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第34話 あなたが好き……です



 時刻は深夜を回った頃。クロフォード王国の自室。

 ベッドに腰かけていた俺は、控えめなノックの音に顔を上げた。


「誰だ?」

「……フレイアです。入ってもいいかしら?」


 その声は昼間の会議より幾分か柔らかく感じられた。


「ああ。開いてる」


 扉が静かに開かれ、フレイアが姿を現す。 

 シンプルな寝間着に近い服装で、髪を緩く束ねている。彼女らしからぬ姿に少し戸惑う。


「ごめんなさい、こんな時間になっちゃって。色々と整理したいことがあったの」


 フレイアはドアを閉めると室内を見渡した。

 前に寮に来た時と違い、どこか落ち着かない様子だ。


「別にいいぞ。紅茶でも淹れるか?」

「いいえ、すぐにお暇します。ただ……少しだけ話したかっただけだから」


 そう言って彼女は俺の正面の椅子に腰を下ろす。

 彼女の仕草は妙にぎこちなく、視線も床に落としたままだ。


「それで?話って何だ?」

「うん……えっと……」


 フレイアは言い淀む。言葉を探すように唇を噛みしめている。


「まずは……お礼を言いたかったの。今日の会議でも言ったけれど……改めて」


 顔を上げた彼女の瞳は真っ直ぐに俺を見据えていた。


「あなたのおかげでエアハートは救われた。民も、あたしも。本当にありがとう」


 その声は震えていた。感情を抑えようとしているのが分かる。


「あたし……あなたのことを誤解していたわ。魔力の強さばかり目が行って……でも……」


 一瞬の躊躇いの後、彼女は続けた。


「お父──あの人が……いえ。エルドリックがあんなことになっても……あなたは最後まであたしを気にかけてくれた。それが……嬉しかったわ。心から」

「……別に。俺は俺のやりたいようにやっただけだ。感謝されるようなことじゃない」


 努めて平静を装って答えるが、内心は複雑だった。

 フレイアは静かに首を横に振る。


「それでも、感謝してる。きっとあなたじゃなきゃダメだった……と思うの」


 距離が縮まり、心臓が早鐘を打つ。

 彼女がここまで積極的な態度を見せるのは珍しい。


「ねえ、ミナトくん。あの時……どうしてあたしを助けに来てくれたの?正直言ってあたしって面倒な性格だし、ギルドのことだってあったのに……」


 その質問は思いがけないものだった。

 どうして彼女を助けたのか。改めて考えると自分でも明確な理由は分からない。


 同じ学校に通う先輩として、仲間といえばそれまでだが……。


「……まあ、フレイア先輩には後悔して欲しくなかった……かな」

「それって……」

「いや、やっぱり自分でもわからないな」

「……何よそれ。変なの」


 フレイアは一瞬驚いた顔をした後、小さく笑った。 

 その笑顔は初めて見る無邪気なもので、昼間の王女らしい仮面が剥がれたようだった。


「あなたって……不思議な人ね」

「そうか?」

「うん。一国の王子とは思えないくらい不器用」

「おい、それ褒めてないだろ」

「本当のことじゃない。カナデちゃんも言ってたわよ?『ミナトって敵なしってくらい強いくせに意地っ張りで言葉足らずで実はかなり面倒な人なんですー』って」

「……要するに強い以外に取り柄がないってことか」

「あら、案外可愛いところもあるじゃない?」


 完全に主導権を握られてしまった。

 カナデもそうだが、俺の周りの女性陣は何故こうも押しが強いのか……。


「……あのね、ミナトくん」


 ふと、真剣な顔に戻ったフレイアが口を開く。


「あたし……今までずっと自分のことばかり考えてた。最初にあなたに近づいたのも、あの人の優秀な道具になりたくて……それが国にとっても最善だと思ってたから」

「別に悪いことじゃないだろ。というか、俺の方が自分のことしか考えてないぞ」

「ううん。違ったのよ」


 フレイアは首を振る。その目には何かが吹っ切れたような光が宿っていた。


「本当はね、依存していただけなの。あたしを救ってくれたあの人を盲信して……道具でいいからなんて自分に言い聞かせて、大切な人と向き合うことから逃げてた」


 何も言えなかった。

 大切な人と向き合わずに来たのは俺も同じだから。


「でも、今はもう違うつもり。道具なんかじゃなくて、一人の人間として……大切な人に認めてもらえるように頑張りたいの。こんなの、当たり前過ぎる感情かもしれないけど……」


 彼女の瞳が揺れている。

 過去の自分と決別しようとする勇気。

 それが痛いほど伝わってきた。


「え、えっと……つまり……」


 フレイアの頬が赤く染まる。

 指先を弄びながら言い淀む様子は彼女らしくない。


「現状、今はあなたが……その……大切な人よ?カナデちゃんとは……付き合ったりしてるの?」

「は?」

「べっ、別に深い意味はないのよ!ただ……その……」


 露骨に狼狽えるフレイア。

 その反応から察するに……いやいやいや待て、何考えてるんだ俺?


「そ、それでどうなの!?」

「い、いや……カナデとは特にそういう関係じゃない。ただの幼馴染?まあ腐れ縁だ」

「本当に!?」


 フレイアの表情が一気に明るくなる。

 その無防備な笑顔は、年相応の少女そのものだった。


「そっか。そっかぁ……よかった……」


 フレイアは小声で呟く。心の底から安堵したような口調に戸惑ってしまう。


 というか、もう完全にキャラ変わってないかこれ……。


「とにかく。あたしはあなたのことをもっと知りたいの。カナデちゃんと同じ……ううん。それ以上に」

「いや、何でだよ。急展開すぎないか」

「……誰のせいよ」

「は?」

「あんな救われ方したら惚れちゃうに決まってるでしょ?バカなの?」


 いきなり投げかけられた爆弾発言に硬直する。

 フレイアの視線が鋭くなり、一瞬にして空気が変わった。


「ねえ、あたしをこんな気持ちにさせておいて、責任を取らないつもりなの?」

「何を……」

「……いい加減にして。分かってるくせに」


 妖艶な笑みを浮かべながら、フレイアが一歩近づく。

 香り立つ薔薇のような香水の匂いに、思考が混乱する。


 距離が……近い。


「──好き、です」

「…………」

「……フレイア・エアハートは、ミナト・クロフォードくんをお慕いしていています。一人の男性として」

「っ……」


 時が止まったような錯覚。

 真っ直ぐに俺を見据えるフレイアの瞳。冗談や誤魔化しの色は一切見えない

 今まで築いてきた関係が、根本から覆されるような衝撃。


「……今の、あたしの一方的な独白ね。返事はいらないわ。あたし自身、まだ混乱してるから」


 彼女の目には微かな不安が揺れている。  

 が、その瞳はしっかりと俺を捉えて離さない。


「だから……いつか。あたしが自分に自信を持てるようになった時、改めて告白させて?その時、あなたがどんな答えを出しても構わない。でも逃げずに受け止めて欲しい」


 その言葉には嘘偽りない覚悟が感じられた。

 フレイアの決意に触れ、俺は正直に返すしかなかった。


「……分かった。その時は逃げない」

「約束ね」


 彼女は指を立てて笑う。その姿に心臓が高鳴るのが自分でも分かった。


「さて、随分長居しちゃったわね。もう遅いし失礼するわ」


 フレイアが椅子から立ち上がる。

 彼女の気持ちは嬉しくないわけじゃない。父親の死を経て精神的に揺らいで尚、真剣に向き合おうとしてくれている。


 だからこそ、俺も自分の中にある覚悟を打ち明けることにした。


「──なあ、フレイア。さっき言ったよな。あんたには後悔して欲しくなかったって」

「ええ」

「俺さ、大切な人が居たんだ」

「え……?」


 フレイアの表情が曇る。俺自身が『前世』の記憶を持っているとはまだ言えない。言えば更に混乱させてしまう。


「……目の前で、殺された。俺は拘束されて、何も出来なかったんだ。彼女は必死で助けを求めてたのに」


 未だに鮮明に焼き付いてる光景。あのヤンデレ妹によって、最愛の人を奪われた記憶。

 それでもあいつと向き合うのが怖くて、勇気がなくて、一度は人生から逃げ出したどうしようもない腰抜けが俺だった。


「だから俺は決めたんだ。あんな理不尽は繰り返させない。いや、理不尽をさらなる理不尽で潰してやる。だから──」


 言い終わるより前に、暖かい感触が頬に触れた。フレイアの細い指が俺の頬を包み込んでいる。


 彼女の澄んだ瞳が、真っ直ぐに俺を見つめている。


「辛いことを思い出させちゃったわね……ごめんなさい」


 暖かな手のひら。

 ずっと内に秘めていた葛藤が少しだけ和らいだ気がした。


「いや、俺が勝手に話したことだしな。多分、誰かに聞いて欲しかったんだと思う」

「なら、誰よりもあたしが知りたいわ。あなたの背負っているものを……共有させて欲しいの」


 フレイアの表情には悲壮感は無い。むしろ強い決意のようなものが宿っていた。

 彼女なりに俺を受け入れようとしていることが伝わってくる。


「悪い、これ以上は話したくないんだ」

「……わかったわ。でも忘れないで。あなたに救われた人はたくさんいる。あたしだってその一人よ」


 フレイアが微笑む。その笑顔は慈愛に満ちていた。

 彼女は強い。過去の痛みや悲しみを抱えても尚、立ち上がれる強さを持っている。


「それじゃあ……本当に失礼するわね」

「……ああ」


 部屋のドアを開け、廊下に出る。

 フレイアの部屋は別の階にあるので階段まで見送ることにした。


「おやすみ、ミナトくん」

「ああ、おやすみ」


 最後に軽く手を振り合う。

 彼女の姿が曲がり角に消えるまで見届けた後、俺は自室に戻り、ベッドに仰向けになった。


「参ったな……」


 思わず呟く。こんなにもストレートに好意を示されるとは思わなかった。

 ましてやあのフレイアだ。父親の優秀な道具になりたいなどと歪んだ自己認識を持っていた彼女のあの真っ直ぐな告白──。


「……俺は」


 前世の忌まわしい記憶が蘇る。あのヤンデレ妹の狂気に満ちた眼差し。


 俺自身の手によって生み出してしまった──悪魔。


 あいつは、この世界に居る。

 そして今も、どこかで虎視眈々と機会を窺っている。

 

「結局、変わらないよな……」


 理不尽を理不尽で塗り潰す。


 今度は俺が、あいつを殺す。


 あの狂笑いを、悲鳴と断末魔に変えてやる。


 今世こそ、絶対に──。


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