2-2-1 名誉挽回の策
玉座の間は、重厚な静寂に包まれていた。
大理石の床に響くのは、衛兵たちの呼吸と、燭台の火が微かに揺れる音だけである。
その静けさを切り裂くように、一人の参謀が足早に皇帝ルキウス・ヴァルトラのもとへ進み出た。
顔は青ざめ、額には汗が滲んでいる。喉を鳴らし、震える声で言葉を絞り出した。
「陛下、空中要塞フェンリスが……撃墜されました」
その瞬間、玉座の間の空気が凍りついたかのように感じられた。
誰もが息を呑み、時間そのものが一拍遅れたように止まる。
皇帝ルキウスの表情は、鋭い刃のような冷酷さを帯びていた。
燃えるような金色の瞳が報告者を突き刺し、玉座のひじ掛けを握りしめた指が、軋む音を立てる。
「――撃墜、だと?」
低く、感情を削ぎ落とした声が玉座の間に響く。
報告者は思わず一歩退き、声を裏返らせた。
「は、はい……」
その時、重々しい足音が床を打った。
現れたのは、総司令ヴォルフガング・アイゼンバルトである。
高くそびえる体躯、鋼のような威圧感を放つ眼光。
彼は参謀に一瞥をくれると、それだけで追い払うように視線を走らせ、皇帝へと真っ直ぐ向き直った。
「全ての責任は、私が負います」
即座に、淀みなく言い切る。
「計画が漏れたか、あるいは敵が我々の想定を超える戦力を秘匿していたか……
理由はともかく、敗北は事実です」
ルキウスは玉座から立ち上がり、ヴォルフガングを睨みつけた。
怒りを隠そうともせず、その声が玉座の間を震わせる。
「説明ではない。余が求めているのは、貴様が名誉を挽回するための策だ。
フェンリスのような戦略兵器を一つ失っただけで、この帝国の威信が崩れるとでも思っているのか?」
ヴォルフガングの表情は変わらなかった。
この瞬間を想定していたかのように、既に次の一手をその瞳に宿している。
「陛下。むしろ、この敗北を機に、全力で地上侵攻を開始すべきです」
「空を制した上で地上へ進軍する――それが帝国の方針だったはずだ。
空中戦力を欠いた侵攻を進言するとは、貴様が恐れを知らぬ愚か者だからか?」
怒りを孕んだ皇帝の声に、ヴォルフガングは静かに頷いた。
「ドラグナー隊の最後の報告によれば、敵国に航空戦力と呼べるものは、元より存在しなかったとのこと。
フェンリスを撃墜したのは、常設戦力ではなく、一度きりの切り札です」
「……使い切った、と?」
「はい。フェンリスほどの大型飛空艇を落とすには、代償が大きすぎる。
再現性はありません。今後、同規模の迎撃は不可能と見ていいでしょう」
「なぜ、そう言える。フェンリスの残骸を回収できたのか?」
玉座の間に、短い沈黙が落ちる。
ヴォルフガングは、ほんの一拍だけ間を置き、淡々と答えた。
「……残骸は戦場の混乱の中です。
地形も不明瞭で、敵の支配下にあります。今さら得られる情報は限られるでしょう」
「……ふん」
ルキウスは鼻で笑った。
「貴様の憶測だな」
「必要なのは速さです、陛下」
ヴォルフガングは言葉を重ねる。
「敵は切り札を使い切った直後。
こちらが迷えば、その時間こそが敵に体勢を立て直す猶予を与える。
今こそ圧倒的な陸軍を投入し、敵国の心臓部を直接叩きます」
ルキウスは苛立たしげに踵を返し、玉座へ戻ると、ゆっくりと腰を下ろした。
「……地上侵攻が失敗した時は、どうする?」
「その時は、この命で償います」
ヴォルフガングは一歩も引かず、皇帝の目を真っ直ぐに見据えた。
短い沈黙が、玉座の間を支配する。
やがて、ルキウスの唇に冷たい笑みが浮かんだ。
「戯け。余の右腕を、もぎ取るつもりか?」
「陛下の御手となれる限り、この身に悔いはありません」
「――よかろう」
ルキウスはゆっくりと頷いた。
「だが、失敗は許されぬ。
全てを賭け、帝国の名にかけて勝利を掴んでこい」
「御意」
ヴォルフガングは静かに一礼した。
その背中に、迷いの色は一切なかった。
こうして、グリムロス帝国は新たな侵攻計画へと動き出す。
空中要塞フェンリスの撃墜を境に、戦争は静かに、しかし確実に次なる段階へと踏み込もうとしていた。
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