誘い
次に目を開ければ、回りの風景は真っ暗だった。今は秋だから六時ぐらいからは外は真っ暗になるだろう。
そうして時間を確認してみれば九時。
……あれ?
その時、アナウンスが流れた。
《次は~~。~~。~~。》
聞き覚えのない地名。僕は焦って隣の彼女を揺らす。
「スヤァ……」
「起きてるなら起きてよ」
「ふにゃ? ん、あ、ふぁーい」
「寝ぼけてないで、ここどこ!」
「ん? あー、わかんね」
彼女は次の停留所を見て薄ら笑いした。
不味い。冗談抜きで現在地がわかってないパターンだ。
「とりあえず降りよう」
「おう、イエース」
なんでこんなに余裕なのだろうか。
実は今は抱えている問題は大したことないんじゃいかと思いたくなるが、それは現実逃避だ。だって彼女はいつもこんな感じなわけだし。
大抵、焦って起こした行動はいい方向にいかない。いや、いいときもあるのだ。だが失敗すれば奈落のように、何処までも悪い方向に落ちていけるということを、僕は気づいていなかった。
バスを降りた。慌てていたため、バスの運転手がなんらかの解決手段の糸口を握っているかもしれない可能性を忘れ、そんな風に。
ここは山の中だった。辺りは暗く、お化けが出るなら絶好のチャンスだろう。
森がざわざわと薄暗く揺れる。僕は恐怖を感じなかったが、彼女は違ったようだった。
「あ、相川君、や、やばくない?」
恐る恐る僕にしがみつく彼女は、普段の『君』と言う呼び方が僕の名字に変わっていた。腕にかかる力は強めで、本気で怖がっているのがわかる。……お化けというのがいるなら、彼女は、死んだら……。
………………。
「ほんとにどうしようね?」
「帰れるの? 私たち?」
「どうだろうね」
周りを見渡すが解決策は見えない。便りの綱のバス停も、今のが最終バスだったようで、電話も繋がらず、望みは断たれた。
一先ず彼女と話し合い、バスが行ってしまった方の逆の方向へと歩くことになった。
僕らの町からどれほどの距離があるのかわからない。彼女が途中で体調を崩したら……どうすれば。
そんな風に僕は彼女の死の可能性までも考えているのだが、肝心の彼女自身は余裕を見せていた。
「なんか怖かったけどだんだん慣れてきたかも」
「それは良かったよ。引っ付かれたら歩けないし」
「またまた照れちゃって~。あっ、そういえば君の寝顔見てたんだけどいい顔するね~。君の笑顔の次に気に入っちゃったわ」
「……」
もう殺した方がいいかもしれない。
「くしゅんっ」
そんなことを思っていると突然、隣で彼女がくしゃみをした。
寒いのだろう。今日は暖かかったが今は夜。薄着の彼女は冷えるに違いない。
少し葛藤するも、僕は自分の上着を脱ぎ、華奢な彼女に掛けた。
「あ、大丈夫だよ。別にそんな」
「僕は痛みを耐えれるって言ったでしょ? だから寒さだって耐えれる。気にしなくていい」
寒さに震える声を抑え、震えそうになる体に力を込める。
本当は寒さは苦手だ。熱さなら意思次第でなんとかなるが、寒さはそうはいかない。殻を閉じても突き刺すようにして冷気は入ってくる。じわじわと体を侵食するような暑さと違って。
「優しいね」
「別に……死なれたら困るから」
そう言い放った一言は照れ隠しであり、
――本音でもあった。
「えへへ」
彼女が微笑む。
決断の価値はあったな、と密かな満足感。彼女が僕の上着に袖を通し、匂いを嗅ぎ、オエッ、と言った。
…………こいつ。
そうやって僕らは歩き続けていたが、寒い。
とにかく寒い。時間がたつにつれて、寒さが厳しくなってくる。だが寒さを耐えきれると言った手前、見栄を張った。
大したことない。寒さなんて平気だ。
そんな外面を取り繕うも、体は正直なようで震えが走る。生物として押し寄せる、体の反応には逆らえず、僕の手は小さく震え続ける。
「寒そうだけど、大丈夫?」
「暗い夜道が怖くて怖くて仕方がないんだ」
心配気な彼女に僕は冗談で返す。その声すらも寒さで震え、僕がいかに寒さに弱いかを示してしまっていた。
「これ、返すよ……」
「いや、いい。持っておいて」
それでも彼女は僕の上着を脱ごうとし、僕はそれを止める。
「これは僕の意思の問題だ。僕をバカにしてるんじゃないなら着ておいて」
「でも……」
俯く彼女は驚くほどに声が小さい。でも、僕は自分の意思を貫き通した。その時、突然彼女が立ち止まる。怪訝に思い、振り返ろうとしてみれば、背中に重みが加わる。
「ありがと、ね」
彼女の吐息が首にかかる。首の後ろだけが暖かく、背筋がぞくぞくしてくる。
「ちょっ」
「大好き」
彼女が目を瞑って僕を優しく抱き締める。僕は、振り払えない。
「歩けないよ」
「ん、わかってる。もうちょっとこうさせて」
胸が熱い。外はこんなにも冷気で満ち溢れているのに、体の内と、彼女と接している部分だけは熱を持つ。
僕が恋愛感情と名付けたそれは、恥ずかしく、かわりに思考をフル回転させることによって誤魔化そうとした。
「そろそろ」
「うん!もう大丈夫!」
彼女が離れ、名残惜しく思ってしまう自分がなんとなく悔しい。
「手、繋ごっか!」
「……そうだね」
そんな感情は、まるで見透かされたようで、次の瞬間には彼女の声がかかっていた。
僕が返答する頃には既にガッシリと手は繋がれ、外せなくなっている。そこから僕は暖かさを感じた。
また、そうやって歩き続けた。もう一時間ほども経っている。
いかに彼女の熱があったとしても、冷気は衰えることなく僕を刺し、貫き続ける。
自分で自分を騙した。自己暗示を掛けて彼女の熱を思い出した。歯の根は合わず、こちらを見てくる彼女に首を振る。
弱音は決して吐かなかった。僕という人間のちっぽけなプライド。これだけの要因なら決して耐えきることはできなかっただろう。
だが、僕にはこの先にある誓いがあったから。彼女を愛しく思うようになったから、
昔とは違い、彼女の死を恐れてしまう。それに対して無反応の演技をしなければならない僕は。
――こんなところで挫けるわけにはいかない。
ボツボツと明かりが見えてきた。町の明かりだ。さらに、それは見覚えのある町で、僕らが生まれ育った町そのものに間違いなかった。
そうして人のあるところへと辿り着き、安心感を覚える。
「ねえ、聞いて! この道私見たことある、帰れるよー!」
彼女が興奮し、飛び跳ねる。別に公共機関を辿っていけばもう家まで辿り着くのでそこまで喜ばなくてもいいと思う。
「褒めて褒めて!」
寒さに耐えきったこっちを褒めてほしいのだが……。
いや、愚痴は言うまい。僕は他人であろうと喜んでいる人を見て悪感情を持つ人間ではない。だからまあ、よかったということにしておこう。
そうしていつもの分かれ道に着いた。
「じゃあ、そろそろ上着返して」
「えー、やだー」
「は?」
「やだ怖ーい」
僕の威圧に彼女がケラケラと笑う。
結局、ひらひらと逃げ回ったあとに投げて寄越された。人から借りたものは大事にしなさいと教わらなかったのだろうか。
「ねえねえ、私の家行かない?」
「こんな夜遅くには行かない」
もう十時半だ。
「いーの!私が許すから」
そう言って僕の腕を引っ張る。
「無理無理」
「じゃー、仕方ないねー。コインで決めようか。表、裏?」
これで負けようと、こんな夜遅くに彼女の家に行くつもりはない。だが勝てば彼女は静かになるだろう。そう思い、僕は自分の気分を答える。
「表」
チィーンと高い金属音。
彼女の手の甲に収まるようにしてコインは吸い込まれ、静かにその手がどかされた。
裏、だった。
「はい、私の勝ちぃー!」
嬉しげに彼女は僕の腕を掴み、言う。
「もう逃げられないよ! 私と一緒に遊ぶのだ!」
ハイテンションな彼女。対して僕は疲れていた。今日はいろいろあった。もうなにも考えたくない。めんどくさくて適当に答える。
「わかったわかった行くから離して」
「言質は取ったよ!」
彼女が目を輝かせる。
僕は適当に返事をして、手を振って帰ろうとした。
「ちょっとぉ! 来るんじゃないの⁉」
「ん、へ?」
思わずマヌケな声が出る。
自分が過去に言った言葉が頭のなかに反芻するが、……あれ?
「ミスった。さっき言ったのなし」
「もう遅いでーす!」
彼女は満面の笑みだ。そして更に強引に腕を引く。
もう、なんだかめんどくさくなってしまった。それに、約束を破りたくない。
そんな思いが浮かぶも、否定する。これはただの言い訳、建前。面子を保つための理由。僕は、できる限り彼女と長くいたい。もう、時間が余りない彼女と。
そうして、心の中で言い訳をしながら。また、自分の心を正しく見つめながら、僕は彼女に引きずられていった。




