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よろしくお願いいたします。
翌朝、食堂には誰もいなかった。アシェル伯爵と夫人は帰宅できず、そのまま王城に泊まったと家令から聞いた。ガロファーノは、部屋からまだ出てこないのだという。
今のクラベルは1人では何もできない。あまりにも情報が不足している。ガロファーノから話を聞くことが、今できる唯一のことだろう。
クラベルはガロファーノの部屋をノックした。使用人たちは誰も命じなかったのに、バラの妖精からガロファーノが生きていると聞かされた日から、掃除もベッドメイクも換気もきちんとしてくれた。
「ガロ坊ちゃんがいつ戻ってきても良いように、みんなも待っているんですよ」
メイド長の言葉を思い出す。そうだ、ガロファーノは、既に家族の一員なのだ。ガロファーノなくして、アシェル家とは言えない。
ドアが開いた。
「あ、ベル、おはよう。どうしたんだい?」
「ガロ、おはよう。朝食がまだだって聞いたから、体調が良くないのかと思って来たの。無理していない?」
「100%ではないけれども、無理はしていないよ。ベルの朝食は?」
「これからよ。だって、1人で食べるなんて寂しいもの」
「そうだね。一緒に行こうか」
2人並んで歩く廊下。日常だったものが日常ではなくなった。そして取り戻された。まだ今は仮でしかないが、この瞬間だけは現実になっている。
「今日のジュースは何かな?」
「楽しみね」
ああ、こういう会話を、ガロと一生毎朝続けたい。クラベルは気持ちが高ぶって、涙ぐみそうになる。気づいたガロファーノが、不安そうな目をしてクラベルを覗き込む。
「どうした? 何か嫌なことがあった?」
「違うの。ガロがいて、うれしいなって」
「俺もだよ」
ガロファーノは、顔を真っ赤にしたクラベルを満足そうに見つめている。恥ずかしいけれども、これはきっと幸せの一つの形なのだろう。
アシェル家の朝食メニューは、基本的に変わらない。毎日変わるのは、フレッシュジュースの中身だ。季節柄同じ果物が2、3日続くことはあっても、ストレートの日、ミックスされた日、炭酸割りしてある日、といった具合に変化を持たせている。だから、アシェル家の朝食のジュースはお楽しみ箱なのだ。
今朝のジュースは、イチゴだった。今年のイチゴはこれで終わりだという。酸味と甘みのバランスが良い品種だったようで、甘ったるさが口に残らない。
「イチゴって、確かバラ科だったわよね」
「そうだよ。バラの仲間だ。普通のバラの実だとローズヒップになってしまうし、バラは木なのにイチゴは草で、あんなに大きくて甘い実をつける。生き物って不思議だよね。初めは小さな違いでしかなかったものが、いつの間にか大きな違いになって、まるで別物になってしまうことがある」
ガロファーノの言葉に、小さな引っかかりがある。顔を曇らせたクラベルに気づいて、ガロファーノがクラベルの頬を撫でる。
「ベルは賢いから、すぐに気がつくね」
ガロファーノは、何かを隠している。そして、それは何かとてつもなく大きなことなのだ。
「違いって……」
「食べたら、あのバラの所へ行こう。そこで全て話す」
「……分かった」
ぎこちなさを隠しきれないながらも、朝食は済んだ。ガロファーノもしっかり一人前食べていたから、体調に問題はなさそうだ。
・・・・・・・・・・
「さて、どこから話そうか」
「ヴェレッド王のバラ」の前にテーブルと椅子を用意させ、冷たいアイスティーの入ったカラフェを置くと、ガロファーノは誰も近づけないように家令に命じた。そして、注がれたアイスティーを一口飲んでから、そう言った。
「まずは、俺が『ヴェレッド王のバラ』の中で妖精化していた時に知ったことを話そうか。
あの日、精神的に弱った上にバラの力を失った俺の体は、力がなくなったことで逆の意味で力が暴走した。あるべき力があるべき所から失われたことで、体を維持できなくなったんだ。これは、人間と妖精の両方の力を受け継いで生まれた王家の人間特有の事象で、ベルには起こらないことだ。体の維持ができなくなったと言ったが、それは人間の体の維持という意味で、俺は人間としては死んだことになる。つまり、今の俺の体は純粋な妖精ということになる。だからね、ベル。俺たちは同じ種族ではなくなった。俺は人間の理の外の存在になってしまったんだ。
妖精だから、飛べた。飛べたから、ここに戻ってくることができた。そして、バラの中で休むなんていう、人間だったら絶対にできないことができた。バラの妖精は『ここでしっかり休んで、妖精としての力をバラから直接もらえばいい。そうすれば、取り上げられたって後付けできる。』って笑っていた。バラの力を取り上げられて困るのは、俺たちの人間の部分だけなんだよ。
ここにある『ヴェレッド王のバラ』は、種を俺が手に握って生まれた。だから、俺の分身なんだ。だが、その種は『ヴェレッド王のバラ』の原木から、王の子であることを証明するために与えられるものだと知った。俺はずっと、このバラは俺とベルだけのものだと思っていたが、やはり『ヴェレッド王のバラ』とのつながりがあったんだ。だから、バラの妖精とヴェレッド王がどうやって、何を目的に『バラの乙女』と『バラの騎士』のシステムを作り上げたのか、知ることができた。今からする話は、全てバラの妖精が教えてくれた話だってこと、覚えておいて。
ベル、『バラの乙女』はね、前世の善良な魂から選ばれた行動が10人の候補の中から、黄金のバラを咲かせた者が選ばれるんじゃないんだ。『バラの乙女』の選定が不定期ながら50年周期だというのも、ちゃんと理由があった。『バラの乙女』は、バラの妖精の妻、ローズの生まれ変わりなんだ。候補が10人というのは、ローズの死後に魂が10に割れてしまったから。割れたのは、バラの妖精よりもずっと短い寿命で死に別れることが悲しかったから。でも、その魂の欠片は等分ではなかった。彼女の中のいろいろな面が、その大きさのままに割れた。妻として夫を愛する面、母として子どもを愛する面、優しく朗らかな面、という風に。
俺たち『バラの騎士』は、その欠片に対応する存在として生まれる。バラの妖精の中の一部が記憶として埋め込まれていて、相手が対応する欠片かどうかが、香りで分かるんだ。その香りを発する器官が、バラのつぼみのあざ。あざの香りを嗅ぐことで、俺たちは自分の愛すべき欠片かどうか、バラの妖精から与えられた記憶を元に判断するんだ。だから、香りが違うと別の『バラの騎士』と交代して、香りで確認する。まあ、みんな半分妖精だから、自分の愛すべき欠片が生まれるとなぜかそれが分かるんだ。生まれた瞬間に、発せられる香りが王城に届くのかもしれないな。何が言いたいのかって言うとね、『バラの乙女』候補と『バラの騎士』は、生まれる前から魂が繋がっているってことさ」
「私はあのローズの生まれ変わりの一人で、ローズのある一面を持って生まれた私に、あなたは対応する存在として生まれついた、ということ?」
「そうだ。オルテンシアは、愛する人と別れなければならなかったことでローズの中に生まれた良くない感情……例えば、嫉妬とか、どうして自分だけが辛い目に遭うのかとか、美しいままのバラの妖精への執着とか、そういうものの欠片だった。だから、自分の思い通りにしたい、やりたくないことは絶対にやらない、そういう側面を持っていた。対応するザイデルバストには、やりたくないことでもやれるように導いたり、満足を覚えさせたり、そうやってオルテンシア自身の存在を善なるものにするという役割があった。
だが、ザイデルバストは失敗した。お互いの信頼が薄れたことで、ザイデルバストの心のままにバラが枯れてしまった。ザイデルバストはそこで自分の失敗を認めていれば、王族としての地位は取り戻せたんだ。だが、あいつは認められなかった。オルテンシアに、ルーチェ家に固執した。オルテンシアはザイデルバストの命令を聞いたが、それは『バラの乙女』になれなかった自分に対する義務的なものだと思っていたようで、それもザイデルバストの気持ちを逆なでした。ザイデルバストの心が疲れ切ってしまった時、俺たちの話を耳にした。仲がよく、『ヴェレッド王のバラ』の栽培も順調だと聞いて、その時から他の候補者と騎士たちを潰す計画を立て始めたらしい」
「オルテンシアの持っていた欠片に、そんな感情があったの? 生まれた時からそんな感情を持たされているなんて、悲しいわ」
「そうだね。もっと言うとね、真の『バラの乙女』は、どの欠片がなるのかおよそ決まっているんだ。ローズの中で大事だったことって、何だと思う?」
「バラの妖精を愛すること?」
「そう。そして、バラの妖精を愛するために、バラを育てることも含まれる。バラを育てる能力の欠片、それがベルなんだ。ベルには俺が確かにバラの育て方を教えた。だがそれ以上に、ベルはバラを育てることを感覚で知っていた。見れば問題が分かる。触れば状態が分かる。剪定なんて教えられなければできないのに、ベルは最初から内側の込み入った枝や、細くて弱い枝を見極めて切っていたよね? あれは、バラについてベルが勉強したことをきちんと理解できていなければ、実践できないことなんだ。ベルの中の欠片が、ベルを助けてくれていたんだ」
「ならば、ガロの役割は?」
「俺の役割は、ベルがバラを育てることが好きなままでいさせること、バラ以外見えなくなりがちなベルに、人を愛することを教えること。人っていうのは特定の人物ではないよ。家族・友人・自分のために働いてくれる使用人たち、物作りをしてくれる民……ローズは周りが見えなくなるタイプで、敵も作りやすかった。みんなに愛される人になるためには、自分から愛を与えればいい。俺がベルを愛せば、ベルは愛されることを知る。愛されること知っていれば、他人を愛せる。そうだろう? まあ、俺は心の底からベルを愛することができたから、俺の精神状態に影響される『ヴェレッド王のバラ』は、あれだけ大きくなったんだ。愛するフリを頑張る毎日だったら、きっと俺は疲れてもっと小さなバラで終わっていたはずだ」
クラベルは始め、役割だから愛したのだと言われているように感じてしまった。だが、本心からの愛だと言われ、安堵する。
「『バラの乙女』の資格を失うと、あざが消えるだろう? あれは、『バラの騎士』の役割が終わったことを表すんだ。消えたあざは、実はその要素ごと他の候補者たちの所に移転する。子どもの頃と比べて、あざが濃くなってきたと思ったことはないかい? あれは、欠片が真の『バラの乙女』に戻っていくからなんだ。だから、選定の時、選ばれなかった2人のあざも消える。ベルのあざに変化が起きるはずだから、楽しみにしているといい」
「ねえ、本当に私が真の『バラの乙女』なの? そうしたら、ザイデルバストの話だとガロが王太子になると思うのだけど、そうなの?」
ガロファーノの目が揺れた。何か言わなければならないが、ためらっている。
「ガロ、私はガロの奥さんになれるなら、王太子妃でも王妃でも頑張るよ。アシェル家の跡継ぎの問題があるというなら、手はいろいろあるのだし」
「違うんだ。最初に言ったこと、覚えている? 俺は人間の体を失って人間としては死んだ存在だ。だから、王族としてのガロファーノは、もうこの世にいない。つまり、俺が王太子や王になることは、ないんだ」
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