2-2-17 慢心と油断
国境付近に張り詰めていた緊迫の空気が、一瞬で崩れ去った。
ライザは反射的に魔法銃を構え、引き金を引く──だが、その瞬間だった。
銀色の鎖が空中を舞い、銃口を強引に弾き飛ばす。
乾いた発砲音が夜気を裂き、弾丸は標的を外れて虚空へと消えた。
「何だと!?」
ライザは即座に銃を振り払おうとする。だが、鎖は彼女の腕に絡みつき、まるで意思を持つ生き物のように締め上げてきた。金属が軋む音とともに、自由が奪われていく。
「無駄よ」
冷徹な声が響いた。
闇の中から姿を現したのはエヴァだった。彼女は距離を保ったまま、長い鎖を自在に操り、ライザの動きを完全に封じている。
同時に、ヴァシリーの首元に鋭い殺気が走った。
振り向いた瞬間、槍の切っ先が喉元に突きつけられていることを悟る。そこにいたのは、感情の読めない無表情のまま立つシオンだった。
「終わりだ」
淡々とした声が、逃げ場のなさを告げる。
さらにその直後、頭上から重く風を切る音が降ってきた。
空を仰いだライザの視界を覆ったのは、巨大な影──闇夜の雲を引き裂きながら滑空するドラゴン、アルカンティスだった。その威圧感は、もはや戦意そのものを削ぎ落とす。
「まさか……」
思わず漏れた声。その隙を逃さず、サーラが一歩前に出る。
「驚いた?」
得意げな微笑を浮かべ、彼女は軽い調子で続けた。
「シェリーが《双魚の鏡》で予知したの。だからドラゴンを使って、ここまで一気に飛んできたわ」
ライザは苦々しく視線を伏せる。
双魚の鏡──気まぐれに未来を垣間見せる、謎の多い魔法デバイス。その存在は知っていたが、せいぜい数秒、あるいは数分先までしか見通せないものだと高を括っていた。
「……予知の範囲は限られているはずだ。こんな迅速な対応ができるとは……」
「そこが甘かったのよ」
サーラは声を低くし、静かに言い切った。
「先日の地上戦でも、予知から数時間で対応したことがあったわ。私たちの“速度”を知っていたら、あなたも、もう少し慎重になったでしょうね」
ライザは小さく舌打ちし、視線を逸らす。
「……そんな話、聞いてない」
「当然よ」
サーラは冷たい笑みを浮かべた。
「開戦前のブリーフィングで、私はその話をしなかった。だからレイラも知らないし、あなたに伝わるはずもない」
その言葉に、ライザの表情が歪む。
自分の誤算が、どこにあったのかを、ようやく理解し始めていた。
「情報を得ること自体に満足してしまったのね」
サーラは畳みかける。
「レイラ一人からの情報で満足して、他の女王候補からも集めて多角的に分析しようとしなかった。それが、あなたの敗因よ」
冷徹な断定だった。
「だが……病院での混乱があったはずだ」
ライザはなおも食い下がる。
「そんな余裕が──」
「大したことじゃないわ」
サーラは涼しい顔で言葉を遮った。
「あなたの妨害魔法、論理式を反転させただけだったもの。一気に見破って、もう一度反転させただけ。ほら、これで元通り」
その言葉に、ライザは息を呑んだ。
自分が仕掛けた複雑な論理魔法を、即座に解析されていた──それも、まだ十五歳の少女に。
「タネさえ分かれば、どうってことないの」
サーラは肩をすくめ、どこか楽しげに笑う。
ライザは完全に言葉を失った。
握りしめた拳が震え、自らの慢心と油断が、この結果を招いたのだと否応なく理解させられる。
「……私たちの方が、甘かったのか」
悔しさを噛み殺すように、彼女は唇を噛んだ。
「さて」
サーラは視線を鋭くし、二人を見据える。
「これ以上、無駄な抵抗を続ける?」
ヴァシリーは無言でライザを見た。
逃げ場がないことは、彼にも明白だった。ライザもまた、それを悟っていた。
「……終わりね」
力を抜き、ライザは魔法銃を地面に落とす。
金属音が静かに響き、その場に決定的な終止符を打った。
ヴァシリーは、どこか安堵と諦念が混じった視線を落とした。
「じゃあ、地下牢に戻りましょうか」
サーラが一歩前に出る。
シオンは槍を下ろし、エヴァも鎖を解いた。
祖国の大地を目前にしながら、ライザとヴァシリーは再び踵を返す。
そうして二人は、何も言葉を交わさぬまま、黙々と歩き出した。
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