2-3-15 静かな隠れ家
冷えた空気が張り詰める中、隠れ家の中で三人は息を殺していた。
壁に染みついた湿気と冷気が、じわじわと体温を奪っていく。
「……チョウヨウって、何?」
エヴァは《天秤の鎖》を操作しながら、わずかに眉をひそめた。
鎖の先から流れ込んでくる断片的な言葉が、胸の奥に不安を落とす。
「徴用っていうのは」
エレインが、抑えた声で短く答える。
「必要な物資や人員を、強制的に集めること。帝国がよくやるの。戦争の時とかに」
「要は──」
シオンが低く補足する。
「兵力や資源が足りないから、無理やり市民や物をかき集めるってことだ。今、詰め所の兵士たちが、その徴用の準備を始めてる」
エヴァは舌打ちした。
「……嫌な響きね」
《天秤の鎖》は、外の街の状況を絶え間なく伝え続けていた。
徴用の命令に反発する声も、わずかにはある。だが、大半の住民は諦めたように従うしかない様子だった。
「徴用が始まったなら、巡回も厳しくなるはずよ」
エレインの言葉に、エヴァはさらに集中を高め、鎖を広げる。
「……まずいわね。兵士たちが、こっちの方まで来てる」
低い警告が落ちた。
「この隠れ家、本部も知らないって言ってたが……」
シオンは顔をしかめ、壁に耳を当てる。
「偶然見つかったら、それで終わりだな」
エレインはすぐに、物音を立てないよう手元の道具を片付け始めた。
「さっきの徴用の話が原因かも。巡回が増えるのは、想定しておくべきだったわ」
外では、兵士たちの靴音が近づいてくる。
それは『鎖』を通じて、はっきりとした感覚として伝わってきた。
二人組の兵士が、隠れ家のある路地を巡回している。
足取りは鈍く、気怠げだが、確実にこちらへと迫っていた。
「……くそ。ここで見つかれば終わりだ」
シオンが短く吐き捨て、反射的に手近な物へと視線を走らせる。
「待って」
エヴァが鋭く制した。
「下手に動くと、気づかれる」
三人は一瞬だけ視線を交わし、言葉を交わすことなく動き始める。
エレインが素早く灯りを落とし、シオンは窓の隙間に布を押し込み、外からの視線を完全に遮断する。
エヴァは集中を切らさぬまま、鎖を通じて兵士の動きを追い続けた。
「……こっちだ。今、何か音がしなかったか?」
外で、兵士の一人がぼそりと呟く。
「気のせいだろ」
もう一人が、疲れ切った口調で応じた。
「さっさと回って、暖かいところに戻ろうぜ」
「いや、念のためだ。最近、本部がうるさいからな」
靴音が、さらに近づく。
隠れ家の扉のすぐ前で、それは止まった。
三人の心臓が、同時に跳ね上がる。
「……静かに」
エヴァの囁きは、ほとんど息に近かった。
鎖を操る指先が、外の兵士の一挙手一投足を感覚として捉えている。
「まだ、こちらには気づいていない。何かの気配を疑っているだけよ」
エレインは、ゆっくりと息を整える。
シオンも微動だにせず、ただ気配を消すことに専念した。
部屋の中は、張り詰めた静寂に包まれ、時間そのものが引き延ばされたかのようだった。
「……何もないな」
兵士の一人が、あきらめたように言う。
「こんな寒い中で、怪しい奴が潜んでるわけがない」
「だろ?さっさと戻ろうぜ。酒の残りが冷めちまう」
肩をすくめる気配とともに、靴音が遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなるまで、三人はその場で身を固くしたままだった。
「……行ったみたいね」
エヴァがようやく緊張を解き、鎖をわずかに緩める。
「ふぅ……危なかった」
シオンが大きく息を吐き、手で顔を拭った。
「でも、次はもっと慎重に動かないと」
エレインは冷静に言う。
「今回は偶然助かっただけ。巡回が頻繁になれば、この隠れ家も安全とは言えなくなるわ」
エヴァは黙って頷き、再び鎖を張り直した。
街全体に漂い始めた緊張と不穏が、はっきりと伝わってくる。
この場所も、いつまで持つかわからない。
「次に備えて、準備しておきましょう」
エヴァの言葉に、エレインとシオンも無言で応じる。
三人は再び息を潜め、それぞれが次の一手を考え始めた。
冷たい風が、窓を叩く音だけが、静かな隠れ家に響いていた。
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