2 思いの果てはどこへ
家についたあと、インターネットで彼女の病気について調べてみた。
現実迫観念症。彼女の言った通り、この病気はとても珍しく、かかってしまえば死んでしまうことは確実。脳疾患の一種で、生まれつきで発症するもののようだ。しかし、赤ん坊の頃はまったくその兆候はつかめず、論理的な思考を行える年にならないとこの病気が発覚しない。この病気の特徴は、思想が現実に影響を及ぼすことだ。自分を責めすぎると、虫に刺されたような腫れが肌に浮かび上がったり、さらに言えばこの病気の患者は『自分の心臓を止めたい』と願えばそれが叶ってしまう。僕らのような普通の人間が全力で自分の心臓を止めようとしても不可能だろう。そんな機能は体に搭載されていない。
つまりはこういうことだった。『患者は自分の体に悪い影響を与えることができ、心臓すら止めることができる』。よってこの病気にかかった者の自殺率は非常に高い。
この脳疾患にかかった者は感情を表に出さなくするよう訓練されるようだ。辛くて自分の死を願ってしまわないように。そのために自分の感情をコントロールできるように。……そのわりには、彼女は感情的な人間だったけれど。
そして興味深いことに、この脳疾患にかかった患者は自分の死ぬ時期がおおよそわかるらしい。寿命の蠟燭が溶けていくのを見ている気分だと、実際にこの脳疾患にかかった患者がインタビューしていた。その患者は二か月後死んだと書いてあった。
◇
再び学校。
今日も何事もなく、誰とも関わらずに過ごす。そのつもりだった。
しかし、昨日の人間、吉野早枝が朝に僕の席まで歩いてきた。
「相川君おはよう!」
「……おはよう」
彼女はクラスの人気者だ。
そんな彼女が『暗い奴』である僕に近づいてきたのだ。自然とクラス中から注目が注がれる。特に一部の男子からの視線は強く感じた。彼女と話してる最中、もう一人のクラスの人気者、服部という男が「どういう関係?」と聞いてくる。「なにも」と答える。服部はいぶかしそうな反応を見せて集団の輪に戻っていった。
……だから嫌なのだ。人と関わること。特にこういう人気者と暗い奴の接触なんて珍しすぎる。服部なんかがわざわざ話しかけてきたのがいい例だ。
彼女はなんだ? 僕への嫌がらせのつもりか?
明らかに昨日の最後の一言が余計だった。ほんの少しの仕返しのつもりだった。だがそういうものが回りまわってこんなことになっている。
所詮、自分はガキなのだ。詰めが甘い。大人にならなければな、と思う。
「相川君、昨日の秘密、守ってくれた?」
「なんのこと?」
また、わざわざ話しかけてくる吉野早枝。非難の目を向ける。わかってかしらずか、彼女は話を続ける。
「えー、昨日言ったじゃん! このわからずや!」
わからずや? いや……特に意味のない言葉だ。気にすることはない。どちらにせよ、彼女が死にかけている人間だなんて、僕は触れ回ったりしないから放っておいてわしい。
「そんなものはないよ」
「あるよ!」
「ないよ」
しつこい。
「えー、衝撃的なニュースなのにー」
拗ねたようにそう言うと僕に注目を集めたまま自分の席へと戻っていった。
正直その後ろ姿を睨めつけたい思いだったがなんとかそれを抑えた。
あとは何事もなく過ぎた。
というわけでもなく。
「ねぇねぇ、君」
もうすぐ家に着くというところで声を掛けられる。まるでデジャブだ。再び僕は昨日と同じように、角を曲がろうとしたとき、背後から吉野早枝に話し掛けられた。
「なに」
「ねぇねぇ、今、君忙しい?」
「いや」
唐突にそう言われつい答えてしまう。
言った瞬間、僕は後悔した。
僕はこんなことをいままで聞かれたことがない。だからつい、なにも考えずに正直に答えてしまった。彼女の唇はイタズラっぽくつり上がり、快活に笑った。
「そう、じゃあちょっと付き合ってよ」
「急に用事を思い出したんだ」
手首を捕まれ、連行されそうになるが立ち止まる。
「はいはい、面白いこと言ってないで行くよ」
「……」
そう言って連れていこうとする。
一応拒絶の意思を見せているのに連行しようなどまるで誘拐だ。
まあ、男子高校生が同じ学年の女子高生に誘拐されるなどジョークにしかならないが。
僕は一刻も早く家に帰りたかった。彼女と過ごすのは時間の無駄。めんどくさいししつこし、疲れてしまう。
――けれど。
彼女は『死』に向き合っている者だ。ようするに非日常。変わろうとは思う、意志。
僕は引かれた腕を振り払わなかった。
……僕は個人的に『死』には興味があった。だから、都合がいいのだ。ならば、流れに身を任せてもいいかもしれない。
「ちゃんとついていくよ。離して」
「言質はとったよ!」
してやったり、という表情を見せる彼女。
ルンルンとご機嫌な彼女を、呆れた表情を作って見つめながら、僕は彼女の後をついていった。
僕たちはファーストフード店にいた。互いに向かい合うように机を挟んで座っている。
僕はポテトに手を伸ばし、彼女は小動物のようにハンバーガーをかじって食べている。
「まったく~、奢ってあげるって言ったのに~」
「それは僕が君に借りを作ることになるからね。それにそこまで落ちぶれているわけじゃない」
「別に気にしなくていいよ~」
「僕が気にするんだ」
「ふーん、そっかー。ところでさ」
「なに?」
「人が死んだら、どうなると思う?」
唐突に振られたのは思想的な話題。現実迫観念症を患う彼女にとって、このような話は体に悪そうだと思ったが、無視するわけにもいかないので答えてあげた。
「人の意志は脳の作り出す電気信号だ。死ねば人の意思は消えて、なくなると思うよ」
「君は夢がないね」
「そういう話をしてたの?」
「私は世界征服がしたい」
「あ、そう」
「冗談だよ」と彼女は笑う。存在自体が冗談みたいなやつだ。
「死んでも人の意志は消えないんだよ。漂ってどこかに届くんだよ」
「いまさら夢見がちな女の子路線にしようと思ったの?」
「聞き捨てならないことをいってくれるね。まあとにかく、純粋な願いは、祈りは誰かに届くんだよ。人の意志というエネルギーがなにかを変えることがあるかもしれない」
「宗教めいてるね」
「違うよ。神様なんてこの世に存在しない。私は自分の中のなにかを信じてるんだよ」
それでも死ねば終わりなのは事実だ。
目を閉じれば何も見えない。耳をふさげば何も聞こえない。死んでしまえば、なにも感じない。死ねばすべてが無に帰す。強いて言うなら自分自身が世界を作る神だと言えるだろう。自分の五感が、世界を作り、認識させる。
――そんなことを言った。
「夢がないね」と彼女は言う。その言葉には、先ほどの力強さはない。きっと……彼女も似たようなことを考えたことがあるのだろう。何しろ彼女は『死』と向き合っているのだから。
「そういえば君はいつも一人でいるけど。友達はいないの?」
急に内容が前に言っていたデリカシーのことを説明したくなるような内容へとかわる。しかし、めんどくさくなりそうなので口にはしない。
「そうだよ。その方が楽だから」
「ふーん。友達はいっぱいいた方が楽しいのにね」
「それは君の価値観だ。僕はそうは思わない」
「意見の平行線だね」
彼女は生真面目そうな顔をした。
「と、ここまで話したから聞くけど今日私が近づいてきたとき一瞬凄い嫌そうな顔したけどなにあれ?」
……わかっていて話を続けていたのか。
素直に理由を話すか、そうすれば一応は僕の意思を汲み取ってくれるだろうか。見ていたところ、人が嫌がるようなことをわざわざするような人間には思えない。なら、話すか。
「僕は友達がいない」
「お、おう。その、ごめん」
ふざけた反応にムッとくる。まだ話の途中だというのに。
「僕は人間と関わるのがあまり好きじゃないんだよ。君は目立つ。そんな君が僕の方に向かってこれば僕は注目を浴びてしまう、人間と関わる可能性が増える。だからだよ」
「へえーふふふ」
その反応にムッとくる。なんなんだ。
「あ、ちょっと怒った? なんだかロボットみたいに感情を見せないから心配しちゃったよ」
「……人よりもは感情が希薄だとは自覚してるけどそれは言い過ぎだよ」
「君ってなんか面白いよね」
「……」
あはは、と楽しげに笑う彼女。
なにか仕返しをしてやりたい気分になる。
僕らは食事を続ける。
むしゃむしゃとリズムよく食べる彼女。
彼女の家は世間一般的に比べて金持ちだと小耳にはさんだことがある。確かに、この前彼女の家にプリントを届けに行った時、彼女の家は大きかった。親の仕事はなにをしているんだっけか。
金持ちのはずの彼女がこんな店を使う必要はあまりなかった。お世辞にも、ここの店の食事はあまり美味しいとは言えなかった。物によっては家で作る食事のほうが美味しいだろう。要するに、ここは学校の近くにある、ただ学生の腹を満たすために、安いだけの店なのだ。
「そういえばなんだけど、君はもうすぐ死ぬのにこんな安物の食事をしてていいの?」
「贅沢三昧しろってこと?こういうのはたまにするからいいのー。まあ、最近はちょっと自分に甘めな食事環境だけど」
死ぬと言ってもこんなものなのだろうか。
以外にあっさりしているな、と思う。それとも、元から病弱だったのだから覚悟があった、などという理由でもあるのだろうか。
僕はまだ、わからない。
やがてお互いに食事を食べ終えた。
「じゃあ解散ということで」
「僕たちはなにしに来たんだっけ」
「お食事会?」
「帰ろっか」
「うん、今日はとっても楽しかったよ! 君の意外な一面も見れたことだしねー」」
僕はなにかを言おうとした。今日は彼女に押されっぱなしだ。なにか言い返したい気がする。
「君って結構デリカシーないよね」
「ん? なんか言った?」
「君って――」
「じゃーねー! 相川くーん!」
このやろう、と思う。
逃げ切られた感がある。……いったい僕はなにやってんだか。
そうして家に帰る。正直なにをしにきたのかわからない。
けど――今までの、真の意味でなにもない時間を過ごすよりもはよっぽどいい。これは、非日常だ。
色あせた景色。なにをやってもつまらない日常。
きっと、今やっていることは、間違いじゃない。
家に着き、携帯を見るとメールが届いていた。
『無事に帰れた?』
彼氏が彼女に送るようなメールだった。
『帰れたよ、お休み』と僕は返信して寝る。返信されたらしばらく返事を返さないといけなくなる気がして嫌だったからだ。




