蒼羽乃愛の受難
三人で仲良くダイニングテーブルを囲み、ひまりが手際よく作ってくれたオムライスを食べ終えたあと、私たちはそのまま三人で街へと繰り出すことになった。
――けれど、私はいまなぜかランジェリーショップの奥にあるフィッティングルームの前で待機させられている。
パステルカラーを基調とした店内に漂う、甘いフレグランスの香り。最新のトレンドを取り入れた華やかな空間で、私はフィッティングルームの脇に置かれたおしゃれな丸椅子に腰をかけ、小さく溜め息をつきながら、所在なく背もたれに身体を預けていた。
なぜこんなことになってしまったのか。それは一時間ほど前のリビングでの会話が、すべての発端だった――。
***
「ひまりん、オムライスめっちゃおいしいよ〜〜! 卵がふわふわで、お口の中までとろけちゃいそう〜〜〜!」
「ふふっ、よかった。こうして食事も普通に取れて、しっかり味の感想まで言えるなんて。莉愛ちゃんって、今はもう本当に人間なんだね」
「えへへ、すごいでしょ? ……あっ、でもね、乃愛ちゃんのフレンチトーストも絶品だったの――! ……乃愛ちゃんの手料理、また食べたいなぁ〜〜♡」
返答をねだるように莉愛がわざとらしくチラチラと視線を送ってくる。
「はいはい、ありがとう。それはまた気が向いたらね」
「あぁ〜〜、また全然気持ちが籠もってない〜〜〜!」
莉愛が頬を膨らませながら私の肩を掴んでゆらゆらと揺らしてくる。そんな私たちの賑やかなやり取りをじっと見つめていたひまりが、小さな声でぼそりと呟いた。
「……乃愛ちゃんに、手料理作ってもらったんだ?」
「うん、そうだよ〜! バターとお砂糖が溶ける香りがね、想像してたよりもずっと、すっごくいい匂いだったの!」
「……へぇ。乃愛ちゃんがお料理するなんて、珍しいね」
ひまりの声のトーンが不意にすっと低くなった。それと同時にリビングの空気がふっと冷え込んだような錯覚を覚え、私の背筋に得体の知れない悪寒が走る。
「――そんなことないよ? 確かに普段の主食はカップ麺だけど、乃愛ちゃんはただ面倒くさがりなだけで、むしろ機嫌がいいときなんかは鼻歌を歌いながらキッチンに立って、本格的な――」
私は莉愛の言葉を遮るように背後から両手で口を塞ぎ、引きつった笑顔を彼女に向けた。
「――莉愛? あまり私の私生活を勝手にベラベラと暴露しないでくれるかしら?」
「んんーーっ! んんんーーーっ!」
莉愛が必死に何かを訴えながら、コクコクと激しく頷いたのを確認した私は、彼女の口からそっと手を離した。
「――ぷはぁっ! もぉ〜〜、乃愛ちゃん酷いっ! 私、初めて唇に触れるのは手のひらなんかじゃなくて、乃愛ちゃんの唇が良かったのに〜〜〜っ!」
「――ちょっと莉愛、なに言ってるのよ……っ!」
「……莉愛ちゃんって、乃愛ちゃんのことを『そういう意味』で好きなの?」
すっかり莉愛とのやり取りに気を取られていた私は、突如耳に届いたひまりのあまりに穏やかな爆弾発言に、思わず肩をビクッと大きく跳ねさせた。
「ひまりん、『そういう意味』って、恋愛感情として好きかどうかってことだよね?」
「……莉愛ちゃんって、なかなか鋭いんだ?」
「……でもそれは、ひまりんも一緒だよね?」
ふたりの間には、お互いにしかわからない重たい空気が――いや、物理的なバチバチとした火花さえ見えてきそうなほどの、凄まじい視線の応酬が始まっている。
「私の初めては全部乃愛ちゃんに捧げるつもりだし、私も乃愛ちゃんのすべてを貰うつもりでいるよ?」
莉愛はふっと口角を上げると、腰に手を当ててひまりの瞳を真っ直ぐに見据え、堂々と胸を張った。
「ふふっ。……じゃあ、莉愛ちゃんは今日から私のライバルになっちゃうね」
(……え? ライバル? それって一体どういうこと――?)
「――あっ、あの……ふたりとも、どうかしたの? なんだか急に殺伐としてないかしら?」
言葉を絞り出すように遠慮がちに声をかけると、ふたりはまるで息を合わせたかのように、同時に私へと視線を向けた。
「――ひっ。……な、なに? ふたりとも、なんだか目つきが鋭いわよ?」
「乃愛ちゃん、ごめんね? ……私、幼い頃からずっと――乃愛ちゃんのことを性的な目でしか見てないの」
「……え?」
私が呆然として思考を停止させていることなんて、全く気にも留めない様子で、ひまりはいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、淡々と、けれど驚くほど饒舌に言葉を続けた。
「研究の邪魔をしたくなかったから、今までは気持ちを抑えてずっと我慢してたの。……だけど、莉愛ちゃんっていうイレギュラーが発生しちゃったでしょ? ……だから、今ここで白状するのが一番いいかなって思って♡」
(――え? ひまり、いま私のことを性的な目でしか見てないって言った?……そんなわけない。……ただの聞き間違いよね?)
「乃愛ちゃん、聞き間違いじゃないよ?」
「――っ、……ひ、ひまりってもしかして、私の心の声でも読めるの?」
「ふふっ、やっぱりそう思ってたんだ? 乃愛ちゃんの考えそうなことなんて、私にはお見通しなんだから」
ひまりは穏やかな笑顔のまま莉愛の方へ視線を走らせる。すると莉愛は、負けじと胸を張りながらもどこか慌てた様子で口を開いた。
「……莉愛だって、乃愛ちゃんのことなら何でも知ってるんだからね! ひまりん、正々堂々と勝負しよ――っ!」
「ふふっ。もちろんそのつもりだよ? ……でもそう言ってくれるなら、莉愛ちゃんにはもう少し羞恥心を持ってほしいかな。というより――まずは下着、買いに行かなきゃだよね?」
(――やっぱり目についてしまうわよね。……でもまずは、私がこの姿にさせてしまったことをちゃんと伝えてあげなきゃだめよね。莉愛の名誉のためにも――)
「……あっ、あのね、ひまり。莉愛がいまその状態なのは、私の不注意で……。実はこのあと一人でぱぱっと必要なものを買い揃えてこようと思っていたところだったの――!」
「えぇ〜〜〜っ!? 乃愛ちゃん、莉愛のこと置いて行くつもりだったの〜〜!? 絶対やだ〜〜!! 私、お外にも出てみたいし、一緒に行きたい〜〜〜!!」
莉愛は今度は私の服の袖をぎゅっと掴んで、ぶんぶんと全力で首を横に振る。
「……わ、わかってるわよ。どうせそう言うだろうなって思ってたから、迷ってたのよ」
「じゃあ、三人で一緒に買いに行くのはどうかな?」
「あっ、それなら莉愛も賛成〜〜〜!!!」
「ふふっ、決まりだね♡」
「……あれ? ……私の意思は――?」
こうしてすっかり主導権を奪われてしまった私は、ひまりを加えた三人で、莉愛の生活必需品を揃えに街へと繰り出すことになった。
***
カーテンの奥から、莉愛とひまりの楽しそうな話し声が微かに聞こえてくる。
『乃愛ちゃんは、そこで待ってて――!』
ふたりからそう釘を刺されて、私だけフィッティングルームの前に置かれたおしゃれな丸椅子にちょこんと腰をかけ、待機している。
(……なんだか、さっきまでがあれだけ騒がしかったせいもあって、急に静かになると逆に落ち着かないわね……)
心の中でそんなことをぼやいていると、カーテンの向こうから底抜けに明るい莉愛の声が飛んできた。
「乃愛ちゃん、準備できたから、もう入ってきてもいいよ〜〜♡」
その甘い声に背中を押されるようにして、私はおそるおそるカーテンを少しだけ開け、中へそっと足を踏み入れた。
「じゃーーーん! どうかな? 莉愛、かわいいっ?」
「乃愛ちゃん、私もどうかな……?」
フィッティングルームに入るなり詰め寄られ、上下とも下着姿になった莉愛とひまりの姿が――すぐ目の前に飛び込んできて、私は思わず息を呑んだ。
莉愛に至っては『あざとい女のテクニック』をここでもしっかりと抜け目なく発揮し、自慢のプロポーションを強調するポーズまで見事に決めている。
(――っ、莉愛って本当、自分の魅せ方をよくわかってるわよね……肉体を得たばかりのくせに……っ)
莉愛はフリルがついたピンクと白を基調とした愛らしさ溢れる下着、対するひまりはレース柄の黒を基調とした息を呑むほど大人っぽい雰囲気の下着を身に纏っている。わずかに上気したふたりの肌の熱と、女の子が放つ甘い香りが、狭い空間に満ち溢れていた。
(――いや、私だって『女の子』なわけだけど。なんていうか、それはまた別物なのよね……)
「ふたりとも似合ってるわよ。……すごく。……ねぇ、莉愛。初めて下着をつけてみた感想は?」
「やった♡ ありがとう、乃愛ちゃん♡ うーーん、なんかちょっと窮屈な感じはあるけど、かわいい下着をつけると、めっちゃテンション上がるかも――!」
「……もう。莉愛ちゃんばっかり見てないで、私のもしっかり見てほしいな?」
ひまりが大きく一歩、私にぐいっと近づいてくる。
「ひ、ひまりのもちゃんと見てるわよ? でもほら、莉愛は下着をつけるのこれが初めてだから……っ」
「……むぅ、それは確かにそうだけど……」
「――というか、ひまり。今日はなんだかすごく積極的ね……」
(ひまりって、いつも優しくてほわほわしてる癒し系タイプだったはずよね?)
「……だって、莉愛ちゃんに負けてられないから――!」
ひまりが私の手をそっと両手で包み込み、さらに身体を寄せてくる。薄いレース越しにひまりの柔らかな肌のぬくもりが直接伝わってきて、心臓が大きく跳ねる。
「――っ、ひまり、ちょっと近すぎないっ!?」
「――ちょっと、ひまりん! 抜け駆けはなしにしようねってさっき約束したばっかなのに〜〜! だったら莉愛も、もう遠慮しないからね〜〜?」
莉愛は大きく両手を広げ、飛びつくようにして私に抱きついてきた。
「――あっ、こら。またすぐそうやって飛びついて。危ないでしょ?」
(――莉愛の胸――っ! なんなのよ、この柔らかさは……っ。こんなの、意識しないほうが無理じゃない――!)
心の中では煩悩だらけになりながらも、私はなんとか必死にいつもの平静を取り繕った。
なんだかもう、今日一日でいろいろとありすぎて、頭がまったく追いつかない。
目を覚ましたら美少女になった莉愛が目の前にいて――幼馴染のひまりからは、私のことを幼少期から性的な目で見ていたという驚愕の告白が飛び出した。
――なにこれ、本当に現実? なにかの悪い夢じゃなくて?
目の前に迫る、眩しすぎる下着姿の美少女がふたり。
そして肌にこれでもかと押し当てられる、柔らかなふたつの熱――。
私はなんだか、またこれが現実なのか夢なのか、その境界線が曖昧になりつつあった――。
第6話! 読んでくださり、ありがとうございました!
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