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ある日、アシェル伯爵が王命で呼び出された。孫のラクスも共に来るように、という王命である。アシェル伯爵とクラベルはきな臭いものを感じたが王命に背く訳にもいかない。たまたまガロファーノもどこかへ行ってしまっていて、相談することもできない。二人はラクスの守り役と共に王宮へ出かけた。
だが、夜になっても帰ってこない。翌日になっても帰ってこない。流石におかしいと王宮に確認に活かせたが、ザイト王は会ってもいないという。
おかしい。
ガロファーノはまだ戻らない。呼べば来てくれるのだろうが、クラベルは最近ガロファーノを呼び出さないようにしていた。顔を見ればやつれていく自分を心配するばかりだからだ。そういえば、もう何日顔を合わせていないのだろうか。ガロファーノの愛は、過ぎ去ってしまったのだろうか。アシェル家がガロファーノの家ではなく、妖精の国に、あるいは他にガロファーノの拠点となる家ができたのであれば、自分はどうしたらよいのだろうか。法律上の結婚をしていないとは言え、クラベルはガロファーノと結婚式を挙げているし、誰もが事実婚として認めている。事実婚だからガロファーノが出て行きたいと言えば、手続きも何もいらない。そもそも妖精との離婚手続きなどありえないのだ。
ラクスは妖精としての生き方を選ぼうとしているように見える。ならばラクスはガロファーノに付いていくのだろうか。あれほどのクラベルへの執着と信頼は、どこへ行ってしまったのだろうか。
愛が、分からない。クラベルは最近、バラに対して仕事相手として接することが多くなり、花を見たり香りを嗅いだりして楽しむこともなくなっていた。這いつくばるように生えているたんぽぽや、取っても取っても残った地下茎から増殖するドクダミのような強さがほしいと思うようになっていた。鏡は、見ない。見たらいけないと自分に言い聞かせて、もう半年以上鏡には布がかぶせられたまま、侍女が化粧をするのをぼーっと待つだけになっている。
クラベルが父と息子を探して騎士たちをあちこちに走らせていた時、王宮で爆発が起きた。ドーンという大きな音とともに、壁だったと思われる大きな破片が上空にまで舞い上がり、落下して下にいた人間に襲いかかった。新しく植えられたバラたちが異様な速さと長さに蔓を伸ばし、王宮の人間たちを次々に拘束していく。
王都に響き渡ったその音と立ち上る土煙に、王都の人々は何事かと王宮の方角を見た。塔の一つが完全に崩壊していた。まだ土煙が上がるその塔の上部から、バラの蔓と思われるものがいくつもうごめいているのが見える。アシェル家から直接見ることのできないその光景を、アシェル伯爵とラクスを探しに外に出ていた使用人と騎士たちが見ていた。
「お嬢様、王宮の塔が壊れています。バラの蔓が暴れているのが見えます。ガロファーノ様でなければ、ラクス様が暴走した可能性があるのでは?」
クラベルは母に邸の中にいるように願うと、自分は急いで王宮へ向かった。そして、混乱に乗じて守衛所をすり抜け、壊れた塔に向かった。
塔の下には、王宮の騎士たちと使用人たちが何人も倒れていた。吹き飛ばされた塔の上部にいて落下したと思われる者、体になぜか穴が開いている者、大きな壁の破片の下敷きになっている者、皆絶命していた。こみ上げる吐き気に耐えながら、クラベルが塔に向かうと、つるバラがどこからともなく伸びてきた。
「ガロ?ラクス?」
クラベルの声に、つるバラはすっと引いていった。どちらかで間違いない。クラベルは危険だから止めた方がいいという護衛騎士の言葉を振り切って、塔の内部の階段を登り始めた。力のない体には、階段がきつい。だが、父と息子を探しに行かなければならない。アシェル伯爵が無理でもせめてラクスだけでも・・・そんな気持ちで、クラベルが階段を登り続けた。
壁がほとんど見えなくなった時、クラベルはつるバラがこちらに向かってくるのに気づいた。
「ガロ?ラクス?」
つるバラは棘をしまうとそっとクラベルに巻き付いた。そして、ゆっくりクラベルを引き上げていった。
「ラクス・・・。」
つるバラを操っていたのは、4歳のラクスだった。その足元にはアシェル伯爵が倒れている。
「お父様・・・。」
倒れそうで声も出せないクラベルだが、ラクスを抱きしめた。
「大丈夫なの?怪我はない?」
「大丈夫。お爺様を殺そうとした奴がいたから、やっちゃった。お父様怒るかな?」
「お爺様を守ってくれたのね。ラクス、ありがとう。ラクスも無事で良かった。」
ラクスを胸に抱いたまま、クラベルは気を失った。お母様、と呼ぶ声が聞こえたが、もう目を開けることもできなかった。しばらくすると、ラクスが誰かと話す声が聞こえた。
「お母様、やっぱり役立たずだよ。」
「そんなことを言ってはならん。お前を心配してここまで迎えに来てくれたのだろう?」
「えー、僕一人なら転移できるのに。お爺様とお母様二人はまだ無理だもん。」
「お前はお母様が嫌いなのか?」
「うん。だって、役立たずだから。」
「力のないクラベルがお前を思って無理して行動したのに、役立たずだと?お前のような者は人間界でも妖精の国でも嫌われるだろう。困った時、苦しい時に見捨てるような奴を、仲間とは呼ばない。」
「弱いやつが悪いってお父様言っていたのに。」
「それは大人の男の話だ。アシェル伯爵と剣でやり合ったら、俺でも勝てない。アシェル伯爵はお前を助けるために抜刀して、騎士たちに囲まれた。」
「僕一人でもやっつけたよ。」
「お前には、その力を人前で見せてはならないと言ってあったはずだ。妖精の嘘にはどんな罰があるか覚えているな?」
「えー僕お爺様を守ったのに。」
ラクスには人の心がない。クラベルは絶望的な気持ちになった。この子はアシェル伯爵を継いで人間界で生きていくことはできない。母親を貶めるような発言を当然のものとするその心が、自分とガロファーノから生まれたということを、クラベルは認めたくなかった。
「ラクス。お前には後で罰を与える。覚悟しておけ。ベル、帰ろう。」
ガロファーノの声が遠い。
「ベル?」
真っ暗い底の中に、クラベルの意識が沈んでいく。違和感を感じたガロファーノがクラベルの呼びかけるが、クラベルは反応できない。
「ベル?」
限界だったようだ。深い穴底に落ち込んだクラベルには、もう何も聞こえない。何も見えない。ただ暗闇の中で一人静かに、涙を流し続けた。
・・・・・・・・・・
アシェル伯爵とラクスを監禁したのは、エリヤ王妃の手のものだった。下に転がっていた近衛騎士たちが全てエリヤ王妃付きの騎士だったこと、そしてアシェル伯爵の証言から、エリヤ王妃による貴族の誘拐及び殺害未遂と断定された。
「私を助けようと孫が暴れましてな。まだ力の加減ができないのでこうなりましたが、元凶は王妃です。王妃が何もしなければ、多くの人命が失われることも、王宮が壊されることもなかった。それに・・・。」
アシェル伯爵はザイト王をじっと見つめた。
「クラベルがまた心を壊すこともなかった。真の『バラの乙女』を壊してどうするおつもりですか?」
黙ったままのザイト王に、アシェル伯爵がとどめを刺した。
「この国の方では、貴族の誘拐及び殺害未遂がどのような刑になるのか、王の口からお聞きしたい。」
「それは・・・」
ザイト王は言いよどんだ。だが、アシェル伯爵が許すはずもない。ザイト王は息も絶え絶えだ。
「基本的には身分剥奪の上、国外追放。もしくは監獄島への島流し・・・。」
「被害者が複数名だった場合は?」
「・・・死刑。」
「今回は私と孫です。どうなさる?」
「だが、死刑だけは・・・」
「王妃まで務めた侯爵令嬢が、身分剥奪の上国外追放になった場合、他国で生きていけるとお思いですか?侯爵が余程先方に金を積んでいれば保護してもらえるかもしれませんが、追い剥ぎにでも遭えばよくて娼館送り、悪ければ死ぬことにもなるでしょうな。」
「そんな・・・」
「監獄島は厳しいことで有名ですな。肉体労働もある。王妃がそこで働ければ生きていけるでしょうが、生きるために娼婦まがいに成り下がる女囚も多いと聞きますぞ。」
「・・・・・。」
「であれば、王妃としての尊厳をこれ以上貶めぬために、処刑が一番と心得ます。まあ、最終判断は陛下次第ですが。」
アシェル伯爵がいなくなり、執務室に残された王は頭を抱えた。
なぜこんなことになった?
どうしてエリヤはこんなことをした?
そこまでエリヤを追い詰めたのは何だ?
頭の中でとりとめもない思考がぐるぐる回る。ザイト王は王妃となってからのエリヤの考えが分からない。だが、エリヤ王妃を「バラの乙女」候補として教え、導き、一緒に過ごした日々は、確かに愛に溢れていたはずだった。あの頃に戻れたら、どんなにいいだろう。だが、エリヤ王妃は罪人として牢につながれている。ザイト王がエリヤ王妃を元通りに待遇するすることはできない。
エリヤに聞こう。生きたいか、否か。
地下牢とはいえ貴族牢であるせいか、王妃のいる牢はそれほど狭くなく、最低限の尊厳は守られる作りになっている。
「ザイト、私どうなるの?」
王妃はまるで侯爵令嬢の時のように走り寄ると、格子越しにザイト王に呼びかけた。
「エリヤ。僕たちは間違ったんだ。人が人を殺そうなんて、考えることもいけなかったんだ。」
「でも、バラの妖精は前の陛下を殺したと聞いたわ!」
「あれはそうしなければ前の陛下がクラベルを側妃として強引に召し上げようとしたこと、そして人間ではなく妖精がしたことだから。」
「そんな!私たちだって、このままでは殺されるわ!」
「エリヤが手を出さなければ、彼らが僕たちを殺そうとすることはなかったはずだ。だが、君は法を犯した。君がこの国の王妃であるからこそ、君は法に従わなければならない。」
「え・・・?」
「どうして、先に手を出してしまったんだ?正当防衛も主張できない。君はただの犯罪者になり下がった。僕が君にできることは、君がこれ以上落ちていかないようすること。たとえ生き延びても、エリヤが無理矢理男たちの慰み者にされたり、むち打たれ暴言を吐かれたりするのは忍びない。だから・・・だから・・・。」
王、いや元バラの騎士ザイトは、自分の「バラの乙女」エリヤの目をまっすぐに見て宣告した。
「君には法に従って・・・死刑を言い渡す。」
エリヤと呼ばれた王妃はその場に崩れ落ちた。
「アシェル家の要求?」
「いや、法に則って出した結論だ。エリヤの尊厳を守るには、これしかなかった。エリヤにここまでさせたのは僕がふがいないからだよね?済まなかった、エリヤ・・・。」
ただ、女のしくしくと泣く声だけが聞こえる。
「君が逝く時は、僕も立ち会う。僕たちはいつも一緒なんだから。」
王と王妃の会話ではなく、そこにあったのはバラの騎士とバラの乙女候補として寄り添い合った時の空気だった。
「青バラの王妃」エリヤは毒杯を賜った。処刑の場に臨席した「青バラの王」ザイトは、エリヤを抱きしめて絶命まで見守ると、自分も同じ毒杯を仰いだ。処刑官は王が毒薬を隠し持っていたことを知らず、慌てて救命措置を試みた。だが、できるだけ苦痛を味わわせないようにと開発された毒薬である。ザイトは微笑んで救命措置を拒否すると、エリヤにそっと口づけをした。そして、血を吐きながらもエリヤをしっかり抱きしめて逝った。最後の言葉は、二人を一つの棺に入れててほしい、だった。
アシェル家に手を出すと、王家でさえただではいられない。
貴族家や残りの王族は戦々恐々とし、民の間にも動揺が広がった。特に、まだ幼児のラクスへの畏怖は大きく、ラクスと幼馴染みになろうという者はいなかった。ガロファーノにとってもこれは計算外だったらしい。妖精の国で妖精として生きる方が楽だろうと考えているようだが、それではアシェル家を継ぐ者がいなくなってしまう。
ラクスは誰からも遠巻きにされる存在となった。母クラベルがどれほどラクスを思っても、ラクスが拒否してクラベルの愛を受け入れなかった。ガロファーノはラクスの能力が強いことに喜びを感じているようで、「ヴェレッド王のバラ」はますます樹勢を盛んにしてその葉は照り輝いている。その葉に触れて青白い顔のクラベルが妖精の力を注ぎ込むと、邪気が払われていく。
いつまでこんなことが続くのだろうか。王と王妃が、二人の尊厳を守るために死んだ後、クラベルは完全に寝付いてしまった。今日は「ヴェレッド王のバラ」に呼ばれたため車椅子で奥の庭園まで出てきたが、もうしばらく自室さえ出ていなかった。次の王と王妃は、濃い紫色のバラを咲かせた王兄夫妻と決まっている。王兄夫妻には、今年女児が生まれていた。シルエーラと名付けられたその子が生まれたのが五月。黄金に輝く「ヴェレッド王のバラ」を出産祝いとして花束にして送ったのは、まだ半年前のことだ。
邪気が溢れるこの国を守るために、何ができるのだろうか。クラベルは「ヴェレッド王のバラ」に問いかける。
「私ニ 相談シテモ イイノカ? 全テ バラノ妖精ニ 伝ワルヨ。」
「直接話せないから、あなたを通して私の考えを知ってもらいたいの。」
「バラノ妖精ハ バラノ乙女ノタメニ 動イテイルガ 乙女ハ ソレヲ 望ンデイナイノカ?」
「そうね。私はただ、ガロと二人でいられればよかっただけなのに・・・一緒にいられない日の方が多くなってしまって・・・寂しい。」
思わずバラの前で本音が出てしまう。
「ごめんなさい、私行くわ。できたらガロに黙っておいてほしいけれども・・・。」
さわさわと「ヴェレッド王のバラ」が葉を揺らす。是とも非とも付かぬその返事にため息を残して、クラベルは自室に戻った。窓の外を見る。今日は新月で、空が暗い。その代わり、いつもより星がよく見える。
「月がないと、星が光るのね。」
ぽつんと言ったその一言を聞いた者は、誰もいなかった。
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