2-3-6 旅の御守り
サーラたちが村を離れる朝、空はどんよりと曇り、冷たい風が吹いていた。
雲の切れ目すら見えない灰色の空の下で、朝の気配はどこか沈んでいる。
荷造りを進めているサーラたちを、アリスが少し離れた場所から眺めていた。
背負い袋が締め直され、装備が整えられていく様子を見て、ふと声をかける。
「もう出発?」
「うん。王都ルルまで、できるだけ進もうと思って」
サーラが答えると、アリスは「ああ、そっか」と短く頷いた。
それから少し間を置いて、アリスはあっさりと言う。
「私は、もう少しこの村に残るよ。ここはレガシー魔法の匂いがする」
その一言に、サーラは一瞬、言葉を失った。
当然のように一緒に来てくれるものだと思っていたことに、今さら気づく。
──そうだ。
アリスは最初から、王都ルルへ行くとは言っていなかった。
「……そっか」
サーラは小さく息を吐いた。
アリスにはアリスの目的地がある。
自分は、自分の旅を進まなければならない。
いつの間にか、頼る前提で考えていたことが、少しだけ胸に引っかかった。
「私たちだけで行けるようにならないと、だよね」
独り言のような呟きに、アリスは楽しそうに笑った。
「いい顔してきたじゃない」
肩をすくめて、いつもの調子で続ける。
「旅はそれぞれ。交差することもあれば、別れることもあるってだけ」
そして、軽く手を振った。
「じゃ、気をつけて。どこかでまた会ったら、その時はその時」
サーラは少しだけ背筋を伸ばし、微笑む。
「……うん。アリスらしいね」
アリスは何も答えず、気ままな足取りで村の中へと戻っていった。
荷物を整え終えたサーラは、村の人々が名残惜しそうに集まり、静かに見送る姿に胸が締めつけられた。
短い滞在ではあったが、この村で過ごした日々は、彼女にとってかけがえのない経験となっていた。
言葉の違いに戸惑いながらも交わした会話や、不器用ながら心を込めて向けられた好意。
そうした一つひとつの積み重ねが、村人たちとの間に小さく、しかし確かな絆を育んでいたのだ。
「サーラ、本当に行っちゃうの?」
ティアリサが、少し唇を噛みしめるようにして尋ねた。
「うん……でも、また会えるかもしれないよ」
サーラはそう答え、安心させるように微笑むと、ティアリサの肩にそっと手を置いた。
「このまま王都ルルの方へ向かうんだよね?」
ナジーヤが、いつも通りの口調で尋ねた。
「うん。ルルヴィナ王に会いに行くつもり」
サーラは迷いなく答える。
その言葉が落ちた瞬間、
ティアリサとナジーヤは、ほとんど同時に視線を上げた。
言葉はない。
ただ一瞬、互いの顔を見て、
次にほんのわずか、表情を曇らせる。
ナジーヤが一歩前に出て、鞄の中から小さな房飾りを取り出す。
「これ、持って行って」
差し出されたそれは、淡い銀色の毛が丁寧に編み込まれた、美しいお守りだった。
サーラが指先で触れると、毛糸のように柔らかな感触が伝わり、思わず息が漏れる。
「これ……シルフフォーンの毛?」
ティアリサは小さく頷き、少し誇らしげに説明する。
「村では、シルフフォーンは風の音を聴いて未来を察知できるって信じられてるの。
お守りが危険なときに知らせてくれるから、大切な人が旅に出る時には必ず渡すのよ」
サーラはそれを見つめたまま、どこか懐かしむように、ほんの少しだけ目を細めた。
「なんだか《双魚の鏡》みたいだね……」
思わずそう呟きながら、両手で大切そうにお守りを受け取った。
その言葉の意味を理解できず、ティアリサとナジーヤは顔を見合わせて首を傾げる。
サーラはそれ以上説明せず、ただ、お守りを胸元に引き寄せて「ありがとう」と静かに微笑んだ。
「無事を祈ってるから」
ナジーヤが真剣な表情でそう言うと、サーラもまっすぐに頷いて応えた。
やがて村の子どもたちが「また遊びに来てね!」と声を張り上げ、
村人たちが一斉に手を振る中、サーラたちはゆっくりと歩き出した。
風に乗って、お守りの銀色の毛が、かすかに揺れる。
道を進むサーラたちの足取りは自然と重くなり、歩調もゆっくりとしていた。
背後から聞こえる村の気配が遠ざかるにつれ、胸の奥に残る余韻が静かに広がっていく。
レイラが、ぽつりと口を開いた。
「あの村、居心地が良かったわね」
「そうだね。もう少し滞在しても良かったかも……」
サーラも、名残を惜しむように応じる。
「でも、処女の書に十分な言語データを集めるのが目的だったからな」
ヴァイが淡々と告げた。
彼女たちは、村で得た知識と経験が、これからの旅に必ず役立つと理解していた。
それでも、別れの寂しさまでは割り切れずにいる。
「また、いつか戻れるかな?」
サーラが独り言のように呟くと、レイラは穏やかに微笑んだ。
「そうね、きっと」
そうしてサーラたちが歩き続ける中、
彼女たちの背後には、誰にも気づかれることなく一つの影が静かに付き従っていた。
風の中に溶け込むように、足音も気配も殺しながら、一定の距離を保ってその動向を探っている。
再び風が吹き抜け、お守りの毛がふわりと揺れた。
それはまるで、何かを警告するかのようだった。
だが、その意味に気づく者はいないまま、
サーラたちは次の目的地へと向かい、旅を続けていく。
その影は一瞬だけ立ち止まり、
彼女たちの姿が完全に見えなくなるまで、じっとその場に留まっていた。
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