064
「馬鹿な!?」
「で、ではまさか本当にあの鳥が娘を…」
「早急に追いましょう!」
「馬を用意しろ!」
一斉に動き出す役人達。
朱美はそろりと喜助を抱き上げ、地面に降ろす。そこへ善治郎らも合流した。
「どないしたんや朱美!」
「あらあら、えらい人のやないの……」
「何かあったんか?」
朱美は今まで状況を説明しつつ、まだ震えが止まらない息子をギュッと抱き締めた。
「喜助、大丈夫か?」
「怜ちゃ…怜様が”鍛えたる”言うて猪に乗せてくれたんや」
「怜が?」
大人達は皆揃って顔を見合わせた。
「ちょっと怖かったけど、……うん。思ったより乗り心地も良かった」
その言葉に皆感心したように頷いた。
「そう!頑張ったんやねぇ!」
「さすが俺の息子や!」
「喜助も成長したなぁ」
喜助は皆に褒められて、やや照れながらも嬉しそうである。
「あ、それはそうと、怜様が!」
指を差した空へと善治郎らは視線をやる。
ふわりふわりと夜空へ消えていく夜鷹と、見たことのある色合いの着物を着てぶら下がる子供の姿に一瞬息を飲んだ後、善治郎は絶叫に近い言葉を発した。
「れれれ怜ーーーーーーッ!?」
「さすがウチの娘や」
「アホウ!感心しとる場合か!落ちたら死ぬやろ!」
「落ちたくらいで死ぬかいな。あの子は不死身や」
「あ、そうやな」
全く信憑性もない発言だが、ハツがそう言えば何となくそんな気がするから不思議だ。
「そやけど何処に行くつもりやろねぇ」
「和尚さんのとこちゃうか?喜助、何か聞いてないか?」
長男に問われ「あ!」と喜助は思い出したように手を叩くと懐から文を取り出した。
「これ渡しといてって怜ちゃ……怜様が」
「「怜が?」」
ハツはそれを分捕り、急いで結びを解いて目を走らせる。それは確かに怜の字で書かれてあった。
『お父ちゃん・お母ちゃんへ
私は誘拐されました。犯人は坂本龍馬という男です。
大久保先生に言っといて下さい。後藤怜』
ハツは半目になった。
「どこの世に誘拐された本人が文なんか書くんや。全くあの子は.....」
読み終えた後、ハツは盛大な溜め息をつく。逆に善治郎はすっかり酔いも覚めて、真っ青になりながらアタフタとハツの腕を掴んだ。
「ハツ!追いかけるぞ!」
しかしハツは一歩も動かなかった。
ただ夜空を仰ぎ、既に消え去った我が娘の残像を見つめたまま呟いたのである。
「ほんまに人の気も知らんと…」
「ハツ!今やったら間に合う!追いかけるぞ!」
「……無駄や」
「無駄ってお前…!まだ怜は六つやぞ!?」
「アンタもあの子の性格知っとるやろ?無駄なもんは無駄や」
「ハツ……」
と、そこへ一翁ら一行がやって来た。
「これは……何の騒ぎだ」
「大久保様!」
「一大事にございます!」
二人の役人が駆け寄り、事の経緯を説明すると、騎乗した一翁は「なに?」と低い声で呟いた後、鋭い目付きで善治郎らを見た。ハツはすぐさま駆け寄ると、悲しげに顔を歪めて訴える。
「あ、あの子はっ.坂本とかいうお方に誘拐...誘拐されたんですうぅぅ...うぅっ...」
一翁は眉間に一層皺寄せ、思案するように顎に手をやった。
「お前達、大猪は何処にいる」
「は…?…あ、はい。猪ならそこに」
役人は振り返って指を差そうとするが、そこに佐藤君の姿はなかった。
「あ、あれ?」
「つい先ほどまでそこにいたのですが…」
実は佐藤君。喜助を降ろした後坂本や鈴木君と合流する為、さっさと伏見に向かったのだ。
「猪なら荷物袋抱えてどっか行きよったで」
町人の一人が後方を指差して言うが、その巨体は既に暗闇に溶け、もうその方向に見つけ出すことは出来ない。一翁はカッと目を見開いた。
「全総力を挙げ、猪を捕らえよ」
「え!?…しかし、娘は鳥に攫われ…」
「偽物に決まっておろう」
「偽物!?」
一翁は手綱を握り締めた。
「鳥を囮に使ったのだ。我々の目を欺く為に」
「な、なんと!では娘は一体……」
「猪と一緒だ。……おそらくその荷物袋の中に」
「で、では先ほどの……!?」
そこへ池田の乗った馬が走り込んできた。
「大久保様!」
「読み通りか……?」
「はい!既に大坂に向けて出発したと!」
「ならば行き先はおそらく……伏見」
一翁は独り言のように呟いた後、いつもとは打って変わって大声を張り上げた。
「追った奴らに伝令を出せ!伏見の街道山道全て封鎖するのだ!」
「は!」
「おぬしは奉行所へ行き皆を叩き起こせ。全勢力を挙げて"坂本龍馬"を捕縛する」
「御意!」
「お前達は儂についてこい。猪を捕らえるのだ」
瞬く間に展開される”坂本龍馬包囲網”
言わずもがな怜が策した案だと一翁は見抜いている。そして坂本龍馬も犠牲者であり、家族を守るための捨て駒だということも考えればわかることだった。
「....逃してなるものか」
権威ある役職を歴任してきただけに、子供に出し抜かれるなどプライドが許さなかった。
呆然と佇む民衆をよそに馬の腹を蹴る。勢い良く飛び出した馬は瞬く間に見えなくなって、”通り'に残ったのは、土煙りだけであった。
◇◇◇◇◇◇◇
伏見
「怜さん…、来るでしょうか…」
むしゃりむしゃりと団子を頬張り、道行く女を呑気に鑑賞する坂本とは違い、山田はそわそわと落ち着かない。
「心配せんでもアイツは来る」
二人は待ち合わせ場所である伏見・長建寺辺りの船着き場近くに来ていた。目の前を流れる川は東壕川という宇治川派流である。ひしめくように立ち並ぶ一角はほとんどが旅籠屋や茶屋であった。二人は見晴らしの良い茶屋を選び、そこで一休みしながら怜を待っている。
「……ん?何の音じゃ」
ところがそれも束の間だった。
何処からか、ワッと歓声のような騒めきのような喧騒がしたかと思ったら、次は一様に土を踏む足音が聞こえる。
「えらい人数の役人が来たぞ!」
「なんや事件でもあったんか?」
「人攫いの男を探しとるらしい!」
「どんな男や?」
「”坂本…龍馬”っちゅう男らしいで」
坂本の手から団子がこぼれ落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇
「おっそいなぁ……」
怜は桂川を眼前に捉えていた。
桂川は京を流れる淀川水系の一級河川である。木津屋橋通の実家から考えれば、鴨川が一番近いが、淀川に至るにはかなり遠回りになりそうだった為、桂川を選んだのである。
とはいえ、実のところ坂本とのスムーズな合流を一に考えれば、宇治川が一番の近道であった。宇治川から壕川→東壕川へと進み、そのまま進んで宇治川へ戻り淀川へと至るという方法が妥当なのである。しかしそれではあまりに単純過ぎて一翁に見破られると考え、先の先を見越して桂川を選択したのだ。
「あ、きたきた。ーーこっちやこっち!」
ゆらゆらと闇に浮かぶいくつかの光が怜の前を素通りしていく。しばらくすると「エイサエイサ」と聞き慣れた掛け声が此方へ近付いてきた。舟上の男達はぴょんぴょんと飛び跳ねる怜に気付いたのか、小舟は方向を変えて接岸する。その舟は今にも沈みそうなほどオンボロだった。
「なんやこのちっさい舟は」
「無茶言うな。流石に神風号は出せんわ」
淀屋と数人の水夫である。
本来なら坂本からの連絡を受け、長建寺前の船着き場(十石船)で待ち合わせ予定だったが、急遽怜の指令により変更し、ここまでやって来たのだ。
「坊主。ここまでどうやって来たんや?」
淀屋はキョロキョロと周囲に目を配りながら、佐藤君がいないことに気付いた。
「普通に駕籠に乗ってきたんよ」
怜はニヤリと悪魔の笑みを見せた。
「あのおっさん、今頃地団駄踏んでるやろな」
一翁は荷物袋に目を付けたが、実は佐藤君も囮だった。荷物袋の中は藁の束が入っているだけなのである。いくら佐藤君が力持ちだとはいえ、水中ならまだしも六つの子供を咥えて走るなど至難の技だ。
あの時、皆が鈴木君に気を取られている隙に、前もって呼びつけておいた駕籠に乗って来たのだ。つまり至ってシンプルな方法でここまで来ただけだった。
「役人相手に悪どいことしとったら、その内痛い目ぇ見るど……」
「百万倍にして返したるわ」
怜は桂川を進行し、木津川・宇治川との合流地点へ向かう旨を水夫らに指示する。合流地点から先は淀川である。淀川にさえ入ればもう海まで目と鼻の先だ。
「しゅっぱーつ!」
「ちょちょちょ!待て待て!坂本はんらはどうするんや!」
「大丈夫や。佐藤君と鈴木君が連れて来てくれるから」
「……そうか」
「ほんなら行くで!!出発進行!!」
「オォオオォ!」
速度を上げるオンボロ号。
怜は急げ急げと水夫を焚き付ける。
「役人なんかに負けてられへんで!今こそ男の意地を見せる時や!」
「オォオオォオォオオォ!!」
怜は船首の縁に足をかけると揚々と叫んだのであった。
一方佐藤君は早々と一翁を筆頭とした役人らにとっ捕まっていた。ただ単なる時間稼ぎゆえに適当な場所で自分から止まったのだ。実際佐藤君の走りは時速80Kmを記録するほどかなり速い。比較すれば馬の平均速度は時速60~70Kmと言われており、サラブレッドでもない限り追い付くのは不可能である。
むろんこれは”佐藤君に限って”であり、普通の猪なら50Kmも出せないだろう。ともあれ最速を誇るウサイ◯ボルトの時速38Kmを見れば普通の猪も馬鹿には出来ないが。
「ブヒブホブヒヒ」(小栗怜どす)
礼儀正しく、ぺこりと自己紹介をする佐藤君。
「ブヒヒ」(つまらぬ物ですが)
口に咥えていた荷物袋を静々と差し出した。役人は恐る恐る近付いてその結び目を解くと、藁の束を引き抜く。
「……馬鹿な」
「これも囮だっとは……!」
それを見た一翁の唇が僅かばかり震えた。
「おのれ…」
一翁は頭の中を巡らせた。一番重要なのは伏見のどの辺りに向かっているかということだ。
「船番所へ伝令を出せ!全ての川を封鎖するのだ!」
「川、ですか!?」
「行くぞ!」
「こ、この猪、いかが致しましょう!?」
「構うな!」
一翁は生まれて初めて本気になった。
まさか六つの子供にここまで翻弄されるなど思っても見なかったが、その顔は焦りより寧ろ手ごたえのある者との真剣勝負を楽しんでいる風でもあった。
◇◇◇◇◇◇◇
「キョキョォォオ」
その頃鈴木君は東壕川上空、三十石船船着き場(寺田屋近く)から長建寺方向(十石船船着き場)へと飛行中であった。予定時間より少々手間取ったのは途中のんびりとミミズを食していたに他ならない。
さっきの役人らはとうに振り切っていたが、下を見れば別の役人らが相当数動き回って坂本の行方を追っているのが見える。鈴木君は坂本の匂いを探りつつ低空飛行を開始し、葦の茂った川縁に身を隠す二人の姿を捉えた。(因みに藁で作った人形は西本願寺に奉納済みである)
「キョキョォ」
「おお!鈴木君やないか!」
「怜さんはどこに?」
「キョキョキョ」(こっちや。ついてこい)
二人は通りに出ると、東壕川沿いの人気のない小道を歩き出した。行き先はかの寺田屋近くに位置する”蓬莱橋”である。蓬莱橋から繋がる通りは近未来「龍馬通り商店街」と命名されるわけだが、本人は知る由もない。
「しかしいつの間に俺は罪人になったんじゃ?」
「キョキョキョ」
「怜の仕業か……やっぱりのう」
鈴木君はパタパタと坂本目線に降りると、不気味なほど可愛らしく鳴いた。
「キョンキョン」
「おう!ええよ」
「な、なんて言ったんですか?」
「鈴木君は疲れたらしい。頭に乗ってもええか聞いてきたんじゃ」
いつの間にか夜鷹語を習得した坂本。頭の枯葉を払い取ると、どしりと重みが加わった。
「キョォォ」
「山田。そっちは役人がおる言うちょる。こっちじゃ」
「はい!」
そこら中に役人が彷徨いているが、それを回避するなど鈴木君にとっては朝飯前だ。ただ通常ならほんの少しで着くはずの目的地が、遠回りしたゆえに倍近くかかってしまった。
蓬莱橋に辿り着いた二人は、鈴木君の指示通り鬱蒼と生い茂る土手を滑り降りた。間一髪で役人の列が頭上を通り過ぎる。
二人は息を潜めてそれをやり過ごすと、しばらくして鈴木君がふわりと翼を広げ「キョー…」と小さく鳴いた。
「ブォオォオォ!」
ザバァァアァアーーンと突如川から現れたのは、海坊主……ではなく佐藤君である。その反動で大きく波が立ち、坂本らのいる場所にまで水飛沫が散った。
「ギョキョォォオ!」(静かにせんかい!)
「ブヒ…」
「まあまあ鈴木君。落ち着き」
「キョキョキョ!」
「佐藤君もたまにはカッコよく登場したかっただけやき、な?」
「ブヒン」
しかし今の水音の所為で、行灯を持つ役人らが「何事か」と一斉に駆け寄ってくるのが見えた。あっと言う間に蓬莱橋の欄干は役人だらけとなり、坂本らのいる土手の上は勿論のこと、対面する川縁にも続々と人が集まってくる。
「そこにいるのは誰か!顔を見せい!」
「誰ぞ火を掲げよ!」
まさに万事休すの状況であった。




