第三十九章 宗太の失策
栄家が、炎上と離反という二重の嵐にさらされているとき、その舵取りを任されていたのは、当主である宗太だった。
でも、宗太には、その、あまりにも大きな嵐を乗り切るだけの力はなかった。
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もともと、宗太は、当主の重荷に押しつぶされそうになっていた。酒に逃げ、心を病みかけていた。そんな宗太に、この、未曾有の危機の対応をまかせるのは、あまりにも酷なことだった。
でも、ほかに、舵を取れる者はいなかった。父は、もう、かつての力を失っている。だから、いやおうなく、宗太が矢面に立たされることになったのだ。
私は、その様子を、はらはらしながら見ていた。宗太は、もともと、人前に出て堂々と話すのが得意な人ではなかった。裏方として、こつこつ働くほうが、性に合っていた。それなのに、この、栄家始まって以来の危機の矢面に、たった一人で立たされる。しかも、相手は、栄家を寄ってたかって叩こうとしている、顔のない群衆だった。そんな場面をうまくさばける人など、ベテランでも、そういない。宗太に、それを求めるのは、はじめから無理な話だったのだ。
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そして、宗太は、決定的な失策を犯した。
炎上を少しでも収めようと、宗太は、記者たちの前で、栄家としての見解を述べた。でも、追い詰められて動転していた宗太の、その言葉は、あまりにもまずいものだった。
宗太は、こう言ってしまったのだ。今回の件は、一部の心ない告発によって、事実がゆがめられている面もある、と。
本当は、宗太も、頭を下げて謝るつもりだったのだと思う。でも、記者たちの厳しい質問に、次々とさらされるうちに、宗太は、すっかり平常心を失ってしまった。追い詰められた宗太は、つい、栄家を守ろうとして、あの言い訳のような言葉を口にしてしまった。それは、宗太の、精いっぱいの抵抗だったのかもしれない。でも、その精いっぱいが、いちばんやってはいけないまちがいだったのだ。
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それは、火に油を注ぐ一言だった。
告発した人々をまるで嘘つきであるかのように言う。被害を訴えた人の痛みを軽んじる。宗太に、そんなつもりはなかったのかもしれない。でも、追い詰められた人々には、そういう逃げ口上にしか聞こえなかった。
案の定、宗太の、その発言は、新たな炎上を呼んだ。反省の色がない。被害者を悪者にしようとしている。やはり、栄家は腐っている、と。いったん下火になりかけていた炎が、宗太の一言で、また勢いよく燃え上がった。
人々は、宗太の言葉尻をとらえて、いっせいに責め立てた。その様子は、まるで、獲物を見つけたけもののようだった。栄家が少しでも隙を見せれば、そこを、いっきに突いてくる。宗太の一つの失言は、切り取られ、何度も何度も拡散され、栄家のあらたな罪の証拠として語り継がれていった。もう、何を言っても、手遅れだった。栄家は、完全に袋の鼠になっていた。
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その失策を知った父は、烈火のごとく怒った。
私は、あんなに怒り狂った父を見たことがなかった。父は、宗太を社長室に呼びつけると、ありったけの罵声を浴びせた。
この、たわけが。おまえは、どこまで栄家をおとしめれば気がすむんだ。あんな言い方をすれば、火に油を注ぐだけだと、なぜ分からん。おまえには、経営者としての判断力が、まるでない。
伊織が生きていれば、こんなへまは、けっしてしなかった。あいつなら、この嵐も、うまく乗り切っていたはずだ。それにくらべて、おまえはなんだ。ただ、当主の椅子に座っているだけの木偶の坊じゃないか、と。
父の罵倒は、いつまでも終わらなかった。栄家の名を汚した。先祖に顔向けができない。おまえのような息子を持ったことが、恥ずかしい。父の口からは、次々と、宗太を否定する言葉があふれ出てきた。それは、もう、失策への叱責というより、宗太という人間そのものへの、全否定に近かった。長年、父が、心の底で宗太にいだいていた、失望といらだち。そのすべてが、この日、堰を切ったように噴き出しているようだった。
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父の、その言葉は、宗太のいちばん痛いところをえぐった。
兄の伊織とくらべられること。それは、宗太が、生涯いちばん恐れ、いちばん傷ついてきたことだった。おまえは、兄のおまけだ。そう言われつづけてきた宗太の、その古い傷を父は、いちばん苦しいときに、容赦なく抉ったのだ。
宗太は、うつむいたまま、ただ、じっと、父の罵声に耐えていた。反論もしなかった。言い訳もしなかった。ただ、青ざめた顔で、こぶしを握りしめて震えていた。その姿は、見ていられないほど痛々しかった。
私には、宗太の心の中が、痛いほど分かった。宗太は、きっと、こう思っていたはずだ。自分でも、失敗したことは分かっている。誰よりも悔やんでいるのは、自分なんだ。それなのに、なぜ、いちばんそばにいる父にまで、こんなふうに責められなければならないのか、と。宗太がいちばん欲しかったのは、叱責ではなく、ただ、一言のねぎらいだったのかもしれない。よくやった、もういい。そう言ってくれる誰かの優しさを、宗太は求めていたのかもしれない。
でも、栄家には、もう、そんな優しさをかけあう余裕さえ残っていなかった。追い詰められた家族は、たがいをいたわるどころか、たがいを傷つけあうようになっていた。苦しいときこそ、身を寄せあうべき家族が、その苦しさゆえに、ばらばらになっていく。それは、滅びゆく一族の、いちばん哀しい姿だった。
私は、思わず、割って入ろうとした。お父さん、宗太くんも精いっぱいやったんです、と。でも、父のあまりの剣幕に、私の言葉は、かき消されてしまった。
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私は、思った。これは、宗太一人の失敗ではないのだ、と。
そもそも、器でない者に、当主という重荷を負わせた。その無理が、こうして、いちばんまずいかたちで噴き出しただけだった。宗太は、なりたくて当主になったわけではない。ただ、伊織がいなくなり、ほかにいないから押しつけられただけだ。その、器に合わない座に、無理やりすわらせておいて、いざ失敗すれば罵倒する。それは、あまりにも、宗太が気の毒だった。
考えてみれば、栄家は、ずっと、器という、たった一つのものさしで人をはかってきた。まん中に立てる器か。当主にふさわしい器か。そのものさしからこぼれた者は、容赦なく切り捨てられ、見下されてきた。宗太は、その栄家のものさしの、いちばんの犠牲者だった。器が足りないと言われつづけ、それでも、器を超えた重荷を負わされる。そんな宗太に、逃げ道は、どこにもなかったのだ。
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でも、いちばん悲しかったのは、こういうことだった。
父は、宗太を罵倒しながら、本当は、自分自身にも腹を立てていたのだろう、ということだ。
栄家をここまで追い詰めたのは、もとをたどれば、父の生き方のつけだった。宗太の失策は、その大きな流れのなかの、ほんの小さな一つの出来事にすぎない。でも、父は、その、やり場のない怒りをいちばん弱い宗太に、ぶつけるしかなかったのだ。
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罵倒が終わると、宗太は、力なく、社長室を出ていった。
その背中は、以前よりも、さらに小さく、丸まって見えた。この日を境に、宗太は、ますます心を閉ざし、酒におぼれていくことになる。
器でない者が、舵を握る。その悲劇が、今、いちばん残酷なかたちであらわになっていた。そして、その悲劇は、まだ始まったばかりだったのだ。
沈みゆく船の上で、栄家の家族は、たがいを傷つけあいながら、ゆっくりと底へと沈んでいった。




