091
オールコックに睨まれたグラバーは、即座に姿勢を正した。
「ふむ…」
彼は目を閉じた。怒りを鎮めているようだ。腕を組んだり、こめかみを揉んでみたり、打って変わって落ち着きが無いように見える。
「……では愚鈍な私でも理解出来るよう教えて頂けると助かるのだが」
それでも彼の声は穏やかだった。
「先程閣下も申し上げましてござりまする。かの国の者達、我々からしたら西に住む民族のことになりまするが、その貪欲な精神は、他民族の存在を無視し、まるで蛮族のように蔑み、力で持って制圧しようとしまする。清もまたそれらの被害者ということでございまする」
「西の民族…」
「白人ばかり多く住む国が、密集しておりまする。葡萄牙、西班牙、仏蘭西、独逸、阿蘭陀……。その者は、自分達だけが至高の存在。他の有色人種は劣等民族と位置付けておられるそうな。つまり彼らは白人至上主義なのでございまする」
「…うむ」
「しかし、問題はそこではございませぬ。我らとて似たような側面を持っているのも確かでございまする。それは清であったり朝鮮であったり、同じ東の仲間であるのにもかかわらず、共存しているとは言い難いものにございまする」
「では何が問題だと?」
「国と国との繋がりとは、"信用"出来るかどうかにございまする。隙あらば責め立てようと食指を伸ばす相手を、誰が信用すると?例えば亜米利加などは我らに不平等条約を押し付け、それが当然の権利だと主張する。そしてまた他の国々は、我も我もと押し掛ける。となれば国が少しずつ削り取られ力を失っていく。さすれば日本国民は幕府を不甲斐ないと嘆き、日本各地で反発が起きまする。それが今の日本の現状にございまする」
オールコックは嘆息した。
日本人という民族は、閉鎖的でありながらも子供ですら現実を知っている。考えてみれば、確かに彼らの国は至る所に学び舎(寺子屋)があり、算学、国学、蘭学など様々な分野をそこで習っている。英国ですら識字率二割ほどに対し、彼らは七割以上の人間が就学しているのだ。
「それは結果的に、幕府そのものの崩壊を意味しているのではないかね?」
「今後の風向き次第でございまする。ただ欧米諸国が我々を見誤り、かのインド帝国のように税収を差押え、中央政権を乗っ取るような結果にはならぬと思いまするが?」
怜の発言にオールコックは目を見開いた。
インドなどが植民地化されたのは敵対国との戦争により、そこを英国に突かれたようなものである。借款による資金の提供を提案し、兵器等の輸出をして戦争へと導き、その返済は租税を徴収する所謂「徴税権」を担保にしたことによって、少しずつ差押えられたのである。
「何を根拠に」
怜はフンと鼻を鳴らした。
「そちらの伝統の家宝ではありませぬか。借金返済を拒否すれば、戦う武器も資金も尽きまする。そうなれば敗北しかありませぬ。それを見越して…」
「もう良い。充分だ」
オールコックはあからさまに不機嫌さを露わにした。
「どちらにしろ、日本人は世の流れに逆わぬことが得策だ」
「逆らうことはありませぬ」
「それが懸命だろう。弱者が強者に抗うのは、愚か者のすることだ」
「いいえ。それも少々意味合いが違うまする」
「…ほう。それでは何だというのだね?」
怜は挑戦的な目でオールコックを見た。いや、挑戦的というよりは面白がっている風にも見える。
「時流に"乗る"のでございまする」
その言葉に呆気に取られたのは英国人二人。高杉はというと、プッと吹き出し声も出さずに笑い出した。
「元より、何を隠そう我々日本人は、異国など恐れてはおりませぬ」
「……」
「むしろ恐れているのは貴殿の方でございまする」
「なんだとっ!?何故私が貴様らのような劣等民族を恐れねばならぬのだ!」
彼は今まで、恐られはしても侮辱されたことはない。もしもこれが女王陛下であったなら喜んで受け入れるだろうが、相手は東の国の劣等民族。しかもまだほんの小さな子供である。まさにこれほどの屈辱はかつて無かった。
怜はクククと肩を揺らして笑った。
心底馬鹿にしたような笑いである。もはやグラバーは半分死にかけていた。
「そこに、ある"もの"」
怜はオールコックの腰辺りを指差した。
「それこそが恐れをなしている証拠にございまする」
皆の視線がオールコックに集中する。
「なんでも武力で解決すると思ったら大間違いでござるよ。だから西洋人は厄介者と言われるのでござるハッハー」
「ハッハーアル」
グラバーは心の中で悲鳴を上げ、思わず十字を切った。
(なんてことを!
もうだめだ……
いくらなんでも庇いきれない!)
グラバーの脳裏に、黄浦江に浮かぶ怜の変死体が浮かんだその時、オールコックはゆっくり立ち上がると、慣れた動作で短銃を取り出し、銃口を怜、そして小麗へと移した。
「賭けをしようか。レイ」
「するアル」
「貴様ではない」
怜は高杉に視線を移した。
彼もまた楽しそうに目を細めている。怜は溜め息を吐いて向き直った。
「それに何の意味があるのでございまするか?」
「物事に意味を見つけたがるのも、日本人の悪い癖だ」
銃を見ても何ら変わりない怜に、オールコックは確信を得ていた。あのハリスが怯え、屈服させた"年若い小姓"とは、やはりこの子どもであると。
ならば負けるわけにはいかなかった。
彼らは宗教的な観点からしても、"子に教えを説かなければならない"立場なのだ。それがひと時卑怯な手段であっても、敗北という名の屈辱を植え付けねばならないのだ。
何故なら、日本人は異教徒だからである。
我々とは相容れぬ異端者だからである。
「それとも、私と勝負するのが怖いのかね?ならば私は、神の御導きのままにこの罪深い清国の子供をーーー」
当然キリスト教にそのような"教え"はない。モーゼの十戒にもあるように、殺人を肯定する文面は皆無である。
「神は憂いでおられまする」
「何?」
「古来より人間という生き物は、意見の異なるものを迫害し、大量殺戮を繰り返しておりまする」
「知った風なことをっ……」
「十字軍、魔女狩り、アボリジニー虐殺、タスマニア…ああ、インディアンへの大量虐殺などは今でも続いているそうでございまする。女子供から老人に至るまで、正義の為と偽って虐殺し、結果的に神の意志に背いているのでございまする」
高杉が割り込んだ。
「アボリジニーってなんだ?」
「我が日本より南の位置に"濠太剌利"という国がありまする。そこには"アボリジニー"という先住民族がおりまするが……約百年ほど前、英国に乗っ取られ、次々と先住民族を虐殺したのでございまする」
「妄言はやめたまえ!」
「妄言ではございませぬ。英国は濠太剌利へ移民を送り込み、その半数以上は流刑囚でございまするが、その者達は"狩猟"と称しては多くのアボリジニーを殺害したのでございまする。その数、五十万~七十万人」(※諸説あり)
「ひでーな…」
「現在、アボリジニーは絶滅の危機に瀕しておりまする。非常に残念でなりませぬ」
オールコックは驚愕した。
この子供は遠い異国のことを何故ここまで知っているのか。勿論この多くの不幸な出来事が、当時の国家的背景があったにしろ、知るはずもない細部なまでの内容を「誰でも知っている」という風に発言している。
オールコックは感情を抑えるように茶器に手を伸ばすと、中身を一気に飲み干した。
「……私に罪悪感でも植え付けようとしているのかね?
しかし怜は首を振り、おもむろに立ち上がる。
「神の御導きのままに勝負をお受け致しまする」
立ち上がった怜の腕を高杉が掴んだ。
「怜、乗るな。ただの脅しだ」
「脅し?私は冗談は嫌いな男でね」
感情を露わにしていたオールコックだったが、ころりと口調が豹変し、淡々と撥ね付ける。底知れぬ不気味さに「これは本気だ」と高杉は思った。
「賭けなら俺が相手になる」
「これは私とレイの問題。貴殿は口出し無用だ」
「たかが子供に本気になるとは」
「何とでも言うがいい」
オールコックは怜へと顔を向けた。
「では問題を。正解ならばこの清国の子供に手は出さないと誓おう。しかしもし不正解ならこの子供を撃つーーーーーいいね?」
たかが賭け如きで何故人の命が奪われていいものか。
「馬鹿げている」と、世が世なら笑い飛ばしたいところだ。
しかし怜はこの時代のイギリス人の残虐性を読んだことがあった。アボリジニにしろ彼らは人の命を軽んじている。それは主に彼らがキリスト教徒ではないことが理由だ。そのような価値観しか持たぬ者に、怜も負けるわけにはいかなかった。
「オールコックさん!」
「君は下がりたまえ。こうも侮辱されて黙っていられるほど、私は甘くはない」
「しかし、…」
そこへ怜が割り込んだ。
「御意にございまする」
「レイ!」
「怜!」
高杉とグラバーが思わず声を上げた。
「さすがだね。では問題だ。私はこれから"あること"を予定している。それは勿論君にも関係することだ。それは…」
とその時、怜がそれを遮った。
「答えがわかりましたでございまする」
自信満々に挙手する怜に、オールコックは眉間の皺が一層深く刻まれた。高杉とグラバーは空いた口が塞がらず、怜を凝視している。オールコックは深く息を吐くと、呆れたように憐れみの目を向けた。
「まだ最後まで言っていないのだがね」
「もう充分にございまする」
しかし怜は動ずることもなく、より一層笑みを濃くする。さすがの高杉も、焦りと苛立ちを覚えた。
「馬鹿怜!最後まで聞いてから答えろ!」
「閣下。大丈夫でございまする」
「ほう。それはよほど自信があるのだね」
「勿論にございまする」
「レイ!!」
グラバーは悲鳴にも似た声を上げた。
「静かにしたまえ。この子供はもうわかったと言っている。ここへきて、自暴自棄になっているとも思うが、しかしどちらにしても仲間の命はどうでも良いらしい」
クククと喉を鳴らし、オールコックは再び怜を見つめた。
「聞こうではないか」
「ではお答え致しまする」
怜は一拍置いて小麗を見た。
真っ直ぐで純粋な瞳がぶつかり合う。
そこには誰にもわからない信頼とか情愛が確かにあった。
「貴殿は小麗をその銃で撃ち殺しまする」
怜はきっぱりと言い切った。




