電車内4
「見たところ俺たち以外には誰もいないみたいだけど」
アリカはその疑問に対して、煩わしそうに顔を顰めた。
「あそこ。あの電車の乗降口、壊れた扉の先。ちょっと行ってみなよ。いるからさ」
アリカはなんだか、急につっけんどんな様子になって、気怠そうに連結部の半壊した扉の方を指さした。さっきのことが事の他、尾を引いているらしい。確かに軽率な発言であったことは俺も認めるところではあるが、こんな対応は少し大人気ないのではないか。電車内に同じ境遇の人間がもう一人居るのならそうと言っておいてくれればよかったのだ。早い段階でそれを俺に伝えなかった彼女にだって多少の非はあるはずだ。
などと、頭の中で愚痴を巡らせてみたが、今後のことを考えると、ここで彼女との関係を悪くしてしまうのは上手くない。この異様なシチュエーションにあって、協力者となり得る数少ない人間だ。きっちりと関係を修復しておく必要があるだろう。
「ごめん。さっきのことは俺が全面的に悪かったよ。あんな傷つけるようなこと言って。反省してるよ。別に悪気があったわけじゃないんだよ。ただ、なんていうのかな、ジョークっていうか、場の空気を和ませようってさ。でも、こんな事言っても言い訳にしかならないよな。ほんとにごめん」
我ながら思ってもいないことがよくもまあ、こんなにポンポンと出てくるものである。ちょっと白々しすぎる気もするが、謝罪の言葉としては、上出来だろう。
「は?何が?」
アリカは冷たく問い返す。やはり怒っている。
「いや・・・だからさっきの・・・」
ああ、と短く声を上げ、アリカは俺の頭を撫でた。
「バカねー、そんなこと気にするわけないじゃん。ちょっとだけ頭に来ただけだよ。ちょっとだけね。ユースケは生真面目ねえー。うん、いい子だ」
乱暴に髪の毛をかき乱された。その華奢で繊細な手からは想像もつかないほどに強く頭を掻き毟られる。少し痛かったが、悪い気はしなかった。アリカはあまり怒ってなかったようだ。そのことに思いの他、安堵している自分に少し驚いた。
「まあ、見に行ってみなよ。あたしの気持ちがわかると思うからさ」
アリカは催促するように、俺の背中を軽く叩いた。なんだかよくわからなかったが、とりあえず俺は椅子から立ち、ガラス片や、椅子の残骸が散乱した足元に気をつけながら、連結部の方へと向かった。
何があるかわからないので、一応警戒しながら、ゆっくりと半壊した扉から連結部分を覗き込んだ。
いた。確かに俺たち以外にももう一人いた。扉が陰になり、俺の方からは見えなかったのだ。最初、青白い顔が闇に浮かび上がっているように見えて、悲鳴をあげそうになったが、すぐにそうでないことはわかった。携帯電話を開いている。最近ではすっかり少数派となった折りたたみ式のものだ。それから放たれる光が、顔だけをはっきりと照らしていた。
俺が近づいたことに気付いている様子はない。突っ立って、画面の方に集中している。年のころはどれくらいだろうか、何分、暗いのではっきりとしたところはわからないが、おそらく三十台後半。おっさんである。前をはだけ、シャツをズボンから出して、スーツを着崩している。特段、目を引いたのが頭の部分である。こめかみから後頭部を残して禿げ上がっており、そこにネクタイを鉢巻のようにして巻き付けて、きつく結えてあった。
古典的、酔っ払いスタイルだ。いまどき、珍しい。いや、というか、こんなわかりやすい恰好をした酔っ払いは見たことがない。本当にこんなスタイルを取る酔っ払いがいたことに驚きである。
おっさんは食い入るように、携帯電話の画面に見入っている。ピクリとも動かない、完全に停止している。合間のまばたきがなければ、生きているとも判断できなかったかもしれない。
「あのー、すいません」
鬼気迫る雰囲気を感じ躊躇したが、思い切って声をかけてみた。おっさんは虚ろに目を泳がせ、ゆっくりと時間を掛けて俺に焦点を定める。
「・・・・えーと」
上手く言葉が見つからない。おっさんは画面から俺に視点を移し、そのまま静止している。呆然とした表情で、ジッと俺を見つめる。はっきりいって不気味だ。
「あの、俺、ユースケって言います。なんていうか、その、どうもお互い大変なことになっちゃったみたいで・・・・」
おっさんは俺の言葉に反応したのか、何故か自嘲気味に笑った。そして今度は天井を仰いで、喉を鳴らし、低い唸り声を上げる。なんだか怖い。そのコント的酔っ払いスタイルからは考えられないほど怖い。
「僕のせいなんだ・・・・」
再び俺に目を向け、おっさんは暗く、陰気な声を発した。
「罰だよ、罰が当たったんだ。僕なんかが・・・あんな・・・」
顔を歪ませ、今にも泣き出しそうだ。




