帰還者
夏休みはなにもせずに過ごした。怠惰な日常、無意味な毎日。
つまらなかった。学校という場に行くよりもは気は楽だった。なにもかも刺激がなく、窮屈な自分の部屋に入り浸っていた。
彼女がいたときはこうではなかった。よくも悪くも、彼女の存在は僕の感情に波紋を生む存在だった。
――まあ、たいていイライラさせられることが多かったのだけど。
僕は文字どおり、この長い夏休みになにも得なかった。彼女はどうなったのだろう。得るどころか失ってしまったのだろうか。僕からしてみれば無駄な一分一分も、彼女からしてみれば残り少ない、貴重な時間となる。僕は時間を無為に過ごすが、彼女の時間はどんな出来事であろうと輝く、輝かざるえない時間だ。
こんなことになるならこの僕の時間はあげてやった方がいいかな、と思った。
僕は夏休み中ずっと寝たきりでいいから彼女はその分の時間を使うといい……。
「はは」
我ながら名案だと思った。現実的には不可能ではあるが、悪魔が取引を持ちかけてきたら面白いだろう。
――ピリリリリッ
携帯が音を鳴らした。少しの期待とそれを押さえる自制心を持って手を伸ばす。そしてその画面を見てみれば母からのメールだった。内容はどこか遊びに行きたいところはないか、というものだった。それを僕は一人、部屋でせせら笑う。
今の退屈そうな僕なら家族の時間を過ごせるとでも思ったのだろう。夏休みの間ずっとこのような誘いは来たが全て断ってきた。いい加減やめてほしいものだ。
僕と母は必要最低限しか会話はしないという関係にある。僕は干渉されるのを嫌ったし、母もそれを理解していたので不必要には近づいてこなかった。だが電子器具を用いれば肉声を使わない分、勇気が出るというのか、たまにこういったことをして僕との距離を縮めようとしてくる。
そんな弱い母を僕は軽蔑した。直接語りに来ようとも心を開くつもりは勿論ないし、結果としては一緒ではあるのだが。僕らの家は金に困っていない。その身を犠牲にした英雄たる父は、金持ちを何人か救っていたからだ。その人間たちは当然だというよう金を僕らに渡してきた。母は浪費家ではというわけではないが、もし全ての財産を失ったとしても、僕の大学費は彼らが肩代わりしてくれるだろう。
ここまでしてくれだけ、この金持ち共は親切な部類ではある。
僕は端的に言えばさっさと独立したかった。いままで僕にかけた教育費もろもろ全て色をつけて返すつもりだ。育ててくれたという点では母に感謝している。だがそれは別問題として僕は母が嫌いだった。
――ピリリリリリリッ
再び携帯の音が鳴る。夏休みは今日で終わりだ。なのに彼女からはメールが来なかった。
死んだか。
携帯に手を伸ばす。メールだ。
『生きて帰ることができたぞよ』
その文面に思わず笑ってしまった。
愉快な気分だ。死ぬかどうかの瀬戸際から帰ってきておいてずいぶんと余裕なことだ。
まあ、おそらくは空元気だろう。いや、彼女のことだ。そうとは言えまい。
実を言えば、きっとこのメールは母からではないことはわかっていた。だが確証はなかったし、ただの勘だ。でもそれが外れたら間抜けになってしまうので、あえて思考を封じ、ただただ携帯を見るという行動を起こした。
まったく……、曲がりなりにも、それなりに心配していたというのに元気な奴だ。バカを見たような気分ではあるが、まあ、悪くはない。
吉野早枝は生還した。特別恨んでいるわけではないのだから、今はそれを祝おう。
始業式は丁度、昼前に終わった。
学校側が何やら偉い人を呼んだようで、ついでとばかりに長い話がたらたらと続いた。さらには恒例である校長の長話もあり、それを聞かされる生徒はダブルノッキング状態だ。
僕も当然、相当暇だった。だからか、いつもは注意を払わないのだが周りを観察してみるとなかなか面白かった。生徒たちは『やることがない』という共通の感想を胸に結束し、俳句を作っていた。お題は校長で『そよ風』と『校長の髪』を絡めて作っていた。優勝したのはあの騒がしい服部という男で、なかなかに面白い俳句を完成させていた。僕が笑ってしまっただけあって、周りも大笑いし、そのせいで先生にその事がばれた。おかげで服部は罪を一身に背負うことになり、職員室行きが決定した。哀れではあるが、悪口に近い内容を学校の最高権力者相手に言ってしまったのだから仕方のないことかもしれない。
僕はいつもの家の近くの曲がり角に辿り着き、足を止める。
「やあ」と言ってみる。後ろの気配が驚いているのを感じた。
そよぐ長い黒髪。まぬけな面構え。
それに思わず笑ってしまう。相変わらず元気そうな姿だ。しかし、あまり彼女を驚かせたりすると今度こそ死んでしまうかもしれない。
「やや! 久しぶり!」
「生きてたか」
「生きてたよー!」
「はは、よかったね」
突然、彼女が訝しげな表情を見せ、僕の顔を覗き込む。
なにか顔に付いているのだろうか?
「……なんか、印象変わったね」
「ん?」
「こんなに簡単に笑わなかったじゃん」
そう言われて気づいた。僕は自然に笑っていた。すぐに無表情に戻し、自分の顔に触れる。なぜか、きっと、今日はすこぶる機嫌が良いのだろう、たまたまだ。
「せっかくそんないい顔ができるのならずっとそうしてればいいのに、もったいない」
「僕の笑顔は君とは違って希少価値があるんだよ」
「むー⁉ 笑顔はいいことだよ! 円滑な人間関係を築くための素敵な道具ですー!」
「いや、道具って」
呆れたような声音をだし、返答する。
そして、たぶん、また僕は笑った。
彼女はそっぽを向き、横目でこちらを見る。その口からはボソボソと「せっかくカッコイイのに、もったいない」と聞こえた。
僕はその小さな声に「そうでもないよ」と返した。こちらも小声だ。
彼女がコロコロと笑う。手を差し伸べ、ウキウキとこちらに問い掛けてくる。
「じゃあさ、今日はどうする?」
「君の帰還パーティーでもやる?」
「おごってくれるの? うれしー」
「…………」
「無表情がとても怖い」
「君の好きにしてよ」
「そうだね。私のお祝いだしね。……祝ってくれる?」
「美味しいもの食べに行くんだよね?」
「なにそれ、私のお祝いはついでだって言いたいわけ? いーよー。いーですよー」
簡単に拗ねる彼女に僕は苦笑する。そんな僕の反応に、珍しく彼女はさらにプリプリと怒る。
「じゃあ、行こっか」
「あれー? その台詞私の役目だったのにな? ……ていうかお祝いメインって訂正してくれないの? 君のために。みたいなキザっぽいこと少しは言えないの?」
「絶対に言いたくないね」
◇




