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よろしくお願いいたします。
ル・バル・デ・デビュタント……大人の仲間入りをするこの日を、貴族の若者たちは期待と緊張感を持って迎える。デビュタントは、若者たちにとってただの成人イベントではない。社交界のパーティーや茶会はこれ以降、笑顔で腹の探り合いをする厳しい情報戦の場となり、集団お見合いの場ともなる。デビュタントの失敗は小さなものであれば初々しいという一言で許されるが、大きな失敗をすれば二度と社交の場に出ることが許されなくなってしまう。また、デビュタントの時の姿、行動は特によく見られており、翌日に婚約の申し込みが殺到するような例もある。夢見がちな娘も一定数いるのだが、貴族の戦いの場であることに変わりはない。いわば「初陣」なのである。
その「初陣」の場に、既に婚約者がいる者は婚約者を、いない者は気心知れた幼馴染みや父・兄などを自分を守るエスコートの相手として選択するのは、当然のことと言えよう。
クラベルは、父が隣にいてくれることが何とも心強かった。ガロファーノの隣であればもっとうれしかっただろうとは思うが、こればかりは仕方がない。身分順に名を呼ばれ、王と王妃に拝謁する。アシェル伯爵家クラベル嬢、というコールを聞いた瞬間、王と王妃の目が心なしか潤んだように見える。
「デビュタントおめでとう。王家は何があっても、クラベル嬢を守ると約束する」
「デビュタントおめでとう。クラベル嬢、何かあったらいつでも私の所へいらっしゃい。力になります」
「過分のお言葉、ありがとうございます。貴族として、これからより一層励みます」
王と王妃の前を退き、挨拶の列から離れる。全員の挨拶が終わると、ファーストダンスの時間となる。それまでほんのわずかではあるが、時間ができる。王と王妃との挨拶が長いほど目を掛けられていると捉えられる。王家と日常的に接点がある公爵令嬢などは、歓談に近いものがあったし、伯爵家クラスであれば「デビュタントおめでとう」の一言でだけで終わるのが通常である。それなのに、クラベルの時には「クラベルのことは王家が守る」と王が公的な場で発言した。つまり、クラベルが王家にとって特別な存在であると宣言したのと同じである。昨年の事件以来、ガロファーノがいても山のように来ていた釣書はパタリと来なくなった。だが、クラベルは今年のデビュタントの中でも特に容姿も姿勢も仕草も美しい上、王家とのつながりが期待できると貴族全員が知ってしまった。明日からまた釣書が届くだろうが、今日は直接声を掛けて来る者や、クラベルを陥れようとする者から守らなければならない。父は自分がデビュタントの若者であるかのように力が入っている。自分がデビュタントに参加した時は、隣に婚約者……今の伯爵夫人の姿があった。2人で乗り越える最初の試練が、このデビュタントだったことを思い出す。
男爵家になると、王家の言葉は「おめでとう」の一言となる。列に残る者がいなくなったところで、デビュタントの若者たちに招集がかかった。きちんと列に並んでダンスホールに入る。周囲には、デビュタントのファーストダンスを見守る家族やそれ以外の貴族たちが、今年のデビュタントたちを、まるで檻の中の動物を見るように観察している。
怖い。
貴族社会の洗礼と言っても過言ではない。見られ、緊張し、ダンスに失敗して、そのまま引きこもりになる令嬢も、毎年わずかだがいるという。これまで分からなかったその令嬢の気持ちが分かるような気がした。
でも、私は伯爵家を継ぐ者。こんな所で負けられない。
クラベルは優雅に最初のワルツを踊った。踊り慣れた父のリードに、安心して踊ることができる。演奏が終わる。優雅に礼をする。ここから、デビュタント以外の貴族たちも踊りの輪に入る。クラベルに声を掛けようとする男たちが、我先にと近づいてくる。
「美しいお嬢さん、私と踊っていただけませんか?」
父を見ると、小さく頷かれる。
「絶対に、2曲続けて踊ってはいけないよ」
小さな声で念押しされ、頷く。
2曲目を踊った相手は、公爵家の3男だと名乗った。年は少し上のようだ。
「みんな、あなたに注目していましたよ。あなたが嫡女だということは知られているから、現在嫡男の地位にある者は歯ぎしりしています。ダンスを申し込んであなたとお話しできてもあなたを妻に迎えることができないと分かっているから、声を掛けられないんです」
「まあ、そうなんですの?」
「私は今まで、3男であることをずっと恨むような気持ちで生きてきましたが、こんなに気分がいいのは初めてです。あなたと最初に踊った、家族以外の男になれるなんて……」
いいえ、私が最初に踊った家族以外の男は、あなたではないわ。
公的な場では男の言う通りかもしれないが、クラベルは微笑みつつ心の中で全否定する。公爵家の三男は何とか3曲目も踊ろうとしたが、2曲目が終わった瞬間にクラベルの周りに人だかりができ、はじき出されてしまった。
3曲目を踊ったのは、1つ年下の伯爵家の次男だった。同じデビュタントである。
「ご一緒の方は、よろしいんですか?」
「彼女なら、出会いを求めてあちこちに声を掛けています。従姉妹でね、私にもお相手がいなかったからちょうどいいだろうって、そんな理由ですから」
父や公爵家の三男と比べると、リードに慣れていないのがよく分かる。だが、公爵家の三男よりリードは丁寧だし、こちらを気遣ってくれるのが分かる。
ああ、こうやって為人を知って、見極めて行くのね。
踊っただけで何が分かるのだろうと疑問に思っていたが、続けて踊ることでその差異に気づく。ダンスの練習を小さな頃からたたき込まれるのは、ダンスに集中しないで人を見るためなのだと気づく。
悪くないダンスだった。だが、ガロファーノと練習で踊った時のような高揚感はどこにもない。ただ無難に踊り、当たり障りのない会話を続ける。
4曲目は休みたいと思い、3曲目が終わる前に父を探す。アシェル伯爵はずっとクラベルの様子を見ていてくれたようで、耳を手で触わった。迎えに行く、のサインだ。曲が終わり、伯爵家の次男と礼をする。またいずれ、と言われ、曖昧に微笑む。
父が隣に来た気配がした。ほっとして気配のする方を振り返って、固まった。
「どうしてあなたが!」
そこにいたのは、父ではなかった。ザイデルバストだった。ザイデルバストは冷たく微笑むと、クラベルの腕を捕らえた。
「離してください!」
「お前は俺がもらい受けると言っただろう。なぜ逃げ出した?」
その目は背中がひやりとするほど冷たい。体が動かない。声も出ない。アシェル伯爵が何か叫んでいるのが見えるが、もう音も聞こえない。
「さあ、帰ろうか、クラベル」
嫌だ、私はガロといたいの!
涙が溢れる。心の中で「ガロ助けて!」と叫び続ける。周りの人の動きが緩慢に見える。ザイデルバストがつるバラの渦を発動しようとしているように見える。
このまま、また連れ去られてしまうのだろうか。ガロファーノと、もう二度と会えないのだろうか。
スローモーションの世界の中で、カツン、カツン、という靴音が聞こえた。その音は次第にクラベルとザイデルバストに近づいてくる。ザイデルバストが慌てたようにクラベルを抱き寄せようとした時、バチンという激しい音がした。ザイデルバストがうっと呻いて、クラベルを離す。バラの葉が、はらりとクラベルの髪から落ちた。誰かの腕が伸びてきて、抱き込まれる。
「ベルを返してもらう」
ああ、この声は!
クラベルは頭を抱え込まれて、その人の顔を見ることはできない。だが、この声はよく知っている。自分の名を何度も呼び、笑い合った、暖かい声……
「ガロ……!」
「迎えに来るのが遅くなってごめん。でも、ベルが俺たちの『ヴェレッド王のバラ』の葉を持っていてくれたからベルがいる場所もすぐ分かったし、ベルが危ない時にバラの力を使えたよ」
やっとの思いで顔を上げると、そこには紛れもない、ガロファーノの顔があった。記憶の中にある顔より少しだけやつれているのは、きっとガロファーノが復活したばかりだからに違いない。
「陛下、ザイデルバストを捕らえる許可を!」
大声で、王を見ることもなく、ガロファーノが叫ぶ。
「許す!」という大きな声と同時に、ガロファーノが差し出した右の掌からつるバラが伸び、ザイデルバストを拘束する。
「お前、バラの力を奪われたのではなかったのか!」
周りを騎士たちが取り囲む。
「お前に与える情報はない……ああ、これだけは言っておこうか。今、俺のバラの力でお前のバラの力を奪ったから、お前は今後バラの力を行使できない。もうあちこちに逃げ回ることもできない。残念だったな……連れて行け」
凍るように冷たい声で、ガロファーノはザイデルバストに告げた。ザイデルバストは何とか拘束を解こうとするが、つるバラの棘が食い込み、ザイデルバストの体を傷付ける。女性たちの中には、血を見て卒倒する者もいる。
「ガロ……」
「行こう……」
ガロファーノは、クラベルをしっかり抱きしめたまま、王と王妃の前に立った。そして、深々と礼をした。
「……戻ったか」
「はい。遅くなりました。大事な話がありますが、それはまた後日」
「良かろう」
王は立ち上がった。一部にまだ混乱は見られるが、今、何が起きたのかを察した貴族たちは王を見ている。王が何というか、待っているのだ。
「侵入者を許したこと、申し訳ない。だが、侵入者は捕らえた。今宵はル・バル・デ・デビュタントだ。さあ、皆で踊ろうではないか!」
王は王妃の手を取ってダンスホールへ誘う。音楽が再開される。王と王妃の息の合ったダンスに、誰もがほうっと見とれた。
「次は俺たちだよ」
ガロファーノはクラベルの手を取る。
「美しいお嬢さん、踊っていただけませんか?」
「はい、喜んで」
2人のダンスは、王と王妃のダンスと引けを取らないものだった。この2人でなければなしえない、2人だけのダンス。優雅なワルツに、難しいステップはいらない。ただ優雅で、誰も入り込む隙間のない、完璧なダンス。
あの2人、1年以上もワルツを踊っていないとは思えないな。
娘が突然現れた男に攫われそうになった時、アシェル伯爵は騎士を呼ぶことしかできなかった。また連れて行かれる、そう思った時、ガロファーノがあらわれ、娘を助けてくれた。そして今、2人は微笑み合って踊っている。
アシェル伯爵は、隣にいる妻を見た。涙ぐんで、顔が上げられずにいる妻に、そっとハンカチを渡す。クラベルが「クリームシフォン」を刺したハンカチだ。
「明日、釣書がたくさん来るかもしれないと思ったが、これなら来ないだろう」
「ええ。そうでなければなりません」
鬱屈していた心が解放されていく。今夜はよく眠れそうだ、とアシェル伯爵は思った。
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