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電車内1

 ぱち、ぱちと小さく、音が鳴っている。どこから聞こえてくるのだろう。わからない。真っ暗だ。何も見えない。闇は深く、光などない。彼方まで覆い尽くす黒いヴェール。おそらく果てはないのだ。何故だかそれが理解できた。どこまでいっても視界が開けることはない、言わば無限。どうする?どうやってこの音の正体を突き止めよう。どうやってそれを見てやろう。しかしすぐに俺は、いや、と否定する。見る必要などない。それは俺の中から響いてくるものだ。見る必要などない。もう俺はそれを持っている。見えなくてもいいのだ・・・・・。



「・・・・え」


 何か声が聞こえる。耳元で無遠慮に甲高い声が鼓膜を揺さぶる。なんだ?なんだか知らないが非常にうるさい。


「ね・・・えっ・・・・・!」


 しつこく呼びかけは続く。どうして俺の安眠を邪魔するのか。気持ちよくまどろむ俺をたたき起こしてまでの用事だ。よほどの事なのだろうな。もしくだらないことだったら、どうしてやろうか。どうして・・・・・暴力はあまり柄じゃない。しかも相手は女のようだ。女に手を挙げてしまうのは倫理的にかなり抵抗がある。最低限の道徳は持ち合わせているつもりだ。いくら誰とは知らぬ相手とは言え・・・そこまで考えて、はたと気づいた。俺を呼ぶこの女はいったい誰だ?少なくとも母親ではない。だが、母親以外にわざわざ枕元まで起こしに来てくれるような奇特な女性を俺は知らなかった。

 待て、そもそもなぜ眠っている。そしてこの硬く冷たい石の上に転がされているような寝心地の悪さはなんだ?

 俺は今、どこにいるんだ?その答えを知ることが出来る、単純明快な方法を思いついた。そう俺は目を開いた。


「あ、起きた。」

 

 奇妙な光景だった。煤汚れた顔をした金髪の女が俺の顔を斜めに覗いている。いや、違う。斜めになっているのは俺だ。俺が椅子の傾きに合わせ、斜めに寝転がっているのだ。なぜ?だんだんと思考がクリアになってくる。電車・・・俺は電車に乗っていたはずだ。どうなったんだ?なんだか体が痛い。それにさっきから、強烈に臭い。

鼻腔をくぐる、甘ったるい不快なにおい。この香りには覚えがあった。


「よく寝てたわね。死んだかと思ったよ。」

 

 女はこともなげに物騒なことを言う。そうだ、この女。終電で乗り合わせた水商売の女だ。なぜ俺に話しかける。いったいどういう状況だ?あれからどうなった?

 意識が眠りの淵より呼び戻されるに伴い、なんだか全身を奔る痛みもはっきりとしてくる。ちくちくと爪楊枝でつつかれるような鋭く小さな痛みは、猛禽類か何かに獰猛なくちばしでついばまれるような鈍い痛みへと変化していく。


「いった・・・いってえ・・・」


 起き上がろうと思ったが、そう容易ではなかった。自分の身体をあらためて見る。Tシャツとジーンズはぼろぼろに破け、全身に擦傷と、裂傷。至るところから出血している。なんてことだ。急に寒気が襲ってきた。訳の分からない状況と、痛み、出血。動転している。足元の方から急速な勢いで不安の波が押しあがり、身体を侵食する。どうして?なんだ?どういうことだ?どうなる?まさか、死?死?まさか、まさか、まさか・・・・。


 いきなり首に手が回り、力任せに上体を起こされた。耳元で「よっ」という景気のいい掛け声が上がる。甘ったるい臭いが鼻いっぱいに広がる。すぐそばに女の顔があった。しばらくあっけにとられていたが、俺はあらためて女に視線を定める。

 金髪に、カラーコンタクトだろうか。切れ長の蒼い、澄んだ目をしている。鼻は高く、まっすぐに口元まで伸び、唇は果実のように薄く、今にもしたたってきそうなほどに潤っている。顔のどこを探しても歪などまったく見当たらない、考えられないほど個々のパーツが調和していた。煤汚れても尚、その輝きが失われることはない。

 視点を体の方に落とす。鮮烈に赤いドレスから、白い蝋のような素肌が惜しげもなく覗く。そのガラスのような肌には、無数に傷が走っている。作りもののように繊細で、さわればその傷口からあっという間に崩れ落ちていきそうである。なんだろう。綺麗だ、と純粋に思った。卑しさも、下品さもない。恰好は完全に水商売のそれを連想させるものであるのに、この女からはそんな艶気など微塵も感じ取ることが出来なかった。ほとんど彫像を見るような感覚に近い。欠点と言えば、いくらなんでも香水を振りまきすぎだというぐらいのものである。


「心配しなくていいよ。さっきざっとあんたの体を見てみたけど、致命傷になりそうな傷はなかったから。ま、とりあえずは、だけどね。もし頭なんか打ってたりして、中で出血してたら後々死んじゃうってこともあるかもしれないけど」

 安心させたいのか、不安がらせたいのか、どっちともとれるような物言いである。心配しなくてもいいとは言うが、これではいまいち気持ちが晴れない。


「そんなことよりさ、見なよ、電車の中。どうなったか。きっとびっくりするから」


 女は俺のそばから何歩か離れ、視界を開いてくれた。言われて、俺は目を覚ましてからほとんど初めてあたりを見渡した。先ほどまで乗っていた電車内であることは間違いない。中は薄暗い。目を細めて、網膜の彩度を合わせる。足元にはガラスが散乱し、電灯や椅子の残骸がそこらへんに転がっている。持ち上げられて一度、シェイクでもされたのか、すべてが雑然としていた。自然、俺の頭の中に、ある一つの言葉が浮かび上がる。


「事故・・・・・・・・」


 そうとしか考えられなかった。俺は列車事故に巻き込まれたのだ。脱線か衝突か、それは定かではないが、この状況から見て、まず間違いないだろう。


「でしょう?そう思うでしょ?ところがだよ。たぶん答はそんなに簡単でもないんだよねー」


 女はすぐに俺の言葉を否定した。どういうことだ?それ以外の何がある。


「あ、その前にまず自己紹介をしておこうか。あたし、アリカ。あかまつアリカ。覚えた?アリカでいいよ」


「アリカ・・さん。えと、俺はあまぎです。あまぎユウスケ。よろしくお願いします」


 何故か、いきなりアリカは俺の背中を叩いた。よける暇などなかった。その辺りにも傷があったはずだが、アリカはまったく躊躇することなく、スナップを効かせ鋭く振り抜いた。飛び上がるかというような痛みが、電流のように全身を駆ける。


「なーにかしこまっちゃってんのよー。敬語なんかやめてよ、名前も呼び捨てでいいからさー、むずがゆいでしょ」


 なんなんだこの女は、どういうやつなんだ。まったく読めない。その現実感のない、飾りもののような容姿と、性格にはかなりの乖離があるようだ。全く持って不一致である。


「じゃあ・・・・アリカ。事故以外の答って何?アリカはどういうふうに考えているんだよ」


 にやりと口元に笑みを浮かべ、アリカは俺の後ろを指さした。


「窓・・・・?」


 俺の後ろには窓がある。正確にはあった、と言ったほうがいいだろう。ガラスは砕け、その機能はすでに失われてしまっている。そのおかげか、外を簡単に見通すことができた。

 木だ。暗い中でもはっきりとわかる。規則性なく、鬱蒼と立ち並んだ木々。ここは樹林だ。しかもかなり深い。


「ここで一つ質問」


 アリカがすっと立ち上がり、腕を組んで俺を見下ろした。


「アナウンスが流れて終点に付くまでの間、あの区画にこんな場所ってあった?」


 ない。ほぼ毎日と言ってしまっていいぐらいに、あの路線を通学に使用している俺にとって考えるまでもなかった。しかし、それはおかしい。つじつまが合わない。じゃあ、ここはいったいどこなんだ?


「これ見て」


 そう言ってアリカは左腕にはめた時計を見せる。ゴテゴテとした、文字盤に宝石をあしらった高そうな時計だ。とても庶民には手が届きそうにない。なんだ、こんな時に。自慢だろうか。しかし、ここで機嫌を損ねるのも上手くない。適当にほめておこう。


「すごいねコレ・・・すっごく高そうだ・・・・」

「ばか。それはどうでもいいんだよ。それより時間だよ、じ・か・ん」


 あ、なるほど。それはそうだ。時計は3時40分を指している。


「あの妙な音と、でっかい衝撃があった時、あたし時計を見てたんだよね。その時の時間が0時10分だった。この時計が壊れてなければあれから3時間以上経っていることになるでしょ。なのにまったく、救助に来る気配もない。人っ子一人、姿を見せない。これっておかしくない?ぜったいおかしい、普通じゃかんがえられない」


 アリカは砕けた話し方から持つ印象とは違い、意外なほどに理路整然としていた。確かにそうだった。これだけの大事故があって、俺やアリカは怪我を負っているのだ。だというのに、この静けさは異常だった。


「ねえ、答が見えてこない?あたしたちが置かれている状況。ユースケにもわかってきたんじゃない?」


 わからない。予想は浮かぶ。しかし、そのどれもが荒唐無稽な、リアリティのない絵空事である。正直言って見当もつかなかった。


「降参だよ。俺にはわかんない。答を教えてよ」


 素直に負けを認め、答を求める。こういうポーズを取ることでアリカは上機嫌になるのではないかと、俺は考えたのだが、アリカは事のほか真剣だった。眉間に皺を寄せ、とんでもない解答を披露した。


「なんでわかんないかなあ・・・!だからさ・・・あたしたち、違う世界にワープしちゃったんだよ!」


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