いて、男は自分の身に起きた現象について納得したようだ。
迷い人自体は珍しくない。無数の世界と繋がるこの世界では別の世界の住人が迷い込むことは少なくないのだ。
「そう。この世界に生きた人間が来る可能性は主に二つあるのだけれど、その一つが迷い人。時々あることだから、心配しなくても元の世界には帰れるはずよ」
「……ちなみに帰る方法は?」
「簡単に言えば、あなたの情報を分析して生きていた世界に送り返す」
「分析って、もしかして俺の脳を弄くり回してっ!?」
男は口元を覆って青ざめた顔で後ずさる。
なんとも態とらしいリアクションにリンネの眉がピクリと動く。
「しないわよ。私をなんだと思ってるの?」
「倫理観の欠如したロリ」
この煽りカスはどうやら死にたいらしい。
「五体満足で元の世界に帰りたくないようね」
ニコリと笑みを深めれば、男は両手を合わせて拝むように土下座する。
「誰よりも慈悲深く、聡明で美しい天使様だって思ってました!」
「お手本のような手のひら返しね。それと私は天使じゃなくて神よ」
「あ、そうなの? 翼と光輪があるからつい天使かと」
「あぁ、そういえば出しっぱなしだったわね」
リンネが指を鳴らすと、背中の翼と頭の光輪が跡形もなく消え失せた。
「ええぇ……それってオンオフ出来るのかよ」
「ただの飾りだからね。じゃないと寝る時邪魔でしょ」
リンネは肩をすくめる。
翼と光輪が消えることで椅子とのサイズ差がより如実になり、傍から見れば子供が座っているようにしか見えないだろう。
「飾りって……じゃあなんで付けてるんだ?」
「人の第一印象なんて、結局ほとんど見た目で決まるものよ。私、さっきも言ったけどこれでも神なんだけど、あまりそう見えないでしょう?」
「まあ、確かに」
男は改めてリンネの姿を見て、同意するように頷く。
「この翼も光輪もない私を一目見た相手からは、清廉潔白にして純真無垢、楚々として儚げでありながら、容姿端麗・天姿国色、果ては才色兼備にして傾国傾城の相まで備えた、ただの美少女にしか見えないらしいから、神としては威厳が足りないのよ」
「威厳より謙遜を身につけた方が良いのでは?」
リンネの口から流れるように紡がれた自画自賛の言葉に男から苦笑が漏れる。
「謙遜? 別に自分で言ってるわけじゃないわよ、これ。私、自分の見た目とかよく分からないから、信頼してる部下からの評価をそのまま受け入れてるだけ」
「それはそれで結構……大丈夫? そいつから変なことされてない?」
男は何か言葉を飲み込み、何故か心配そうな目をしていた。
「失礼ね。エリルは真面目で優秀な子よ」
大事な部下の言葉を否定され、リンネは少し憤慨する。
「いや、真面目にそんなこと言ってたら余計……」
男はさらに何か言いかけて、やめた。何かを悟ったようで、それ以上何も言わなかった。
「とにかく、一目で自分とは違うのだと理解させないとここを訪れる者から舐められるのよ。神が舐められたらお終いだわ」
「ヤクザみたいだな」という男の言葉は無視して話を進めようとすると、背後の扉が開く音がした。
「──ただいま戻りましキャアァァァァ!! リンネ様、誰ですかその全身モザイクの変態!!」
転生の間に戻ってきたエリルが悲鳴を上げた。次の瞬間、リンネの目の前に手が伸びてくる。
「リンネ様、見てはいけません!」
顔を真っ赤にしたエリルはリンネの頭を抱くように目を覆いながら、男を睨みつけている。まるで幼い子供を不適切なものから守るかのような必死さだ。
「そうだよ、これだよこれ! 恥じらいってのはこういう反応の事を言うんだよ! あんたも参考にした方がいいぞ」
「女性に全裸でその台詞はただの事案だからやめときなさい」
「リンネ様、説明してください! なぜ転生の間に全裸の男が!? いつの間に!? どうやって入って来たんですか!?」
エリルの追及が始まった。リンネは額に手を当てる。
「あー……とりあえず深呼吸して」
説明すべきことは山ほどあった。迷い人のこと、記憶喪失のこと、そして湯呑みと急須を犠牲にしたこと——最後のはエリルに怒られるだろうか。
リンネは肩をすくめた。どうやら、説明は長くなりそうだった。




