ディープグリーンな臭い
クリアな半月が星たちと一緒にきらめく夜。
いよいよルークとのお別れの時。
ルークは家の前の開けたスペースに簡易的なかまどを作り、大きな鉄鍋を置いた。
謎の液体からゴミみたいな紙屑まで、鉄鍋にポイポイ放りこみ、ルークは火をかけた。
グツグツグツ
ルークは柄の長いしゃもじで、鍋の中をグルグルかき混ぜてる。
あ、また、謎の細長いものを入れた。
深緑色の煙が立った。
なんじゃ、これ。
人間の魔術師、マジでどうかしてる。
飲めとか言わないよね…
ナッツ、疑いの眼差し。
ルークは並行して、地面に魔法陣を描き出した。
さすがに上手い。手慣れている。
ナッツが感心して見ている間に魔法陣は描き終わり、ルークは鉄鍋に向かった。
グツグツボコボコ
くっさ。
何これ、何入れた?
めっちゃ臭いんですけど。
ナッツ、可愛いものは大好きですが、臭いものは嫌いです。
珍味とか無理な体質。
うわ。ひどい。何これ、生ごみ?
「よし。準備は完了だ」
ルークが頷いて顔を上げた。
「ナッツ、この鍋の魔法汁を飲むんだ」
…
…
…
「やだ」
だから、そういう展開はやめてって先に言った(思った)のに!
ナッツ、臭いの嫌い。無理ったら無理。
魔法汁って。
お味噌汁みたいに言っても、まったくおいしそうじゃない。
引き気味のナッツに対して、ルークは真剣な顔をして言った。
「これを飲めば、魔界に帰れるんだ」
う。
それを言われると。
「魔界に帰りたいんだろう?」
ルークがまっすぐに私を見て、問いかける。
少し険しい顔。
分かってる。ルークはナッツのことを考えてやってくれてる。
私の尻尾がしょぼんと下を向く。
分かってるんだよ。
全部、分かってるんだってば。
「帰りたいよ」
そう言うしかないじゃん。
ルークが頷く。
「だったら、答えは一つだ」
ルークが見慣れたお玉を差し出す。
味見かよ。
…
何でかな。
ナッツの手は震えました。
おずおずとお玉を受け取った。
グツグツブクブク
くっさい。
深緑。
オエッ!
ナッツ、いろんな意味で涙目です。
ちらっと見ると、どこまでも真剣な顔のルークがこっちを向いてる。
優しい。
それがルークの優しさだと私はもう知っている。
涙をこらえて、深緑のドロッとした液体をお玉ですくった。
まじで、飲むの、これ。
涙目です。
臭くて顔をお玉にまっすぐ向けられない。
分かってる。
分かってるんだってば。
私は泣きながら顔をお玉に向けた。
「忘れてた」
ルークのすっとぼけた声が聞こえた。
え、と思い、顔をそちらに向けると。
ルークが黄色い液体の入った小瓶を持っていた。
それは!
心友クイーンイエローがまがえるの油!
「これ入れて完成だった。あははは!」
ルークが笑った。
私の中で、何かがブチっと音を立てた。
「ちょっと!笑い事じゃないし!死ぬ気でこんなの飲んで、あ、間違ってた、もう一杯、とか、ありえませんから!」
軽くマジ切れして、ルークの襟首つかんで揺すってやった。
「ごめんごめん。今、入れるから」
ルークが照れ笑いをして、小瓶のコルク栓を抜いた。
ああ。こんな時もかわいいルークの笑顔にきゅんとくる。
ナッツ、重症。
ルークがクイーンの油をナッツの持つお玉に一滴垂らした。
黄色い煙が立った。
モワモワモワモワ
あれ、お玉の中に残ったのは、透明な一粒の欠片。
ナッツの小指の爪ほどもないくらいの小さなもの。
「何これ」
「文献にあった通りだ。それを飲み込めばいい」
…
…
…
「ルーク!あんた!」
「ごめん。忘れてた。最終形態は、無色透明無味無臭の固体だった。あははは!」
できる限り、ボコボコにルークを叩きまくってやった。
「いててて…。ごめんごめん。本当すみません。それ飲んだら、魔法陣の上にお願いします」
涙目のルークが頭のこぶを押さえながら、ナッツに言った。
ナッツは、ぱっくんと透明な粒を飲み込み、魔法陣の真ん中に立ってやった。
ルークは、ふうっと一息ついた。
そして、モードを変えた。
それは神聖な姿。
「我が名はルーク。いにしえの神々に仕えし夜の民の末裔」
朗々と呪文を唱えるルークは、月と星に照らされ人間離れして見えた。
ルークがほのかな光を帯びる。
胸が苦しくなってきた。
だって、お別れだよ?
魔法陣の真ん中で、足元から強い力が迫ってくるのが分かる。
でも、全然、怖くない。
ルークの魔術はいつだって優しい。
あんな思い出、こんな思い出。
短い間だったのに、すごく楽しかった。
たくさん腹も立ったけど、でも、楽しかったの。
ルークの呪文詠唱は続く。
耳に心地よい。
ずっと聞いていたい。
それは、あなたの声だから。
ナッツ、大泣きです。
でも、だからどうした。
足元から強い光が照らし上げ、体の内側にある小さな雫がそれに応える。
ナッツが泣こうがわめこうが、もう意味ないから。
左の手のひらが熱くなる。
ナッツとルークをつないでいた五芒星。
ごうごうと風が下から吹き上げる。
ルークの詠唱が遠くに聞こえる。
まるで、風に吹き飛ばされるように五芒星を成していた線が、一つ、また一つと消えていく。
やめて。
今、私は、やめてと言ったのか。
それも分からなくなるほどの強い風に吹き上げられる。
何の痛みもなく。
ただただ風に吹かれて。
ルーク。
ルーク。
心は呼んだけど。
気がつくと私は魔界に帰って来ていた。




