2-3-14 冷たい隠れ家
準備を終えた三人は、ライザとヴァシリーに見送られ、帝国との国境へ向かった。
正面突破は不可能──ライザの情報を頼りに、監視の比較的緩い関所を目指す。
霧が立ち込める薄明の時間。
三人はようやく目的の関所に辿り着いた。
石造りの小さな監視塔と、年季の入った木製のゲート。
周囲には数名の警備兵が立っているだけで、張り詰めた空気は感じられない。
「行くわよ」
エヴァの囁きに、エレインとシオンは静かに頷いた。
門番の兵士が無精ひげを撫でながら、気だるげに声をかける。
「おい、そこの嬢ちゃんたち。通行か?」
エヴァは表情を崩さず、魔法入国証明を差し出した。
「怪しいな……」
兵士は書類を眺め、面倒そうに目を細める。
「この時期に帝国入りとは、物好きだな」
「用があるのよ」
エヴァは一歩も引かずに答えた。
兵士はため息をつき、視線を合わせようともしない。
「どうせ上は何も見ちゃいねえ。問題が起きたら、その時考えるさ……ほら、行けよ」
門が閉まる音が、背後で重く響いた。
三人はついに、帝国領へと足を踏み入れる。
湿った空気と、不気味な静けさが肌にまとわりつく。
だが、ここからが本当の始まりだった。
「まずは情報収集ね」
エヴァが気を引き締める。
エレインとシオンも無言で頷いた。
次の目的地は、発射基地へと繋がる手がかりを得るための地方都市。
未知の危険を前に、三人は再び歩き出した。
彼女たちの運命は、もはや他人任せではなかった。
—-
冷たい風が街路を吹き抜ける中、三人はヴァシリーの情報にあった、人目につかない路地裏の隠れ家に辿り着いた。
かつては工房として使われていたらしい小さな建物だが、壁は煤け、家具もほとんど残っていない。
長い間、誰も住んでいないことは一目で分かった。
シオンは背筋を伸ばし、腕を組んで辺りを見渡すと鼻を鳴らす。
「なるほどな。これが“見つからない場所”ってわけか」
エレインは肩をすくめ、ひび割れた窓から外を覗いた。
「見つからない場所ほど、だいたい薄汚れてるものよ。まあ、居心地は最初から期待してないけど」
『ここなら、本部の連中も嗅ぎつけないはずだ』
道中ヴァシリーが言っていた言葉を思い出しながら、三人は目立たぬように行動を開始した。
エヴァは静かに目を閉じ、指先で《天秤の鎖》に触れる。
銀色の鎖が淡く輝き、魔力の波動を受けて街全体へと拡散していった。
《天秤の鎖》は、物理的な距離を越えて音や気配を拾い上げる。
市場、酒場、兵の詰め所──エヴァは鎖を張り巡らせ、町の「声」を集め始めた。
「……よし。準備完了」
「どうだ?」シオンが低く尋ねる。
「少し待って。全部同時に流れてくるから、整理が必要なの」
エヴァは集中し、無数の情報を慎重に選別していく。
「……酒場は昼間から飲み明かし。兵士たちは怠惰そのものね。巡回も形だけ。詰め所でも不満ばかり」
「街の住民も元気がないわ」
エレインが外を見つめながら言った。
「市場は閑散としてるし、商人は高値で売るのに必死。でも、買い手がほとんどいない」
「生活が追い詰められてるな」
シオンが溜め息をつく。
「帝国は物資を管理してるはずなのに、それが国民に回ってない」
「その一方で……」
エヴァが言葉を継ぐ。
「闇市は賑わってる。食料も衣料も、薬品まで全部裏取引。詰め所の兵も賄賂を受け取ってるわ」
「軍紀もへったくれもないな」
シオンが苦笑した。
「帝国がここまで腐ってるとは思わなかった」
「でも、ただ怠けてるだけじゃない」
エヴァの声がわずかに低くなる。
「兵士たち、何かを待ってる。“中央の命令”を、やたらと気にしてるの」
「中央の命令?」エレインが首を傾げる。
「内容までは掴めないけど……何かが動き出す直前みたい」
シオンが険しい表情で腕を組む。
「嫌な予感しかしないな。規模は?」
「不明。ただ……」
エヴァの言葉が一瞬、途切れた。
「詰め所の隊長が落ち着きがない。さっき、急ぎの報告を受けたらしくて……」
「それって──」
シオンが続きを促す。
その時、エヴァの目が細く鋭くなった。
「待って……今、妙な動きがある」
「どうしたの?」エレインが身を乗り出す。
「詰め所の隊長が、副官に指示を出してる……
“物資を移動させろ”って」
「どこへ?」シオンが即座に問う。
エヴァの指先が、わずかに震えた。
鎖の先に漂う、不穏な気配。
「待って……チョウヨウって、何?」
エヴァの問いは、誰に向けられたものでもなかった。
ただ、鎖の向こうから流れ込んだ言葉を、そのまま口にしただけだ。
室内に、短い沈黙が落ちる。
エレインは眉をひそめ、シオンは何かに気づいたように口を閉ざす。
だが、誰もすぐには答えなかった。
天秤の鎖が、かすかに鳴った。
まるで、その言葉自体が重さを持っているかのように。
「……また言ってる」
エヴァは思わず息を呑み、鎖を握り直した。
「“チョウヨウを始める”って……それ、何をするって意味なの?」
焦りを含んだ声が、静かな隠れ家に響く。
その言葉が示す重さを──
そもそも、この世界にそんな仕組みが存在することさえ、彼女は知らなかった。
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