第35話 ヤンデレ妹の現在
鉄格子が並ぶ薄暗い回廊。灯りといえば天井から吊るされた幾つかの蝋燭のみで、足音が硬い壁に反射して不気味に響く。
重厚な扉の前で数人の衛兵が立ち塞がっていたが、近づく足音に敬礼し道を開けた。
「報告致します、アリス様」
扉を潜った先の部屋は意外なほど簡素だった。
装飾品の類はほとんどなく、あるのは大きな書斎机と壁一面を埋め尽くす書架だけ。
その中央で椅子に座る少女──アリス・ルノワールがこちらを見つめていた。
「ご苦労様でした、ミリウスさん。無事に潜入任務を遂行出来て何よりです」
アリスの声は鈴のように透き通りながらも、冷たく響く。
彼女の前には分厚い報告書が積まれており、それらは全てミリウスが"彼"についてまとめ上げた諜報活動の記録だった。
「ミナト・クロフォードの魔力量は計測不能。私はこの目で、彼が現国王であるアドルフ・クロフォードを打ち破る光景を確認致しました」
ミリウスは淡々と告げる。その姿は普段の冷徹さを増しており、感情というものが一切窺えない。
「なるほど……」
アリスの口元が微かに吊り上がる。
それは純粋な喜びではなく、獲物を見つけた捕食者の笑みだった。
「クロフォード王国との関係は修復不可能なレベルまで悪化。エアハートの反乱分子は全て鎮圧されました。エルドリックは死亡し、彼から魔術紋章の詳細データの回収には成功しました」
沈黙が流れる。書斎机の上の燭台が微かに揺れ、二人の影を壁に大きく映し出した。
「ふむ、良いでしょう。当面の目的は達成できました」
アリスは机の上に置いてあった小さな水晶玉に手を伸ばす。それは淡い紫色の光を放っていた。
「魔術紋章はまだ初期段階。完全に定着させるにはさらなる研究が必要です。……そうですね」
アリスの指先が水晶玉の表面を滑る。そこから立ち上る霧のような光が室内を満たし始めると同時に、彼女の瞳孔が僅かに赤く光り始めた。
「アリス様。彼は……危険です。おそらく、我々の予想を遥かに上回る程に」
ミリウスの声には僅かな震えが混じっていた。
この短い間、側近同然の立場で彼を観察してきた彼女だからこそ理解できた。
あの少年は──何かが決定的に違う。
「ふふ……そう怯えることはありません。確かに、今の私では彼には到底敵わないでしょう。でも……」
アリスは椅子から立ち上がると窓際に歩み寄る。
眼下には帝国の街並みが広がっていた。城下町の喧騒が微かに聞こえるものの、この高さからでは米粒ほどの大きさに過ぎない。
「全ては計算通り。あの交流戦から、魔力学院への入学、あの様な小物に交渉したことも、彼に私という存在を認識させるため。どれほどの力を持っていようと関係ありません。なぜなら……」
そこでアリスは振り返り、ミリウスを見据える。
その瞳には、狂気とも取れる異様な輝きがあった。
「──彼は、いずれ、私だけを見るようになるんですから♪」
ミリウスはその言葉に何も返せなかった。
この小さく、天使の様な笑顔の少女は──怪物だ。
彼女がミナト・クロフォードという存在に対して抱く執着は常軌を逸している。
その歪んだ愛情が、帝国全体の運命を左右するほどの規模になっているという現実。
「……アリス様は、何故それほどまでに彼にこだわるのですか?」
「ふふっ……秘密です。あなたにはまだ教えられません」
アリスは再び笑みを浮かべる。
まるで、全てを見透かしているかのように。
「では次の指令を与えましょう。彼の周りの人間関係を探ってください。特に──女性関係について」
「それは、始末しろと?」
「いえ、今はまだ泳がせておきます。下手に刺激すれば彼の警戒心を煽るだけですから」
「ですがアリス様、もし彼が他の女性と──」
「ミリウスさん」
「っ!?」
有無を言わせぬ声音に言葉を詰まらせる。
「──お願いしますね?」
アリスの笑顔は崩れていない。
しかし、その瞳の奥底に潜む禍々しい闇を感じ取ってしまったミリウスは背筋を凍らせた。
「……全てはアリス様の御心のままに」
これ以上の反論は許されない。
本能が、そう告げていた。
「ふふ……いい子です。参考までですが、おそらく次は"彼女"が接触するでしょう──あの、吸血鬼の末裔が」
「……!」
ミリウスの表情が僅かに揺らぐ。
"吸血鬼の末裔"。その単語には覚えがあった。
「何故、ミナト様に?」
「彼女達にはもう時間が残されていませんから。彼なら問題ないとは思いますが……可能であれば先回りし、細胞の一部でも採取できないか試みてください」
「承知しました」
ミリウスは無表情のまま頷く。彼女の命令は絶対だ。
例えそれが非情なものであろうと──彼女には従う他に選択肢はない。
「では失礼します、アリス様」
「えぇ、よろしくお願いします」
ミリウスが部屋を後にすると同時に重厚な扉が閉ざされる。
再び室内は静寂に包まれた。唯一動くものといえば、彼女の横で淡い光を放つ水晶玉くらいだろう。
「ふふ……兄さん、待っていてくださいね。もうすぐ全てが始まるんですよ……」
彼女の脳内で展開される『前世』の記憶。
自分を置いて先に逝ってしまった兄。
それが今、転生という奇跡により再会を果たしたのだ。
これを運命と言わずして何と言うのだろうか?
「今度は、自殺なんてさせませんから──」
アリス・ルノワールは笑う。
水晶玉に向けて手を掲げる。紫紺の魔力が渦を巻きながら収束していく。
その中心に映し出されていたのは──これから兄が出会うことになる"彼女"の姿だった。
「──あなたも、兄さんに手を出すお馬鹿さんですか?」
水晶の中で"彼女"が砕け散る。
紫の魔力と共に消滅するその姿を見つめながら、アリスは恍惚とした笑みを浮かべていた。
「だとしたら、私が潰してあげないとね」
あの時と同じように。
全てを壊してでも──今度こそ絶対に離さない。
「あはっ、はははっ、あはははははははっ!!」
アリスの狂気の哄笑だけが、城内の静寂に溶けていく。
理不尽を殺すため、理不尽となる道を選んだ少年。
そんな彼に再び、狂愛という理不尽が牙を剥こうとしていた。
その先にある未来は──果たしてどんな結末を迎えるのだろうか。
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三章は終わり、次からは四章がスタートです。
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