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(こいつが総領事か…)
やはりその地位だけあって表情や動作に隙が無い。
気品もあるが気迫もあり、心してかからねば足元を掬われそうだ。
しかし何故オールコックが上海にいるのか、高杉と怜は顔を見合った。
大体駐日総領事ともあろう者が容易く職場(日本)を離れるなどよっぽどのことである。怜は小さな声で囁いた。
「ヘマでもやらかした可能性がありまする」
「うむ…俺もそう思う」
「……全て聞こえている」
オールコックの聴力は侮れないようだ。
グラバーは顔を引きつらせつつ視線を逸らした。
「日本語がお上手ですね」
高杉は心から感心したように言った。
オールコックが総領事として赴任したのは1859年、つまり三年前である。多忙な仕事の合間を縫って、三年でここまで修得するのはなかなかの至難の技に思えてならない。それほど流暢な日本語だった。
「まあ、三年もいれば嫌でも覚えるものですよ」
オールコックは朗らかに答えた。
「一先ず、乾杯でも」
それを合図に給仕の男がグラスに琥珀色の液体を注ぐ。(以下、「日本語」『英語』)
『こちらのお酒は桂花陳酒でございます』
「良い香りがするな」
「閣下、これは白ワインに金木犀を漬け込んだものでございまする」
「お前、上海に来たの初めてだったよな?」
「長崎で以前知り合いの清人にもらったことがありまして」
「ふうん」
桂花陳酒は楊貴妃も好んで飲んだと言われる伝統的な中国のお酒である。甘いカクテルジュースのようで、ついつい飲み過ぎてしまうが、度数はビールの三倍ほどあるので注意が必要だ。因みに怜は前世で飲んだことがあるが、紹興酒の方が好きだった。
「それでは我々の友好を祝して」
オールコックがグラスを揚げると、グラバー、高杉もそれに倣う。怜と小麗はお酒の代わりに置かれた蓋付の茶器を掲げた。(中身はただのお茶)
表面上穏やかに始まった会食は、高杉の一言で不穏な気配を見せた。
「しかし、解せんな」
従来、高杉は思ったことを口に出す性分である。珍しい中華料理に舌鼓を打ちながらも、頭の中は様々な疑問で埋め尽くされていた。
「何故貴殿は我々に会おうと?」
この度の上海視察代表者は、幕府勘定吟味役の根立助七郎である。オールコックほどの位置にいる人物が、一介の武士と子供に目通り願う意図がわからない。
「ああ、これは失礼したね。実は少々確認したいことがありましてね」
オールコックは真っ直ぐと高杉を見た。
「友人にタウンゼント・ハリスという男がいましてね」
「タウンゼント....」
「閣下。米総領事にございまする」
「ああ、メリケンの」
「先日、Mr.ハリスとの会談で…」
話はあの開市開港のことだった。
差し迫った開市開港に関して、米国は各国公使に通達し半強制的に延期を決定付けたが、英吉利や仏蘭西など各国公使は揃って反対を表明していた。しかし結果的には延期を承諾し、幕府側としては難を逃れた形となっていた。(前述)
「その際、幕府代表の中に年若い小姓がおられたらしい」
「年若い小姓…」
高杉は半眼で怜を睨んだ。
「!!」
怜はブンブンと頭を振り、「自分ではない」と意思表明した。(同じく小麗も頭を振った)
(いや、お前だろ…)
勿論高杉も日米会談の件は全て知っていた。表向きは小栗忠順の功績となっているが、怜が一枚も二枚も噛んでいるのは調査済みである。
「語学が堪能で、世界情勢にも詳しくヘンリー・ヒュースケンの賠償問題にも関わったそうですよ」
「ほう…」
「そこで我々は調べた。その小姓が何者なのか」
「何ゆえに?」
「あの場に同席した通詞によれば、此度の延期はその小姓に恐喝され、仕方なく応じたと。Mr.ハリスの家族を人質に取り、あげく賠償金も米国側が支払う結果になったとか」
怜の顔が無表情に変わった。
高杉はちらりとそれを見て、笑みを堪える。
「そ…れはそれは…不届きな小姓ですね」
「相手が私だったらそうはいかないがね。なにせMr.ハリスは少々甘いところがある」
「それで、見つかったんですか?」
オールコックは肩を竦めた。
「日本人は警戒心が強い。我々が動けば動くほど扉を固く閉じる。Mr.ハリスに問いただしもしたが、何故か怯えた様子で一向に口を割らない」
「ほう」
「名は"レイ"というらしい。通詞が覚えていたんだ。そして昨晩、グラバー君と歓談していてね、彼が"レイ"という子供に会うと言うから、それで同席させてもらったのですよ」
オールコックは怜と小麗を交互に見た。
「君がレイだね?」
「麗アル」
二人のうち知的そうな子供を選択したオールコックに罪はない。
「オールコックさん。その子ではありません」
グラバーが慌てて訂正する
オールコックは「えっ」と驚いて、ようやく"怜"と目があった。
「き、君がレイかね?」
「違いまする」
「エッ」
今度はグラバーが驚いた。
「ぶはっ…」
高杉は堪えきれず、吹き出す。
「何か?」
「いや失礼した。ただ、何ゆえにそこまで必死になっているのかと」
「それは…」
「たかが小姓ではありませんか。語学が堪能と言うが、我が日本にはそのような子供は沢山いる。世界情勢?そんなもの叩けばいくらでも出る」
「確かにそうだがね…」
オールコックはしばらく考え込むようにグラスを傾け、給仕が注ぐのを待って支配人に告げた。
『支配人』
『はい』
『申し訳ないが、席を外してくれるかね。給仕の者も全て』
『畏まりました。ご用があれば呼び鈴を』
人払いを命じたオールコックは、全員が退出するまで無言だった。勿論支配人らに日本語での会話は通じていないが、万が一のことを考えたのだろう。
そして五人だけになると、漸く口を開いた。
「日本は鎖国が長かった。それは平和であると共に"進歩がない"ということだよ。我々が様々な革新的技術を生み出す一方、そちらは極めて保守的、排他的であり、国家として成長することも出来ない。それがいかなる不運をもたらすか、君にはわかるかね?」
「我々は諸外国を侵略者として見ている。それは何故か。答えは簡単だ」
高杉は不敵な笑みでオールコックを見た。
「彼らは日本民族を"劣等民族"だと考えている。自分達をまるで人類の最高位と位置づけ、他民族を蔑む。そうしてそれが世の摂理。当たり前だと考えている」
「まさかそんなことはない。人は皆平等であり…」
高杉はフンと鼻を鳴らした。
「英国人は、嘘をつくのが上手いですね」
「……なんだと?」
オールコックは眉を寄せた。しかし高杉は全く動じず、グラスを持ったまま人差し指をオールコックに向けた。
「腹が立ったんですね?」
まるで親友に返すようにニヤリと口角を上げ、反対の手で怜の肩をポンポンと叩いた。
「この年若い小姓にしてやられて」
ポンと右肩を叩かれた怜は、左手で小麗の肩を叩く。右肩を叩かれた小麗は左手でオールコックの肩を叩いた。
「やめたまえ」
さすがオールコックと言うべきか。肩を叩かれてもさらりと受け流し、ジッと怜を観察した。
(まさか"コレ"が本当に通詞が言っていた小姓か?可笑しな眼鏡に髪はボサボサ、清潔感の欠片も無い。ーーーーーいや、見た目だけで判断するのは尚早だろう)
「私は真実が知りたい。本当にこの小姓なのかね?」
「もしそうだとしたら?」
「質問に質問で返すとは、貴殿もなかなか不躾な男だ」
「大砲を打たれてそれに応戦するのは世の道理だと思うが」
「大砲、というものがそちらに"有れば"の話だが」
食えない男だと高杉は思った。
長年培った経験や知識が、今のオールコックを形成したのだとしても、人間性そのものが他とは抜きん出ている。一つ一つの言葉もそうだが、表情にもどこか余裕があった。
「知っているかね?"弱肉強食"という言葉がある。これは何も動物の話だけではない。我々人間も、そして国も、弱い者は強い者に食われる運命なのだよ」
高杉はハハッと笑って言った。
「柔能く剛を制す、という言葉があってね、弱い者が強い者に勝つこともある」
「ククク……上手いことを言うものだ」
ひとしきり笑った後、テーブルに肘をつけて少し前のめりになった。
「君は実に面白い。私が今まで会った日本人とは少し色が違うね」
「閣下は地底人でございまする」ゴンッ
「英国人は分析が好きですね」
「そうでなければ外交官などやれまい。世の動きを見、流れを読み、そして判断する。外交とはそういうものだ」
時流を読む。
確かに大事なことだ。
上海に来て、清という国を見て、"太平天国の乱"を目の当たりにした高杉は、"清"という巨大な国は、ただ大きいというだけの、言わば『張りぼて』のようなものだと感じていた。
「君は上海に来たのは初めてか?」
「ええ」
「ほう。ではさぞ驚いたことだろうね」
「全く、とは言いませんが、大体は此奴に聞いていたので」
オールコックの穏やかな瞳が怜を捉え、しばらく見つめた後、思い付いたように笑みをこぼした。
「ではレイ。君に質問しよう。この上海の状況を見てどう思うかね」
「どう、って言われても困りまする」
「感じたままでいいのだよ」
怜にはその質問が何を意図しているのか判断がつかなかった。オールコックの目はその感情を全く表に出さないし、善悪すら掴めない。けれど聞かれた以上答えないわけにもいかず、怜は口を開いた。
「心のままに感想を申し上げまする」
「うむ」
「上海がいかに劣悪な環境におかれているか、大方予想はしておりましたが、想像以上にございまする。コレラや赤痢が蔓延し、人や動物の死体が当たり前のように捨てられておりまする。現在戦争中ということを考慮しても、それを気にする人々がいないという現状に、人間の愚かさを感じておりまする」
「日本人らしい感想だ。私も在日中は日本の様々な場所へ行ったよ。熱海、富士山、京……何処へ行っても美しく、衛生的だった。人々は礼儀正しく、金銭の貧しさはあっても心の貧しいものは少ない。そういった場所で育った者には、上海の現実は受け入れがたいのだろうね」
彼にとって満足の答えだったのだろうか。オールコックは感慨深げに首を縦に振った。
「その点我々は地理的に恵まれておりまする。そちらの国と同様海に囲まれ、侵略される心配もありませぬ」
「ふむふむ。確かにそうだ」
「しかし、時代は急速に発展しておりまする」
「ふむふむ」
「海に囲まれているからといって油断出来ぬ状況になっておりまする。その代表が、"黒船"でございまする」
「ほう…」
彼にとって日本人は『時代遅れの田舎者』という認識である。皇室や幕府、末端の役人ですら、言い方を変えれば『聞き分けのない子供』なのだ。しかしこうして冷静に物事を判断出来る者もいる。
「実に君達は興味深いね」
「我々だけがそのように感じているわけではない。おそらく日本人の殆どが危機を察しているだろうよ」
「…なるほど」
そう言われると、今まで自分と接した人間はその殆どが表面的なものであった気がする。そして自分自身がそれを日本人の"真理"だと疑いもしなかった。
つまり、この『二面性』こそが日本人の特徴と言えるかもしれない。
「では。そのように理解しておきながら、なぜ門戸を開かぬのだろうか。私にはそれが不思議でならない」
怜は目を丸くした。
「そんなこともわからないとは!びっくり仰天でござりまする!」
「仰天アル!」
びっくり仰天したのはグラバーである。怜のあまりの言い草に、手に持ったグラスが滑り落ちた。
オールコックの有能さは母国でも有名であり、逆らう者など先ずいない。口調は穏やかで丁寧な物言いだが、その実苛烈で極端な性格なのだ。いくら相手が子供だとしても、彼にそのようなことは一切通用しないのである。
(こんなことになるなら、前もって怜に警告すべきだった。確かに怜も普通の子供ではないが、さすがに今回ばかりは相手が悪い…)
グラバーはオールコックの視線から外れるよう背中を逸らした。オールコックは前のめりの姿勢なので、ちょうど視界から外れる。
その動きに気付いた怜が、グラバーを見た。
「グラバーイナバウアー」
「イナバウアーアル」




