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2-2-20 無謀な密命

ヴォルフガング・アイゼンバルトは、静かに司令室の扉を閉めた。

重厚な木製の扉が音もなく閉じると、広い室内には彼とナディア・ヴァルシオンだけが残された。


広大な戦略会議室には帝国の旗がいくつも垂れ下がり、照明を落とした空間には重苦しい空気が満ちている。その沈黙が、かえって緊張感を際立たせていた。

ヴォルフガングは巨大な作戦地図の前に立ち、両手を背後に組んだまま、ナディアに背を向けている。


呼び出されたナディアは、鋭い眼差しでその背中を見据えた。


「……この時間に、しかも私一人を呼び出す理由は何ですか。

まさか雑談ではないでしょう」

低く抑えた声で問いかける。


ヴォルフガングはわずかに肩越しに振り返り、短く答えた。

「ライザを救出する」


ナディアの眉が、ぴくりと動いた。

ライザ・クレーヴ──彼女の部下であり、現在は敵国に捕えられている人物。公式にはすでに「切り捨てられた」存在だ。その救出など、政治的にも戦略的にもあり得ない話だった。


「……今さら、ですか。

彼女はもう“存在しない”扱いのはずですが」

疑念を隠さずに呟く。


「救出作戦は極秘だ。誰にも知られるわけにはいかん」

ヴォルフガングの声には、一切の揺らぎがなかった。


「確認させてください。

これは正式な承認を得た作戦ですか──それとも」

探るように問い返す。


「許可など取っていない」

即答だった。「これは俺の独断だ」


ナディアは眉間に深くしわを刻む。独断で行う任務は、常に失敗と粛清の影を伴う。しかも、今は帝国全体が極限まで張り詰めている時期だ。


「“賭け”なのか、“やる価値がある”レベルなのかで、準備が変わります」


「それはお前次第だ」

突き放すような口調だった。


ナディアは腕を組み、視線を落とす。短い沈黙。

だが、次に続いた言葉が、彼女の思考を強引に断ち切った。


「時間がない」


「どういうことです?」


ヴォルフガングは重く息を吐き、ようやく完全に振り返った。

その眼差しは冷静さを保っていたが、奥には隠しきれない焦燥が滲んでいる。


「フレヤレイドの準備が進められている」


その一言で、ナディアの表情が凍りついた。

フレヤレイド──論理魔法を応用した戦略ミサイル。着弾地点を数千年単位で魔法汚染し、あらゆる法則を破壊する兵器だ。

正確な被害規模は誰にも予測できないが、南の王国を死の地に変えることだけは確実だった。


ナディアは息を呑み、胸の内で動揺を必死に押し殺す。


「……あんな国に対して、そこまでやる必要があるんですか?」


「俺が決めることではない」

ヴォルフガングは短く答えた。その声には、納得していない者特有の硬さがあった。


再び沈黙が落ちる。

やがて、ナディアは小さく頷いた。


「……覚悟はできました。

作戦の全容を教えてください。余計な情報はいりません」


ヴォルフガングは地図の上に手を置き、ライザの消息が途絶えた地点を指し示す。

「お前は単独で動け。ライザを救出する。そして可能なら……最初に行った奴も連れてこい」


ナディアは一拍置いてから、慎重に口を開いた。


「……司令。状況次第では、回収が困難な場合もあります」


ヴォルフガングは地図から目を離さず、低く答えた。


「構わん。命令は一つだ」


そう言って、彼はようやくナディアを見る。


「──生きているなら、連れて帰れ」


ナディアは、わずかに眉をひそめた。

捕虜の回収命令にしては、条件が不明瞭──

どこか腑に落ちない。


「成功率がどの程度と見積もっていますか」


「考えるな。ただやれ」


言葉は冷酷だったが、そこに迷いはなかった。


ナディアは視線を逸らし、短く息を吐く。この任務に成功の保証はない。むしろ、失敗する可能性の方が高い。


「もう一つ確認させてください」

慎重に言葉を選ぶ。「王国の人間に接触した場合、フレヤレイドの存在は──」


「伝えてかまわん」

ヴォルフガングは即座に遮った。


ナディアは耳を疑った。極秘兵器の情報を、敵国に明かしていいというのか。

その驚きを察したのか、ヴォルフガングは冷然と言い切る。


「二度は言わん」


ナディアは小さくため息をつき、額に手を当てた。

ここまで聞いた以上、もはや選択肢はない。


彼女が無言で踵を返した、その背後から、思いがけない声が投げかけられた。


「……貴様は、必ず帰ってこい」


それは、普段の彼からは考えられないほど感情のこもった声だった。

ナディアは一瞬だけ振り返り、ヴォルフガングの厳しい横顔を見つめる。


「了解」


短く答え、彼女は司令室を後にした。


扉が閉まる音が響いたあと、ヴォルフガングは一人、地図を見下ろした。

成功の保証もない作戦に部下を送り出した重圧が、胸に重くのしかかる。


それでも──今の彼にできることは、それしかなかった。


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