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『魔王を倒したガチムチ聖者、召喚された日に戻される 〜リストラ帰りの三十歳、能力そのままで現代を生き直す〜』  作者: あちゅ和尚


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第8話 確認された男

 救急車のサイレンは、鳴らさずに来た。


 古い集合住宅の前に、白い車両が静かに停まる。


 制服姿の救急隊員が二人。


 その後ろに、スーツ姿の男が一人。


 普通の救急搬送には見えない。


 だが、近所の住人からすれば、病人が出たようにしか見えない程度には整えられていた。


 橘が玄関先で短く説明する。


「意識障害からの回復直後です。脱水と衰弱の確認を。搬送先は協力病院でお願いします」


 救急隊員は余計なことを聞かなかった。


 聞かない訓練を受けている顔だった。


 真白は担架に乗せられた。


 顔色は戻っている。


 呼吸も安定している。


 それでも体は細く、力はない。


 敦の治癒で危ないところは戻した。


 だが、数日まともに食べられず、眠りも怪異に引きずられていた。


 それは現実の衰弱だった。


 光で何もかも帳消しになるわけではない。


 真白は担架の上で、ぼんやりと目を開けた。


「……お兄」


 蓮がすぐに駆け寄る。


「ここにおる。病院行くだけや。すぐ行くから」


「ツナマヨ……」


「分かった。買う。病院で食べてええか聞いてからやけど」


「二個」


「二個な」


 蓮は泣き笑いの顔で頷いた。


 父親は何度も救急隊員に頭を下げている。


 声がうまく出ていない。


 無理もない。


 娘が目の前で失われかけ、戻ってきた。


 その現実に、心がまだ追いついていないのだろう。


 担架が玄関を出る。


 廊下にはもう見物人はいなかった。


 真壁が警察と連携して、人を遠ざけている。


 それでも、階段の下や道路の向こうには、こちらを見ている視線があった。


 住人。


 通行人。


 スマホを下げた若者。


 撮ることを諦めきれない目。


 敦はその視線を見て、奥歯を噛んだ。


 さっきより怒りは静かだった。


 だが、消えたわけではない。


 怒りを餌にされる。


 それはもう分かっている。


 それでも、人の命がかかった場所を見世物にする目は、やはり腹の底に重く残る。


 御影が木箱を抱えて出てきた。


 封印布で何重にも包まれ、さらに札で縛られている。


 それでも、布の奥からかすかな冷気が漏れていた。


 敦は眉を寄せる。


「それ、そのまま運んで大丈夫なんですか」


「大丈夫とは言いません。けれど、今はこれ以上開かせません」


「少し焼いてええですか」


 御影の腕に力が入った。


「完全に浄化するつもりですか」


「ちゃいます。中身ごと消したら、誰が触ったか分からんようになるんでしょう」


 御影は目を見開いた。


「分かっているんですか」


「さっき証拠って言うてたやないですか。だから、外に漏れてる嫌なやつだけ落とします」


 御影はすぐには答えなかった。


 封印布の奥から、まだ黒い冷気が滲んでいる。


 さきほどほど強くはない。


 だが、持ち運ぶには嫌な気配だった。


 烏丸が白い杖を床に当てた。


「その未来は悪くありません。むしろ、そのまま運ぶ方が少し悪いです」


「ほな決まりですね」


 敦は木箱へ右手をかざした。


「布と札は焼きません。漏れてる分だけ」


「お願いします」


 御影が短く答えた。


 敦の指先に、白い光が集まる。


 さきほどのような強い炎ではない。


 細く、薄く、表面を撫でるだけの光。


 白い光が封印布の上を滑った。


 燃えたのは布ではなかった。


 札でもない。


 木箱でもない。


 布の隙間から漏れていた黒い冷気だけが、白く炙られ、音もなく消えた。


 御影が息を呑む。


「……持ちやすくなりました」


「持ちやすくなった、で済むんですね」


「本来は、これだけで儀式一つ分です」


「便利扱いされそうで嫌やな」


 敦は手を下ろした。


「でも、子どもに触った残り香をそのまま運ばれるのも嫌なんで」


 御影は木箱を抱え直した。


 さっきより腕の力が抜けている。


「ありがとうございます。これなら本部まで持たせられます」


「本部、信用できます?」


 御影の足が一瞬だけ止まった。


 それから、ゆっくり敦を見る。


「信用したいです」


「したい、ですか」


「はい」


 その答えだけで十分だった。


 御影は嘘をつかない。


 なら、祓戸連盟の中にも怪しいものがいる可能性を、彼女自身も消せていないのだ。


 烏丸が階段の手すりに軽く杖を当てた。


「本部へ持ち込む道も、いくつか悪い未来があります」


「その言い方、毎回怖いですね」


 敦が言うと、烏丸は薄く笑った。


「でも、全部ではありません。御影さんが一人で運ばないこと。鏡面を確認しようとしないこと。途中で連盟以外の者に渡さないこと。この三つを守れば、最悪はかなり避けられます」


「かなり」


「未来に絶対はありません」


「便利なようで、不便やなあ」


「本当に」


 御影は烏丸に小さく頭を下げた。


「助かります」


「僕は地雷を見ただけです。踏まなかったのは、あなたたちです」


 救急車の扉が閉まる。


 蓮と父親も乗り込む。


 その直前、父親が振り返った。


 敦の前まで来て、深く頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました」


「頭、上げてください」


「娘を……戻していただいて」


「俺だけちゃいます。皆でやりました」


「それでも」


 父親は顔を上げた。


 目が赤い。


 その目に、ふと別の感情が浮かんだ。


 ためらい。


 迷い。


 そして、縋りたい気持ち。


 敦は、その表情を見た瞬間に分かってしまった。


 父親の視線が、真白の担架へ向き、それから部屋の奥へ向く。


 母親の写真があった場所。


 三年前に亡くなった妻。


 春野家の父親は、口を開きかけた。


 だが、言葉にはしなかった。


 言えなかったのではない。


 言ってはいけないと、自分で止めたのだ。


 敦は静かに言った。


「すみません」


 父親の肩が震えた。


「俺、死んだ人は戻せません」


 父親の目から、涙が落ちた。


「……はい」


「真白さんの体は、少し助けました。でも、何でも治せるわけでも、何でも戻せるわけでもないです」


「分かっています。分かって……います」


 父親は何度も頷いた。


 分かっている人の顔ではなかった。


 けれど、分かろうとしている人の顔だった。


 敦は、その顔を見て胸が重くなった。


 これから先、自分の治癒を見た人間は、きっと何度も同じ顔をする。


 助けてほしい。


 治してほしい。


 戻してほしい。


 そう言われる。


 それを全部抱えたら、敦は壊れる。


 榊原が言っていた言葉を思い出す。


 全部背負うと潰れます。


 本当にその通りだった。


 橘が一歩前に出た。


「春野さん。病院では、今日見たことをすべて話す必要はありません」


 父親が顔を上げる。


「でも」


「真白さんを守るためです。怪異のこと、龍宮寺さんの治癒のことが広まれば、今度はご家族が追われます。報道、配信者、妙な団体、いろいろ来ます」


 蓮が救急車の中から顔を出した。


「俺の投稿のせいで……」


「投稿しなければ、妹さんは助からなかった可能性があります」


 橘ははっきり言った。


「だから、投稿したこと自体を責める必要はありません。ただ、ここから先は私たちも手伝います。アカウントの整理、削除依頼、学校や近所への説明、病院との調整。全部、一人で抱えないでください」


 蓮は唇を噛み、何度も頷いた。


「はい」


 救急車が静かに動き出した。


 サイレンは鳴らない。


 それでも敦には、その白い車両が戦場から離脱する荷車のように見えた。


 助かった者を運ぶ車。


 その後ろ姿を、敦はしばらく見送った。


「龍宮寺さん」


 橘が声をかけた。


「一度、事務所へ戻ります。ここで長く立っていると目立ちます」


「そうですね」


「体調は?」


「腹が減りました」


「それは体調に含めていいんですか」


「俺の場合、かなり重要です」


 烏丸が横から言った。


「そのまま食べない未来は悪いです」


「そこまで予知で言われるんですか」


「途中であなたが機嫌を悪くして、会議の空気が地獄になります」


「それ、予知やなくて普通の推測ちゃいます?」


「半々です」


 御影が少しだけ笑った。


 本当に少しだけだったが、笑った。


 張り詰めた空気が、ほんのわずか緩む。


 その時、橘の端末が震えた。


 画面を見た橘の表情が、すぐに硬くなる。


「三上さんからです。移動しながら共有します」


 黒い車へ向かう。


 真壁が運転席へ。


 橘が助手席。


 後部座席に敦、御影、烏丸。


 御影の膝には封印布の木箱。


 烏丸は白い杖を両膝に置いた。


 車が走り出すと、橘が端末の内容を読み上げた。


「黒い手の動画を最初に上げたアカウントは、作成自体は三か月前。投稿履歴はほぼなし。今日、春野蓮くんの投稿を引用し、その後、現地にいた別の見物人の動画を拾って加工。黒い手が見えやすい部分だけを切り出して拡散しています」


「現地にいたんですか」


 敦が聞く。


「分かりません。少なくとも、現地の誰かが上げた短い動画を、異常な速さで拾っています」


「最初から待ってたみたいですね」


「榊原さんも同じ見解です」


 橘は続けた。


「ただし、真白さんの件が最初から龍宮寺さん狙いだったとは考えにくい。時系列が合いません」


「そこは烏丸さんも言うてました」


 敦は窓の外を見た。


 街は普通に動いている。


 自転車。


 宅配トラック。


 制服姿の学生。


 犬を散歩させる老人。


 そのすぐ近くで、鏡の向こうに子どもが引きずられかけていた。


 この世界は、思ったより薄い皮一枚でできている。


 普通と異常の間にある皮は、簡単に破れる。


「鏡を起こしたやつと、動画を拾ったやつは別かもしれない」


 敦が言うと、御影が頷いた。


「はい。けれど、どちらも偶然だけとは思えません」


「鏡を起こしたのは?」


「まだ分かりません。古い封じの知識が必要です。祓戸連盟の内側、あるいは連盟と関わりのある家、古物商、退魔の外道筋」


「外道筋?」


 烏丸が説明した。


「怪異や呪物を、祓うのではなく使う人たちです。公的な組織ではありません。家もあれば、個人もいれば、商売にしている者もいます」


「呪物を商売に?」


「あります。見世物、占い、呪い代行、金持ち向けの護符、政治家向けの縁起物。表向きは骨董や民間信仰でも、中身は危ないものが混じる」


 敦は額を押さえた。


「思ったより世の中が汚い」


「人間の世ですから」


 御影が静かに言った。


「怪異より、人間の欲の方が面倒なことも多いです」


「それは分かります」


 異世界でもそうだった。


 魔物より、人間の取引の方が厄介なことがある。


 呪いより、権力者の命令の方が逃げづらいことがある。


 世界が変わっても、そこは変わらないらしい。


 橘が端末を見ながら続ける。


「消えたアカウントの最後の投稿、《白い聖者、確認》。この文言は、一般のネット用語とは少し違います」


「梅田の聖者、やないんですね」


「はい」


 敦は黙った。


 白い人。


 鏡の向こうの声が、そう呼んでいた。


 敦の力を見た者なら、白い聖者と呼ぶかもしれない。


 だが、あの場の外から普通に見ていた人間に、そこまで分かるだろうか。


 御影も同じことを考えたのか、封印布の木箱を見下ろした。


「鏡を通して見ていた者がいるなら、白い、という表現はおかしくありません」


「つまり、あのアカウントの向こうにいる人間は、現地動画だけやなくて、鏡側の情報も得ていた可能性がある」


 敦が言うと、烏丸が頷いた。


「はい。もしくは、鏡の怪異に近い場所から見ていた」


「どっちにしても、普通の配信者ではないですね」


「普通なら、その方がましでした」


 車内が静かになる。


御影の膝の木箱は、もう冷気をほとんど漏らしていない。


敦はそれを見て、少しだけ息を吐いた。


「……全部焼けたら楽なんですけどね」


御影が木箱を抱え直した。


「焼けば、楽にはなります。でも、痕跡も消えます」


「分かってます。せやから、焼かんかったんです」


敦は窓の外へ目を向けた。


「壊せば早い。でも、壊したら追えへん。ほんま面倒ですね」


「はい。怪異も、人間も、証拠を残す時が一番厄介です」


 敦は背もたれに体を預けた。


 壊せば早い。


 けれど、壊すと分からなくなる。


 これもまた、力だけでは足りない話だった。


 ただ、さっきまでと違う。


 力を使えないわけではない。


 使った上で、次は使わない理由がある。


 それなら、まだ納得できる。


 車は雑居ビルの地下駐車場へ入った。


 行きと同じ場所。


 敦は相変わらず地下が好きではない。


 だが、今は戻ってきたという感覚の方が強かった。


 ほんの数時間前に来たばかりの事務所。


 それなのに、もう少しだけ見知った場所になっている。


 五階の事務室に戻ると、三上がノートパソコンを三台並べていた。


 目の下に隈ができている。


「おかえりなさい。真白さんは?」


「戻りました」


 橘が言うと、三上は大きく息を吐いた。


「よかった……」


 その声には、心底の安堵があった。


 画面ばかり見ていても、彼は人を見ている。


 敦は少しだけ三上を見る目を変えた。


 榊原は奥の会議机にいた。


 電話を切り、立ち上がる。


「状況は聞いたわ。まず、真白さんを戻したことに感謝します」


 敦は首を振る。


「俺一人やないです」


「それでも、あなたの力がなければ厳しかった」


「まあ、そこは否定しません」


「否定しないのね」


「しました。でも、御影さんに怒られそうなんで」


 御影は疲れた顔で椅子に座った。


「怒る気力は今ありません」


「それは助かります」


 烏丸は部屋の隅の椅子に腰を下ろした。


 白い杖を壁に立てかける。


「僕は甘いものがほしいです」


 三上がすぐに机の引き出しを開けた。


「チョコならあります」


「助かります。予知の後は糖分が要るので」


「本当に?」


 敦が聞くと、烏丸はチョコを受け取りながら答えた。


「半分は気分です」


「また半分」


「世の中はだいたい半分です」


 榊原が資料を机に広げた。


 そこには、いくつもの項目が並んでいた。


 春野家保護。


 動画拡散抑制。


 祓戸連盟本部との連携。


 消失アカウント調査。


 黒い手を見た者のケア。


 龍宮寺敦の能力情報管理。


 最後の項目で、敦は眉を寄せた。


「俺の能力情報管理って、何ですか」


「今日、治癒と浄化をかなり見せたでしょう」


「必要やったんで」


「分かっています。でも、見た人間がいる。春野家。御影さん。烏丸さん。橘、真壁。現地の一部には、白い光を見た者もいるかもしれない」


「また囲い込みですか」


「違う。囲い込ませないための管理です」


 榊原は敦をまっすぐ見た。


「あなたが何をできるか、誰が知っているか。そこを把握しないと、誰があなたを利用しようとしているかも見えない」


 敦は黙った。


 理屈は通る。


 だが、嫌な言葉でもある。


 能力情報管理。


 自分が書類になっていく感じがする。


 橘が静かに言った。


「龍宮寺さん。これも、あなたに共有します。こちらだけで勝手に作る資料にはしません」


「俺も見られる?」


「はい」


「修正も?」


「事実と違う部分があれば、修正できます。ただし、あなたがまだ話さないと決めた能力まで書く必要はありません」


 敦は橘を見た。


 この女は、毎回先に逃げ道を見せる。


 それが計算か誠意かは、まだ分からない。


 だが、助かるのは確かだった。


「分かりました」


 榊原は頷いた。


「それと、報酬の話をします」


 敦は一瞬、聞き間違えたかと思った。


「報酬?」


「あなたは今日、協力者として危険な現場へ入り、人命救助に貢献しました。正式な制度には乗せにくいけれど、謝礼や一時協力費の形で処理します」


「いや、別に金のためにやったわけやないです」


「知っています。でも、お金は必要でしょう」


 敦は黙った。


 腹が鳴った。


 かなり大きく。


 三上が目を逸らした。


 御影も目を伏せた。


 烏丸はチョコを噛みながら、少し肩を震わせている。


 榊原だけが真顔だった。


「必要ね」


「……必要です」


「家賃、国保、住民税、スマホ代。あなたの現実は消えていません」


「ほんま、嫌なところ突いてきますね」


「現実ですから」


 敦は椅子に座った。


 急に疲れが来た。


 怪異より、家賃の方が重い瞬間がある。


 それはかなり情けないが、事実だった。


「ただし」


 榊原は続けた。


「報酬を受けるなら、契約が必要です。あなたを縛るためではなく、あなたが無償で使われないために」


 敦は顔を上げた。


「無償で使われないため」


「そう。善意だけで動く人間は、最初に壊れます。特に、治癒ができる人間は」


 父親の顔が頭をよぎった。


 亡くなった妻のことを言いかけて、飲み込んだ顔。


 あれを何度も見ることになる。


 無償の善意だけで受け続けたら、たぶん自分は壊れる。


 敦はゆっくり頷いた。


「分かりました。契約、ちゃんと見ます。弁護士も入れてください」


「もちろん」


「あと」


「何?」


「飯、先にいいですか」


 榊原は一秒だけ黙った。


 それから三上に視線を向ける。


「三上くん」


「はい。弁当、追加で頼んでます。大盛り三つ」


「三つ?」


 敦が聞くと、三上は少し不安そうに言った。


「足りませんか?」


「今は足ります」


「今は」


「はい」


 烏丸がチョコを掲げた。


「僕の未来では、大盛り三つは消えます」


「予知の無駄遣いやな」


「平和な使い方です」


 部屋に、少しだけ笑いが戻った。


 だが、その空気は長く続かなかった。


 三上のパソコンが、短い警告音を鳴らした。


 三上の表情が変わる。


「榊原さん」


「何」


「消えたアカウントの件です。完全には追えませんでした。ただ、最後の投稿が出る直前、一つだけ画像が挟まっていました。すぐ消されたので、キャッシュが一部だけ」


「出して」


 三上が画面を大型モニターへ映した。


 荒い画像だった。


 黒い背景。


 白い文字。


 そして、中央に丸いもの。


 鏡のように見える。


 ただし、春野家の手鏡ではない。


 もっと大きい。


 縁に、見覚えのない紋のようなものが刻まれている。


 画像の下に、文字があった。


《一枚目、失敗。二枚目へ》


 御影の顔色が変わる。


「一枚目……?」


 敦はモニターに映った鏡を睨んだ。


 画像だ。


 本物ではない。


 それでも、画面の奥に黒い滲みが残っている。


 見た者の目の奥へ、薄く手を伸ばすような嫌な気配。


「これ、今ここで焼けませんか」


 敦が言うと、御影が顔を上げた。


「画像に残った穢れなら、焼けると思います」


「本体は?」


「無理に届かせないでください。向こう側に、あなたの力の道を渡すことになります」


 烏丸も頷いた。


「本体まで焼こうとする未来は悪いです。でも、この画像を見た人間に触れる薄い手は、ここで落とせます」


「それで十分です」


 敦はモニターへ右手を向けた。


 三上が慌てて声を上げる。


「あの、パソコンは」


「壊しません。たぶん」


「たぶん!?」


「そこは烏丸さん」


 烏丸が白い杖を床に当てる。


「パソコンは無事です。三上さんの心拍は悪いです」


「僕の心拍は今どうでもいいです」


 敦の指先に、白い光が集まる。


 画面そのものは割れない。


 部屋の照明も揺れない。


 パソコンも焦げない。


 ただ、画像の奥にこびりついていた黒い滲みだけが、白く燃えた。


 じゅ、と小さな音がした気がした。


 モニターの画像が一瞬だけ白く霞み、すぐ元に戻る。


 鏡の画像は残っている。


 文字も残っている。


 証拠は消えていない。


 だが、そこに絡んでいた嫌な気配だけが、きれいに消えていた。


 三上が画面を確認する。


「……キャッシュに残っていた異常反応、消えました。画像データは残っています。普通の画像になっています」


 御影が低く言う。


「これで、この画像を経由した二次被害は止まります」


「本体は残ってるんですね」


「はい」


 敦は手を下ろした。


「ほな、次は本体を見つける番ですね」


 榊原がモニターを見つめる。


「この画像、祓戸連盟に照会できる?」


 御影は頷いた。


「縁の紋に見覚えはありません。ただ、鏡を複数枚使う儀式はあります。危険なものです」


「複数枚?」


 敦が聞く。


「鏡は、向かい合わせると道になります。一枚で覗き、二枚で繋ぎ、三枚で招く。そういう考え方があります」


「じゃあ、二枚目って」


「次の接続先、あるいは次の餌場かもしれません」


 部屋が沈黙した。


 敦はモニターの文字をもう一度見た。


《一枚目、失敗。二枚目へ》


 春野真白は戻った。


 けれど、誰かはまだ遊びをやめていない。


 真白の件は終わった。


 だが、同じようなものが、まだある。


 烏丸が白い杖を手に取った。


 その顔から、軽さが消えていた。


「悪い未来が増えました」


 敦は静かに息を吐いた。


 腹は減っている。


 体も疲れている。


 それでも、拳は自然と握られていた。


「次は、こっちから見つけに行く番ですね」


 榊原が敦を見る。


「焦らないで」


「焦ってません」


 敦は画面の中の鏡を見た。


 今度は、逃げるように目を逸らさなかった。


 ただ、白い力は出さない。


 怒りも、まだ燃やさない。


「でも、放っといたらまた誰かが餌になる」


 事務室の空気が沈む。


 御影が封印布の木箱を握り直した。


 橘が端末を手に取る。


 真壁が無言で入口を見る。


 烏丸が、見えない地雷を探すように杖を床へ置いた。


 敦は、モニターの文字をもう一度見た。


《一枚目、失敗。二枚目へ》


 残り香は焼いた。


 けれど、本体はまだどこかにある。


 なら、次は遊ばせない。


 

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