冴島央理
私は蒼羽乃愛という人間が、心底気に食わない。
十九歳。大学院を飛び級で修了した天才科学者――。彼女の名が世間で持て囃されるたび、私の胸の奥底は、焼けるような不快感で満たされていく。
ITエンジニアとして数々のアプリ開発で成功を収め、学会の授賞式では常に中央に立つ。インタビューに答えるその涼しげな横顔を、私は何度苦々しい思いで見つめてきたことか。
本当に、気に食わない。何もかも――。
(……まぁ、言葉を交わしたことなど一度もないのだが)
とはいえ、彼女の優秀さは認めざるを得ない。舞台こそ違えど同じ研究者として、その成果には敬意すら抱く。それでも、やはり気に食わない。
理由は判然としない。……いや、正しくは、認めたくないだけか。この答えの出ない矛盾こそが、私の神経を逆撫でしている原因なのかもしれない。
けれど、いちいち理由を探るのも馬鹿馬鹿しい。
分かっている。これは単なる嫉妬だ。そして私自身が、どうしようもなく厄介な性格をしているということも。
私が愛してやまない、妹のような、かけがえのない大切な存在――橘ひまり。
初めて会った幼い頃、彼女にねだられるまま呼び始めた『ひまちゃん』という愛称は、今や私の中で、名前以上の特別な響きを持っている。
そんな彼女が『蒼羽乃愛』に恋心を抱いていると打ち明けてきたのは、彼女が中学に上がった頃だっただろうか。
***
「央理ちゃん。私ね、乃愛ちゃんのことを性――えっと、小さい頃からずっと、恋愛感情として大好きなの。彼女を振り向かせるにはどうすればいいと思う?」
現代の医療技術は、凄まじい発展を遂げている。同性同士の結婚や子を持つことなど、もはや日常の一部だ。
それだけではない。髪や爪、皮膚から採取した微量の単細胞さえあれば、臓器から手足に至るまで、『人体そのもの』を生成することすら可能となった。
臓器の機能不全も、不慮の事故による欠損も、生成したパーツに取り替えればいい。病や損傷が直接的な死因となる時代は、すでに過去のものだ。
恋愛面においても、多様な愛の形が『一般化』している。
けれど、私が生を受けるより少し前。例えるなら一昔前の世界では、こうした技術は未確立であり、恋愛のあり方に対しても偏見を抱く者が少なからずいたという。
(……こんな嘘のような話、本当にあったのかしら)
とはいえ、誰かに『好きな人』を打ち明けるという行為自体は、いつの時代も恥じらいを伴うものらしい。それなのにひまちゃんは、何気ない日常の延長で、声色ひとつ変えずにさらりとそう告げた。
――本当に、食えない子だ。
当時、私は三十四歳。世間一般の尺度でいえば、恋愛の機微を何度か経験していてもおかしくない年齢だ。彼女はきっと、私を『恋愛経験済みの大人』と判断し、助言を求めたのだろう。
けれど、私にはそんな甘美な非生産活動に時間を割く余裕もなければ、興味もなかった。あの頃の私に教えられたことといえば、『自宅に私設研究室を建てるための法的手続き』くらいのものだった。
医師として臨床を重ね、研鑽を積んできた私だが、数年前に悟った。
私という人間を突き動かしているのは医療への慈愛などではなく、医療技術の果てを見たいという、純粋な探求心だと。
そうと分かれば、迷う理由などない。私は即座にそちらを本業へと切り替えた。
人体生成計画を始動させたのは、その約五年前のこと。
先人たちが遺した論文を貪るように読み漁り、医療技術の限界を塗り替える――その渇望が、私の野心を際限なく駆り立てていった。
あのとき、ひまちゃんに恋愛のアドバイスをしなかったのは、彼女と蒼羽乃愛の恋愛が成就することが、単純に『気に食わなかった』からだろう。
そう思うことも、至極自然なことだ。
ひまちゃんは、私の『かけがえのない大切な妹のような存在』なのだから。
だから私は、どうせ計画を遂行するのなら、一番身近で愛おしい存在である『ひまちゃんの単細胞』を使用することに決めた――。
***
あの日、ひまちゃんから受けた恋愛相談から、約五年の歳月が流れた。
蒼羽乃愛とひまちゃんは現在十八歳。ふたりは、今もまだ『恋仲』には至っていないようだ。
(……まぁ、私自身も来年には三十代を終える年齢だ。他人の恋路を気にしている場合ではないのだけれど)
この五年間、私は自宅の研究室に籠もり続けていた。
ひまちゃんの髪から密かに採取した単細胞を用いて生成を繰り返し、頭蓋から爪先まで、脳、骨格、臓器、四肢、皮膚――そのすべてを、一つ一つ丁寧に創り上げていった。
生成の過程でようやく気づいたのだが、出来上がった人体は、自然と現在のひまちゃんと似たような背格好に収束してしまっていた。
十代の少女の身体を模しているという事実に、言いようのない背徳感が脳裏をかすめる。さすがの私も、その事態には思わず苦笑を漏らすしかなかった。
人体の生成作業は、予想通り何の問題もなく順調に進んだ。バイタルも安定している。血管や神経系統の再現も、設計通り完璧に構築できているはずだ。しかし、最も肝心な『脳』という大きな壁にも、やはり予想通り問題に突き当たっていた。
脳が空の状態では、身体の動作、感触や痛覚といった身体的機能の確認が行えない。
そもそも私がこの実験を追求しているのは、全身麻痺や重篤な疾患により、身体の自由を奪われた人々の治療を可能にするためだ。肉体さえ用意できれば、あとは脳を移植してやればいい。
だが、五年経った今もなお人体生成は非人道的として禁じられている。私は、医療の発展を足止めするような社会の停滞に対して、言いようのない苛立ちを覚えていた。
(……この実験さえ成功すれば、多くの人を絶望から救えるというのに)
そんな折、差出人不明のメッセージが届いた。
最初は誤送メールだろうと思った。だが、強力なプロテクトを施しているはずの端末に『差出人不明』の状態で届いたことに、嫌な予感がよぎる。通常、外部からの不審な通信はすべて遮断されるはずだ。
メールを開き、文面を確認する。
『あとは『脳の中身』だけね』
瞬間、すべてを悟った。この送り主は、私が犯した『すべての行為』を知っている。
メッセージには、動画ファイルが添付されていた。マウスを操作し、再生する。
映像には、手術台に横たわる完成した『少女』を前に、興奮に震える私の姿が映し出されていた。場所は、まさに今自分がいるこの自宅の医療研究室――。
私はガタッと椅子を蹴って立ち上がる。辺りを見回すが、誰もいない。
(……この画角、監視カメラか)
混乱する思考の中でその事実に辿り着いた自分を、どこか褒めてやりたい気分になった。私は小さく息を吐き、静かに腰掛け直す。
腰を下ろしたと同時に、再び通知音が響く。
(……やはりそうか。今もこの部屋を監視している。……なんて浅ましいやつだ)
何故かはわからない。恐怖よりも先に、胸の高鳴りを感じていた。未知なる存在との接触に、感情が昂るような、抗いがたい感覚。
メッセージを開く。
『勘のいい女は嫌いじゃないわ。中身には人工知能である私がなってあげる。今のあなたからしたら、喉から手が出るほど最高の逸材でしょ?』
「……AI? あなたが?」
思わず声に出して呟いてしまう。
医療技術の進歩も著しいが、世間では利便性ばかりを追求したAIアプリが氾濫している。そんな中で、自我を持ち、高度な思考を行い、監視カメラをハッキングする人工知能なんて――到底、常識では測れない。
どう考えても、普通ではない。
そんな存在がいれば、とっくに世界最高峰の国際学会で表彰され、社会を震撼させているはずだ。強力な軍事的脅威となり得るそれを、権力者たちが放置するわけがない。
さすがの私でも『馬鹿にされている』と憤った――そのときだった。
デスクトップに非通知のビデオ通話が着信する。
「……嘘でしょ?」
通話ボタンをタップすると、完璧にモデリングされた少女の姿が映し出された。
『どう? これで信じてくれたかしら?』
素直に言葉を返すのが癪で、私は小さく顎を引く。
『要求は一つ。実験が成功したらデータは提供する。ただし、完成した身体は私がもらう』
「……勝手なことを」
『交渉が決裂するなら、この映像を街中のモニターに流すわ。あなたにチャンスをあげるのは、今この瞬間だけ』
本当にこの通話相手は人工知能なのか。彼女と会話を重ねるたびに疑問が浮かぶ。
完璧な自我に加え、AIが最も不得意とするはずの脅迫めいた攻撃性。
私とコンタクトを取るずっと前から、周到に計画を練っていたに違いない。
「……わかった。それで手を打つ」
『交渉成立ね。裏切りは絶対に許さない。今の会話も保存済みだから。……また連絡する』
一方的に切られた通話画面を、私は呆然と見つめる。笑えてしまうほど身勝手な奴だ。
一体、どんな狂人がこんな化物を生み出したのか。
……まぁ、今はどうでもいいか。
当初は、単純な動作を司る程度の電子回路を脳に移植するつもりだった。だが、あれほどの知能を持つAIが宿るなら、この身体は『本物の人間』を超えられるかもしれない。
その瞬間――心の奥底から湧き上がる得体の知れない快感が、脳髄から全身へと媚薬のように広がっていった。
(……ふっ、私も『あいつ』と同類なのかもしれないな)
これが私、冴島央理と――後に『莉愛』と名乗るAIとの、悪夢のようなファーストコンタクトだった。
第12話! 読んでくださり、ありがとうございました!
少しでも「続きが気になる!」と思って下さった方は、【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆)】で応援していただけると、作者の心のステータスも上がっていくかと思います。……何卒っ!




