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2-3-16 食を巡る一戦

エヴァが隠れ家の奥で鎖を操り、別の潜伏先を探し始めたのを見て、シオンとエレインは顔を見合わせた。


「……今のうちに、食料を調達しておきましょう」

エレインが静かに言う。


「賛成だ。ここにあった金も、有効活用させてもらおう」

シオンは隠れ家の棚から取り出した帝国紙幣の束を確かめ、懐にしまった。


二人が向かったのは、表通りから外れた路地の奥。

北国特有の重たい空気と、煤けた屋台の匂いが入り混じる闇市だった。


「……なんだ、これ」

シオンが眉をひそめる。


干された魚、黒ずんだ塊肉、見たこともない根菜。

保存食らしきものは多いが、どれも荒っぽい。


「北の食文化ね。理にかなってはいるわ」

エレインは物珍しそうに見回しながら言う。


「なら話は早い。安くて量のある保存食を買う」

シオンは即断した。

「金をばらまけば、目をつけられる」


「でも、質が悪すぎるわ」

エレインは首を振る。

「多少高くても、栄養と味のいいものを選ぶべきよ」


「大量に買えば腹は満たせる」

「でも、そんなに持ち運べないでしょう?」

「……それは、工夫すればいい」


二人の視線がぶつかる。


「さっきから気になっていたんだが」

シオンは声を落とした。

「君のその服は目立ちすぎる」


「え?」

エレインは自分の外套を見下ろす。


「上物だ。闇市じゃ浮く」

「寒さ対策よ。あなたみたいに薄着で我慢すればいいって話じゃないの」


エレインはちらりとシオンを見やり、眉をひそめた。

「……その言い分、そっくりそのまま返すわ」


「何?」


「あなたの装束の方が、よほど目を引く」

エレインは低い声で続ける。

「異国風だし、色も形もこの街じゃ珍しい。自覚、ないの?」


シオンは一瞬きょとんとしたが、すぐに鼻を鳴らした。

「これが普通だ。実用的だし、何もおかしくない」


「そう思ってるのが問題なのよ」

「だったら君の服も、ただの防寒じゃないだろう」


互いに譲らず、視線だけがぶつかり合う。


そんな中、エレインが足を止める。


「……これ」

青カビに覆われた、丸い塊。

「熟成チーズね。良い状態だわ」


次の瞬間。


「くっさ!?」

シオンが鼻をつまんだ。

「腐ってるぞ、それ」


ぴたり、と空気が止まる。


「……今、なんて?」

エレインの声が低くなる。


「腐敗臭だ。食い物じゃない」

「あなたの嗅覚、どうかしてるわ」


エレインは一歩詰め寄った。

「それより、その小瓶。あなたが常に持ち歩いてる、茶色いバターみたいなものの臭いの方がよほどひどい」


シオンの目が見開かれる。


「……これは、味噌だ」

声が震えた。

「先祖伝来の保存食だ。腐ってる?ふざけるな」


「だったら、これも腐ってないわ」

「青カビだろうが!」

「発酵よ!」


声が、闇市に響く。


「おいおい……」

近くの店主が青ざめた顔で割って入る。

「ここで騒ぐな。軍に通報されたら、こっちまで迷惑だ」


その瞬間。


「黙ってて」

「黙ってろ」


二人の声が、完全に重なった。


周囲のざわめきが、さらに不穏な色を帯びる。

シオンとエレインは互いに睨み合ったまま、一歩も引かなかった。


「……今の言葉を、もう一回言ってみろ」


低く、氷のように冷えた声だった。

シオンの足元で、《人馬の槍》が音もなく現れる。空気を切り裂くような気配が、闇市の一角に満ちた。


「何度でも言うわ。そっちの方が臭い」

エレインも一歩も退かない。

「これは腐ってるんじゃない。熟成よ。チーズを侮辱するのは許さないわ」


《白羊の盾》が、彼女の前に展開される。柔らかな光を帯びた盾面は、いかなる衝撃も受け止める覚悟を示していた。


「……面白い」

シオンが口角を吊り上げる。

「私の一撃を止められるとでも?」


「止めてみせるわ」

エレインは盾を構え直す。

「どんな攻撃でも、防ぐ。それがこの盾の役目よ」


周囲の空気が一変した。


「やばいぞ……!」

「軍に見つかったら終わりだ!」

「関わるな、逃げろ!」


売り手も買い手も、一斉に蜘蛛の子を散らすように後退する。

露店は放り出され、袋が転がり、闇市は一瞬で無人の広場と化した。


「行くぞ」

シオンが槍を前に突き出す。

「我が一撃、受けてみろ!」


「来なさい!」

エレインは盾を正面に据える。

「白羊は、決して貫けない!」


──次の瞬間。


地面が、かすかに震えた。


土を割って伸びてきたのは、銀色の鎖。

《天秤の鎖》が、まるで生き物のようにうねりながら、二人の腕と武器を一瞬で絡め取った。


「っ!?」


「なに──!?」


動きが完全に止まる。


鎖を通じて、はっきりとした声が響いた。


『……いい加減にしなさい!二人とも』


エヴァの声だった。

怒りというより、呆れを含んだ、しかし確かな圧を持つ声。


『闇市で何してるの。一歩間違えば、全員まとめて捕まってたわよ』


沈黙が落ちる。


最初に視線を逸らしたのは、シオンだった。

槍を解除し、短く息を吐く。


「……さっきは言い過ぎた、すまない。

売り物を腐ってるなんて言うべきじゃなかった」


エレインも盾を下ろし、肩の力を抜く。

「私も……取り乱したわ。状況をわきまえてなかった。ごめんなさい」


鎖がゆっくりと解け、地中へと戻っていく。


しばらくして、シオンがぽつりと言った。


「……チーズも味噌も。どちらも、先祖の知恵と工夫で生まれた保存食だ。伝統の味という点では、何も違わない」


エレインは一瞬驚いたように目を瞬かせ、それから小さく笑った。

「そうね。発酵食品同士だもの。合わせて食べたら……意外と美味しいかもしれないわね」


「それは妙案だな」

シオンは頷き、店先に紙幣を置くと、青カビのチーズを一つ手に取った。


「持ち帰ろう。試す価値はある」


その様子を見て、エレインは思わず微笑む。

シオンも、それに気づいて小さく笑い返した。


闇市には、もう誰もいない。

けれど、二人の間に張り詰めていた空気だけは、確かにほどけていた。


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