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『魔王を倒したガチムチ聖者、召喚された日に戻される 〜リストラ帰りの三十歳、能力そのままで現代を生き直す〜』  作者: あちゅ和尚


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第4話 保護ではなく契約

 車の中は、静かだった。


 外の音はほとんど入ってこない。


 朝の大阪。


 通勤の車列。


 歩道を急ぐ会社員。


 コンビニの前で眠そうに煙草を吸う男。


 そのすべてが、窓一枚向こうの別世界に見えた。


 敦は後部座席の右側に座っていた。


 膝の上には、ファミレスで持ち帰りにされた唐揚げの袋がある。


 まだ温かい。


 だが、食べる気にはなれなかった。


 助手席には橘。


 運転席には、無言の男。


 年は四十前後。


 短い髪。


 太い首。


 警察か自衛隊か、そのへんの匂いがした。


 後ろから見える耳の形と肩の動きだけで、ただの運転手ではないと分かる。


 敦は窓の外を見るふりをしながら、車内を確認していた。


 ドアのロック。


 窓の厚み。


 助手席の橘の手の位置。


 運転手の右腰。


 車の床。


 匂い。


 息づかい。


 武器の気配。


 魔力はない。


 殺気もない。


 だが、備えはある。


 敦は小さく息を吐いた。


「ほんま、平和な国の車とは思えへんな」


 橘が振り返った。


「落ち着きませんか」


「落ち着く要素あります?」


「ありませんね」


「即答かい」


「嘘をつく場面ではないので」


 敦は少しだけ笑った。


 この女は、やはり変だ。


 安心させようとしない。


 代わりに、こちらを子ども扱いもしない。


 それは助かる。


 だが、信用とは別の話だ。


「どこへ?」


「一時的に使っている事務所です。官庁施設ではありません」


「官庁施設やったら?」


「入るところから撮られる可能性があります」


「そっちの心配ですか」


「あなたの存在が公的施設と結びつけば、余計に燃えます」


「もう燃えてますけど」


「まだ小火です」


 敦はスマホを取り出した。


 梅田の動画は、さらに伸びていた。


 七十万再生。


 まとめサイトが拾い始めている。


《大阪にリアル能力者?》


《梅田のガチムチ聖者、南港にも出現か》


《救助動画の男性を探しています》


《本人特定班、動く》


《政府っぽい黒い車に乗った?》


 胃の奥が重くなった。


 魔王城に入る前でも、ここまで嫌な汗は出なかった。


「特定班って何やねん。魔王軍の斥候より嫌やな」


「彼らは善意と好奇心で動くことが多いです」


「それが一番怖いんですけど」


「はい。悪意より止めにくい」


 橘は淡々と言った。


 敦はスマホをしまう。


「で、俺をどないするつもりです?」


「まず、隠します」


「その次は?」


「あなたの同意を得たうえで、事情を聞きます」


「その次は?」


「上に報告します」


「その次」


 橘は少し黙った。


「そこから先は、まだ決まっていません」


「決まってへんのに保護言うたんですか」


「決まる前に接触しないと、他に取られます」


「俺は物ちゃう言うたはずですけど」


「はい。ですが、他はそう見ないかもしれません」


 敦は窓の外へ目を向けた。


 信号待ちで、隣に止まった軽自動車の中から子どもがこちらを見ていた。


 何も知らない顔。


 普通の朝。


 敦は、その普通が少し眩しかった。


「他って、どこです?」


「報道関係。動画配信者。宗教団体。医療企業。警備会社。反社会的勢力。海外の組織。あと、国内の別部署」


「最後が一番嫌ですね」


「私もそう思います」


「ええんですか、それ言うて」


「録音していますか?」


 敦は一瞬黙った。


 スマホはポケットの中だ。


 録音はしていない。


 そこまで頭が回っていなかった。


「してません」


「次からはしてください」


「そっちが言うんですか」


「あなたは、今後いろんな人間と話すことになります。口約束はすぐに消えます。記録は残してください」


 敦は橘の後頭部を見た。


 敵か味方かは、まだ分からない。


 だが、この助言は本物だった。


「ほな、今から録ります」


「どうぞ」


 敦はスマホの録音アプリを起動した。


「橘さん」


「はい」


「今の会話、録音します。ええですね」


「はい。橘怜奈は同意します」


 運転手が、ほんの少しだけ肩を揺らした。


 笑ったのかもしれない。


 敦は運転席を見る。


「あんたも聞いてるんやから、名前くらい言うてください」


 運転手はバックミラー越しに敦を見た。


「真壁だ」


「真壁さん。録音ええですか」


「ああ」


 声は低く、短かった。


 やはり現場の人間だ。


 話を広げる気はない。


 だが、嘘をつく感じでもない。


 敦は録音画面を確認してから、スマホを膝に置いた。


「ほな、改めて。俺を拘束するつもりは?」


 橘は答えた。


「現時点ではありません」


「現時点では、が怖いですね」


「あなたが大量殺傷を行う危険があると判断されれば、拘束を求める声は出ます」


「俺は人を助けただけや」


「はい。ですが、能力だけを見れば、そう判断する人間もいます」


「能力だけ見るなよ」


「だから、私が先に接触しました」


 車は大通りを外れ、細い道へ入った。


 雑居ビルが並ぶ一角。


 派手な看板もない。


 人通りは少ないが、完全な無人ではない。


 逃げるには悪くない。


 囲むには少し面倒。


 車は古いビルの地下駐車場へ降りた。


 敦は眉を寄せた。


「地下は嫌ですね」


「分かっています。別の入口から外へも出られます」


「確認してから入ります」


「どうぞ」


 車が停まる。


 敦はすぐには降りなかった。


 まず橘が降りる。


 次に真壁。


 二人とも距離を取った。


 敦はドアを開け、ゆっくり外へ出る。


 地下駐車場の空気は冷えていた。


 コンクリートの匂い。


 排気ガス。


 防犯カメラが三つ。


 出口は車路。


 奥に非常階段。


 右手にエレベーター。


 左手に鉄扉。


 敦は鉄扉を指した。


「あれは?」


「非常口です。地上の路地に出ます」


「鍵は?」


「内側からは開きます」


「今、見ます」


「分かりました」


 敦は鉄扉へ向かい、開けた。


 細い階段。


 上から外の光が見える。


 確かに地上へ出られる。


 敦は戻った。


「ええです」


 真壁が小さく呟いた。


「慎重だな」


「三日前まで魔王城にいたんで」


 言ってから、敦は少しだけ眉を寄せた。


 余計なことを言ったか。


 だが、もう遅い。


 橘と真壁の視線が揃ってこちらへ向く。


「三日前?」


 橘が聞く。


 敦は頭をかいた。


「こっちでは昨日です。俺の感覚では、もっと長い」


「どれくらいですか」


「……五年」


 地下駐車場の空気が、少し重くなった。


 橘はすぐには何も言わなかった。


 真壁も同じだ。


 敦は苦笑した。


「はい、変な話です。頭おかしいと思ってもらって結構です」


「その場合、車を止めた説明がつきません」


「せやから困ってるんです」


 橘は静かに頷いた。


「上で聞きます。ただし、話す範囲はあなたが決めてください」


 敦は橘を見た。


「ええんですか」


「今ここで全部話す人なら、こちらはむしろ危機感を疑います」


「……それは助かります」


 三人はエレベーターに乗った。


 敦は壁を背にした。


 橘はボタンの前。


 真壁は扉の横。


 誰も敦の後ろに立たない。


 その一点だけで、少しだけ気が楽になった。


 事務所は五階にあった。


 表札はない。


 中は思ったより普通だった。


 会議机。


 ノートパソコン。


 ホワイトボード。


 簡易ベッド。


 段ボール箱。


 冷蔵庫。


 カーテンを閉めた窓。


 官庁というより、急ごしらえの対策室だった。


 中にいたのは二人。


 眼鏡をかけた若い男。


 白髪混じりの中年女。


 若い男はパソコンから顔を上げ、敦を見て固まった。


 中年女は逆に、敦の足元から頭までを一度見て、すぐ橘へ視線を移した。


「連れてきたのね」


「はい」


「本人?」


「可能性は極めて高いです」


「本人やなかったら、ただのガタイええ無職が国っぽい人に連れてこられたことになりますね」


 敦が言うと、若い男が変な咳をした。


 中年女は表情を変えずに言った。


「冗談を言えるなら結構。私は榊原美津子。ここの責任者です」


「龍宮寺敦です。たぶん、もう知ってると思いますけど」


「ええ。派遣会社の登録情報までは確認しました」


 敦の目が細くなった。


 橘がすぐに言う。


「外部流出は止めています」


「止めている、ね」


 榊原は机の上に一枚の紙を置いた。


「あなたが疑うのは当然です。なので、先に言っておきます。私たちはあなたのすべてを守れるとは言いません。国も万能ではありません。部署間の思惑もある。政治家も絡むかもしれない。報道も止めきれない」


「めっちゃ不安になる説明ですね」


「安心させる嘘が欲しい?」


「いりません」


「なら続けます」


 榊原は椅子を指した。


「座って。壁を背にした席でいいわ」


 敦は少し驚いた。


 完全に読まれている。


 だが、ありがたく壁際の席に座った。


 橘は向かい。


 真壁はドアの近く。


 若い男はパソコンを叩き続けている。


「彼は?」


 敦が聞くと、若い男がびくっとした。


「情報分析担当の三上です」


 橘が紹介した。


 三上は慌てて頭を下げた。


「三上悠斗です。すみません、勝手にいろいろ見てます」


「ほんまに勝手ですね」


「すみません」


 謝られると、それ以上言いにくい。


 敦はため息を吐いた。


「で、今どうなってます?」


 三上が画面を大型モニターへ映した。


 そこには、関連投稿の一覧が流れていた。


 梅田の動画。


 南港倉庫の書き込み。


 ファミレスで撮られた短い映像。


 敦らしき男が黒い車に乗る場面。


 再生数は、どれも伸び続けている。


《黒い車で連れていかれた》


《国が動いた?》


《やっぱり能力者やん》


《梅田の聖者、政府に拉致られる》


《これ陰謀やろ》


 敦は頭を抱えた。


「もう最悪やん」


「まだ最悪ではありません」


 三上が言った。


 敦は顔を上げる。


「これより下あります?」


「あります。氏名、住所、過去の勤務先、顔写真、家族構成が出る段階です」


「天涯孤独なんで家族構成はないです」


「それも含めて、勝手な物語を作られます」


 榊原が引き取った。


「親がいない。職を失っている。日雇い。大柄な男。人助け。謎の力。こういう素材は、好き勝手に盛られる」


「俺の人生、素材扱いですか」


「世間はそうする」


 きつい言い方だった。


 だが、間違ってはいない。


 敦は拳を握りかけ、すぐに開いた。


 机を壊すところだった。


 榊原はそれを見逃さなかった。


「力を抑えているのね」


「机代を請求されたくないんで」


「それは助かる」


 榊原は薄く笑った。


「橘から条件は聞いています。あなたは自分を兵器として扱われたくない。治癒や戦闘を命令されたくない。検査も同意なしでは拒否する。合っていますか」


「はい」


「それを、こちらも文書にします」


 敦は榊原を見た。


「ほんまに?」


「ただし、現時点では私たちの部署内の取り決めです。法的に完全な防壁にはならない」


「正直すぎる」


「嘘をつくには、あなたが強すぎる」


「強かったら嘘つかれへんのですか」


「嘘がばれた時の損害が大きすぎる」


 橘と似た言い方だった。


 この部署の方針なのか。


 それとも、こういう人間だけが残っているのか。


 敦にはまだ分からない。


 榊原は紙を一枚、敦の前に滑らせた。


「これは仮の確認書。正式なものは弁護士を入れて作る」


「弁護士、ほんまに入れるんですね」


「入れないと、あなたが納得しないでしょう」


「そらそうです」


「それと、あなた側の弁護士も必要になる。こちらの紹介だけでは信用できないなら、法テラスでも、知人でも、別ルートでもいい」


 敦は苦笑した。


「知人の弁護士なんておりませんよ」


「なら、複数候補を出す。選ぶのはあなた」


 敦は確認書を読んだ。


 難しい言葉も多い。


 だが、最低限は分かる。


 任意同行ではない。


 拘束ではない。


 同意なき身体検査は行わない。


 能力使用の強制は行わない。


 居住支援は一時保護であり、行動制限は個別協議。


 外部接触については安全確保のため事前相談。


 綺麗な言葉が並んでいる。


 綺麗すぎて、逆に怖い。


「これ、破ったら?」


「記録に残る。責任者の私が責任を問われる」


「問われるだけ?」


「現実には、そうです」


「弱いですね」


「だから、録音して。紙も写真に撮って。複数の場所に保存して」


 榊原は真顔だった。


「私たちを信用しきらないで。信用しきった保護対象は、扱いやすい物になる」


 敦は、思わず黙った。


 ずるい言葉だ。


 信用するなと言われると、少し信用したくなる。


 そういう心理まで計算しているのかもしれない。


 だが、少なくとも、ここにいる人間は敦を馬鹿にはしていなかった。


 それは分かる。


「俺からも先に言うときます」


 敦は確認書から顔を上げた。


「俺は、全部は話しません」


 榊原は頷いた。


「でしょうね」


「驚かへんのですか」


「驚かないわ。むしろ当然です」


「俺が持ってるもの、できること、できへんこと。全部言うた瞬間、俺は保護対象やなくて資源になる」


 その言葉に、三上の指が止まった。


 橘も、少しだけ目を伏せた。


 榊原はまっすぐ敦を見る。


「正しい判断です」


「なら、聞き出そうとせんといてください」


「必要なことは聞きます。けれど、あなたが拒否する権利も確認書に入れる」


「拒否したら?」


「こちらは不安になる。上は苛立つ。別部署は強硬策を言い出すかもしれない」


「最悪やん」


「でも、あなたが何もかも差し出すよりはましです」


 敦は、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 この榊原という女も、やはり安心させる嘘は使わないらしい。


「では、言える範囲で聞かせて」


 榊原が言った。


「あなたは何者?」


 敦はしばらく黙った。


 どこまで話すか。


 白い部屋。


 勇者召喚。


 異世界。


 聖者の力。


 無詠唱。


 アイテムボックス。


 闘気。


 魔王。


 全部は言わない。


 絶対に言わない。


 異世界で、敦は何度も学んだ。


 治せると言えば、治す相手を押しつけられる。


 戦えると言えば、戦場に置かれる。


 便利な道具を持っていると知られれば、盗まれる。


 奪えないと分かれば、拘束される。


 人間は、困っている時ほど善良ではいられない。


 敦自身も、それを責めきれない。


 だから、線を引く。


「最初に言うときます。自分でも、だいぶ頭おかしい話やと思ってます」


「聞きます」


「昨日の夜、俺は梅田にいました。派遣の仕事を探して、ネットカフェに行くつもりでした。その時、光に巻き込まれた」


 三上が手を止める。


 橘は瞬きすら少ない。


 榊原は何も言わない。


「高校生くらいの子らが何人かいて、たぶんそいつらが本命でした。勇者召喚ってやつです。俺は巻き込まれたおまけやった」


 口に出すと、改めて馬鹿げている。


 だが、敦は続けた。


「そのあと、白い部屋に呼ばれました。神を名乗るやつがいて、勇者では魔王を倒せないと言われた。だからお前がやれ、と」


「なぜ、あなたに?」


 橘が聞いた。


「知りません。体が頑丈そうやったからちゃいますか」


「神が、そんな雑に?」


「雑でしたよ。めちゃくちゃ雑」


 敦は鼻で笑った。


「向こうで戦うための力をもらいました。身体を強くする力。傷を治す力。あとは、戦うための技術をいくつか」


「いくつか、とは?」


 榊原が聞いた。


 敦は首を横に振った。


「今は言いません」


「理由は?」


「手札です」


「分かりました」


 あっさり引いた。


 敦は少しだけ目を細める。


 試されたのかもしれない。


 そこで全部しゃべるかどうかを。


「五年、向こうで戦いました。最後に、魔王と呼ばれる存在を倒した。その褒美に、召喚された日に戻された。能力は、一部そのまま残っている」


「一部?」


「少なくとも、身体能力と治す力は残ってます」


「他は?」


「言いません」


 榊原は頷いた。


「いいでしょう」


 三上が恐る恐る手を上げた。


「あの、治す力というのは、どの程度ですか」


「怪我を多少治せるくらいです」


「梅田の子どもは、肩の異常が消えていました」


「だから、多少です」


「運転手は、搬送後に意識が戻っています」


「応急処置です」


 三上は何か言いかけたが、榊原が手で制した。


「限界は言いたくないのね」


「はい」


「正しいわ。治癒の限界は、あなたの命綱であり、首輪にもなる」


 敦は黙った。


 その通りだった。


 治せる。


 その言葉は、人を狂わせる。


 死にかけた家族。


 治らない病。


 金持ち。


 権力者。


 宗教家。


 医療関係者。


 誰も放っておかない。


 敦は、それを異世界で知っている。


 王族の呪いを治せと言われた。


 貴族の息子を救えと命じられた。


 教会に奇跡として飾られかけた。


 金貨を山ほど積まれて、断れば人でなしと罵られた。


 だから、もう全部は言わない。


「分かりました」


 榊原は言った。


「こちらも、あなたに隠していることがあります」


「でしょうね」


「怒らないの?」


「怒るほど信用してません」


「賢明です」


 榊原は三上へ目を向けた。


 三上がモニターを切り替える。


 今度は、SNSではなく、いくつもの古い記録の見出しが並んでいた。


 失踪。


 発火。


 原因不明の集団昏倒。


 事故物件。


 廃病院。


 山中の異常音。


 神社の結界破損。


 地下道での変死。


 敦は画面を見た。


 ただの事件簿ではない。


 いくつかは、明らかに現代の事件らしくない。


「これは?」


 敦が聞くと、榊原が答えた。


「説明のつかない事案です」


「異能者?」


「それもあります」


「それも?」


「怪異もあります」


 部屋の空気が、少し冷えた気がした。


 敦は眉を上げる。


「怪異って、妖怪とか悪霊とか、そういうやつですか」


 榊原は敦を見た。


「笑いますか?」


「魔王倒して帰ってきた人間に、それ聞きます?」


「そうね」


 榊原は薄く笑った。


「この国には昔から、表に出せないものがあります。異常な力を持つ人間。人ではないもの。土地に縛られたもの。人の怨みが形を取ったもの。古い家系に管理されている呪物。呼び名は時代や組織によって違います」


「妖怪、悪霊、呪い、神様もどき」


「大きく外れてはいません」


 敦は腕を組んだ。


 思ったより、面倒な話になってきた。


 国。


 SNS。


 報道。


 怪しい団体。


 そのうえ、妖怪と悪霊。


 魔王を倒した褒美としては、いくら何でも盛りすぎだ。


「そういうの、国が全部見てるんですか」


「いいえ。国が把握しているのは一部です」


「ほな、誰が?」


 榊原は少し間を置いた。


「祓う者たちがいます。寺社、古い家、陰陽師の流れをくむ者、退魔を生業にする者。組織もあれば、家単位の者もいる。公には存在しないことになっています」


「退魔師とか陰陽師とか?」


「そう呼ぶ人もいます」


 三上が小さく補足した。


「代表的な連絡窓口としては、祓戸連盟という組織があります。民間団体という扱いですが、実態はかなり古いです」


「祓戸連盟」


 敦はその名を口の中で転がした。


 異世界の教会や魔術師ギルドに近い匂いがする。


 たぶん、面倒だ。


「そいつらから見た俺は?」


「規格外の新顔です」


 榊原は即答した。


「正確には、映像付きで表に出てしまった、体系不明の能力者。しかも、治癒らしき現象を見せている。祓戸連盟も、早晩あなたに接触しようとするでしょう」


「国よりマシですか?」


「相手によります」


「便利な答えやな」


「事実です。人格者もいる。守るために動く者もいる。けれど、あなたを利用しようとする者もいます」


「どこも一緒ですね」


「ええ。人間の組織ですから」


 敦は画面を見る。


 事故物件。


 神社。


 廃病院。


 変死。


 そこに、人の暮らしがある。


 つまり、助けを求める声もある。


 嫌な予感がした。


「他の能力者は、どれくらい強いんですか」


 敦が聞くと、榊原は少し表情を変えた。


「知りたい?」


「知らんと危ないでしょう」


「その通りね」


 榊原は三上に合図した。


 画面が切り替わる。


 今度は、人名の一部を伏せた資料だった。


 発火能力。


 限定的予知。


 認識阻害。


 音声による暗示。


 影を利用した短距離移動。


 部分硬化。


 周辺重力異常。


 接触した物の劣化。


 敦は思わず、口笛を吹きそうになった。


「思ったより物騒ですね」


「強い者はいます。危険な者もいます」


 榊原は言った。


「ただ、多くは一点特化です。火を出せるが、身体は普通。数秒先が見えるが、見たものを避けられるとは限らない。人の認識をずらせるが、機械には映る。声で暗示をかけられるが、録音や距離に制限がある」


「俺は?」


「少なくとも現時点の映像では、身体能力、耐久力、治癒らしき力、戦闘判断が重なっている。さらに、異世界で五年戦ったという経験が本当なら、単なる能力者ではありません」


「戦闘経験持ちの複合型」


 橘が静かに言った。


「はい」


 榊原が頷く。


「だから危険で、だから守る必要がある」


「俺より強いやつは?」


 敦は聞いた。


 榊原はすぐには答えなかった。


「条件次第では、あなたを殺せる者はいます」


 部屋の空気が沈む。


 真壁の目がわずかに鋭くなった。


 橘は表情を変えない。


 敦は、少しだけ笑った。


「ええですね」


「ええ?」


「俺が無敵やと思われるより、その方がええです。無敵扱いされたら、絶対ろくなことにならん」


 榊原はほんの少しだけ目を細めた。


「怖くないの?」


「怖いですよ。でも、怖い相手がおる方が、世界としてはまだまともです」


 魔王は強かった。


 あまりにも強かった。


 だから、世界は歪んでいた。


 けれど、魔王一人がすべてを決める世界は、ろくでもなかった。


 自分が次の魔王のように見られるのは、もっと嫌だった。


「あなたほど複数の能力を同時に持ち、なおかつ映像証拠つきで表に出た例はありません」


 榊原は言った。


「それが、あなたの特殊性です」


「ありがたくない特殊性ですね」


「ええ。かなり」


 三上が再び画面を戻した。


 今度は、梅田の動画の拡散状況だった。


 現実に引き戻される。


「一時保護の選択肢を提示します」


 榊原は指を二本立てた。


「一つ。私たちの一時保護を受ける。身元の流出を抑え、安全な場所に移る。条件交渉をしながら、今後の扱いを決める」


「もう一つは?」


「ここを出る。私たちは無理には止めない。ただし、今日中に追われる可能性が高い。ネット、報道、怪しい団体、能力者、祓う者たち、その他諸々に」


「その他諸々が一番怖いですね」


「ええ。怖いです」


 敦は腕を組んだ。


 逃げることはできる。


 たぶん。


 人間の追跡を振り切るだけなら難しくない。


 だが、逃げ続けるには金がいる。


 寝床がいる。


 身分証もスマホも口座も使いにくくなる。


 それに、逃げたら、助けたい時に助けられなくなる。


 事故を見ても、事件を見ても、隠れることを優先しなければならない。


 それは嫌だった。


 異世界で、敦は嫌というほど見捨ててきた。


 全員は救えなかった。


 だからせめて、目の前の手が届く相手だけは救いたかった。


 それが今の自分を縛っている。


 呪いみたいなものだ。


 聖者の力より、ずっと厄介な呪い。


「一時保護を受けます」


 敦は言った。


 橘がほんの少し息を吐いた。


 真壁の肩からも、わずかに力が抜けた。


 榊原だけは表情を変えない。


「条件は?」


「さっき言うた通りです。俺を兵器にしない。治癒も戦闘も命令しない。検査は同意制。記録は俺にも共有。弁護士を入れる。俺が言わないと決めた手札を、無理に聞き出さない」


「分かりました」


「あと、飯」


「飯?」


「燃費悪いんです。力使うと腹減る。唐揚げ、まだ食べてません」


 三上が小さく笑った。


 榊原も口元を少し緩めた。


「食事は用意します」


「大盛りでお願いします」


「分かりました」


 その時、三上のパソコンが短い警告音を鳴らした。


 三上の顔色が変わる。


「榊原さん」


「何」


「出ました。氏名まではまだですが、倉庫名が特定されました。あと、派遣会社に問い合わせが集中しているみたいです」


「止められる?」


「派遣会社には連絡済みです。ただ、現場作業員の個人アカウントから漏れる可能性があります」


 敦は立ち上がりかけた。


「佐伯さんらは大丈夫なんですか」


 橘が反応した。


「佐伯?」


「倉庫で話したおっちゃんです。俺の名前も知ってます。巻き込まれるかもしれません」


「三上、南港倉庫の関係者保護と注意喚起」


「はい」


「保護って、連れてくるんですか」


 敦が聞くと、榊原は首を振った。


「まずは派遣会社と現場責任者へ連絡。個人情報を出さないようにする。必要なら警察経由で迷惑行為への対応。本人たちをむやみに動かすと、逆に目立つ」


「お願いします」


 敦は頭を下げた。


 榊原は少しだけ目を細めた。


「あなた、自分より先に他人の心配をするのね」


「巻き込んだんは俺ですから」


「あなたが事故を起こしたわけではない」


「でも、火種を持ち込んだ」


 その言葉に、部屋が一瞬静かになった。


 榊原が静かに言う。


「その感覚は大事です。でも、全部背負うと潰れます」


「もう一回、魔王倒すよりはましです」


「それ、本気で言ってる?」


「半分くらい」


 敦は椅子に座り直した。


 体が重い。


 眠気も来ている。


 昨日の夜に帰還して、事故、治癒、夜勤、倉庫事故、配信者、ファミレス、国との交渉。


 いくら体が頑丈でも、頭は普通に疲れる。


 いや、普通ではないかもしれない。


 五年分の異世界の記憶が、まだ現代に馴染んでいない。


 榊原はそれを見て取ったのか、橘へ指示を出した。


「仮眠室を使わせて。食事も。起きたら弁護士候補の説明」


「はい」


「待ってください」


 敦は言った。


「寝てる間に何かするのはなしで」


「しません」


「カメラは?」


「廊下と入口にはあります。仮眠室内にはありません」


「確認します」


「どうぞ」


 真壁が案内するために動いた。


 その時、事務所の固定電話が鳴った。


 全員の視線がそちらへ向く。


 三上が番号を確認し、眉をひそめた。


「非通知です」


「出ないで」


 榊原が言うより早く、電話は切れた。


 次に、別の電話が鳴る。


 今度は橘の業務用端末。


 橘が画面を見て、表情を硬くした。


「榊原さん。上からです」


「早いわね」


「はい。官邸側にも動画が上がっています」


 敦はため息を吐いた。


「寝かせてくれへん感じですか」


 榊原は電話を見つめたまま言った。


「寝てもらいます。今のあなたに必要なのは、尋問ではなく休息です」


「上が呼んでるんちゃいますの」


「上が呼んでも、壊れかけの人間を差し出す気はありません」


 その言葉は、思ったより深く刺さった。


 壊れかけの人間。


 自分はそう見えるのか。


 魔王を倒したのに。


 車を止められるのに。


 数百キロの荷を受け止められるのに。


 それでも、壊れかけ。


 少しだけ、救われた気がした。


 榊原は橘に言った。


「十分後に折り返すと伝えて」


「はい」


 橘が電話を持って部屋を出る。


 真壁が仮眠室の扉を開けた。


 簡素な部屋だった。


 ベッド。


 机。


 椅子。


 窓はない。


 換気扇。


 天井の照明。


 内側から鍵はかかる。


 敦は一通り確認した。


 隠しカメラがあるかまでは分からない。


 だが、今はもう限界だった。


「飯、起きてからでええです」


 敦は言った。


 真壁が少し驚いた顔をした。


「食わなくていいのか」


「食ったら、そのまま寝落ちしそうなんで。先に寝ます」


「分かった」


 敦はベッドに腰を下ろした。


 柔らかい。


 ネットカフェのリクライニングより、ずっとましだ。


 異世界の野営地より、比べものにならないほど安全だ。


 安全。


 そう思いかけて、敦は自分で苦笑した。


 本当に安全かどうかは分からない。


 けれど、少なくとも今は、雨をしのげる。


 横になれる。


 誰かに背中を刺される気配もない。


 それだけで、体が沈んだ。


 真壁が扉の外から言った。


「龍宮寺」


「はい」


「何かあったら叫べ」


「叫ばんでも、壁ごと出ます」


「それは困る」


「ほな、叫びます」


 真壁は少しだけ笑って、扉を閉めた。


 敦は鍵をかけた。


 スマホを枕元に置く。


 録音データを確認する。


 クラウドに保存しようとして、手が止まった。


 どこに保存するのが安全なのか分からない。


 現代の魔術は、やはり面倒だ。


「あとで三上さんに聞くか……いや、それも信用しすぎか」


 敦は目を閉じた。


 まぶたの裏に、魔王城の玉座が浮かぶ。


 黒い王。


 折れた角。


 逃げた仲間。


 白い部屋。


 神の声。


『あとは好きに生きるといい』


「好きに、ねえ」


 敦は小さく呟いた。


 好きに生きるには、まず自分の扱いを他人に決めさせないこと。


 それが、この世界での最初の戦いらしい。


 意識が沈む直前、スマホが震えた。


 通知。


 SNSの関連投稿だった。


 画面には、知らないアカウントの投稿が表示されている。


《梅田の聖者さん。もし本当にいるなら、妹を助けてください》


 敦は目を開けた。


 直接、敦に送られた言葉ではない。


 けれど、その一文は妙に胸に引っかかった。


 助けを求める声。


 異世界で、何度も聞いた声。


 敦はスマホを伏せた。


 今すぐ動くな。


 ただの便乗かもしれない。


 罠かもしれない。


 嘘かもしれない。


 本当かもしれない。


 本当なら、見捨てるのか。


 胸の奥で、聖者の力が静かに疼いた。


「……ほんま、寝かせてくれや」


 敦は天井を見上げた。


 魔王を倒した後の世界には、魔王はいない。


 だが、助けを求める声だけは、どこの世界にもあるらしい。


 

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