2-2-3 ヘルダルの脅威
フェンリス撃破以降、彼女たちは夜を「休息」とは呼ばなくなっていた。
帝国が次に動くのは時間の問題──そう分かっていたからだ。
予知の力を持つシェリーがサーラの家に泊まり込んでいるのも、そのためだった。
いつ、どんな兆しが訪れても、即座に対応できるように。
月明かりが差し込む静かな夜。
シェリーは寝返りを打った瞬間、微かな異変を感じ取り、すぐに目を開いた。
枕元には、青白い光をまとった《双魚の鏡》──アルシディアが、音もなく浮かんでいる。
彼女がそっと手を伸ばした瞬間、冷たい水面に沈むような感覚とともに、声が直接脳内に響いた。
『敵の動きがある。帝国は、次の作戦をすぐに開始するつもりだ』
想定していたはずの言葉が、胸の奥に重く落ちる。
シェリーは一瞬だけ唇を噛み、すぐに布団を跳ねるように抜け出した。
廊下を駆け、サーラの部屋の扉を叩く。
ほどなくして現れたサーラは、眠たげに目を細めていたが、その視線には既に緊張が宿っていた。
「……来たのね」
問いではなかった。
「アルシディアが。帝国が、もう動くって」
その一言で、サーラの表情から迷いが消える。
彼女は短く息を吸い、即座に指示を出した。
「皆を起こして。居間に集合。
──時間がないわ」
家に居た姉のリアナ、待機していたシェリー、居候中のエヴァ、そしてシオン。
全員が居間に集まった頃には、夜更けにもかかわらず明かりが灯され、空気は張り詰めていた。
サーラは壁に掛けられた魔法のホワイトボードの前に立つ。
「状況を整理するわ。
《双魚の鏡》の予知によると、帝国軍はこの夜のうちに休むことなく、次の作戦へ移行する」
彼女が手を振ると、淡く光る地図がボードに映し出された。
三方向から王国へ伸びる赤い進撃線が、容赦なく描かれる。
「三方同時侵攻。動員されるのは大規模部隊よ」
サーラは一度言葉を切り、重く続けた。
「確認できただけでも──
各方面に、《ヘルダル》が三十体以上」
一瞬、空気が止まった。
「……ヘルダル?」
エヴァが眉をひそめる。
サーラは頷き、静かに説明する。
「全長十メートル級。
城壁と同じ高さを持つ、人型兵器よ」
双魚の鏡がホワイトボードに映し出したシルエットは、人の形をしていながら、人とは呼べない異様さを放っていた。
それは「兵士」ではない。
戦場を歩くためだけに造られた、巨大な鉄の巨人だ。
「操縦兵を内包し、魔力駆動で動く。
数だけでも脅威だけど……問題は、その耐久性と突破力ね」
リアナが腕を組み、低く唸る。
「戦力が分散しているとはいえ……数が多すぎる」
「ドローンは?」
シェリーが問いかける。
「使えない」
サーラは即答した。
「同じ手は二度通用しないし、再構築する時間もない」
「なら、ドラゴンは?」
今度はエヴァが視線を向ける。
「アルカンティスは実はまだ子供らしいわ。魔法のブレスを吐けないって、ミーナが言ってた」
サーラは静かに首を振った。
「地上戦では戦力外」
短い沈黙のあと、シオンが落ち着いた声で口を開く。
「……女王候補を三つのパーティに分け、各戦線に投入するしかありませんね」
「ええ」
サーラは頷きながらも、眉をひそめる。
「でも問題は、それぞれが十分な戦力を持てるかどうか。正面から受け止めれば、押し切られる可能性が高い」
エヴァが小さく息を吐いた。
「均等に割り振っても、この物量は厳しいわね」
居間に、重い沈黙が落ちる。
「……どうするの?」
シェリーが、ぽつりと呟いた。
サーラはホワイトボードを見つめたまま、すぐには答えなかった。
戦場に必要なのは感情ではない。
理論と配置──それは、彼女が最も得意とする分野だった。
「分割は避けられない」
やがて、静かに言う。
「だからこそ、全員の力を最大限に引き出す配置を考える」
リアナが頷く。
「前線は女王候補たち。
サーラとシェリーは後方支援ね」
「ええ」
サーラははっきりと応えた。
「でも、それだけじゃ足りない。
……まだ、何かあるはず」
「数が全てではありません」
シオンが静かに続ける。
「限られた戦力を、どう活かすか。それが勝負です」
「その通りね」
サーラは新たな思考に没入しながら、再びホワイトボードへ向き直った。
夜がさらに深まる中、居間には決戦を前にした静かな闘志が満ちていた。
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