2-3-17 幽霊屋敷
──来た。
詰め所を訪れる定期連絡の伝令は、いつも同じ刻限、同じ道を使う。
今日も例外ではなかった。
革靴を引きずるような足取り。周囲を警戒する素振りもなく、欠伸混じりに歩いてくる。
(……油断しきってるわね)
尾行など考えもしない、平時の巡回。
だからこそ、確実に行き先を見ておく必要があった。鎖で探れるのは音声だけ。視覚情報までは拾えない。
やがて伝令が辿り着いたのは、帝国の地方本部と思われる建物だった。
装飾を極力排した石造りの構造は、実用性だけを突き詰めたような重厚さを持ち、周囲には数名の警備兵が配置されている。夜にもかかわらず、緊張感のある警戒態勢が敷かれていた。
(……間違いないわね)
エヴァはその光景をしっかりと脳裏に焼き付けると、気配を殺したまま裏路地へと退いた。
そのまま無理に近づくことはせず、距離を保ったまま進路を変える。彼女の次の目的は、潜伏先の確保だった。
地方本部から近すぎず、遠すぎず。
人目につかず、なおかつ長居できる場所──その条件に合う場所は、すでに目星をつけてある。
路地裏に待機していたエレインとシオンに合流し、しばらく移動する。
「……この辺りのはず」
エヴァは小さくつぶやき、静まり返った通りの奥に佇む一軒の大きな屋敷を見上げた。
立派だったであろう門の向こうには、朽ちかけた石造りの邸宅が姿を晒している。
蔦が壁を這い、手入れを失った庭木が風に揺れていた。かつての栄華を想像させるが、今は完全に時から取り残されたような場所だ。
「……ここにするわ」
エヴァの案内で、シオンとエレインも屋敷の敷地内へ忍び込む。
鍵の壊れた裏口から中へ滑り込むと、埃を含んだ冷たい空気が一斉に鼻を突いた。
だが、内部は思ったほど荒れ果ててはいない。
大きな家具や暖炉も残されており、夜を明かすには十分な環境だった。
「ここ、思ったより快適じゃないか?」
シオンは自動的に火がついた魔法の暖炉に手をかざしながら、室内を見回して言う。
「どうやって、こんな場所を見つけたんだ?」
「ちょっとした噂話よ」
エヴァは埃を払いつつ、古びたソファに腰を下ろした。
「昔は名のある貴族の屋敷だったらしいわ。でも、皇帝に意見したせいで、家族ごと粛清されたって」
「粛清……」
エレインは思わず眉をひそめた。
「それなら、誰も住んでいないのも納得ね」
「それだけじゃないの」
エヴァは、わずかに皮肉な笑みを浮かべる。
「最近はね、幽霊が出るって噂もあるのよ」
「えっ?」
シオンが思わず声を上げた。
「幽霊?そんな場所に連れてきたのか?」
「気にしないで」
エヴァは軽く肩をすくめた。
「幽霊の噂がある場所なら、人はそう簡単に寄りつかないでしょ。むしろ都合がいいわ」
「何だそれ……」
シオンは呆れたように息を吐いたが、反論はしなかった。
「でも、本当に幽霊なんているのか?」
エヴァは指先で鎖を弄びながら、ふっと視線を鋭くする。
「幽霊だなんて思ってないわ。
もっと別の……“何か”だと思ってる」
その言葉に、エレインとシオンは無言で視線を交わした。
屋敷の静けさが、わずかに重みを増した気がする。
「……何かって?」
シオンが慎重に問いかける。
「まだわからない」
エヴァは立ち上がり、窓越しに外の闇を一瞥した。
「でもね、こういう噂話の裏には、いつも理由があるものよ。
とりあえず、ここを拠点にして地方本部の動きを探る。それまで、誰にも見つからないよう静かに過ごしましょう」
エレインはコートを脱ぎ、埃を払いながら椅子に腰を下ろす。
「一晩、何事もなければ……しばらくは使えそうね」
「まあ、幽霊が出なければ、だけど」
シオンが皮肉っぽく笑う。
エヴァはくすりと笑い、二人を振り返った。
「その時は、その幽霊と一緒にディナーにしましょう」
冷たい空気が漂う室内で、三人はそれぞれ思い思いに腰を落ち着けた。
外では風が木々を揺らし、不気味な音を立てている。だが、この屋敷は──少なくとも今は、彼女たちに短い安息を与えていた。
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