表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/18

プロローグ

この小説を無二の親友ヘンリー王子に捧ぐー

 


 景色が横に流れていく。暗闇に浮かぶ灯りはまばらで、それらは尾を引くように線を成し、あっという間に視界を通り過ぎる。それをぼんやり眺めながら、意識を景色に溶かし込ませ、ただ時間が積み重なるのを待った。何も考えず、そうしていたかった。 


 深夜。酔っ払いや、きつい匂いを漂わせる派手な格好をした女たちに混じり、最終の電車に乗りこんで家路に就く。ロングシートであるため、否が応にも客層がよく見えた。酒の香ばしい臭いと、あまったるい香水の匂いが鼻に付き、不快な気持ちになる。一つ大きく息を吐き、誰にともなく舌を鳴らした。

 

 ここは掃き溜めだ。街は眠り、闇に沈んだこの静寂のなかに取り残された異物。それを運ぶ、巨大な掃き溜め。俺もその中にある。このゴミの中の一部なのだ。


 急に吐き気を覚えた。こんなやつらと一緒にはされたくないという矜持が頭をもたげる。前後も不覚になるぐらいに酔いつぶれたおっさん。節制も出来ないその成りから無能さが見て取れる。いかにも水商売風の、着飾った女。自分の体を切り売りする卑しい風貌から下品さがにじみ出る。

 

 だが、はは、と俺は小さく笑った。やつらと俺に差などあるか?俺はやつらを見下せるほどの人間か。確かに、お似合いだ。俺も同じだ。等しくゴミだ。何も考えず、ただ漫然と暮らす日々。特に楽しいことも、苦しいこともない。日々、無意味な生を垂れ流しているだけ。目的も、目標もなく、マシーンのように与えられたレールに沿い、大学に通い、単位を取得する。ただ意思なく流れているだけだ。

 


 抜け出したい。この掃き溜めから。底の底から。しかし、どうやって?わからない。どうやったらここから抜け出せる?俺は何をしたらいい?どうしたらいい?疑問ばかりが頭に浮かんでくる。誰に聞く?誰に問う?すべて人任せだ。そんな精神で現状がどうにかなるわけもなく、俺は変わらず、今日を過ごす。明日もそうだろう。明後日も明々後日も、ずっと、ずっとだ。

 


 車内にアナウンスが流れる。ゆっくりと一語一語をかみしめるような発声で、車掌が終点を告げる。酔っ払いと、女はそれに反応しておもむろに立ち上がった。僕も立ち上がろうと腰を浮かせたところで、小さな異変が起こった。


 チリチリと明滅を繰りかえした後、車内の照明が数秒、消えたのだ。すぐに再び、明かりが灯される。なんだ?と、浮いた腰を下ろし、様子を窺う。何も起こらない。酔っ払いも水商売の女も、なんだったんだといった様子で、訝しげな顔をする。俺も多分、同様だろう。


 

「ねえ、なにか聞こえない?」

 


 急に、水商売の女が上ずった声で言った。俺の方を見ている。俺に話かけているのだろう。なんだ突然、なれなれしい、などと思う暇もなく、俺の耳にもその異様が入ってくる。軋むような甲高い音が最初は小さく、しかし、徐々に大きく、聴覚を侵食した。「なに?なんなのコレ!」女が悲鳴を上げる。


 酔っ払いも酔いはすっかり覚めてしまったようで「うわ、うわあ」となさけない声を出す。音は際限なく大きくなる。耳をふさいでも無意味である。音の振幅は体全体を侵し、脳を侵した。意識も遠くなる。どうしたらいいかもわからず、俺も声を出した。とにかく、音に対抗するかのように、大声を上げた。あああああと、ありったけの力で声帯を揺らした。女と酔っ払いはその場にへたりこむ。俺も座っていることさえままならず、椅子に横たわった。

 


 不意に音が止み、静寂が訪れた。なんなんだ、いったいなんなんだ。そればかりが頭の中を巡る。静かになっても不安がなくなることはない。いや、耳が痛くなるようなまったくの無音に、逆に俺は違和感を覚えた。「ねえ、大丈夫なの?」女が安堵を隠さず、素っ頓狂に言う。酔っ払いはあわあわと言葉にならない声を漏らしている。大丈夫なのか。本当に?いや、そうじゃない。おかしい、おかしいぞ。俺たちは電車に乗っているはずだ。あるべきはずの音がない。聞きなれた規則的な音。


 なぜ静寂なんだ。

 


 それに気づいた瞬間、轟音とともに襲った衝撃に、俺の身体は中空の車内に投げ出された。視界の上から、シャッターのように暗闇が降り、俺は意識を失った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ