2-2-19 無慈悲な勅命
「フレヤレイドを使え」
皇帝ルキウス・ヴァルトラのその一言を聞いた瞬間、総司令ヴォルフガング・アイゼンバルトは、思わず耳を疑った。
フレヤレイド──それは魔法の法則そのものを狂わせ、土地を永遠の死地へと変える戦略兵器だ。汚染された地域には、何百年、場合によっては何千年もの間、誰ひとりとして住むことができない。
その兵器を南の王国に撃ち込めという命令は、領地を占領し、支配を広げるという帝国の戦略から明確に逸脱していた。それはもはや征服ではなく、ただの破壊に等しい。
「陛下……本気でお考えなのですか?」
ヴォルフガングは慎重に言葉を選びながら問いかけた。
「王国を完全な死の地にしてしまえば、占領地としての価値も失われます。どうか、ご再考を──」
だが、ルキウスは無表情のまま椅子に深くもたれ、冷ややかに言い放った。
「失態続きの総司令に、余の判断を正す資格があるのか?」
その言葉に、ヴォルフガングは口をつぐんだ。
確かに戦争の序盤、彼の軍は王国軍の抵抗を過小評価し、いくつもの重要拠点を取り逃がしている。加えて、帝国の特殊部隊が潜入作戦中に捕縛されるという、不名誉な失敗まで重なった。その責任を問われる立場にある彼には、ここで強く反論する余地はなかった。
そこへ歩み出たのが、帝国魔法最高顧問、ロキスヴェイン・フェルサンドだった。
「陛下のご決断は、きわめて合理的です」
ロキスヴェインは自信に満ちた口調で続ける。
「フレヤレイドの威力を一度でも目の当たりにさせれば、王国は恐怖に屈し、戦う意志そのものを失うでしょう。言葉や威圧だけでは、真の恐怖は伝わりません」
ヴォルフガングは、思わず眉をひそめた。
ロキスヴェインの言葉は理路整然としており、一見すればもっともらしい。だが、その裏に潜む意図を、彼は敏感に感じ取っていた。
──彼は、本当に帝国の勝利を考えているのか?
それとも、自らが開発した兵器の“試し撃ち”を望んでいるだけなのではないか。
実戦での使用実績を得るため、戦場そのものを実験場にしようとしているのではないか。
そんな疑念が、胸の奥で渦を巻く。
だが、その疑いを口にすることはできなかった。
ルキウスはロキスヴェインを深く信頼している。彼が皇帝の信任を得ている理由は、卓越した魔法の才能だけではない。皇帝の意思を、感情を排した形で代弁できる冷徹さ──それこそが、彼の最大の価値だった。
ロキスヴェインを否定することは、すなわち皇帝の決断を否定することに等しい。
「王国に潜入させた工作員たちが、まだ戻っていません」
ヴォルフガングは最後の望みを託すように進言した。
「彼らに帰還命令を出しますので、それまで──」
ルキウスは、わずかに手を振った。
「捨ておけ」
その一言で、すべてが切り捨てられた。
捨ておけ。
ヴォルフガングの胸が、強く締めつけられる。帝国のために命を懸けて働いてきた者たちを、こうも簡単に見捨てるのか。そこにあったのは冷静な判断ではなく、駒を使い捨てることへの嫌悪だった。
だが、皇帝の言葉に逆らうことは許されない。
ルキウスは、目的のためなら手段を選ばない。戦争に勝つためであれば、フレヤレイドの使用すら躊躇しない男だ。そこに倫理や情が入り込む余地は、最初から存在していなかった。
ヴォルフガングは無言のまま立ち尽くした。
帝国への忠誠か、それとも戦場に立つ兵士たち、そして自らの誇りか──二つの相反する感情が、激しく胸の内でぶつかり合う。
フレヤレイドの使用が決定された今、自分は何を選ぶべきなのか。
命令に従えば、この戦争は確実に終わるだろう。だが、それは勝利という名の破壊であり、帝国が手にするのは焼け野原だけだ。
ふと、彼は兵士として最初に教え込まれた言葉を思い出した。
「武力の行使は支配のためであって、破壊のためではない」
だが今、目の前にある命令は、その原則を完全に踏みにじっていた。
ヴォルフガングは深く息を吸い込み、胸の奥に渦巻く焦燥を押し殺す。
ここで異を唱えることはできない。だが、内心では確かな決意が芽生えていた。
もし、皇帝が本当にフレヤレイドを使おうとする瞬間が来たなら──
自分にできる限りのことをする。たとえ、その先に待つ結末がどのようなものであったとしても。
「ご命令通りに、準備を進めます」
そう告げたヴォルフガングの顔には、彼の内心とは裏腹に、忠実なる帝国軍人としての仮面が、静かに貼り付いていた。
ブクマでサーラたちの応援をお願いします!




