ただの友達
あれからは佐藤からはなんのアクションもなかった。
平穏、そういっていいのかはわからないけれど、時間は過ぎ、僕の隣には彼女がいる。ただ、佐藤のあの怒りの反応は、まずい。そんな予感がした。
だが、今。今現在は、空は明るい。いつもの道端で彼女と喋る。
「皆に君の無罪を主張しといたよ!」
おお、と思う。今日の彼女には謎の圧力みたいのがあった。いつもの百倍元気、みたいな? 「いえーい!」と勝手に盛り上がっている。
僕は元気星人を目の前にしている気分になりながら「ありがとう」とお礼を言う。
「どうやら私たち、付き合ってるってことなってたみたい!」
「天地がひっくり返ってもありえないね」
「こんなにかわいい私に向かってそんなこというなんて! 嬉しがってよー」
どうやら彼女は自分のことを「かわいい」呼ばわりしたのが恥ずかしかったようで、言葉尻は小さな声になった。僕は「嬉しくない」と真顔で告げておく。
「……君の心って氷か鋼でできてない?」
「血と肉の通った健康な心臓だから安心して」
「ちょっと触ってみたいんだけどいい?」
「デリケートゾーンだからそういうわけにもいかないんだ。ごめんね」
とにかく、なかなか厄介な噂が広がっているようだ。彼女が止めてくれたからたぶん大丈夫だろうが、あまり安心はできない。人間という生き物は噂が大好きで、それが嘘だろうと本当だろうと関係なく、騒ぐことに楽しみを見出すのだ。
そういうわけで、僕らはクラスメイトがいる可能性のある場所は避けて今、この商店街にいる(もっともクラスメイトがいる可能性はゼロではないが)。
そこそこの活気とそこそこの人通り。人間が多い場所が苦手な僕にとって、ちょうどいい場所だ。
「あの……なんかごめんね?」
「なにが」
「いや……私ちょっとテンション高すぎたよね……」
「いつものことじゃないか」
「なんだと!?」
確かに、今日の彼女はいつも以上にテンションが高い。今朝があんなことがあったから、場を盛り上げようとしてくれたのだろう。
僕を元気付けようとしてくれる彼女の行動が、少し嬉しかった。だがそんなことはわざわざ口に出さない。それはなんだか彼女に借りを作ったことになりそうだし、僕はそう言うことを口に出すような人間じゃない。
だからただ、心の中に感謝を思い、黙する。
「正直どう思ってたの? さっきの私」
「変人が騒ぎ始めたな―ぐらいにしか思ってないから安心してよ。ね?」
「ね? じゃないし!」
少しの冗談を混ぜて答えると彼女は元気に喚いた。元気そうで何よりだ。
だが、いつも思うのだがなぜこんな町中で騒ぐのだろう、頭が弱い子なのだろうか? いや、病気だからだろう。仕方のないことだ。せめて僕が精一杯フォローしてあげなくては。そんな謎の責任感を彼女に抱かせられた。そんなことを考えていると、唐突に肩をグイグイッと引かれ、眼前に怒った表情の彼女が出現した。
「全部聞こえてるよ! なんか凄い心の声っぽいやつが!」
「まぁまぁ」
「こういうとき君って変に大人だよね、腹立つわ~。決めた! 私今日から物静かで無口な大人な女性になる!」
「無理不可能」
「ロボットみたいにいうね」
「君には似合わないよ」
「えへへー、それ誉めてる?」
「もちろんだよ」
「噓つきの目と鼻と口をしてるな~」
……嘘つきの鼻ってなんだろう。キノピオ? 鼻に触れてみたが、もちろん長さは普通だった。
「あーあ、今の君の笑顔、全然爽やかじゃない。絶対悪いこと考えてるよ、君は嫌なやつだ!」
「もしかすると昨日のテレビの内容を思い出して笑ってたかもしれない。だからその論理はちょっとおかしい」
「詭弁だ詭弁だ! それは、ない! あーあ、あの爽やかな笑顔好きなのにな~」
「爽やかとか僕相手に使うなよ」
「おっ! 珍しく男の子っぽい言葉使ったね! 初めてじゃない?」
「どうでもいい」
彼女はとてもニヤニヤしている。だからなんだというのだ。別にそんなこと言われたって痛くも痒くもないというのに。そんな彼女だが僕と会話しながらも周りの物を物色していたようだ。指を指し、僕に笑顔で言ってくる。
「ねぇねぇ、アレ君に似合うんじゃない?」
さっき彼女をからかった仕返しだというのか、その先にあったのは派手な下着コーナーの、女物の水着だ。彼女はかなり残酷な表情をしている。
……病気で頭をやられているかもしれないのだから、仕方がないのかもしれない。
「な、わけないじゃん。どこをどうとったら似合うと思うわけ?」
「君が君自身の男らしさを否定するからね。背中を押してあげようと思って」
意味不明だ。
「君が着た方が絶対似合うよ」
「えー、あんなきわどい水着着ろっていうの~。変タァーイ!」
「…………」
ああ言えばこう言う。相変わらず騒がしいものだ。とりあえず彼女が調子にのっているので無愛想な仏頂面に表情を固定し、黙っておいた。そんな力の抜けた僕を、彼女は怪我のしていない方の僕の手を引き、店の前まで連行する。抵抗はしない。とりあえず好きなだけ下着を見せておけば少なくともその間は静かになるだろう。
……この言い方だと凄い意味に聞こえる。彼女が女という性別で本当に良かった。
店の前に立つ。内容はわからない。さすがに男の僕が店を直視するわけにはいかないので俯くようにして下を向いておいたからだ。そんな時、突然ドン、と背中を押され、店の中に侵入しそうになった。犯人は笑顔でニマニマしている。
「ちょっ、なにすんの」
「私さっき背中押してあげるって言ったじゃん? なんか友達の背中を押してあげるってイイ響きだよね」
いけしゃあしゃあとそう抜かし、グイグイと腕を引っ張り、店の中に連行しようとする。
僕は怪我のため片手のみ、彼女は両手で引っ張ってくるため、振り払えない。
あれ、ちょっ、ほんとに店の中に入らされそうに、
「いっ、いやだ!」
「はっはっはっはー!」
力の綱引きが起こり、均衡状態になる。男として意地もあって、なんとか僕はその場に踏みとどまることに成功した。途中まで微笑ましい綱引きレベルでしか力が込められていなかったが、最終的にわりと本気の綱引きにになったので、お互いに軽く息切れしている。
「僕の勝ちだ」
「ぐっ……負けた……」
悔しそうな彼女。しかし、なんで僕はこんなふうに勝ち誇っているのだろう……?
彼女が「私たち軽く青春してたよね」と呟く。男子高校生を女子高校生が下着コーナーに連れ込もうとすることが青春ならば、彼女の青春観念は歪んでいると思った。
彼女は笑っている。とても楽しそうに。それを見て僕は、そう悪い気分でもなかった。
――だが突然、無音となった。僕は静かになった隣を見る。
「お母、さん」
彼女の表情は凍りついていた。信じられない、とまるで見てはならないものを見てしまったかのように。
彼女の視線の先には、大柄でもないのに威圧感を漂わせる女性が立っていた。
「早枝、なんで電話を無視したの!」
吉野早枝の母が怒鳴り、注目度が高まる。大勢の人がこちらに目を向ける。何人かはすぐに興味をなくし、何人かはなにが起こるのかとこちらに目を向けたままだ。
僕は注目を浴びた居心地の悪さを感じながら、こんな大通りで目立つことをするなんてやはり母と子は似るのだなあ、とどうでもいいことを考えていた。
だが、そんなひよった思考は、幾分かもしないうちに塗り替えられることになる。
「あ、それは……」
彼女が口ごもり、俯く。
吉野早枝の母はキッとそれを見、その次に僕を睨んだ。そして底冷えするような声で、
「隣のあなたは何? 早枝から離れなさい」
誰、ではなく、何。吉野早枝の母は命令口調で、僕にそう言った。
その言葉で意識を切り換える、切り換えられる。のほほんとした思考から鋭い思考へと入れ替わっていく。少し前の僕ならこんなことを言われた瞬間、すぐにきびすを返していたことだろう。そして後ろからなにを言われても無視。そうしたはずだ。
だが――。
隣を見る。うなだれた彼女、そして今日、様子がおかしかった彼女。些細な違和感、だが確実な違和感。だから僕は逃げ出すことをしなかった。
念のためだ、念のため、ここに残る。とりあえず、だからと言ってわざわざ喧嘩を売る必要もないので――。様子を見るため、一度、言われた通りに彼女から素直に離れる。
そんなこちらの様子を見てフン、と鼻を鳴らす吉野早枝の母。感じの悪い態度だ。最初に会ったときはもっと穏やかな、娘思いの母、という感じがしたのだが……。噂では、校長室に怒鳴り込んだとのことだ。やれ怒鳴り声がこんな遠くまで聞こえてくるわ、まさにモンスターペアレントという言葉が似合うや……。そんな風に、気性が荒いと思われるような噂を聞いている。しかし、それは所詮うわさだ。まだ判断するには早い。
今、吉野早枝の母は、彼女の近くまで歩き、あなたは体がどうのこうの、などと叱っている。
僕は少し離れたところでそれを見る。どうにも吉野早枝の母という人物は、感情的な人物なのではないか、と思わされてしまうのだ。これはただの予感だ。吉野早枝の母は娘を大切に思っている立派な母親。しかし激情しやすい、感情が不安定な人物。推論、推論でしかないのだ。しかし、どうしようにも疑いの鎌首が僕の中で巣くっている。
だから僕は目を細め、吉野早枝とその母を注視しせざるおえない。
そうしていると、吉野早枝の母が娘をぶとうというのか、手を上に挙げ――
また、下に下げた。
心臓がバクバクと脈打つ。よかった、何も起こらなくて。あと少しで叫び声かなにかをあげてしまうところだった……。
さっきの行動は、先入観を持ってしまったがゆえの僕の錯覚か、それとも本当にぶとうとしたが、気が変わってやめたのか、わからない。直感は後者だと伝えてくるが、こんなものは先入観を持ってしまった時点で信用ならない。
「そこのあなたは、早枝のなんなの」
いつの間にか会話は終わったようで、僕にそう問い掛けてきた吉野早枝の母。一方、いつも元気なはずの彼女は俯き、項垂れている。距離を取らざるをえなかったため、二人の会話は聞こえなかった。だから何があったのかわからない。だが、吉野早枝の母には激情しやすい人物、というマイナス印象が考察の結果つきまとっている。だから警戒しそうになる。キツくなってしまいそうな表情を何とか抑える。そんな風に自分を抑えながら、無表情で、淀みなく、最も無難な一言を返した。
「ただの友達です」
そう答えると、吉野早枝の母の表情が敵対心から無関心へと変化したのがわかった。
もう興味はないとばかりに顔を背け、「いくわよ」と彼女に声を掛ける。彼女は無言で頷き、その母のあとに続く。彼女が無言とは、らしくない。
彼女は「じゃあね」と弱々しい声を僕に掛け、そのまま立ち去った。僕にできることは、何もなかった。




