悪意に加えてますます不穏
翌日。
朝は眠いなあ、と平和な思考のまま教室に入ると同時、おかしな雰囲気を感じ取った。
今、僕は教室の扉を開けたばかりのところにいる。
僕の姿が見えた瞬間、一人の生徒が僕に気づき、耳打ち。それが連鎖し、重なって、まるで伝染病のように、あっというまに雰囲気が広がった。僕の方を注意して見なければならないという雰囲気。今の今まで、いや、吉野早枝が僕に挨拶をしたとき以外には向けられたことのない注目。
状況がわからない、どうしてこうなった?
思わず、焦り、動揺しそうになる。だがそれを表には出さず、澄まし顔で自分の席へと歩いた。その際にも皆の視線は僕を追い、離れず、張りついたままだ。
とりあえず情報を集めなければならない。周囲の会話に注意を払う。
「なんであんなやつが」「怪しい」「誰だっけ……」「いったいなにやったんだ⁉」「ありえねぇ……」
おかしな会話が聞こえる。僕に聞かれても構わないと思っているのか、全員でやればさほど痛手を受けないと思っているのか、それはわからないけれど会話の中に悪意を感じた。
僕が吉野早枝と会っていること。昨日の店で見かけたこと。店にいちゃもんをつけていたこと。
これらの悪意ある情報に混ざり、僕のことを知らないという声も上がった。それだけは嬉しくはあったが、他は不味い。
情報の広がり方は明らかに悪意のあるものだった。偏向報道的というか、なんというか。
つまり、これは仕組まれたものである可能性が高い。誰かが悪意をもって情報を振りまいた、ならば。
――辺りを見渡す。そして、見つけた。僕を強く睨みつける一対の眼を。敵意を隠そうともせず、こちらに熱心な視線を注ぐ眼。大柄な体で、目付きが鋭い、男子生徒。
思わず顔を伏せる。そして無意識に冷や汗が背中を伝うのを感じた。
悪意。
そんな感情ごときを恐れているわけではない。大柄な彼は力が強い。だから人が寄ってくる。それは必然的にこのクラスという状況下で権力を持つことを意味する。
対して僕は集団から孤立していた。圧倒的に。存在すら知られないぐらいに。
狙ってそうしてきた。こうすることによるデメリットだって理解してやっていた。だから細心の注意を払い、常に行動してきた。だが、どうやら僕は目をつけられてしまったらしい。それだけは避けるように行動してきたというのに。
個は決して集団に勝てない。そしてあの大柄な生徒が本格的に敵に回るなら、いじめという事柄が発生するなら、僕は蹂躙される未来しかない。
……どうする?
その時、扉がもう一度開いた。そこに立っていたのは吉野早枝。
「おっはよーー」
今日も元気一杯な彼女。病弱とか、死にかけとか、そんな設定をどこに置いてきたのかというほどの元気っぷりだ。周りの温度が少し上がり、下がった。
ひそひそ話は止まったが、暗い雰囲気。人気者の彼女を気遣うような多くの視線。だが誰も、今話していたことを彼女に言いに行かない。時間が止まり、息が詰まる。
「なんかあったのー⁉」
だがそれは錯覚だった。いや、彼女の台詞が無かったことにした。
凍てついた時間は活性化し、動く。そして他の人間も動いた。
「吉野さん。君の話をしてたんだよ」
口を開いたのは僕を睨みつけてきた、大柄な生徒だ。
こんなに僕は彼のことを考えているのだが未だに名前が思い出せない。
「へ~え、どんな?」
「君の友達についてさ。あまりいい噂を聞かない、そこの相川っていう彼のこと」
そういって指を指してくる。
そんな僕だがその時、欠伸が出てしまった。頑張って噛み殺したのだが気の抜けた声が漏れ、周りが失笑。だが大柄の生徒と周りの数人の男子生徒はイライラとした振る舞いを見せる。
しまった。この行動は失敗だ。結果的に余計な敵意を持たれてしまった、まずい。
だがわかったこともある。先程笑った生徒はそこまで、完全に敵、と言うわけではないだろう。しかし、笑わなかった数人の生徒は、完全に大柄な生徒の味方ということだ。
対して彼女は周りに合わせて少し笑っていた。しかし、眼を見れば本気で面白がっていないのがわかった。むしろ、怒っている。
「なに私の交友関係にケチつけるの?」
「いや、全く。そんなことを俺がするわけないじゃないか。でも友達は選ぶべき、そうは思うな……あんなんじゃ、ね?」
今度は大柄な生徒とその味方たちが笑う番だった。こちらを嘲る物言い、こちらを下だと見下す目付き。
……これだから人間は嫌なのだ。
「なんなのそれ」
「別に、俺はそう『思った』だけでなにもする気はないよ?」
依然として大柄な生徒は堂々としていた。だがその言い方には棘があるものの、彼女には決して向かない。徹底して僕を狙う刃のような悪意。
そんな人を傷付けようとする意思だが、僕には届かない。興味がない。僕が彼をどう思おうが、彼が僕をどう思おうが、意味はない。
重要なのは物理的な被害が出るか否か。例えば彼が僕に敵意を見せることによって周りが過激化、そしてなし崩し的に僕に実害が及んでしまう。こういうのは頂けない。だが、正直口で言われるだけならなんとも思わないのだ。口だけで済むなら好き勝手僕の悪口を言うといい。不快な感情は湧くが気にしないと決めれば無視できる、こんなものはくだらないから。だが、彼女はやはりというか、そうは思わないようだ。
「相川君がなにしたっていうの? 佐藤君はなんの恨みがあって相川君を悪くいうの? なにも悪いことしてないじゃん!」
怒り、言葉を発する彼女。
対する大柄な生徒――佐藤というらしい――の反応は、
……悲しみ?
それは一瞬だけ覗き、次の瞬間には消えた。バカにする表情を見せ、せせら笑い、肩をすくめて会話を切る。そして彼女が佐藤から眼を離した瞬間、すごい勢いで振り返り、怒りを瞳に称えてこちらを凝視した。




