表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『魔王を倒したガチムチ聖者、召喚された日に戻される 〜リストラ帰りの三十歳、能力そのままで現代を生き直す〜』  作者: あちゅ和尚


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/27

第22話 映写主

 翌朝、敦は短期滞在マンションではなく、特殊事案係の事務所で目を覚ました。


 正確には、仮眠室だった。


 硬めの簡易ベッド。


 薄い布団。


 枕元には水と、紙のメモ。


《六時間以上の休息を確認。間宮》


 その下に、別の筆跡で一行。


《朝食は会議室。橘》


 敦はしばらく天井を見た。


 体は動く。


 魔王城の地下で三日寝ずに戦った時よりは、ずっとましだ。


 だが、頭の奥にまだ、紙をめくる音が残っている。


 ぱら。


 ぱら。


 人を席へ変える音。


 敦は目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。


「今日は、燃やす場所を間違えへん」


 小さくそう言って、体を起こした。


 会議室には、榊原、橘、三上、真壁がいた。


 御影と烏丸は、祓戸連盟大阪支部から来たばかりらしく、机の端で資料を見ている。


 資料はすべて紙だった。


 画面はない。


 会議室の大型モニターには、黒い布が掛けられている。


 三上の前にも、ノートパソコンはない。


 紙束とペンだけだ。


 三上は不満そうだったが、目の下の隈は少し薄くなっていた。


 橘が朝食の袋を差し出す。


「先に食べてください」


「会議より先ですか」


「はい。会議前に血糖値で機嫌が悪くなる未来を、烏丸さんが見ました」


 烏丸は真顔で頷いた。


「かなり悪い未来でした」


「それ予知やなくて、ただの推測ちゃいます?」


「半々です」


 敦は苦笑し、黙っておにぎりを取った。


 食べながら資料を見る。


 旧監視室から持ち帰った名簿。


 名簿に伸びていた黒い糸。


《席数、減少》


《映写主、再計算》


 その再計算の痕跡を、御影たちが一晩かけて追った。


 御影が資料を指で押さえる。


「名簿の機能を焼き抜いたことで、向こうは別の経路を探しました。その時、一瞬だけ本来の接続先が浮きました」


「映写主の場所ですか」


「はい」


 橘が紙を一枚めくる。


「浪速区の旧黒玻璃堂店舗跡。十年前に廃業。表向きは空きテナント。昨夜遅く、短時間だけ電力使用が上がっています。周辺の防犯記録では、人影が一人」


 三上が紙の端を指した。


「防犯記録は、異常反応を落としたうえで、解析班が輪郭だけを紙にしました。顔は分かりません。背格好は五十代から六十代男性。手に黒い筒状のもの。古い映写機のレンズか、フィルムケースに近い」


 御影が続ける。


「黒玻璃堂は、祓戸連盟の外部保管者だった黒羽家が営んでいた古物店です。資格を失った後、店は閉じた。現当主筋の一人が、黒羽良臣」


「その人が映写主?」


「可能性が高いです。ただし、完全に一人で動いているかは分かりません」


 榊原が言った。


「警察には、危険物保管と不審誘導事案として動いてもらいます。祓戸連盟は呪物回収。特殊事案係は現場調整」


 そして敦を見る。


「龍宮寺さん、あなたは怪異部分の遮断と、現場の安全確保。人間を焼かない」


「分かってます」


 間宮の声が音声回線から入った。


『もう一度確認します。相手が人間である可能性がある以上、あなたは相手本人へ直接攻撃しない。命を守るための拘束や遮断は、警察と現場判断に委ねる。あなたは術式と怪異部分を処理する』


「はい」


『相手が煽っても、挑発しても、あなたを褒めても、乗らないこと』


「そこ、毎回刺してきますね」


『必要です』


 敦はおにぎりを飲み込み、紙の資料を置いた。


「一つだけ」


 榊原が顔を上げる。


「何?」


「今日は、先に全部守ります。入る前に」


 御影が頷いた。


「お願いします。昨日の薄い守りは有効でした」


「ただ、今日は少し広めに張ります。店舗の外で、警察官と管理会社の人にも薄く。現場の中は証拠があるので、強くはしません」


 榊原はすぐに橘を見る。


「記録して」


「はい」


 橘が紙に書く。


「現場進入前、龍宮寺さんによる薄い防護を標準展開。対象は現場班および周辺協力者。証拠保全のため、店舗内部の呪物へは強結界を掛けない」


 敦はその文章を見て、少しだけ息を吐いた。


 こうして文字にされると、自分の力がただの勢いではなく、手順になる。


 それは面倒だ。


 でも、悪くない。


 旧黒玻璃堂店舗跡は、古い雑居ビルの一階にあった。


 表の看板は外されている。


 だが、入口上の壁には、長年そこに何かが掲げられていた痕だけが残っていた。


 ガラス扉の内側は暗い。


 店内には、古い棚と布をかけられたショーケースが見える。


 周辺には警察官が立ち、通行人を遠ざけていた。


 橘が管理会社の担当者へ確認を取る。


 真壁は入口横。


 御影は札を手にして、ガラス扉を見ている。


 烏丸は少し離れた位置で白い杖を床に当てた。


「ここです」


「悪い未来は?」


 敦が聞く。


「多いです。でも、昨日より分かりやすい」


「どういうことですか」


「向こうが慌てています」


 敦はガラス扉を見た。


 扉の向こうから、誰かがこちらを見ている気配がある。


 だが、今までのような余裕はない。


 人を席へ縛る名簿を焼き抜いた。


 席数を減らした。


 黒玻璃堂の計算を狂わせた。


 その結果、相手はここへ戻ってきた。


 映写主の場所へ。


 敦は胸の前に手を置いた。


「先に守ります」


 白い光を薄く広げる。


 自分たちだけではない。


 入口付近にいる警察官。


 管理会社の男。


 少し離れた場所で待機する救急隊員。


 そこまで、薄い白布のような守りを伸ばす。


 強くはない。


 だが、通知音や視線や役割の針が、まっすぐ刺さらない程度の守り。


 御影の札は燃えない。


 烏丸の予知も塞がない。


 橘の記録も邪魔しない。


 敦は続けて、入口周辺の空気を少しずらした。


 音を消すのではない。


 意味だけを鈍らせる。


 橘が小さく頷いた。


「守り、確認しました」


「今回は先にやりました」


「記録します」


「お願いします」


 御影が扉へ札を近づける。


 札の端は黒くならない。


 代わりに、扉の向こうで何かが小さく舌打ちしたような気配があった。


「効いています」


 烏丸が言った。


「良い未来です。相手が、初手を失いました」


 敦は静かに笑った。


「ほな、入りましょう」


 扉を開けた瞬間、店内の奥で古い映写機が回り始めた。


 かたかた。


 かたかた。


 だが、その音は薄い守りに当たって散る。


 心の奥へ入ってこない。


 店内は、古物店の残骸だった。


 木製の棚。


 ガラスケース。


 布をかけられた鏡。


 古いカメラ。


 箱に入ったフィルム缶。


 壊れたラジオ。


 和箪笥の引き出し。


 そして、奥の壁。


 白い布が掛けられている。


 スクリーンだった。


 その前に、ひとりの男が立っていた。


 五十代半ばくらい。


 痩せた体。


 白髪交じりの髪。


 黒いベスト。


 腕には、白い腕章。


《映写主》


 敦はその文字を見た。


 見たが、引っ張られなかった。


 薄い守りが、文字から伸びる黒い針を鈍らせている。


 男は、少しだけ目を細めた。


「……ずいぶん、守りが上手くなりましたね」


 その声。


 待合室で聞いた声。


 封筒の中で聞いた声。


 監視室で聞いた声。


 招待係ではない。


 上映係でもない。


 その奥から命じていた声。


 御影が低く言う。


「黒羽良臣さんですね」


 男は、薄く笑った。


「その名を、まだ使う者がいたとは」


 黒羽良臣。


 おそらく、この男が映写主だ。


 敦は一歩前へ出た。


「話長いですか」


 黒羽が敦を見る。


 敦は続ける。


「長いなら、先に言うときます。あんたの事情は、後で警察と連盟に話してください」


 黒羽の目が少しだけ見開かれた。


 敦は床を見た。


 男の足元から、黒い糸が四方へ伸びている。


 スクリーンへ。


 映写機へ。


 棚のフィルム缶へ。


 そして、男の胸元へ。


 男本人の命に絡んだ糸ではない。


 腕章と、胸の奥にある黒いレンズのようなもの。


 そこが芯だ。


「御影さん」


「はい」


「腕章と胸元の黒い芯。人間本体とは別です」


 御影の目が鋭くなる。


「見えますか」


「はい。焼くならそこ」


 烏丸が杖を床に当てた。


「良い未来です。ただし、胸元を直接焼くと悪い。先に腕章を外す未来が良い」


 黒羽が笑った。


「相談しながら祓うのですか」


「はい」


 敦はあっさり答えた。


「相談した方が、燃やす場所を間違えへんので」


 黒羽の笑みが、少しだけ歪んだ。


 余裕が削れた顔だった。


「あなたは、もっと早く怒ると思っていました」


「昨日、怒りました」


 敦は言った。


「あんたの名簿、焼きました」


 黒羽の目が冷たくなる。


「席を減らした」


「減らしました」


「観客は、また集めればいい」


「集めさせません」


 黒羽は古い映写機に手を置いた。


 スイッチに触れる。


 店内の奥のスクリーンが、白く光った。


 敦は見ない。


 床を見る。


 床に落ちた光を見る。


 そこに、いくつもの映像が浮かぶ。


 春野真白。


 配信スタジオ。


 黒いレンズ。


 影見写真館。


 月映座。


 地下待合室の少年。


 名簿のカード。


 そして、敦自身。


 黒玻璃堂が集めてきた素材。


 だが、どれも薄い。


 名簿を焼いたせいで、糸が足りていない。


 映像はつながらず、途切れ途切れだった。


 黒羽が低く言う。


「まだ見たい人間はいる」


 スクリーンの光が強くなる。


「奇跡を見たい者。治るところを見たい者。聖者が本物か確かめたい者。人は、見たいものの前では自分から席に座る」


 敦は返事をしない。


 黒羽の言葉には、黒い針が混じっている。


 だが、それは薄い結界で鈍っている。


 心の奥へは届かない。


 黒羽の眉がわずかに動いた。


 苛立ち。


 初めて、はっきり見えた。


 御影が札を床へ置く。


 青い線が黒羽の周囲を囲む。


 黒羽はそれを見て笑った。


「封じるつもりですか。私を」


「あなた本人は、警察です」


 御影は冷たく言った。


「私たちは、あなたに絡んだ呪物を封じます」


 黒羽の顔から笑みが消えた。


 敦は一歩踏み込む。


 映写機から黒い糸が伸びる。


 敦の足元へ。


 特別上映席。


 まだ残っていた、敦用の席の残骸。


 だが、もう席ではない。


 ただの折れた骨だった。


 敦はそれを白い力で軽く撫でた。


 黒い骨が砕ける。


 黒羽が息を呑んだ。


「なぜ、残らない」


「昨日、焼きましたから」


 敦は床を見る。


「俺の席は、もうない」


 真壁が横から動いた。


 黒羽が逃げようとしたのではない。


 黒羽の影が、床を這って棚へ伸びようとしたのだ。


 真壁が黒羽本人との距離を詰め、逃げ道を塞ぐ。


 橘が警察官へ短く指示を出す。


「確保準備。まだ触れないでください」


 御影が叫ぶ。


「龍宮寺さん、腕章!」


「はい」


 敦は右手を上げた。


 白い光を糸のように細くする。


 黒羽の腕に巻かれた《映写主》の腕章。


 そこから黒い糸が、胸元の芯へ伸びている。


 腕ごと焼かない。


 布ごと焼かない。


 文字も残す。


 腕章を役割にしている黒い縫い目だけを焼く。


 白い光が走った。


 腕章がびくりと跳ねる。


 黒羽が呻いた。


「それは、私の役だ」


「違います」


 敦は低く言った。


「あんたが勝手に巻いただけや」


 黒い縫い目が、一本ずつ焼けていく。


 腕章が、ただの布へ戻る。


 黒羽の腕から力が抜けた。


 御影の青い線が胸元へ伸びる。


「胸の芯、浮かせます」


「お願いします」


 黒羽の胸元に、黒いレンズのようなものが浮かび上がった。


 服の下。


 肉体の中ではない。


 影の中に埋まっている。


 それは古い映写機のレンズだった。


 小さく、黒く、内側から濡れている。


 レンズの奥には、無数の客席が見えた。


 だが、席は空いている。


 名簿を焼いたからだ。


 招待係を切ったからだ。


 上映係を止めたからだ。


 黒羽良臣は、映写主でありながら、もう観客をほとんど持っていない。


 それでも、彼は笑おうとした。


「人は、また集まります」


 敦は頷いた。


「そうでしょうね」


 黒羽の笑みが止まる。


「見たい人は、また出ます。助けてほしい人も、証明しろって言う人も、たぶん消えへん」


 敦は黒いレンズを見た。


「でも、そこに席を置くのは、あんたやない」


 御影が叫ぶ。


「今です!」


 敦は白い力を流した。


 レンズを割らない。


 黒羽の胸を焼かない。


 レンズの中に集められた人の感情も焼かない。


 ただ、感情を席へ変える黒い輪だけを焼く。


 細く。


 深く。


 正確に。


 黒い輪が、白く焼ける。


 レンズの奥で、客席が次々に消えた。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 席だけが消える。


 人の声は消えない。


 助けてほしい声も、見たいという欲も、恐怖も、怒りも、悲しみも。


 それらは人間のものだ。


 敦が勝手に焼いていいものではない。


 だが、それを席に変える仕組みは違う。


 それは焼いていい。


 黒い輪が砕けた。


 映写機の音が止まる。


 スクリーンの光が白く弾け、ただの布に戻った。


 黒羽良臣が膝をついた。


 警察官が動く。


 真壁が一歩先に出て、黒羽の腕を取り、床へ押さえた。


 御影が胸元へ札を貼る。


 黒いレンズは、黒羽から剥がれ落ちた。


 小さな音を立てて、床へ転がる。


 ぱきん。


 割れなかった。


 ただ、内側の黒さだけが消えている。


 御影が封印布で包む。


「映写主の芯、確保」


 橘がすぐに紙へ記録する。


「黒羽良臣と思われる男性、身柄確保。映写主腕章および黒レンズ状呪物を確認。龍宮寺さんが座席化術式のみ処理。本人への直接攻撃なし」


 敦は手を下ろした。


 怒りは、まだある。


 だが、燃え広がっていない。


 黒羽良臣は床に押さえられながら、敦を見上げた。


「終わりませんよ」


 声は掠れていた。


 もう、針は混じっていない。


「人は見たがる。奇跡も、破滅も、救いも、全部」


 敦は黒羽を見下ろした。


「それは、そうかもしれませんね」


 そして、続けた。


「でも、見たいからって、人を席に縛ってええ理由にはならん」


 黒羽は何も言わなかった。


 警察官が身柄を引き取る。


 御影は黒レンズ、腕章、映写機、フィルム缶、店内の呪物を順に封じていく。


 敦は、店内の棚を見回した。


 古い鏡。


 カメラ。


 フィルム。


 レンズ。


 画面。


 どれも、もう鳴らない。


 それでも完全に安心はできない。


 黒玻璃堂がこれで終わりかは、まだ分からない。


 黒羽良臣一人で全部をやったのかも、まだ分からない。


 だが、少なくとも今回の映写主は止めた。


 名簿も焼いた。


 席も消した。


 黒玻璃堂の本上映は、始まらなかった。


 烏丸が白い杖を床に当てた。


「悪い未来が、大きく減りました」


「良い未来は?」


 敦が聞くと、烏丸は少し考えた。


「あります。かなり」


「珍しく、ええ言い方ですね」


「たまには」


 橘が敦の横に来た。


「状態は?」


「怒ってます。でも、燃やし終わりました」


「記録します」


「もう好きにしてください」


 橘は少しだけ笑った。


 それから、真面目な顔に戻る。


「お疲れさまでした。今回は、勝ちです」


 敦はすぐには答えなかった。


 勝ち。


 そう言われると、胸の奥が少しだけ変な感じがした。


 全部救えたわけではない。


 全部片付いたわけでもない。


 でも、勝った。


 少なくとも、今回は。


 敦は白い布に戻ったスクリーンを見た。


 そこにはもう、何も映っていない。


 誰の席もない。


 誰も座らされていない。


 それだけで十分だった。


「ほな、帰りましょう」


 敦は言った。


「ここは、もう上映中止です」


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ