092
「貴殿は小麗をその銃で撃ち殺しまする」
その言葉に高杉とグラバーが立ち上がった。
まさかそんな"答え"を告げるとは夢にも思わなかったのだ。グラバーは兎も角高杉に至っては、恐らく怜のことだから上手く切り返してくれるだろうと、頭の片隅に僅かな希望があったのだ。
ところがその怜が、小麗を見放すとも取れる発言をした。それが何より信じ難いことだった。
「…それが、"答え"……か」
「それ以外にありませぬ」
オールコックは喜びを噛み締めながら、それを表に出すまいと竜驤虎視の如く怜を見下ろした。
(.馬鹿め。最後まで話を聞かないからこうなる。だから日本人は愚かなのだ)
気持ちに余裕が生まれたオールコックは、コホンと咳をすると銃を持っていない手をゆっくりと上げた。
「では私も答えよう」
まるで厳粛な議会に出席するかのように、もしくは主たる女王陛下に発言を請うかのように、真摯に、そして重々しく口を開いた。
「貴様の答えは…………"不正か…」
(……待て)
オールコックは言葉を切った。
(なんだこの違和感…)
オールコックは目を閉じて先程のやり取りを思い返した。
ーーーー正解ならばこの清国の子供に手は出さないと誓おう。しかしもし不正解ならこの子供を撃つーーーー
ハッと目を開いた先に剛毅な瞳の子供を見た。何の恐れもなく、大胆不敵な笑みすら浮かべて。
「貴様…」
否応無く身体が震えた。
怒りと共に、懼れにも似た感情が湧き上がる。
「……そうか!」
高杉も"何か"に気付く。
「え、どういうことだ?」
グラバーは怜と高杉を交互に見た。
「これが"不正解"の場合、この男は"小麗を撃つ"と言った」
「そ、その通りだが…」
「ならばもし仮に撃ち殺した場合ーーーどうなる?」
「それはそのままーーー小麗が撃たれ..て.」
グラバーはハッと息を飲んだ。
要するに、不正解の場合「小麗を撃つ」と言ったが、それでは怜の答えである「貴殿は小麗をその銃で撃ち殺す」という答えが正しいことになってしまうのだ。
「そうだ。だから怜が……正解だ」
「そういうことだったのか!」
二人は感服せずにはいられなかった。
これではどう転んでも怜の勝利に違いないからである。仮にオールコックがくだらない問題を出したとしても、難解な問題を出したとしても負けることはないのだ。
そして逆に正解だった場合、彼は「正解なら手は出さない」と発言した。ゆえにどちらにしてもオールコックは小麗を殺すことは出来ないということである。
つまり、怜の答えはたった一つ。
『貴殿は小麗をその銃で撃ち殺す』
この答えこそが、小麗を助ける唯一の方法だったのだ。
「お前ってヤツは…」
オールコックの"脅し"を逆手に取り、わざと"不正解"を告げて"正解"へと導く。高杉は怜の底知れぬ"力"に身震いした。グラバーもまた同様だった。
「何故だ…」
オールコックは動揺を隠せなかった。
「くそ!貴様は何だ!そもそも私はそんな答えを待っていたわけではない!」
「待つも何も、私は"答え"を申したまでにございまする。それ以上もそれ以下もありませぬ」
怜はわざとらしく一礼した。
(小麗もぺこりと頭を下げる)
ワナワナと震えるオールコックに、高杉は相手が悪かったと同情せずにいられなかった。
現実を突きつけられた彼の銃がその手から滑り落ちた。オールコックはテーブルに拳を打ち付けて呟く。まだ納得のいかない表情であるが、"賭け"は"賭け"。"負け"は"負け"なのだ。
「何なのだ…これは一体…」
それでもなお、その矛盾点に頭を巡らせた時、滾るような視線とぶつかった。
眼鏡の奥の何事にも揺るがぬ落ち着き払った炎。そして口元には小さな微笑が灯る。
この子供は、勝利を確信して賭けに乗ったのだ。全てを計算して受けて立ったのだ。そう思った時、この勝負は最初から決まっていたのだと気付いた。
(ーーーーーーー完敗だ)
グラバーは銃を拾い上げて、高杉へと放り投げた。ここでヤケになって発砲でもされたらたまったものではない。
「オールコックさん、船の時間が迫っています。領事館に…」
「帰れアル」ゴンッ
グラバーが気遣わしげに伺うと、オールコックはゆっくり顔を上げる。ほんの半刻ほどの時間だったのにもかかわらず、一気に老け込んでしまったように見えた。疲れた顔を隠しもせず、ただ目の前の小さな子供を見つめた。
「一つだけ確認する。やはりお前が"レイ"なのだな?」
「私は名も無いただの小姓にございまする」
オールコックはフッと短く息を吐くと、扉へと歩き出した。その後ろ姿は、最初と何ら変わらぬ威厳があった。
「また、"会える"ことを楽しみにしている。ーーーレイ」
その後、オールコックは英国に帰り、長期の休暇を取った。その期間中、"大君の都"という自著を出版する。
その一節にーーーーー
"彼らは偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生のように神を信じることなく死ぬ。ーー(中略)ーー詩人と、思想家と、政治家と、才能に恵まれた芸術家からなる民族である我々と比べて、日本人は劣等民族である"
という言葉を残しているが、それは全て怜のことである。
◇◇◇◇◇◇◇
「遣欧使節団か……なるほどな」
「彼らとは別行動らしいけどね」
遣欧使節団とは、開市開港延期交渉の為に結成された幕府が初めて欧州に派遣した使節である。同時にオールコックが帰国した理由は、彼らと共に直接英国政府に開港開市延期を訴える為であった。
「一時はどうなることかと思ったけど、まあ良かったよ。あの人は怒らせたら怖い人ダカラね」
「グラバー君が連れてくるからや」
「それについては申し訳ない」
グラバーは素直に謝った。
「あ、それからコレ」
内ポケットから取り出したのは薬包。
怜の目がキラリと光った。
「約束の西瓜の種だよ」
「うぉおぉおお!!」
「うぉおぉーアル!!」
黒光った種は、何となく日本の西瓜の種より大きい。怜は満足げに頷いてそれを巾着の中に入れた。
「あー早く帰りたいなー」
「帰りたいアルー」
怜はハッと小麗を見た。
「?」
不思議そうに首を傾げる小麗。
そうだった。帰るということはお別れするということだ。すっかり忘れていた怜は、有頂天から一気に落胆した。
小麗は何か感じたのだろうか。
うな垂れた怜を心配そうに見て、
「……れい、小麗好きアル?」
と、不安そうにおずおずと尋ねた。
「だいだいだーい好きや」
「小麗も、だいだいだーい好きアル」
「私の方がこーんなに大好きや!」
「小麗もこーんなに大好きアル!」
「いいや!私の方が大きい!」
「いいや!小麗の方が大きいアル!」
両手いっぱい広げて嬉々と笑い合う二人はどこから見ても兄弟のようで、その微笑ましい様子に、グラバーはフッと笑みを浮かべて部屋を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
上海に来てひと月が過ぎた頃、漸く一冊の本が完成した。
『日本語覚え書き』と題された小麗用の勉強本である。50音は勿論、物の名前や簡単な日常会話などが絵と共にわかりやすく記されており、覚えたら『レ点』を付け足せるようチェックボックスも書き加えていた。
「なかなかの出来栄えや」
「おぬし出来るアル」
すっかり明るさを取り戻した小麗は、宏記洋行に宿泊する日本人らとも少しずつ打ち解けているが、妙な日本語を使い始めたのは残念と言わざるをえない。
「今日は五代君と一緒にカフェいこね?」
「かふぇいくアル」
先日から清人や外国人から情報収集するために怜は動き出していた。まだ幼い小麗を路地裏で寝かせるようなことはしたくなかった為、様々な人に聞いて回って、住み込みで働ける場所を探しているのである。
そして昨晩、五代から耳寄りの情報があったのだ。
尤もそう思っているのは怜だけで、五代は難色を示している。ならば最初からそんな情報など持ってこなければよかったのに、と誰もが思うだろう。しかし五代にとれば苦肉の策だったに違いない。
何故なら、12回目の交渉(直談判とも言う)が決裂した昨夜、怜は荒れに荒れていた。全く無関係の役人らの酒に辣醤を混入し、彼らの息の根を止めようとしていたのだ。しかし運悪く(?)久しぶりに顔を出した五代に寸前で止められた。(辣醤・中国の辛い香辛料)
そうして五代は怜を落ち着かさせる為に「向こうの条件が厳しい」という前提ではあったが、耳寄りの情報を持ってきたというのが事の真相である。
「怜、気持ちはわかるけどね」
「断られる前から諦めたりせーへん」
怜は小麗、五代を伴ってを新北門をくぐり抜けた。
怜達が宿泊する宏記洋行はフランス租界地の端、黄浦江沿いである。そこから北西に向かった場所に、上海の中心部へと出入り出来る門があった。この辺りは清人が多数暮らす村も集中しているが、戦火はまだ及んでいない。(小麗もその辺り出身)
上海を北から西方向に、囲むように位置されたフランス租界地では、黄浦江から離れるほど、太平天国の乱から逃れた避難民か、もしくは元々そこに住む人々が暮らしている。
こういった村落は何もフランス租界地だけでなく、イギリス、アメリカなどの租界地にも数多く存在しているのだ。(もちろん上海内にも多数ある)
そもそも上海は楕円状の壁に囲まれ、県城を中心とした町である。外国租界地とははっきりと区切られており、東西南北に二つずつある門からしか出入り出来ないのだ。
もっとも戦争中の現在では、至るところで太平天国軍と清軍(または外国軍)が小競り合いを続けているため、全ての門が安全というわけではない。ただフランス租界地に隣接する北門もしくは新北門が一番安全だった。
「本当に行くのかい?」
五代は後ろから声をかける。
今日は高杉は居なかった。中牟田と本屋へ行くらしい。代わりに付いてきたのは五代で、抜け目のない彼は早々にグラバーから紹介してもらった英商人との間で契約を交わし、蒸気船購入の目処を付けていた。
「どんな人か見てみなわからんし」
「まあそうだけど」
怜達は上海内県城近くにある"湖心亭"という茶楼に向かっていた。そこは古くからある江南建築の建物で、元々は有力商人の集会所だったらしいが、ほんの5~6年前に茶楼として今の姿に留めた。隣りには広大な庭園があり、また湖心亭を挟んだ向かいには商城が建ち並んでいる。(商城=ショッピングモール)
「変わった橋やね」
「九曲橋と言うらしいよ」
怜達は湖心亭へ続く石橋へと足を踏み入れた。その石橋は九曲橋といい、その名の通り進んでは曲がり、また進んでは曲がる。つまり上から見れば階段のような形状である。また茶楼は湖心というだけあって、池のど真ん中にそびえ建っていた。
「ええ人やったらいいんやけど」
五代と取引をした英商人は楼主人と懇意にしており、交渉はいつも湖心亭を利用していた。その周囲は外の喧騒などまるで忘れてしまうほど美しく静かな場所で、交渉そのものは数日間に及んだものの、互いに納得のいくものだった。行く末を見守っていた楼主人も殊の外喜んだという。
その際、楼主人と五代も意気投合し、仕事を忘れて話し込んだのだが、その時舞い込んだ話が、楼主人が人手が足りないと困っているということだった。
単に人手が足りないというが、避難民から見つけるならば容易い。仕事を探している民衆は沢山いるし、引く手数多だろう。しかし、いくら足りないからといって、誰でも良いというわけではないらしい。
「字が読める者で、身元のしっかりした者、出来れば英語が話せる者が良い」
それが楼主人の出した条件だった。
「だけどね、怜。小麗は英語なんて話せないだろう?しかも身元も……」
五代は困ったように眉を下げた。
それは五代の言う通りだ。怜も理解している。しかし、住み込み寮完備、休みは六日に一度。質素ではあるが朝と夜の食事も付いている。こんな好条件は他にない。
(どんなことしてでも…やったる!)
怜は振り返った。
「小麗は天才なんや。私が言うから間違いない」
「天才アル」
「でも、ねえ」
「諦めたらそこで試合終了やろ!」
「安西先生言うとったアル!」
五代は海よりも深い溜息を吐いた。




