2-3-3 翻訳魔法
ティアリサとナジーヤの案内で、サーラたちは村の外れにある素朴な家に宿を取った。
石造りの建物はひんやりとした空気をまとい、山岳地帯の厳しい気候に順応した、堅実な造りをしている。
室内に足を踏み入れると、外の風とは対照的に、静かで落ち着いた空間が広がっていた。
長旅の疲れが身体に残っていたが、一行は荷物を置くとすぐに気持ちを切り替え、謁見に向けた準備について話し合いを始める。
「ルルヴィナ王の側には通訳がいると思うけど、すべてを任せるわけにはいかないよね」
ヴァイは地図を広げながら、慎重な口調で言った。
サーラもその言葉に頷く。
「こちらの言葉がどう受け取られるか、正確に伝える必要がある。それが外交の基本だし、準備不足は危険だわ」
言語の壁は、思っていた以上に厚かった。
ティアリサとナジーヤの助けを借りれば、身振り手振りで最低限の意思疎通はできる。だが、同盟交渉のような繊細で複雑な話題を伝えるには、明らかに不十分だった。
そこで、サーラはひとつの決断を下す。
「……《処女の書》に頼りましょう」
そう言って、革表紙の古い書物を取り出す。
「この書が、私たちの通訳をしてくれるわ」
サーラは一度言葉を切り、手にした書を胸元へ引き寄せた。周囲の音が遠のいたように感じられ、彼女はそっと視線を落とす。
頁の奥から、かすかな囁きのような気配が伝わってくる──他の誰にも聞こえない、書の声に耳を澄ませるように。
頁を開くと、淡い光とともに文字が浮かび上がった。
「十分な情報があれば、言語を解析できるそうよ。会話を聞かせることで、少しずつ解読が進むみたい」
「それなら、他の村人たちとも話してみようよ」
レイラの提案に、サーラはすぐに頷いた。
「ええ。謁見までに、少しでも多くの言葉を吸収できれば、交渉もずっとやりやすくなるはず」
翌朝、サーラとレイラは「処女の書」を手に、再び村へと出た。
ティアリサとナジーヤの案内で、市場や集会所、畑仕事の現場など、村の日常が息づく場所を巡りながら、人々との会話を試みていく。
「これは、何?」
サーラが指差したのは、天日で乾燥させた植物の束だった。
ナジーヤは楽しそうに現地語で説明するが、意味は分からない。
それでも、《処女の書》は応じるように、頁の一部を微かに光らせ、その音と響きを記録していた。
サーラとレイラは身振りを交えながら質問を重ね、村人たちの言葉に耳を澄ます。
書はそれに合わせて頁を変化させ、短い単語や簡単な言い回しの意味が、少しずつ浮かび上がってきた。
ティアリサとナジーヤもその様子を興味深そうに眺め、ときおり助け舟を出してくれる。
二人は村の生活をよく知っており、村人たちからも自然と信頼を寄せられているようだった。
「こんなに親切にしてくれるなんて、少し意外ね」
レイラは微笑みながら言う。
「言葉は通じてないのに……不思議と、心は通じてる気がする」
サーラも同じ感覚を抱いていた。
交流を重ねるうちに、言葉そのもの以上に、相手の気持ちや温度が伝わってくる。そんな実感があった。
その日の午後、二人は村を見渡せる丘の上に腰を下ろし、《処女の書》の進捗を確認した。
書には、新たな単語や簡単な文章がいくつも記されており、今日一日の会話が確かな成果を生んでいることが分かる。
「少しずつだけど……確実に前に進んでるわ」
サーラは頁をなぞりながら、静かに言った。
「これなら、謁見のときも有利になるわね」
自信をのぞかせるレイラの言葉に、サーラも小さく微笑む。
そのとき、遠くからティアリサとナジーヤが手を振っているのが見えた。
村の少女らしい無邪気さと素朴な優しさを持った二人は、言葉が通じなくても、不思議と心を和ませてくれる存在だった。
ふと、サーラの脳裏に、祖国にいる友人の姿がよぎる。
幼馴染のシェリーも、こんなふうに笑いながら、何でもない日常を一緒に過ごしてくれていた。
「今頃、シェリーは何をしてるのかな……」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「少しでも、あなたの笑顔を見たいよ」
感傷を振り払うように、サーラは目の前の新たな友人たちへと微笑み返した。
この出会いが、これから待ち受ける困難を乗り越える力になる──そんな確信が、静かに芽生えていた。
こうしてサーラたちは、村での滞在を通じて「処女の書」に多くの会話を聞かせ、ルルヴィナの言葉を理解するための準備を着実に進めていった。
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