馬鹿げた友人
彼女に言われた通り、毎日お見舞に行った。延命のために強い副作用のある薬を飲む時間になると、都合良く僕はその場にいなかった。そう見計らった。彼女が辛そうなときはできる限り遠ざかった。彼女はよく、元気な演技をしていた。無理させるわけにはいかない。
でも、
「もう少し早く来て」
「もっとここにいて」
「好き……」
たまに出る真の言葉はそれすらも望んでいなかった。彼女は無理をしてでも僕といたいようで。それは嬉しくもあり、辛かった。
相変わらず彼女との時間は楽しく、同様に地獄は増した。楽しい時間に紛れ込む狂気。意識にのしかかる負担。でもこれらを感じるのは僕だけでいい、彼女は楽しさだけを感じていればいい。
独善的に生きる。彼女が全てを知れば苦しみを共有しようとするかもしれない。だがそんなものは死にゆく者には必要ない。僕はそうやって判断して、勝手に嘘を踊った。それが僕の『善』。立派な人間であれ。
僕は独り、歯を食いしばって耐えた。いや、独りではない。あの医者が僕を肯定してくれている。独りじゃない。まだ、耐えられる。
あるとき彼女がどうしようもないほどに辛そうだった。その時、僕は《静かなお手て繋ぎ恋人ごっこ》がしたいと言って彼女を動けなくさせた。彼女は「ごっこかよ!」と怒った。僕は笑った。それで、幸せだった。
そうやって続く刻は、目に見える。視界に入るのは死の気配。彼女が弱っていくのがわかってしまう。生の限界を。それがはっきりと感じ取られる。裏は取った。医者は言っていた。
「あの薬はもの凄く副作用がキツイんだ。本当に、死んだ方がマシってぐらいに。それでも吉野早枝さんは寿命の延命を望んだ。いったい、誰のせいだろうね?」
重……かった。
その言葉は重い呪いであり、僕が望んだ言葉だった。医者は僕のことがわかるから、更に重荷を加えた。僕はそれを受け入れた。
「吉野早枝さんの病気は自分の死期がおおよそわかってしまう病気だ。彼女が今どれほど苦しんでいるだろうか。死が近いという思考はリアルなものとなって彼女を苦しめる。現実迫観念症を患う者にとって死を感じるということは、死ぬほど辛い状態にあるのと同意だ。これほど苦しまないといけない人間というのも中々珍しい、残酷な病気」
死が近づく。終わりは近い。砂時計の砂はもうすぐ落ちきる。
だから、その知らせを聞いても驚かなかった。
電話が、鳴る。
『相川君、吉野早枝さんが危篤だ』
それは例の、吉野早枝の専属医からの電話。
今は学校が終わり、見舞いの品を考えている途中だった。
『すぐ行きます』
そう言い、電話を切る。
僕はなにも買わずに、彼女の元に急いだ。
そして、出会ってしまった。
「また、あなたなのね。早枝を苦しめるのは、あなたなのね」
吉野早枝の母。
「私が、頼んだの。やめて、お母さん」
彼女はもう、起き上がることができない。もう、限界が近い。
――死んでしまう。
「早枝は黙ってなさい!」
彼女は黙った。彼女は彼女の母に命を救われている。己の母を愛している。だから、強く言えない。それがわかった。
「早枝さんに、会わせてください」
「調子に、乗らないで」
恐ろしい形相で吉野早枝の母は睨んでくる。僕は真っ正面から受け止める。
だが、そうやっていても吉野早枝の母は動かなかった。それどころか怒りは蓄積し、手が動きそうになっている。
暴力沙汰は、ダメだ。それで悲しむのは彼女で、そんなことはできない。
僕は引き下がるしかなかった。あの手この手を使っても、医者に頼んでもダメだった。
危篤の患者は、その親が優先される。当然のことだった。
僕は絶望しかけた。それでも。
トボトボと歩いて病院を出る。策を考え、何とかしようとする。彼女に迷惑をかけずに、会う方法。
その時、チラっと同じ学校の制服が見えた。
僕はそれを追う。
「……相川」
「……服部」
それは僕が、善性を認めた生徒だった。
「なんでここに?」
「……それは、いやそれならお前だって! …………ごめん。当然だよな」
服部が眼を逸らす。教師は『誰も』お見舞に来ないでほしいということを生徒に告げた。なのに僕はここにいて、服部もここにいる。だが、僕と彼女は恋人関係であり、服部と彼女はただの友達関係だ。その重い違いを理解したのだろう。
「別に。気持ちはわかるから、大丈夫だ」
「そうか、ありがとう」
その時、あることが思い浮かんだ。それは悪魔のような思考。服部を踏みにじる行為で、一直線に彼女のためを思う、そんな作戦。恐らく、まだ服部は彼女のことが……。
「服部、彼女はもうすぐ死ぬ」
「なっ」
だがそれでも、やらなきゃならない。死にゆく人は優先しなくてはならない。……昔の僕だったらこんな考えをせせら笑うだろうな。
「彼女は僕を愛して、僕も彼女を愛した」
「……」
「僕は彼女に会わなきゃならない。最期の時、側にいなきゃいけない。でもその母親がそれを邪魔する。だから……助けてくれ」
僕はかすれた声でそう言った。
「おま、え」
服部は、怒りも、悲しみも。何も示せないようだった。
僕はただ、彼を待つ。そうすれば服部は徐々に落ち着きを見せ、深呼吸をした。
「あのさ。一つ、いいか?」
「どうぞ」
「失礼なことだとはわかってる。でも、俺はお前が羨ましい」
「……」
お前なら、そう思うと、思ってた。文句を言われたら終わりだった。でも服部が選んだのは心の独白。ただ、思いを告げることだった。
「吉野さんと過ごしたお前が羨ましい。お前は今、凄く辛いだろう。きっと、俺には推し測れないほどだ。でも、それを含めてでも、俺は、お前が……」
「わかってるよ」
「え?」
僕が背負っている重荷は誰にもわからないし、わかるわけがない。理解しているなど言われるのなら、僕は怒る。だが、以前考えたことがあるのだ。服部は僕が彼女の隣にいることを羨ましがっているだろう。僕の辛さは服部にはわからない。だが、もし服部が僕の辛さを全て理解できたと仮定しよう。それでも彼は、僕の立ち位置を望むはずだ。彼は、そういう人間で、真っ直ぐすぎるバカだから。
「君と彼女は、結構似てるところがあるんだよ、服部。だから、わかってる」
「……ごめんな、相川。俺は、こんなことをお前に言いたいだけだった……」
拳を握りしめるのが見えた。そして、彼がなにかを乗り越えたのを、僕は感じた。
服部は、彼女を除けば唯一全面的に信用できる人間だ。
「お前を助ける、相川。俺は何をすればいい」
僕が人を信じる。ほんとに、馬鹿げてる。
「ありがとう、服部」
やるべきことを告げた。
単純な作戦だ。そしてこれだと服部は彼女に会えない。会えるのは僕だけで、服部が得になることはない。でも、彼女のためだから。
服部は納得した。「一生の借りだからな」そう、笑って言われた。それに僕は感謝した。
服部は僕の唯一の友人、そういえるかもしれない。




