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電車内11

 そう言って、アリカは黒のトートバックを掲げて見せた。


「二人ともちょっとこっちに来てよ。いろいろあるからさ」


 再び、片づけられた円形のスペースに、三人は膝を突き合わせて座る。中心にはアリカのバックが置かれた。

 あまり派手さはないシンプルな作りのバックだ。赤のドレスというアリカの恰好からすれば、似つかわしくないようにも見える。しかし、かなり高級そうだ。ブランドなど大してわからないが、素人目にも物の良さがわかった。

 アリカは無造作にバックを開き、一つ一つ、内容物を外に出していく。用途のあまりよくわからない、数々の化粧道具。黒く、四角いシンプルな手鏡。花柄のタオル。目薬に、数種の胃薬。彼女の強い香りの原因であろう、香水ボトル。そして、生理用品。アリカは恥ずかしげもなく、それらを俺とおっさんの前に広げていく。なるほど、女の子のバックの中はこんな感じなのかと、少しの興味と、あまりのあられもなさに少し気恥ずかしさを覚えながら、その様子を眺めた。


「うーん、このへんは使えそうにないねー。あ、これは、重要かも」


 言って、アリカはまだ封の空いていないミネラルウオーターのペットボトルを手にした。500mlの一般的なサイズである。確かに、見知らぬ土地で水の確保が容易に出来るとは思えない。唯一の生命線となることもあり得る。大切に飲まねばならない。


「さあ、そしてー・・・肝心の秘密兵器っ!」


 ジャーンと口頭で効果音を演出し、アリカは思わせぶりにそれを取り出した。

 黒い、箱。一昔前の携帯電話ぐらいのサイズだろうか。アリカの、華奢で滑らかな手に収まるには、武骨にすぎるそれは、よくドラマや映画などで目にしたことがあった。


「スタンガン・・・・・」


 実物を目にしたことはないが、二つ、先の方についてある特徴的な突端は電流を流すためのものだろう。


「ユースケ、正解。そう、スタンガン。しかも電圧は100万ボルト以上。超強力なやつだよ」


「・・こういうのって違法じゃないの?」


 得意げなアリカに、おっさんが不安そうに口を挟んだ。


「さあ、知らない。店の人に護身用にってもらったやつだから。ま、もとの世界じゃどうだったか知らないけど、ここじゃ違法も何も関係ないんじゃない?」


 確かに強力な武器だ。少なくとも、俺たち二人の持つ、鉄の棒二本よりは役に立ちそうだ。イヌゴリラにダメージを与えられるかどうかは未知数だが、怯ませるぐらいは出来るだろう。

 しかし、そんなことよりも俺の興味は彼女の発言に向いていた。アリカの言う、店、とはどのような店か。一見して、水商売に身を置いていることはわかる。だが、それが、どういったタイプのサービスを要求されるものであるのか。

 俺は、はっきり言って、自分の身体を商売の道具とするような女を軽蔑している。そういう方向でしか、自分の価値を見いだせないような女にろくな奴はいないのだと、常々、思っていた。俺の狭い見識から導き出される、偏見なのかもしれないとも、心の隅では考える。いや、実際そうなのだろう。しかし、あくまでも隅の方でたまに過る程度で、俺の認識が覆るまでには至らない。それは生理的な問題である。子供じみた、わがままのようなもので、嫌なものは嫌なのだ。

 アリカには不思議と、その嫌悪は感じられなかった。だからこそ、考えたくなかった。彼女に失望したくない、という一種矛盾した思いが、興味はあっても、彼女がどういう職業についているのか。詳しく聞くのを躊躇われた。


「ようし!武器もそろったところで。さっさと行きましょ」


 アリカは立ち上がり、そう叫んだ。そして突然、ひざ下まであるドレスのスカート部分を掴み、横に引裂いた。ぐるりと一周、手を回し、びりびりと破いていく。そしてアリカのドレスは、見る間にももの下半分まで露出した、超ミニな刺激的衣装へと変貌した。


「動きずらいんだよねーこれ。店の衣装で助かったよ。安物だから、簡単に破れるんだ」


 細い腰元から、程よく肉付きのある太もも。水が上から下へ流れ落ちるように、そこから一気に、すらっと先まで伸びる足。白く、濁りのないその肌は、大よそ自然のものとは思えない。人工的で、無機質な印象を受けた。


「スニーカー履いててよかったー。ヒールじゃ走れないもんね」


 そう言ってアリカは、ひもを結びなおそうと、腰をかがめる。

 一瞬で理解した。このままではまずい、非常にまずい。位置的にどんぴしゃりだ。あれが見えてしまう。ジッと、見とれていた俺は、反射的に首を素早く横に向けた。

 おっさんと目が合う。考えることは一緒だったようだ。なんだか、後ろめたくなって、お互い、にやっと気持ち悪く微笑んだ。


「何ー?どうしたの?男二人、見つめ合ってにやにやとしちゃって。いつの間にか仲直りしたの?」


 靴ひもを結びなおしたアリカは、嬉しそうに言った。


「いや・・・別に。なんでも・・・」


 俺は一つ大げさに咳払いをし、鉄棒を手に持って立ち上がった。おっさんも、アリカから顔をそむけながら同じく立ち上る。


「ふうん、ま、いいや。じゃあ、準備できた?どっちから出る?やっぱりイヌゴリラから隠れて出たほうがいいよね」


「うん、あれだけ凝視されてるから、気付かれないようには難しいかもしれないけど、なるべく刺激しないように行こう」


 おっさんが答える。とにかく、あの怪物の視界外に早く行きたいところだ。不安の種は一つでも解消しておきたい。


「よしっ!みんな!頑張ってイヌゴリラの森。脱出しよう!おー!」


 手を空に突き出し、ひとり大きく掛け声をあげるアリカ。相変わらずの安直なネーミングに、もはや突っ込む気力はない。

 おっさんは、自らを落ち着けるように、一つ、大きく息を吐いた。

 

 ここから外に出る。そうだ、脱出だ。考えると、心臓が高鳴った。鉄棒を握る手から冷たく粘っこい汗がにじむ。

 ごくり、と唾を飲み下す音が妙に、耳に響く。なんだ?どうしたっていうんだ?目がぼやける。景色が二重に歪む。おいおい、こんな時に立ちくらみか?

 もしかして緊張しているのか、俺は。いざ、ここから外に出る瞬間が近づき、急に恐怖が現実感を増していた。笑みを浮かべようとするが、鏡などなくとも、引きつっているのが自分でもわかった。あれだけ、偉そうに言っておいて、いざとなったらこれか?情けない。落ち着け。大したことじゃない。とにかく冷静になれ。冷静に。

 思えば思うほど、想像がマイナス方向へと引きずりこまれる。気持ちを切り替えろ。そういうのは得意だろ。切り替えるんだ。


「ユースケ」


 アリカが近づく。気取られた。俺がビビッていることを、知られたのか。恥ずかしさと、恐怖でどうにかなりそうだった。かろうじて保っていた、引きつった笑顔も、歪む。


 何を言われるのか、身構えていると、アリカは不意に、鉄棒を持って微かに震える俺の手を、自分の手で覆った。


「ユースケ、頑張ろうね」


 アリカは、何の衒いもない、素直な笑顔で言った。こんな単純な言葉で・・・・馬鹿のようだが、俺の中に燻る恐怖は一気に霧散した。


 こんなにちょろいやつだったのか、俺は。さっきから自分の惨めさを、嫌というほど見せつけられる。そんなに、今更、思い知らせようとしなくてもわかっている。俺はもともと、大したやつじゃないんだ。ただ、精一杯やるだけだ。


「ああ、俺に任しとけよ」


 そんな強がりを言って、棒を持つ手に力を込めた。アリカは、そっと手を離し、そのまま振りかぶって、俺の肩口あたりを勢いよく叩いた。


「じゃあ、行くよー!」


 肩口から、鈍い痛みがじんわりと広がっていった。




 

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