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悪女と悪人

 悪とは、他者を陥れること。

 悪とは、人に憎まれること。

 平和に育った人間が絶望に叩き落されるとき、幸せだった関係がずたぼろに崩れるとき、笑顔は砕け、歓声は悲鳴に変わり、訪れた不幸に人々は嘆き悲しむ。

 一般的には嫌悪される行為。忌み嫌われる外道。

 けれどそれを自分の『幸福』と考え、やめる事のできない悪女がここにいる。

 


 一迅の風のような斬撃が頬をかすめた。憎悪と殺意のたっぷりこもった、怨念の一撃が空を薙ぎ、レミリアを突き殺さんと首元を襲う。

 レミリアが動く。まるで舞踊のように、華麗に身をすくめて死の刃をかわす。


「うふふ」


 続く刺突の四連撃がレミリアの首筋をかする。その殺意を向けられるのが楽しい。血と血のやり取りがたまらない。見ろ、相手のこの獣の如く凶悪な顔を。この殺意に狙われ、死と生の狭間に追い詰められるのが、嬉しくてたまらない。

 レミリアは反撃に雷紋剣を一閃。眼を見張るような流麗な袈裟懸けを放つや、相手の胴体を斬りつける。

 とある少年から騙し取った、至高の剣による一撃は、雷撃を伴い、相手の鋼鎧を容易く斬り伏せた。


「ぐああっ」


 肩口から脇腹にかけ、大きく斬られた男が崩れ落ちる。その頭上、ひゅんひゅんと雷紋剣を振り回しながら、レミリアは軽薄に笑ってみせる。


「さようなら、まあま楽しめたよ、ご苦労さま」

「――くっ、地獄に堕ちろ、悪女め」

 振り下ろした雷紋剣が、男に引導を渡す。真っ赤な血飛沫が立ち上り、やがてひとつの命が途絶えるまで、くすくすレミリアは笑っていた。


 

「ふう」


 短く呼気が漏れる。

 レミリアは、美少女だ。

 橙色に染まったウェーブ状の長い髪、肌は処女雪のように白く、きめ細かく、瞳は星々の輝きのよう。どんな衣装を着ても華があり、颯爽と動くだけで、細い肢体や色家の漂う美貌が周囲を引きつける。

 けれど一度本性を表せば悪魔のような女であり、幾度も人を絶望に叩き落とす大悪人だった。その所業から、『悪女』という名を冠していた。


「刺激も似たものが続くと飽きるよねぇ。そろそろ手段を変えようかなー」


 行き倒れた少女を装い、男から財布を奪うという手段も飽き飽きだ。

 故意にバレるよう画策して、男が激怒して終わるのもお馴染み。悲嘆に暮れるか激情のまま襲い掛かってくるかは相手次第だが、そろそろ別の刺激が欲しい頃。


「物乞いも踊り子の真似も宿屋の娘も、貴族の偽令嬢も、ギルドの偽職員も、迷宮で倒れた謎の少女も、みんな飽きたなぁ」


 基本的に、レミリアの悪事は人に近づき、仲良くなって裏切ることだ。

 弱った少女を演じたり、深窓の令嬢を演じたり、時には神秘的な少女を演じて、陥れる。

 それが一番相手の『幸福』と『絶望』を実感できるからであり、幸福が絶望に染まる一瞬、正の感情が負の感情に塗り潰されるとき、最高にレミリアは感動を味わえるのだ。


 とはいえ、何事にも飽きは付き物。故郷を出て数年、悪事を呼吸のように繰り返したレミリアだが、最近はモチベーションというものに欠けていた。

 どれほど人を不幸に陥れても心が満たされない。一瞬、胸が高揚する感覚はあるがそれだけで、すぐにまた収まってしまう。

 底の破れた器に水を注ぐような、編んでも編んでもほどけてしまう衣装のような、拭いきれない徒労感。焦燥にも似た乾きの感覚から、レミリアは抜け出せない。


「……もっと感動が欲しい。人の絶望が欲しい。なんで、なんで満たされないの」


 寒さに凍える子供のように、ぶるぶる体を震わせる。

 いっとき高揚した体の熱が薄れ、虚脱感に似た感覚が押し寄せる。


「……」


 ふと、手にした紫電を放つ剣、『雷紋剣』に視線を移す。

 この剣を元々持っていた少年との逢瀬は、なかなに楽しかった。

 牢獄で出会い、語り尽くし、幸せなひとときを得た記憶は未だ鮮明だ。およそ悪事という悪事を尽くしたといっても過言でもないレミリアだが、その中で少年との交流は闇の中の小さな光のように映っていた。


 とはいえそれは一時の気の迷いだろう、とレミリアは思う。外道に堕ちた人間に人並みの幸福など許されない。いや、そもそも望んでいない。あの繊細そうで意外に熱い魂を持つ少年。丁寧な口調の奥に隠された、理不尽に抗おうとした彼に、特別な気持ちを寄せているのはきっと気のせいだ。

 彼を騙した事にも雷紋剣を奪ったことにも罪悪感などないはず。レミリアはそう思い、雷紋剣を振って血を振り払った。


「ま、いいさ。こういうこともある」


 長く悪事を働いていればふと思い返される事もあるだろう。さして気に留めないで、薄く唇を舐め、レミリアは血塗られた男の遺体を見下ろし、その場を後にした。


 

「はぁ~い、いらっしゃーい」


 朗らかで明るい声が響き渡る。快活な少女の声が客を呼び込む。

 店は数多の人で溢れかえって、喜悦の空気で満ちていた。


「いや、助かるよ、レーミアちゃん」


 店奥から店主のポロズが話しかけると、少女ははにかむ。


「いえいえこのくらい当然です」

「ほんと、君が来てくれてから客足はうなぎ登り、まさに幸福の女神だよ。いやー、綺麗、明るい、働き者、レーミアちゃんは素晴らしい娘ないねぇ」

「あはは、ありがとうございます店長。でもおだてても何も出ませんよ?」


 ことさら少女が明るい笑みで応じると、ポロズが照れる。


「はは、そう言うレーミアちゃんはじつに可愛い。……おっと、時間だ。さ、休憩してしておいで。後は私がやっておくから」

「はーい」


 満面の笑みでレーミアはお辞儀する。まとっていた果物屋のエプロンを外し、店の奥に向かうと、途端に客の目が残念そうに揺れた。


「なんだ、レーミアちゃん、もう休憩かい」

「もっと色々話したかったなー」

「レーミア姉ちゃん、もっと話そうよっ」

「何だい、私では不満なのかい」


 いらない人扱いされた店主ポロズが、わざとらしく口を尖らせる。


「ははは、いや冗談だよ、店主」

「できれば若くて綺麗なレーミアちゃんがいいなんて思ってないよ」

「お前らなぁ」


 冗談でも許さんぞごめーん、という声を背後に、レーミアは笑いながら奥へと入った。

 束ねていた髪をほどき、艶やかな長い橙髪を美しくはらう。


 知っている者が見れば驚愕するだろう。

 レーミアはレミリアの偽名だ。

 彼女は悪事を行う合間にこうして市井に混じり、何の事情も知らない一般人に混じり生活しているのだった。

 そのときレミリアが浮かべる笑顔は嘘。並べるお世辞も嘘ならば、ふりまく愛嬌も仕草も嘘っぱち。


 しかし天性の演技力を持つ彼女に、正体を嗅ぎ取る者はいなかった。

 殺人や詐欺、恐喝などを繰り返した悪女のそばで、皆が知らず笑顔でいる異常。いつか判明すればどうなるか。少しだけ興味が募る。

 もっとも、この時のレミリアは悪事を行わない。

 言わばこれは悪事のインターバル。次の『獲物』は何にしようかとか、どう処理しようかとか、そんな物騒な事を考えている。

 レミリアにはレミリアなりのルールがあり、悪事とは然るべき手順を踏んで行うもの、最大限に盛り上げてこそ強い快楽が得られると信じており、だから今は無害な娘を演じ、いかなる悪事も行わないのだった。


「今のあたしは看板娘のレーミア~♪ 綺麗、明るい、働き者の娘レーミア~♪」


 この『準備』期間の長さは一定ではない。職種も様々。食べ物屋の看板娘になることもあればギルド清掃員になることもあるし、宿屋の看板娘になることもあれば、教会のシスターになることもある。

 善人と悪人を繰り返すレミリアの中には倒錯感などはなかった。メリハリをつけてこそ悪事は快感になるのであり、もっと言えばそうしないとモチベーションも続かないという事情もある。


「さて、休憩って言ってもどうしようかな。自慰でもしちゃう? なーんて」


 くすくす、と一人忍び笑いをしてから、レミリアはひとりごちる。

 その時だった。


「ごめんください!」


 明朗で勇ましい声が店先から響き渡った。

 また新しい客かな? と軽く思っていた少女だったが、


「この店にレーミアさんという娘さんはおりますでしょうか?」


 やけに馬鹿丁寧な口調で、そんな声――おそらくは青年――の声が聴こえる。


「ああ、いるよ。今はちょっと休憩中で奥の部屋だが……」

「失礼します!」


 店主のポロズが止めるのも聞かずに、青年がどたどたと店の奥の間に来る。


「おやおや」


 ――敵対組織の追手かな?

 レミリアは自然な様子でスカートの中、ナイフの柄に手をかけた。

 悪女の名をほしいままにする彼女には当然ながら恨みを持つ者も多い。

 マフィア、ギルド、各国の探索者からも恨まれ放題だ。そのうち、いずれかが暗殺者を寄越すなどしょっちゅうであり、レミリアにとって楽しい退屈しのぎになっている。

 なので、彼女としては刺客が現れるのは歓迎なのだが――


「ごめんくださ――おおっ」


 奥の部屋についた青年は開口一番そう言って固まった。

 金髪に金の瞳、やや緩やかな髪はどこか気品さを感じさせ、しっかりと仕立てられた絹衣装も相当な名工品。顔立ちは彫りが深く、背も高く端的に言って美青年だろう。

 金色の腕輪をしているが、決して嫌味にならず、高貴さがにじみ出た好青年だった。


「ここにいましたか! レーミアさん!」

「どなたですかぁ?」


 無害な店の看板娘として明るく応じる。もちろん片手はスカートの裏、しっかりとナイフの柄を握っていて、強襲しようものなら即座に首を一突きにする予定だった。

 油断なく、レミリアは笑顔の裏に殺意を姫ラせていたのだが――。


「好きです!」


 いきなり告げられた清廉な告白が、レミリアの体を硬直させた。


「……は?」

「あ、失礼! 初めまして、僕はテルミアと言います。不躾で申し訳ありません、あなたに心を奪われここに参上致しました」

「……あー、えーと……ちょっと、意味がわからないのですが……」


 というより何だこいつは、誰だこいつは。とレミリアは黙考する。

 こんな優男騙したっけ? それとも新手の暗殺方法かな? 

 それにしては瞳に邪気がなさ過ぎるというか、純真というか、可憐な乙女に恋した青年そのままの瞳というか、まさにその通り――。


「先日、この店にて買い物とした際、あなたに素敵な笑顔を浮かべられて恋に落ちました!」


 ザッ、ババババッ、という軽快な音と共に、金髪青年はその場にひざまずく。


「え」

「この身に訪れた一生の出来事! 体に雷撃が走りました! 貴方こそが我が伴侶! それに相応しいと思い、こうして馳せ参じた次第です!」


 ちょっと何を言っているのか判らない。

 思い返すと、あー、そう言えばいたなぁこんな客も、とレミリアは思い返す。

 毎日何百人と相手にするので客などいちいち覚えていないが、おそらくは四日前、お釣りの銅貨を一人のお客が取り落としたとき、レミリアは拾って渡してあげた記憶がある。そのとき、相手はまさに目の前の金髪青年だったような。


『あ、お釣り落ちましたよ』

『すすすっ、すみません!』

『いいえ、ありがとうございましたぁ』


 ――あれだけで恋に落ちたと言うのか?

 馬鹿な……。

 いったいどこの箱入りの御曹司だ、今どき子供でもそんな無垢はいないだろう。


「……えっと、テルミア、さん? その、わたしはお付き合いとか、そういうのはちょっと……」


 ナイフで解体するのはいいけど、恋人などまっぴら御免である。迷惑千万だ。

 しかしテルミアなる青年はひざまずいたまま「おおっ」と大仰に驚いてみせると、やおら立ち上がりうんうんと頷いてみせた。


「その反応は予想した範囲内。若い乙女が戸惑うのも無理はありません。しかし、僕はあなたとの婚姻による幸せを確信しております。名前もレーミアとテルミア、響きが似ておりませんか? これは幸福の吉兆ですよ。さあどうか! この指輪に手をへぶあっ」

「店主ーっ、一名のお客様がお買上げです!」


 レミリアは無言で青年のあごに平手を打ち、途中で黙らせた。

 この面倒な人は店主に任せるに限る。ちょっと強引だがお帰り願おう。


「待ってくださいレーミアさん。僕は冗談ではなくあなたとの幸せを真剣に考えております。僕は十九年間、つまらぬ伯爵家で生きてきましたが、あなたのような湖の妖精よりも美しく、優しい女性に会ったことは一度もへぐあっ」

「リンゴ一ダースお買上げ頂きましたーっ、はーい、ありがとうございまーす」

「き、聞いてっ、聞いてくださ、レーミアさん、ぐべ」


 無料の極上スマイルもおまけにつけてぐいぐいぐいと追い出す。押し付けとばかりにリンゴ一ダース分を渡し、それに値する銅貨を彼から無理やり受け取って、力づくで彼を店先へ追い返す。


「れ、レーミアさんっ、話をっ」

「はーいお買上げありがとうございましたー、またのお越しをー」


 ひらひらと手を振って、完全に追い出す。テルミア青年は一瞬しょんぼりとしていたが、一ダースのリンゴと袋を交互に見つめると、やがて気を取り直して店から離れた。


「……レーミアちゃん、何があったの?」


 店主ポロズが不思議そうに近づいてくる。


「いえ、ちょっと熱烈なお客さんらしくて。あはは、まったく困っちゃいますねー」

「……何だか伴侶、とかそういう大げさな話が聴こえた気がするけど」

「気のせいですよ。いきなり店に押しかけて求婚する馬鹿いるわけないじゃないですか」

「まあ、そうね。それならいいけど」


 まだ店主は首をかしげていたが、さほど気にする必要はないと思ったのだろう。引き続き忙しい店先に戻った。

 レミリアはこれで良し、おかしな客は処理できたと一人安堵していた。


 

 翌日。


「レーミアさん、あなたが好き――ぐあっ」


 店の開店時間、呼び込みをしようとしたら、真っ直ぐに跳んできた青年を拳で撃退した。

 ぐるぐる回って面白くくらいに転がった青年は、対面の店の樽に衝突して、何やら石や埃や泥をまとわせながら目を白黒させた。


「こ、腰の入った、見事なパンチ。僕は、改めてあなたに恋して良かっ……がくっ」

 気絶した青年を見て、嘆息してレミリアは呼び込みを開始した。


 

 さらに翌日。


「あなたのために五百本の薔薇を用意致しました! ぜひ広場にて告白をへぐああっ」


 昼の休憩時間、奥の部屋でクッキーを店主と食べていたレミリアだが、大量の花束を持って現れた青年をお盆で殴り飛ばした。

 きりきり宙を舞って、店先の地面に激突し、そのまま顔面に盛大な赤い打撲痕と引きずり痕をつけた青年は、


「なんという一撃……っ、一片の迷いもない閃光の一撃に僕は……っ 胸が高鳴……っ」

「お店の邪魔になるのでごめんなさーい」


 レミリアが呼んだ街の衛兵によって、連れていかれた。

 なのに青年は、どこか嬉しそうだった。


 

「あなたの伴侶になるテルミアです! さあ今宵こそ僕と……っ!」

「きゃああああああっ!」


 お風呂に入っていたら窓からいきなり現れた金髪の青年の顔を、レミリアは桶で強打した。

 木や樽を巻き添えにしながら「ぶごお」と吹き飛ぶ青年をレミリアは完全に見下し。


「入浴中に覗くなんて最低ですね、ぶちますよ!」

「ぶった後にそう言うレーミアさんが……だい、好き……です……ぐぅ」

 鼻血を出して大の字に倒れていた青年が、そのまま気絶した。


 

 似たようなことは一週間ほど続いた。

 殺しはしない期間と決めていたレミリアだが、彼を追い払う度に意志力を試される気がした。求婚青年テルミアはその後もある時は白馬に乗って馳せ参じ、ある時は街路でレーミアへの愛を叫び、ある時は結婚書類を持ってレミリアの元に現れた。

 営業妨害なので衛兵に通報しまくったのだが、なぜか彼は翌日には平然とやってくる。

 邪魔とか謎とかそういう域の話を通り越して、ただただうんざりだった。


 

 そして――レミリアは決断する。


「ねえテルミアさん、わたし、話があるの」

「はっ、レーミアさんに及び頂けるなど光栄です!」


 夜空の映える月明かりの街広場。人気が絶え、涼やかな風が舞う中に、レーミアはテルミアを呼び込んでいた。

 辺りには人はなく、月明かりの注ぐ広場はどこか物悲しい。

 広場の中央、今は吹き出していない噴水の縁に手をかけながら、レミリアは静かに言う。


「テルミアさん」

「はいっ!」

「わたし、あなたの気持ちは凄く素敵だと思うわ。格好良くて、背が高くて、しかもお金持ちのあなた。普通の娘なら、皆あなたへ恋い焦がれるでしょう」

「ありがとうございます!」


 あまりにも純真な笑み。それにどこかやりづらそうに、レミリアは続ける。


「でも、駄目なの」

「何がでしょう」

「わたしは――」

「いえ、みなまで言わずとも判ります。要は、身分の違いですね? 僕は貴族、貴方は平民。しかし僕は、そんな障害いといませんと! 出自が何であろうと、愛は純粋、必ずや幸せの領域にたどり着けるものと信じております!ふふ、何を隠そう僕の良心、すでに貴方への求婚を話し周辺準備も万端、後は貴方の了承を得るだけの――」

「いえ、そうではなくて」


 レミリアは冷静にその言葉を断ち切る。


「貴方のそのうっとうしいくらい真面目で情熱的な部分は利点だとは思うの」

「はい」

「でも駄目なの。わたしと貴方は、結ばれないのよ。いえ、不可能と言っていい」

「何故でしょうか」


 テルミアは無垢に首を傾げた。

 本当に自分の純粋さをぶつければ願いは叶うと思っているのだろう。一周回って笑ってしまいたいくらい純朴だが、聞き入れることはできない。なぜなら――。


「わたし、大悪人なのよ」

「は――え?」


 テルミアは何を言われたか分からないと言った顔をした。


「わたしは本名をレミリアと言うの。巷では有名な、『牢獄渡り』『氷の罪人』『血の妖魔』……様々なあだ名で忌み嫌われる、悪女なの」

「……」


 テルミアは動かない。


「人殺し、詐欺、強奪……たぶんあなたが想像できないような悪辣なことも相当やったわ。死罪は確定。おそらくそれ以上の重い罰が待っているでしょうね。わたしはそれでも構わないけど、あなたは嫌でしょう? 伯爵家の大事な体。素晴らしい未来。全部捨ててでもわたしを選ぶ気? 無理よ、それは」

「……」


 テルミアはじっとレミリアの瞳を見つめている。

 その言葉、表情から一つも何も見逃す事がないように。


「駆け落ちしようとかそれでも構わないとか、そういう事を言うのならおやめなさい。貴方には未来がある。輝かしい、明るい未来が、ね。それを不意にするくらいなら、わたしを嫌ってもらった方がいいわ」


 レミリアでなく、レーミアの言葉のままで伝えた言葉。

 なぜそちらを選んだかは自分でも判らないが、真実、偽りのない事実を伝える。


 本音を言えば、彼のような青年と添い遂げるのもつまらなくはない。

 悪事を繰り返すことにも飽きかけていたし、ここで人並みのまっとうな生活というものをするのも悪くはない。

 良心などとうに壊れているし、これまでの事を償う気もない。だから彼の言うまま、幸せな普通の生活を贈るというのもあながち嫌ではない。


 しかし、なぜか。

 それを選べない自分がいる。

 良心など元からない。悪を成した者が今さら幸せになど――という葛藤もない。

 選ぼうと思えば容易く思える優しい手。けれど、なぜかレミリアは心を動かせない。

 脳裏にちらつくのはかつて牢獄で出会ったとある少年。雷紋剣の元々の持ち主。


 ――レミリアさん。レミリアさん。

 彼のことがちらつき、自然と、レミリアの言葉は突いて出る。


「わたしが稀代の『牢獄渡り』かどうか、信じられないならご自分で調べなさい。あなたの伯爵家の情報網なら簡単に判るでしょう。楽しい夢の時間は終わり。現実の、つまらない日常に戻りなさい」

「……」


 テルミアは前髪を垂らし、うつむいた状態で無言。

 一歩も動くことなく、ひたすらレミリアの言葉に聞き入っている。

 感情の伺い知れない、何とも言えないうつむきの体勢のまま、ゆっくり時間だけが過ぎて――。


「……まさか、貴方が『牢獄破り』とはな」

「え」


 感情の冷えた、これまでとは打って変わって冷然としたテルミアの声が、夜風を斬り裂いた。


「私も迂闊だった。そうか、『牢獄渡り』が近辺にいるとは報告を受けていたが、まさか貴方だったとはな」

「なん――!?」


 ざわりっ、とレミリアの背筋が悪寒に震えた。

 知っている。

 この感覚を自分は知っている。

 他でもない自分が、何より近く、一番知っている感覚。

 平和に育った人間を絶望に叩き落とし、幸せだった関係をずたぼろに崩す事が日常の、畜生にも劣る外道。まさに、そのものだから。


「まさか、貴方も――」


 震える声音のまま、レミリアは問う。


「そう、同業だよ、レミリア嬢。私も腹に暗黒を抱える身だ」


 金髪の印象が変わる。無垢な瞳が消える。優しい太陽のような明るい気配は掻き消えて死と混沌と、破滅を日常とする冷たい眼がレミリアを射抜いていく。


「あたしと同じ、大悪人……?」


 なぜ気づかなかったのだろう。

 自分のように悪事と外道を繰り返し、呼吸のように人を不幸に陥れる者がいることを。

 悪事と悪事のインターバルに、『変装』して市井に紛れ込む者がいることを。

 少し考えれば、判るはずではないか。

 なのに、自分は、自分だけを生粋の悪人だと決めつけていた。


「――ふふ、はは」


 レミリアは笑う。

 テルミアも笑う。

 いや、彼がレミリアの鏡というならば、きっとテルミアという名前は偽名だろう。彼にも大悪人としての、本当の名があるはずだ。

 そしてそれはそのままテルミアという青年は実在しないことを意味し、レーミアに対するレミリアという悪女がいるように、彼にも、それに比肩する闇が宿っている。


「……殺し合う前に、貴方の名前が知りたいなぁ」


 もはやレーミアの仮面を打ち捨て、素のレミリアのままに彼女は言う。


「私の名はテルエレス。祖国では『闘神』という名だ」

「うふふ。大仰な名を持つ人と相対するのは楽しいわね。その名に相応しい実力を持っている者も多いから」


 悲しくないかと問われれば、少しだけ悲しい。こんな自分でも好いてくれる者がいるのだと判って。偽りでも、君と幸せを築きたいと願ってくれて。

 でも、それは偽りの夢だったのだ。

 叶う事はなく、陽炎よりも儚い幻に過ぎない。


「貴方とは、幸せを築けると思っていた」


 だからレミリアは、鼻で笑う。

 儚い夢ですらない、愚かな夢に。純真過ぎた、青年の言葉に。


「あり得ないわ。あたし達のような者が、人並みに戻れるわけがない」

「それはどうかな。私は信じた。貴方に語った名と身分は偽りだが、体に雷撃が落ちたというのは本当だった」

「面白い人ね」


 くすくす、とレミリアは笑う。

 あまりにも荒唐無稽な願いだから。あまりにも、得難い甘い夢だから、つい小馬鹿にしたくなる。

 けれど、なぜだろう。その裏で、決して本気で馬鹿にできない自分もいる。

 愚かな夢なのに、叶わぬ光景なのに。

 どこか、甘美なものを抱いてしまう。


「貴方となら幸せな家庭を築ける。そう思ったのは本当だ」

「……幸栄ね」


 けれど、それはもはや夢物語だ。何をどうしても、レーミアとテルミアなどという女も男も存在せず、あるのは血塗られた過去を持つ大悪人だけ。


「最後に、もう一度だけ問うておこう」


 背中の虚空から紅蓮撒き散らす長剣を出しながら、テルミア――テルエレスが言う。


「全てを忘れ私の伴侶になる気はないか?」


 素敵な問いかけだった。レミリアは、一瞬迷った。

 ほんの一秒にも満たない、瞬き一回に匹敵するかどうかの、刹那。彼と、自分が、幸せな家庭を築き、暖かい光景を紡ぐのを幻視した。

 それは、確かに魅力的だろう。思わず頷きたくなる問いかけ。

 けれど――


「無理だね。夢を見る無垢な乙女であるには遅すぎた」

「ならば、やることは一つしかないな」


 互いに追われる身である以上、身元が割れれば殺すしかない。

 共存などできるものではなく、同族嫌悪が互いの生存を許さない。


「もっと違う形で出会えれば――」

「否。夢想しても仕方あるまい。私たちはただの人でなし」


 レミリアが雷紋剣を振った。紅蓮の長剣がテルエレスの周囲に火炎を放った。

 交わることのない二人。幸せになることの許されない二人。

 紫電と火炎、眩い光が街広場を強く染めていく。


「――であるからには、殺し合うのみだ」

「同感だね! さあ殺し合おう! もう一人のあたし! アハハハハハッ!」


 わずかな未練と後悔を断ち切って。

 音速を超えた熾烈を極める剣戟が、夜風を斬り、広場に激震を呼び込んだ。


 

 やがて――決闘が終わり、敗者と勝者が決まったとき。

 レミリアは夜風になびかれながら、静かに呟いた。


「生きてると色々あるものだね」


 足元には血溜まりの中の青年。真っ赤に染まった体と、打ち払われた紅蓮剣が無念そうに転がっている。

 すでに生気はない。まだ息はあるが、死神が間もなく連れて行くだろう。

 けれど、レミリアは彼に感謝したいくらいだった。

 この戦いで、この逢瀬で、ぼんやりしていた頭の中が、ずいぶんすっきりとしていたから。


「……まあ、これも一種の運命の出会いなのかもね」


 倒れるテルエレスの体から踵を返し、レミリアはひとりごちる。

 一つ、掴み取りたい光景があった。

 それは、いままさに斬り捨てたばかりの青年との光景ではない。

 とある少年と、自分との突拍子もない光景だ。

 あり得ないはずの景色に、けれどレミリアは小さく笑む。


「……迷っていたけれど、これで定まったよ、ありがとうね、テルエレス。大好きだよ」


 それは、自分でもわからないうちに迷っていた自分を変えた青年への感謝だった。

 冷たい広場の中で血の海に沈む青年は、けれど敗北した悔しさもなく、自分ではない誰かに心奪われるレミリアへの糾弾もなく。


「私も好きだ。いつか今度こそ伴侶になるため、先に逝ってるぞ」

「だから、それは夢だってば」

「いいや、私は必ずお前をものにする。もう決めた。お前以外、私は考えられない」


 強情で、強引で、けれど、自分よりも純真な青年だと思った。

 こんな形で幕は降りるけれど、違う形であれば友人くらいにはなれるかもしれない。


「わかった。まああたしはまだもう少し頑張ってみるよ。さよなら、テルエレス」

「また会おう、レミリア」


 それっきり、青年の口から言葉は出なくなった。

 情熱的で強引な声音は一生失われて。けれど、彼の残したほんの少しの熱が、レミリアを掻き立てる。


「待っててね、フォードさん。貴方への感謝と、あたしの気持ちを伝えにいく」


 レミリアは青年に感謝の礼をして、その場を後にした。


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