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敵対者

 次の日、彼女は学校に来なかった。そして、僕に対する悪い噂が広がっているようだった。佐藤は僕に敵意を剥き出しにし、軽い嫌がらせをしてくるようになった。

 なぜ彼女は学校に来なかったのだろう……? そういった思考が何度もよぎるが頭を振って落とす。自己の保身がおろそかになってしまっている。彼女は彼女の戦いがあるはずだし、僕には僕の戦いがある。相当に親密な関係ならばその介入も許されるだろうとは思うが、僕と彼女がそこまで深い関係だと思わない。

 自分の現状を考える。今、圧倒的に不利かつ理不尽な状況に置かれている。敵は佐藤。子分のようなものが二人おり、あとの人間は敵ではないが味方でもない。むしろ強い勢力に組みするものが大抵な分、ほとんど敵と言うべきでしかないだろう。正義の使徒などいない。他の人間との関わりを持たない僕は、万が一にも味方となる人間を持つことはない。

 いじめまで発展してしまうかもしれない。だからそれを回避する方法を考える。

 まず前提として、佐藤と言う男が僕を目の敵にしているが、あとの人間は憎しみという感情までは持っているわけではないだろう。まあ、嫌われているかもしれないが、実害がないなら問題ない。そして二人の腰巾着。あの二人が僕に対して持つ感情は不明だが、見たところ、あの二人は典型的な腰巾着の例だ。金魚のフンのごとく、いつも佐藤に引っ付いており、立場の力関係は、佐藤が上だと見てすぐわかるほどに卑屈だ。だから腰巾着どもは無視し、佐藤さえ退けられればいいので佐藤のみに焦点を絞る。

 大まかにとれる手段としては四つだ。


 一つ、耐えきる。

 ひたすら耐え、嵐が過ぎるのを待つ。これが最も最終的にダメージを受けない方法で、穏便だ。我慢さえできるのならこの方法が最もよい。しかし、不快なことには変わらないのでそこまで耐えきれる自信がないし、嵐は過ぎず、ずっと留まる可能性もある。


 二つ、仲間を増やす。無理だ。これが第三者だったら、諦めるなよ、ぐらいいうかもしれないが無理なものは無理だ。


 三つ、佐藤が僕に憎しみを持つ原因を探り、それを使って何とかする。

 これが現状とれる手段で最もよい方法だが難しい。「やあ佐藤。なんで僕のことが嫌いなんだい?」とでも言ってみるのか? ……なかなか厳しい。けどやってみてもいいかもしれない。


 四つ、実力行使。

 暴力沙汰にして僕と関わらせたくないと思わせる。僕は他の人間よりも痛みを我慢できる。だから結構しつこく粘れるはずだ。タフな自信はある。頑張れば異常者認定してくれる可能性がある。ゾンビみたいにずっと戦いを挑めば気味悪がって関わらなくなってくれるんじゃないだろうか? ……結構取りたくない手段だ。

 

そんなことを考えていると、向かい側から佐藤がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。別にお互いに用があると言うわけではない。ただすれ違うだけ。だがそのわりに、あまりにも表情は険しく、明らかになにかを狙っている。

 はぁ、と思わず溜め息をつきたくなるのを抑えながら、顔を上げず、まるで佐藤に気づいていないかのように歩き続ける。そしてすれ違う瞬間、突然佐藤が体をこちらにぶつけようとしてきてきた。それを平然と、身をかわして何事もなかったかのように歩き続ける。

 なにをしようとしたのかが見え見えだ。肩を当てて嫌がらせをしようなど……程度が低いな。次に来たのは舌打ち。それを受け、僕はフン、と反射的に鼻で笑ってしまった。そしてすぐ様後悔する。またやってしまった。わざわざ喧嘩を買うような真似をしなくてもよかったのに。後ろを見ずとも佐藤の怒りが燃えているのがわかった。背後に意識を集中し、ブチギレてこないかと、期待半分、恐ろしさ半分で息を止める。

「……」

「……」

 何事もなく、互いに歩き去った。流石の佐藤も、こんなところで感情を爆発させるほど愚かではなかったようだ。

 だが……今、腰巾着たちは佐藤の近くにいなかった。暴力で解決するならば最高のシチュエーションだったかもしれない。正直腹が立つし殴ってやりたいし。

そんな考えが浮かび、イライラと頭を振る。僕はわざわざ戦いたいと思うような戦闘狂ではないし、痛みを受けたい、という特殊な趣味を持っているわけでもない。どちらかというと平和主義者だ。なのにすぐに暴力に訴えたいと思ってしまうとは……。おそらくもうすでに、佐藤に対してかなりの嫌気を感じてしまっているのだろう。こんな一時の感情に身を委ねたくなるとは、まだまだ僕も甘いらしい。

 そうして廊下を歩き、本を借り、帰る。何もない日常。いや、敵ができたという意味では違うか。なんにせよ退屈。面白いことは何もなく、不安要素は増すばかり。


 そうして何日かが過ぎていく。相変わらず彼女は来ない。佐藤から受ける嫌がらせは徐々に激化。先日はついに物を盗られた。図書室から借りた本だ。わりと損失は大きく、図書室の先生に顔向けができない。とりあえず、いじめ紛いのことが起きているとは言いたくなかったのでなくしてしまった、と謝った。次になくしたらもう貸すことは出来ない、もしくは弁償だ、ということでなんとか許してもらった。その日は本を借りなかった。

 日常生活に支障が出始めた。しかし、なすすべがない。佐藤が僕を憎む理由もわからない。手詰まりか――不味い。あまり悠長なことは言っていられないか……。

 だから少しだけ、行動を起こすことにした。


「………………」

 今、佐藤を尾行している。正面から、佐藤に僕を憎む理由を聞いてみようという魂胆だ。なかなか馬鹿げてると思うが、やれることは他に思いつかなかった。正直今だってこんなことをしたところでなんとかなるとは思えないが、もうこれしか打つ手がない。ただなにもせず、息を止めたまま死ぬよりも、愚かであろうが行動すべきだ。

 ……なんでこんなことになってしまったんだか。こんなことでなにか解決するはずもない。なのに、なにもしないという自分が許せなくて無理やり行動を起こしてしまっている。

 相手は気づいた様子はなく普通に下校中。幸運にも腰巾着どもはいない。いや、いつも一緒に帰るというわけではないのだろう。まあ、詳しい理由は知らないし、どうでもいい。

 人気のない道、静かな雰囲気。あまりにも静かでこちらの足音が、心臓の音が聞こえるんじゃないかとヒヤヒヤする。

 落ち着け、冷静になれ。そう念じ、再び集中して佐藤を見張る。右へ行き、しばらくまっすぐ。そして……。そうやっているうちにあることに気づいた。佐藤の家がこんなところにあるのか?ここはあまりに薄暗い。ならば何かの用事だろうか、いやまさか。都合よくそんなことになるわけがない。

 そこまで考え、ある考えに結び付く。まあ、仕方ないことだろう。当然といえば当然のことなのだ。

 ――気付かれているな。

 喝を入れ直すのがもう少し遅かったら不味かったかもしれない。

 僕は暴力沙汰に発展させようとは思っていない。なんたって僕は平和主義者だから。……いや、ただめんどくさいというのが主な理由だが。

 逃げれる準備はしておこう。そうしないと後々面倒なことになりそうだ。

「佐藤」

 遠くから呼び掛ける。直線が続いたおかげでわりと距離もある。こうすることは決めていた。なので本来尾行するために必要な距離以上に間をとっている。だからたぶん、逃げ切れるはずだ。

「あぁ? なんだよ」

 やはり気づかれていたらしく、僕の突然の問いかけに対して返事は速い。

 威圧するように振り向き様にこちらを睨み、一歩踏み出す。

「話がある」

「……なんだよ」

「僕のことをずいぶんと嫌ってるようだけどどうしてかなって」

 我ながらずいぶんと他人事のような言い方だ。僕は佐藤を注視する。これで理由などない、と言われればどうしようもない。だが、佐藤が嫌がらせをしてくるようになったのはつい最近、突然だ。それまでは関わり合いがなかったし、そもそも認知すらされていないのではないだろうか?だから理由はあるはずだし、なにかしら譲歩すればなんとかなる可能性が高い。だが予想に反して、佐藤は別のことを話始めた。

「おまえ、吉野早枝さんとどういう関係だ」

「別に、ただの友達だよ」

 正直、僕と彼女の関係は友達、というラインに達しているのかがわからない。いや、達していないだろう。他人以上友達未満だ。

「佐藤、君はなにが望みなんだい? 正直君の嫌がらせはもうこりごりなんだ。場合によっては言うことを聞くからもうやめてほしい」

「じゃあ…………離れろ」

 …………は?

 ちらりと後ろを見る。誰もいない。僕の周りにはなにも、誰もいない。いったいなにから離れろと言うのだろうか。意味がわからない。

「……なにが?」

「てめぇ……わかってやってんだろ!」

 怒鳴り声。短気なことだ。そうは言われても本当にわからない。

 少し考えてみる。離れろ……離れろ……誰から? ああ……。

 吉野早枝か。まあ、それしかない。というかこの男、まさか……吉野早枝が好きなんだろうか? 奇行を突然繰り出す彼女のどこがいいというのだろう? まあ、クラスの人気者なのだから、僕が良いところを思い当たらなくてもきっとなにかしらあるのだろう。

「吉野早枝、か?」

 そう言ってみると佐藤は無言で頷いた。……ほんっと、爆笑ものだ。そんなもののためにわざわざ嫌がらせをしてきたのか。本当に……本当に――クズめ。

 嫌悪感が沸き出す。こういった感情は大抵はすぐに消える。だが今回は、佐藤の標的とされるのが僕だからか、なかなか引いていかない。さらには僕は元々佐藤と言う種類の人間が嫌いだ――少し力があるから、権力があるから世の中どうにでもなると思っている類いの――。

 抑える。怒りを抑える。ここで怒っても最終的には損になる。抑えろ……抑えろ。

「佐藤、おまえさ」

「……」

「別に僕と彼女は恋人ってわけじゃない。自分で話しかければいいじゃないか。だから君の命令を……断るよ」

「そうか」

 佐藤が一歩、僕に向かって歩を進める。

「じゃあお前の最初の質問、なんで嫌がらせをするかだったか?答えてやるよ、理由」

 また一歩。ゆっくり、話し掛けながら近づいてくる。

 本来、距離を縮められないように逃げる算段だった。しかし、この状況で逃げれば、一歩でも下がれば、恐れで逃げてしまうような構図となってしまう。

 我ながらくだらない意地、プライド。ここで下がればナメられるという打算的な思い。二つが合わさり、頭が回らなくなる。こんな状況は、想定していなかった。

 だがこんな考えも、次に言われた一言によって、全てが無駄になった。

「お前が苦しい思いをした方が、嬉しいからだよ!」

 そう言い、佐藤は駆け出した。

 それを見て、すぐに僕は脱兎のごとく逃げ出す。最初に恐れていたことが起きてしまった。意味はない、なんとなく、など言われれば交渉の余地はない。もうだめだということだ。暴力沙汰はごめんだ。

 進行先を見る。道はしばらくまっすぐ、足の速さも体力も、おそらく佐藤が上回る。なにか工夫しなければ撒くことは出来ない。だから探した。今の状況を打破するための手段を。走りながら考える。わりと本気の逃走、すでに息が苦しい。

 ここはおそらく町の発展計画があった場所。実際、建設途中の家がいくつも見受けられる。だから僕が求めるものがあるはずだ。そして見つけた。家の木材と思われるものが何本か道の脇に立て掛けられており、道を塞ぐのに長さは十分。

 即断決行。それを倒し、音をたてて倒れていくのを背後に感じながら走る。

 少し背後から悪態が聞こえた。稼げた時間は三秒あるかないかだろう。だがそれで十分だ。ただ逃げて帰るわけにはいかない。――一矢報いてやる!

 角を曲がり、息を整えながら待機する。間もなく足音が聞こえた。

「ちくしょう、あいつ、やりやがって!」

 わざわざ喋るぐらいならその体力を僕を追うのに使えばいいのに。

 心の中でせせら笑う。そして佐藤が角に近づいた瞬間、直線を走っている佐藤には見えない位置から飛び出し、思いきり佐藤の足を蹴りつけた。当たった場所は脛。こちらにも相当強い衝撃が襲い掛かったが、歯を食いしばって耐えきる。

 佐藤が無様に地面を転がる。互いに速度ある状態同士で足がぶつかったから、しばらく歩けないぐらいのダメージは負っただろう。痛みと痺れ。だが、それはお互い様だ。痛みに呻く佐藤、平然とする僕。受けた痛みは同じだ。だが痛みを耐えきる意思力のない佐藤は動けないだろうな。

 圧倒的に有利な状況。ここで佐藤を痛め付ければ全て終わるのではないだろうか。

 そんなことを思ったが……止めておく。なにもしなくても終わるかもしれない。もしくは次の話し合いで有利になるかもしれない。こんな考えは淡い希望論だろうか? だができる限り暴力に訴えたくない。

痛みに呻く佐藤のそばに立つ。そして言った。

「ここで僕が足をおろせば僕の勝ちだ。でもわざわざそんなことをしたいと思わない。もう次からは僕に関わるのをやめてほしい」

 佐藤の目から伝わるのは怒り半分、疑問半分、といった感じだ。怒りは元々あったもの。疑問は僕の足が無事なことだろう。僕はわざわざ蹴りつけた方の足を見せつけるように上げ、宣言していた。自分の足の痛みからわかるが、佐藤が受けた痛みは相当なものだ。実際、僕もかなり足を動かしづらい。それは佐藤がこれほどまでの時間、動けていないということからもわかるだろう。だが僕は平然としている。それどころか足を振り上げ、全くの無事だと示している。さらに、僕は無表情で、無理をしているようには見えない顔を作っておいた。だから思うはずだ、おかしい、と。

「い、つっ。て、めぇ、よくも……」

 痛みに足を押さえながら、それでも闘志と怒りを失わず、睨みつけてくる佐藤。

 だがもういい、用はない。相手がなにか言っているのを無視して走り去る。

 終わった。ダメだったら……また今度考えよう。

「相川、信司ぃーーー!」

 背後から叫び声が聞こえた。だがその頃には、僕はもう角を曲がっていた。僕は佐藤の名字しかしらないのに、フルネームで覚えてもらえているなんて光栄なことだ。

 少しスカッとした。いろいろと綱渡りの勝負だったがひとまずなんとかなった。

 人混みのない通りを抜け、普段の、人間が普通にいる通りに戻った。今日はもうやることがない。そうだな……寄り道でもしてみようか。僕と吉野早枝の家はわりと近い。寄り道にはちょうどいいだろう。そうして歩く途中、道端にダンボールが置いてあった。気になって中を見てみると子猫がその中には入っていた。そしてこんなことが書いてあった。

『拾ってください』

「ニャーン」

 鳴き声。庇護を誘うような様相で、弱々しく震えている。典型的な捨て猫か。そのまま通りすぎようとし、気を変えて今来た道を戻る。近くのスーパーで子猫が食べれそうなものを買ってきた。それを食べられる状態にして子猫の入ったダンボールの中に入れておく。

 僕のしたことは偽善だ。バカバカしいとさえ思った。ただの自己満足に過ぎずない、、そんな行動。だが彼女は言っていた。偽りだろうが善は善。誰かが救われるならそんなものは関係ない、と。なら、それを少しは信じてみてもいいのではないだろうかと、僕は思った。この空虚な現実も、いままでやらなかったことをやれば変わってくれるかもしれない。色あせた世界も、なにかの、なにかのきっかけで、色鮮やかに輝くかもしれない。

 それなら、一度だけならやってみてもいい。物は試しだ、程度の間隔で。

……本当は、僕は誰かの目を気にせずに誰かをおもいやりたかったのかもしれない。そういう人間は、立派だと素直に思う。けれど、それを経験が、今までの生き方が、父が自己犠牲への忌避感が否定させた。容易な優しさを毛嫌いする、そういう僕を作り上げてしまった。そうして僕は子猫の入ったダンボールをあとにした。飼ってやる必要まではない。これで十分だ。

 そして間もなく、吉野早枝の家が見えてきた。白くて大きな家。ここに来るのは二度目だが、やはりでかい。……あんななりをしているが(一応)お嬢様なのだなぁ。そうして白い家に近づく。高貴で孤立した家へ。だが、近づいていくうちにある音が聞こえることに気づいた。人の怒鳴り声。何度もあげられるその声は全て同一人物のもので、次第に鮮明になっていく。吉野早枝の母の声だ。

 もう家の前に着いた。だが入りづらい。関わりづらい。

ため息をつく。これは無理だな、また後日、来るとしよう。

 そうして僕は、諦めて自分の家へと歩を進めた。



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