正体
「――ねぇ、乃愛ちゃん見て♡ 莉愛、かわいい?」
朝食を終え、クローゼットから自分で選び出した私服に身を包んだ莉愛が、いかにも『あざとい女』といったポーズを決めながら問いかけてくる。
(――相変わらず、隙のないかわいさね。……ていうか、本当にそれ、一体どこで覚えてきたのよ……っ)
内心では激しく動揺しつつも、そんな疑問すらどうでもよくなってしまうほど、今の彼女は圧倒的な魅力に満ちていた。あざとい女のポーズさえ、不思議と彼女自身の愛らしさに溶け込んでいる。
「莉愛って、フリルやレースが付いた可愛い系の服が好きなのね。……に、似合ってるわよ」
つい先ほどまで何気なく接していたはずなのに、綺麗に着飾った莉愛を目の当たりにした途端、私は妙な緊張に囚われていた。
(たった一言、『似合ってる』って言うだけで、なんでこんなにも緊張してるのよ……。相手はあの『莉愛』なんだから、気をしっかり持ちなさい、私――っ!)
彼女の下着を脱がし、浴室で身体を洗ってあげた先ほどの記憶がふいに脳裏をよぎる。それまで無意識に抑え込んでいた意識が急激に自分の中に流れ込み、心臓が激しく脈を打ち始めた。
「やった〜〜♡ 乃愛ちゃんに褒めてもらえた〜〜♡ うんっ! 莉愛、こういうフリフリしたお洋服や、ズボンよりスカートのほうが可愛くて好きかも♡」
「……私が少し褒めたくらいで、そんなに喜ぶなんて大袈裟よ。……あら、いいじゃない。女の子らしくて、すごく――」
言い切る前に、莉愛がスッと距離を詰めてきた。耳元に顔を寄せた彼女から、ほんのりと甘い香りが漂う。
「――莉愛、乃愛ちゃんにしか興味ないから♡ それだけは、しっかり覚えててね?」
「――っ!」
その言葉に身体を硬直させた瞬間――顔を上げた彼女の唇が、私の口をそっと塞いだ。
「――んんっ」
その口づけは、以前のような勢い任せのものではない。驚くほど優しくて、それだけに余計タチが悪い。
まるで、心臓をそっと撫でられたかのような衝撃に、私はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
思考が真っ白に染まる中、彼女の唇は名残惜しげに、ゆっくりと離れていく――。
「……な、なにするのよ。この前のことを許しはしたけれど、勝手にキスしてもいいなんて言ってないわよ……っ」
「でも乃愛ちゃん、ちょっと嬉しそうな顔してない?」
「……そっ、そんなわけないでしょ――!」
否定した私に、莉愛はふたたび距離を詰めて囁く。
「そんなこと、あるよ♡」
「――なっ!」
莉愛はふっと顔を離すと、人差し指を口元に立てて小首を傾げた。
「莉愛が乃愛ちゃんを好きなのは、こういうこともしたいって意味なの♡ ……あっ、乃愛ちゃんだって好きなときにキスしていいからね? ……それに、それ以上のことだって莉愛はいつでも……♡ ……きゃあ〜〜! 言っちゃった〜〜♡」
妖艶な小悪魔から一瞬でいつもの莉愛へと戻った彼女。その唐突な変化のおかげで、私は飲み込まれかけていた理性を、なんとか正気へと引き戻すことができた。
「……まったく、勝手に話を進めないで。……あのねぇ、『そういうこと』をしていいのは、お互いの気持ちが通じ合って、ちゃんとした『恋人関係』になってからなの」
「じゃあ乃愛ちゃん、莉愛の恋人になって♡」
一瞬の躊躇いも恥じらいも、情緒の欠片すらない愛の告白。私は莉愛の瞳をジト目でじっと見つめてから、呆れ混じりに言葉を落とした。
「――却下。私をそんな簡単に恋人にできるなんて思わないことね。大体、なんで私の気持ちを完全に無視してるのよ」
「――えっ!? なんでぇ〜〜〜?? だって、乃愛ちゃんだって莉愛のこと好きでしょ?」
「……はぁ。好きにも色んな種類があるの。……っと、その話はもう終わり。そろそろ出発の時間よ。莉愛、おバカなことばかり言ってないで、支度しなさい」
「ええぇ〜〜〜?! それって、どういうこと〜〜? ……ねぇ、乃愛ちゃん聞いてる〜〜!?」
莉愛はそのあともずっと文句を垂れていたけれど、私たちはこうしてふたりで一緒にひまりの家へと向かった。
***
ひまりの家に到着し、インターホンを押す。控えめな電子音が鳴り響き、応答を待つ間――私はふと記憶の糸をたぐった。
(……ひまりの家にお邪魔するのって、いつぶりだったかしら?)
私の家に彼女が遊びに来ることはあっても、出不精で研究ばかりしている私がここを訪れるのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。
『乃愛ちゃん、莉愛ちゃん、こんにちは。今開けるね』
「やっほ〜〜! ひまりんのおうちって、すっごく大きいんだね〜〜!」
『ふふっ、ありがとう』
住居用の玄関は真裏にあるため、正面しか見ていない莉愛は、ひまりの実家が病院であることにまだ気づいていないようだった。
「ちょっと莉愛、あまり大きな声を出すんじゃないわよ。ご近所迷惑でしょう?」
「えぇ〜〜? 莉愛、普通の声で話してるのに。乃愛ちゃんって、ちょっと細かすぎない〜〜?」
私は返答の代わりに、繋いでいる莉愛の手をぎゅっと力強く握りしめた。
「――っ、痛い痛い! ……ひどい、意地悪しないでよ〜〜!」
「なにが意地悪よ。当然の報いでしょう?」
莉愛とそんなやり取りをしていると、玄関のドアがガチャリと開き――門の前で待つ私たちの元へ、ひまりは駆け足でやってきた。
内側から鍵を外し、門を開くと同時に、彼女はいつもの穏やかな笑顔を見せてくれた。
「乃愛ちゃん、莉愛ちゃん、いらっしゃい。待ってたよ!」
満面の笑みで出迎えてくれたひまりだったけれど、私と莉愛の繋がれた手元に視線を向けた瞬間、その表情にスッと影が落ちた――ような気がした。
(――っ、まずい。……本当は、ひまりと合流する前に手を離すつもりでいたのに、すっかり忘れてしまっていたわ……)
背筋にぞくりと悪寒が走る。慌てて弁明しようとしたその前で、莉愛が繋いだ手をひまりに見せつけるようにして持ち上げた。
「――見て、ひまりん! 乃愛ちゃんが繋いでくれたの♡」
「え? 乃愛ちゃんが?」
「――ちょっと莉愛! 平気で嘘をつくんじゃないわよ。あんたがどうしても繋ぎたいって駄々をこねたんでしょ!?」
「むうぅ〜〜! ……でも、乃愛ちゃんの『やりたいこと』でもあるよね? だって、秘密のフォ――」
決定的な単語を零しかけたその瞬間――、私は繋いでいない方の手を莉愛の口元へ瞬時に押し当て、引きつった笑みを貼り付けたまま静かに囁いた。
「――莉愛? 今は少しだけ、静かにしていてくれるかしら?」
「――んんっ! ……んんんーー!」
私たちのやり取りを冷ややかな瞳で見つめていたひまりが、ふっといつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「ふたりとも、とりあえず中に入ってくれる?」
『――はい』
逆らってはいけない空気を莉愛も感じ取ったのか、私たちは声を揃えて返答した。
***
玄関からリビングへ続く長い廊下。その壁には、家族写真や愛猫『みーちゃん』の姿が飾られている。
いつもひまりと談笑しながら歩いていたため、こうして写真をゆっくりと眺めるのは、初めてのことかもしれない。
私の先では、ひまりと莉愛が楽しそうに会話をしながら歩いている。ひまりが何かを指差すと、莉愛は瞳を輝かせながらリビングの方へと駆け出していった。ソファーで寛ぐ『みーちゃん』を見つけたのだろう。
そんな騒がしくも穏やかな空気の中、私は壁の写真を眺めながら廊下を進んでいく。
ある一枚の写真の前で、私はピタリと足を止めた。
学会の集合写真だろうか。ひまりのご両親の隣には、白衣を着た数十人の医師たちが並んでいる。
その中に、昨夜自宅の地下室――監視カメラの映像に映っていた『白衣の女』が、そこには確かに写っていた。
「――え?」
思わず声を零してしまい、慌てて口元を覆う。
立ち止まった私に気づいたひまりが、不思議そうにこちらへ戻ってきた。
「乃愛ちゃん、どうかしたの?」
「……ねぇ、ひまり。この人って、誰か知ってる?」
私は震えそうな指先を必死に抑えながら、写真の中にいる『白衣の女』を指差した。
「……央理ちゃんのこと?」
「――え? ……ひまり、この人と知り合いなの?」
「知り合いっていうか、少し年の離れたお姉ちゃんみたいな感じかな。私が小さい頃はよく遊び相手になってくれていたし、うちの病院で勤務していたこともあるよ」
「……そうだったのね。……ていうか、この人って今いくつなの?」
ひまりは一度、私の表情を探るような視線を向け――静かに言葉を継いだ。
「……乃愛ちゃんが他人に興味を持つなんて珍しいね。どうかしたの?」
「……そ、そうかしら? ……私、この人の顔どこかで見たような気がするのよね。学会の授賞式とかだったのかしら。……ほら、優秀な人の存在って気になるじゃない?」
(……少し、いや、かなり苦しい言い訳だったかしら。でも、この状況なら大分マシなほうよね。……うん、私はよく耐えているわ)
自問自答で平静を装いながら、激しく脈打つ心臓の音を必死に抑え、私はひまりの返答を待った。
「ふふっ、なるほど。乃愛ちゃんらしいね。……名字は、冴島だよ」
ひまりから笑顔が返ってきたことで、とりあえず胸を撫で下ろす。彼女は少し考える素振りをしてから、言葉を続けた。
「央理ちゃん、すごく優秀なんだと思う。お父さんが昔から、彼女のことを何度も褒めてばかりいたから。……年齢は確か、少し前にうちで食事会を開いたとき、『今年の誕生日がきたら四十になっちゃうよ〜〜!ひまちゃ〜〜ん!』って、酔っぱらいながら嘆いてたかな」
(……ひまりって時々、本当に容赦ないわよね)
四十……というデリケートな数字は、一旦置いておこう。けれど、今のひまりの口調と、監視カメラに映っていた冷酷な言葉遣いがどうにも一致せず、背筋が寒くなる。
記録映像の中の姿は裏の顔なのか。それとも、あの姿こそが本当の彼女なのか――。
(……とりあえず、ひまりには監視カメラのことは伏せておくべきね。彼女を危険な目に合わせるわけにはいかないもの)
『白衣の女』の正体が分かっただけでも、十分すぎるほど大きな収穫だ。けれど、会うたびに彼女の話題を出せば、ひまりに不審がられてしまう。
そう判断した私は、ここで勝負をかけることにした。
「やっぱり優秀な人なのね。……ねぇ、ひまり。この人……冴島さんの連絡先って知ってる?」
「え? 央理ちゃんの?」
「……うん。ほら、私――自宅の地下に医療関係の研究室があるじゃない? IT関連だけでなく、培養や医療にも実は少し前から興味が湧いていたのよね。それに、莉愛みたいな得体の知れない存在が目の前に現れたら、研究者として、解明せずにはいられないもの――っ!」
私は両手のひらを上に向け、やれやれと肩をすくめてみせた。
「ふふっ、それは確かにそうだね」
「そうでしょ? ……でも、莉愛に話すと面倒なことになりそうだから、このことは二人だけの秘密にしておいてほしいの」
「うん、わかった。央理ちゃんの連絡先、あとで乃愛ちゃんの『ニャイン』に送っておくね」
「ええ、助かるわ。本当にありがとう、ひまり!」
両手を合わせ、拝むようなポーズを取る私の顔をじっと見つめたあと、ひまりは少し照れた様子で小さく呟いた。
「……じゃあ、乃愛ちゃんにはそのご褒美として、私からのお願いに付き合って貰おうかな?」
「……え?」
ひまりは私の手をそっと取ると、するりと指を絡めてきた。さっき莉愛としていたのと同じ――恋人繋ぎ。彼女はそのまま私に身体を寄せ、上目遣いで続けた。
「――乃愛ちゃん。これは『ご褒美』なんだから、しばらくの間、このままでいてね?」
「――っ!」
数少ない――というか、唯一の友人である幼馴染と、一緒に暮らす元AIの美少女。私の周りにいる女子たちは、どうしてこうも『あざとい女』なのだろうか。
……はぁ。心臓に悪い――。
第11話! 読んでくださり、ありがとうございました!
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